Chat Noir -黒猫と私- Deux(2nd)
黒猫と女子高生 その③
「昨日夢で朝都と会えた~」
夢に出てきた人は、あなたが会いたいと思った人ですか?
それとも会いたいと願ってくれた人―――?
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ネコのくせして年上のおねーさまを振り回すなんて生意気よ!
と思ったけれどこれといった反抗もできず私は大人しく連れられるまま。
黒猫が連れて行ってくれたのは、ドラマとかでよく目にする屋上に続く階段。
鍵が壊れてるって言う設定なのよね。んでもってその場所は黒猫しか知らなくて秘密の穴場。
澄み切る空の下、恋人たちはひとときの甘いランチタイム…
―――なんてのを想像してたけど
ガチャッ
屋上への扉はあっさり開いたし、
「あれ??倭人ー??めっずらしーお前がここにくるの」
屋上にはヤンチャそうなメンズたちがたむろしていて、
二人きりの甘いランチタイム…夢、破れたり。
ま、現実なんてこんなもんだよね。
夢は夢でバイオハザードウィルスが見せていた幻だったに違いない↓↓
「ぅを!お前、カノジョ連れ込んでんなよー、大胆~♪♪」
と、私を目にしたメンズたちが楽しそうに口笛を吹いている。
その何人かは前文化祭で会った子たちだ。
「いいだろー。俺、これから彼女と弁当食うから邪魔シナイデネ」
黒猫は私と手を繋いだまま給水タンクの方を目配せ。
「ラブラブランチタイム!超羨ましいっ」
「くっそ倭人!俺にも食わせろっ。手作り弁当」
はやし立てられたり羨ましがられたり。
メンズたちの意見を無視して黒猫は歩き出す。
私は黒猫についていくのが精一杯。
これじゃどっちがネコだかどっちが飼い主だかわかんないよ。
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給水タンクの影に腰を降ろしてタッパーを広げると
「すっげぇうまそう」
と黒猫は目を輝かせた。
胃袋ガッツリ掴み作戦は上手くいきそうだ。
黒猫は「いただきマウス」と言って手を合わせて早速唐揚げに手を伸ばしている。
なんだよ、いただきマウスって。
あんた一々可愛いのよ。
とバイオハザードウィルスを活性化させながらも、私は黒猫の手をぺしっと払いのけた。
「お箸があるからこれ使って」
手の掛かるネコ。そこが可愛いんだけどね。
「うっま♪」
塩麹で味付けした骨付き鶏肉の唐揚げを口に入れて黒猫はご機嫌。
胃袋作戦成功みたい。
「毎日お父様の食事食べてるんでしょ?それに比べたら」
「最近ペルシャ砂糖さんが作りにくる。花嫁修業とかで…
まともな飯食ったの久しぶりかも」
と黒猫はちょっと目を細めて遠くを見ながらため息。
黒猫……苦労してるのネ。
ペルシャ砂糖さんのことは嫌いじゃなさそうだけど、料理に関しては「おいしく」ないみたいだ。
「俺…はじめて胃薬なるものを飲んだ」
黒猫……そう言えば二三日会ってないってだけなのにちょっと痩せたような…??
「でもなんか一生懸命だしサ。がんばってるのを見ると
何も言えない」
黒猫は何も言わずもくもくと食事を摂っているのだろう。
その光景が目に浮かぶ。
「朝都早く嫁にきてよ。
そしたら俺楽になるのに」
な、嫁―――とな!
私は口に入れた卵焼きを喉に詰まらせそうになった。
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「あと一年の辛抱だ」
黒猫はグラタンを口に入れながら空をぼんやりと見上げ、
「一年…?」そう聞くと
「そ。
俺が18になるまであと一年」
少年黒猫は無邪気に私に微笑んできた。
実際問題18になってすぐに結婚できるとは思わないけど、でも純粋にそう言ってもらえると
やっぱり嬉しいよ。
「あ。そだ。
あんた夜中に電話くれたよね。ごめん寝てて気付かなかった。
カリンちゃんのこと?」
思い出したように聞くと
「あー…うん。果凛のことも報告しようと思ったんだけど
なんか急に
声聞きたくなっちゃって」
声を聞きたくなっちゃって―――…?
なんていい響き。
「ごめんね、気付かなくて」
黒猫はちょっと首を傾けると
「でもそのあと夢で朝都に会えたから
いーや」
夢……??
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………ちょっと待って…
その夢と言うのは私が見たやらしー夢じゃ…
二人一緒の夢を見るなんてありえないことだけど、でもタイミング的に…
こんだけ想い合ってる(…と思いたい)し離れた場所でも同じ夢を見るなんて運命感じちゃう…
だけど
「ど、どんな夢…?」
恐る恐る聞くと、
「ひみつ」
黒猫はちょっとだけ顔を赤くして顔を逸らす。
へ!!?
ちょっと!何なのよ、その反応は!
まさか私が襲ってる夢じゃないわよね!
「何の夢!