Chat Noir -黒猫と私- Deux(2nd)

 

Cat №47 黒猫と動き出した列車 その①

 

『Cat №47 黒猫と動き出した列車 その①』

 


 

 

 

 

樗木さんの時間は止まったまま。

 

 

あのときの事故から、ずっと。 

 

 

 

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仕事中だったらどうしよう…と思いメールにしようかとも思ったけれど、やっぱり電話にしたかった。

 

 

大事なことを切り出すのに―――メールじゃ失礼よね。

 

 

幸いにもチェシャ猫さんはすぐに電話に出てくれた。

 

 

「も…もしもし……」

 

 

『はい。樗木です。真田さん?嬉しいな、真田さんから連絡くるなんて』

 

 

と四日ぶりに聞く声はふつー通り。

 

 

特に四日前の変な別れを気にしていない様子だった。大人だからか?

 

 

私は―――と言うと、何話していいのかあれこれ準備していた身だから正直拍子抜け。

 

 

ううん……でもやっぱり普通通りがいいよ。

 

 

「あ、あの突然ですが今日の夜空いてませんか?」

 

 

『すみません…今日の夜は。打ち合わせが入ってまして。打ち合わせと言っても営業先の接待なんですけどね』

 

 

撃沈↓↓

 

 

「……じゃぁ…」言いかけたときに

 

 

『今からなら空いてます。約束が18時にあるんでそれまでの間なら』

 

 

い、今から…とな!

 

 

で、でも迷ってる暇はない。

 

 

こうゆうのはタイミングとチャンスが必要で。

 

 

「分かりました!今からOKです!!場所は―――」

 

 

私のアパートの近くにある公園を指定した。

 

 

以前、黒猫と夜のお散歩をした場所であり、ミケネコお父様と恋愛相談なんてしちゃったりしたところ。

 

 

カフェでのんびり話す内容でもないし、かといってチェシャ猫さんちや車の中は無理!

 

 

あの公園ならひと気がないから静かに話せるし。と言う意味で指定すると

 

 

『分かりました。今から向かいます』とあっさり了承。

 

 

電話を切って、今度は慌ただしくチヅルさんに電話を掛けた。

 

 

番号聞いておいて良かったよ~~~!!

 

 

『はい、もしもし』

 

 

チヅルさんの方も割と時間に融通が利くのか、あっさり出てくれた。

 

 

「あ、あの……チヅルさん――――……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

これで役者(乗客)はそろった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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その後私は、たい焼きを買ってそれを手にアパートまでの道を急いだ。

 

 

運よく電車もすぐに来てくれたおかげでそこから三十分とかからなかった。

 

 

「今日の主役はチェシャ猫さん!私は脇役……そう脇役よ!!ってかいつも脇役なんだけどね(泣)」

 

 

独り言をぶつぶつ言いながら公園にたどり着くと、すでにワンボックスカーが公園の脇に止められていて、その車が溝口さんの乗ってるものと同じ車種であることはすぐに分かった。

 

 

チェシャ猫さんの社用車だ。

 

 

慌てて公園の入口に向かうと、古びたベンチの隅にチェシャ猫さんが座っていて雑誌のようなものを読んでいた。それを目に入れると思わず私の足は躊躇して止まってしまった。

 

 

でも――――ここで立ち止まってはダメ。

 

 

せっかく決心した心を必死に奮い立たせ、それでも私のつま先は僅かに震えた。

 

 

ゆっくり…ゆっくり―――とチェシャ猫さんの座るベンチに近づくと、私の存在に気づいたのかチェシャ猫さんはゆっくりと顔を上げた。

 

 

その顔にはいつもの笑顔が張り付いている。

 

 

何事もなかったように―――

 

 

 

 

チェシャ猫さんにとってあの夜の出来事は、

 

 

 

 

あの夜降った雨で流してしまったのですか?

 

 

 

 

それともあの夜に流してしまったのは

 

 

 

 

 

 

もっと他の感情ですか?

 

 

 

 

 

 

 

 

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私はチェシャ猫さんの横に腰掛けると、たい焼きの袋を軽く掲げた。

 

 

「たい焼き食べません?」

 

 

‟こんにちは”も‟お久しぶりです”も、何もなく挨拶をすっ飛ばして聞いてみたのは

 

 

特に意味があったわけじゃない。

 

 

早く本題を切り出したかったから、とかでもない。

 

 

ただ、チェシャ猫さんの顔を見てそう思ったから。

 

 

気づいたら―――私はチェシャ猫さんのペースに巻き込まれっぱなしだった。でも今は―――私がチェシャ猫さんのペースそのもの。

 

 

「いただきます。でもなぜにたい焼き?まぁおいしい季節になりましたよね~秋だし」

 

 

チェシャ猫さんは笑顔になって素直に手を伸ばしてきた。

 

 

たい焼きの一つを手渡しながら、私は

 

 

 

 

 

「さっきまでデートしてたんです。たい焼き食べながら」

 

 

 

 

 

と、ことさら何でもないように言い出した。

 

 

たい焼きの頭からかぶりつこうとしていたチェシャ猫さんの手が止まった。

 

 

口を不自然に開いて、ゆっくりと私の方を見てくる。

 

 

さらに私は、そんな珍しく変顔のチェシャ猫さんに問いかけた。

 

 

「相手は高校生です」

 

 

チェシャ猫さんは口を噤むと、眉の端をぴくり……動かした。

 

 

「それは――――」

 

 

 

 

 

 

「黒猫……倭人―――元彼じゃないです。

 

 

 

倭人のクラスメイト。デートってほどでもないです。ちょっと喋っただけ」

 

 

 

 

私の言葉にちょっとだけほっとしたように頬を緩めるチェシャ猫さん。

 

 

けれど次の言葉でチェシャ猫さんの表情はまた変な風に固まった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「嫉妬してくれる程度には――――

 

 

 

私のこと好きでいてくれたんですね」

 

 

 

 

 

 

 

 

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「何言って――――当たり前じゃないですか」

 

 

チェシャ猫さんがちょっと怒ったように眉を吊り上げる。

 

 

はじめてかもしれない。この人のこうゆう表情を見たのは。

 

 

思えば私――――想い出の中のチェシャ猫さんはいつも笑顔のチェシャ猫さんしかいない。

 

 

怒ったり、泣いたり、悲しんだり―――もっともっといっぱいチェシャ猫さんの表情を見たかった。

 

 

けれどそれを見られるのは

 

 

チヅルさんだけ。

 

 

 

 

 

「樗木さん、今までありがとうございました。

 

 

 

あなたは―――チヅルさんの元へ戻ってください」

 

 

 

 

 

ずっと言いたくて言えなかった言葉は、案外あっさりと口から出た。

 

 

“別れ”とはこんなにもあっさりしているのだろうか。

 

 

だとしたらあっさり別れられなかった黒猫との恋は私にとって何だったんだろう―――

 

 

 

ポトッ……

 

 

何かが落ちる小さな音が聞こえて、それがチェシャ猫さんが手にしていたたい焼きだってことに気づくのが遅れた。

 

 

 

「すみません。落としてしまいました。

 

 

でもどうして……突然」

 

 

チェシャ猫さんは屈みながらたい焼きを拾って脇に避けると、私の横顔を見据えてきた。

 

 

まだ一口も口を付けられていないたい焼きが寂しそうにチェシャ猫さんの横から私を見上げている。

 

 

「どうして?チヅがそこに出てくるんですか。

 

 

真田さんが僕と別れたいんですか?だったら理由を―――」

 

 

早口に言いかけてチェシャ猫さんは前髪をぐしゃり、と掻き揚げた。

 

 

「あの夜の―――ことを考えていらっしゃるなら、あれは無視してください。

 

 

虫のいい話かもしれませんけど」

 

 

 

チェシャ猫さんの言葉に私はゆるゆると首を横に振った。

 

 

 

無視―――なんてできない。

 

 

 

だって

 

 

 

 

はじめてチェシャ猫さんの本心に触れられたんだもの。

 

 

 

 

 

 

 

 

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「僕は真田さんが好きです。

 

 

せっかくそう思える人と出会えたのに、別れるなんて絶対にいやです」

 

 

そう言ってくれて――――

 

 

 

嬉しいです。

 

 

 

でも

 

 

 

「“Like”?“Love”じゃなくて?」

 

 

と言う質問に、チェシャ猫さんは戸惑ったように目をまばたきさせた。

 

 

「そうゆうことです。

 

 

あなたの心の中に居る人は―――私なんかじゃない。あなたの“好き”って言うのは、恋人としての意味じゃない」

 

 

「僕はずっと真田さんのこと考えています」

 

 

チェシャ猫さんは弁解するように大仰な手振りで説明をした。

 

 

「じゃぁ……」

 

 

私が短く息を吸い込んだのを確認して、チェシャ猫さんはその言葉に耳を傾けていた。

 

 

 

 

 

 

「じゃぁ何で私に触れようとしないんですか」

 

 

 

 

 

 

 

私ははっきりとチェシャ猫さんを真正面から見据えて言い切ると

 

 

「何言って………手ならこうやって繋いでるじゃないですか」

 

 

とチェシャ猫さんの手が私の手に重なった。

 

 

チェシャ猫さんは私と二人きりになっても、手以外の場所に触れようとはしてこなかった。

 

 

四日前のあの微妙な夜を覗いては、ハグだってしなかったしもちろんそれ以上も―――

 

 

触れる―――

 

 

と言うことは恋人間の中でもとりわけ大きなことで、それがコミュニケーションにもなるし、相手のことを知れるのだ。

 

 

その行為をやり過ごして、今まで来たのが奇跡だと思う。

 

 

「そもそも僕は大切な人と手を繋ぐのが好きな方で―――」

 

 

チェシャ猫さんの言葉に私は言葉をかぶせた。

 

 

「それは!」

 

 

チェシャ猫さんの指先がぴくり、と動いた。

 

 

 

 

 

「それはチェシャ猫さんが五年前にチヅルさんの手を離してしまった罪悪感からです」

 

 

 

 

 

 

 

 

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小さな子供に言い聞かせるように一言一言丁寧に、真剣に向き合って言った。

 

 

 

 

「だから俺と別れる―――と…?事故のことは真田さんに関係ない。

 

 

俺はあなたと一緒に生きる道を選んだんだ」

 

 

 

 

チェシャ猫さんは自分のことをいつもの“僕”とは言わず“俺”と呼んだ。

 

 

皮肉なことに、ここにきてはじめて気づいたよ―――

 

 

あなたの口癖。

 

 

あなたは本心を喋るときだけ“俺”と言うのね―――

 

 

 

 

「いいえ、違う。あなたは逃げている」

 

 

 

 

 

「違わない!」

 

 

 

 

 

チェシャ猫さんは突如大声を挙げて、怒鳴った。

 

 

 

 

 

 

 

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はじめて怒鳴られた。

 

 

急角度につり上がった目の端がさらにつり上がって、険悪の形相を帯びていた。

 

 

その只ならぬ迫力に一瞬だけ言葉を飲み込む。

 

 

いつもにこにこしてる人って怒ったら―――怖いって言うよね。

 

 

まさにその通り。

 

 

チェシャ猫さんの剣幕に押されて何も言えないでいると

 

 

「………すみません。大きな声を出して…」とまたいつもの優しい瞳をして私の手をそっと握ってくる。

 

 

「とりあえず……この場で話し合うことじゃないですよね。

 

 

僕と別れたいって言うのなら、ちゃんとした理由を用意してください。

 

 

そのときまたゆっくり話し合いましょう。

 

 

僕―――仕事に戻ります」

 

 

チェシャ猫さんが私の手から手を離してゆっくりと立ち上がる。

 

 

するり

 

 

チェシャ猫さんの手が私の手から離れた。

 

 

チェシャ猫さんの約束の18時まではまだ一時間ほどある。

 

 

「ちょ、ちょっと待って!ちゃんと聞いてください!」

 

 

私は慌ててチェシャ猫さんの手を引いた。

 

 

ああ、もう!!

 

 

今まで私―――ちゃんとした別れって言うのを経験したことがなかったから何て切り出していいのか分からない。

 

 

「僕の方は話はないです。すみません、仕事に戻ります」

 

 

チェシャ猫さんは私の手を一層強く握ると、次の瞬間やや強引と思われる力で手を引き抜いた。

 

 

チェシャ猫さんは公園の入口の方へ足を向けている。

 

 

 

 

 

 

行っちゃう……

 

 

だめ―――

 

 

 

 

どうしたら引き止められる?

 

 

どうしたら―――?

 

 

 

 

「チヅルさんが好きなのは樗木さんって知っても―――

 

 

 

あなたは私と付き合っていられますか?」

 

 

 

 

 

 

 

あれこれ考えて私は最後の最後―――

 

 

順序立てて説明する言葉を急きょひっぱり出して投げかけると、チェシャ猫さんの足はぴたり

 

 

止まった。

 

 

 

 

止まって

 

 

 

 

くれた。

 

 

 

 

 

 

 

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チェシャ猫さんの手が今度ははっきりと分かるようにぴくりと大きく動き、ゆっくりと振り向くと目をいっぱいに広げていてその突き刺さるような視線を私に向けてきた。

 

 

「……すみません。事故の詳細を……チヅルさんに聞きました。

 

 

勝手なことして申し訳ないと思ってます。それは謝ります」

 

 

腰を折って説明すると

 

 

「チヅから……?」

 

 

とチェシャ猫さんは深いため息を吐いた。

 

 

「彼女から何を聞いたのか分かりませんが、でも彼女は決して真田さんを傷つける女じゃないです。

 

 

だから彼女が原因だと言うのなら……」

 

 

「分かってます!」

 

 

今度は私が怒鳴った。

 

 

その声は小さな公園に響いて、入口を横切って行った小学生ぐらいの男の子二人組がびっくりしたように脚を止めた。

 

 

それを見て、怒鳴った後に後悔した。

 

 

もし――――もし本当に違ったら……?

 

 

私は―――チェシャ猫さんを傷つけるかもしれない。

 

 

一抹の不安が浮かんで、そう思ったら急に自分のやってることがいけないことだと、後ろ足を踏みそうになった。

 

 

でも

 

 

歩みを止めてなならない。じゃないと

 

 

 

―――誰も前に進めない。

 

 

私は今ゆっくりと立ち上がり、真正面から彼を見据えた。

 

 

 

 

 

 

「樗木さんの時間は止まってるんです。

 

 

 

 

あのときの事故から――――ずっとずっと」

 

 

 

 

 

 

 

 

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「あなたは――――顔は笑ってるけれど、心で泣いてる――――

 

 

私には分かるんです。チヅルさんのこと、救えなかった自分に怒り、足を悪くしたチヅルさんのことを想って自分を責めて…」

 

 

言いかけたとき、またも

 

 

「違う!」

 

 

チェシャ猫さんは怒鳴った。

 

 

今度は私も居竦むことは―――なかった。

 

 

 

「いいえ、違わない。あなたはただずっと

 

 

 

泣いてる―――

 

 

 

心の中で」

 

 

 

「俺が――――………泣いてる……?

 

 

違う……

 

 

違うよ」

 

 

 

チェシャ猫さんは私に顔を向けたまま、視線だけは地面の辺りを彷徨わせていた。

 

 

少しの間沈黙があって、

 

 

「違う」

 

 

とチェシャ猫さんは温度のない声で弱々しくぽつりと吐いた。

 

 

「いいえ、違わなくない」

 

 

またも私がかぶせると

 

 

 

「…………違う」

 

 

チェシャ猫さんはとうとう膝を折って、地面に両膝を突き、両手で頭を抱えて蹲った。

 

 

その姿は―――五年前に………ううん、私の夢の中で

 

 

泣いていたチェシャ猫さんの姿そのものだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

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「泣いていいんです。悲しんでいいんです、怒っていいんです。ずっとしまい込んでた感情を―――解放させてあげてください」

 

 

私はゆっくりとチェシャ猫さんの元へ歩いていくと、肩を引き寄せ、頭を抱き寄せた。

 

 

「泣いてなんか――――ない。俺は――――悲しんでなんか―――……

 

 

俺は……俺は千鶴のために泣いていい身分じゃない………

 

 

 

千鶴のために―――何もしてやれなかった」

 

 

とチェシャ猫さんは切れ切れの声で私の腕の中で何とか答える。

 

 

けれどその声は僅かに嗚咽が混じっていた。

 

 

ポツリ……ポツリ…と

 

 

赤土の上に濃い茶色が広がり、それが涙のしずくの跡だと気づいた。

 

 

 

 

 

「樗木さんは大切な人を助けられなかった―――……その想いが強すぎて、自分に呪いをかけてたんです。

 

 

 

解けない呪いを」

 

 

 

“俺が手を離さなければ”

 

 

まるで呪詛のように繰り返していた―――とチヅルさんは言った。

 

 

 

そう、それは呪詛そのものだよ。

 

 

 

五年前から今までチェシャ猫さんはその言葉に囚われていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私が解放してあげるの。

 

 

 

 

 

 

 

 

その呪いから。

 

 

 

 

 

 

 

 

チェシャ猫さんは私の腕を掴むと、声を挙げて

 

 

 

 

 

泣いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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「チヅ――――」

 

 

 

 

 

 

 

「チヅ………――――」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「千鶴――――ごめん。

 

 

 

ごめんな

 

 

 

 

 

 

 

 

 

本当は千鶴のこと手放したくなかった―――

 

 

 

 

だけど怖かった。

 

 

 

 

 

 

 

千鶴から逃げた

 

 

 

 

ごめんな」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

チェシャ猫さんの声はあなたに届きましたか?

 

 

 

 

 

 

 

私は公園入口に呆然と突っ立っていたチヅルさんの方を見た。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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「省……」

 

 

チヅルさんが小さな声を出して両手を口元に当てている。

 

 

その頬に光る一筋の光を見た。

 

 

「省吾―――……」

 

 

チヅルさんがチェシャ猫さんを呼んだ。

 

 

「チヅ……?」

 

 

その声でチェシャ猫さんが顔を上げた。

 

 

その顔には涙が浮かんでいた。

 

 

「行って……」

 

 

私はチェシャ猫さんを立たせると、そっと彼の背中を押した。

 

 

「………真田さん…」

 

 

チェシャ猫さんが困惑したように私とチヅルさんを見比べる。

 

 

「行ってください……」

 

 

それでも戸惑ったようにチェシャ猫さんのつま先は私の方を向いている。

 

 

 

 

「行きなさい!

 

 

 

 

あなたはチヅルさんのこと―――好きなんでしょう!

 

 

五年前、あなたは手を離したかもしれない。

 

 

けれど離した手は

 

 

 

 

また繋ぐことができる。

 

 

 

 

 

 

 

生きてるんだから。

 

 

 

あなたたちは生きてるんだから―――」

 

 

 

 

以前、この公園でミケネコお父様とお喋りしたことがある。

 

 

彼もまた亡くなった前の奥さん……サエさんのことで悩んでいた。

 

 

天秤にかけるつもりはないけれど、でも生きていれば―――取り返すことだってできるんだよ。

 

 

 

 

 

 

 

「生きなさい」

 

 

 

 

 

 

私がもう一度言うと、チェシャ猫さんは大きく頷き

 

 

「真田さん……ごめん」

 

 

と一言言い置き、チヅルさんの元へ走り出した。

 

 

 

 

 

 

 

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動き出す。

 

 

 

 

止まっていた時間が―――

 

 

 

 

 

五年と言う月日を経てようやく

 

 

 

 

 

走って

 

 

 

走って

 

 

 

「千鶴」

 

 

 

 

走って―――その手で

 

 

 

 

「省吾」

 

 

 

 

 

 

 

運命を

 

 

 

 

掴んで――――

 

 

 

 

 

 

 

さよなら

 

 

 

 

 

チェシャ猫さん

 

 

 

 

 

 

 

 

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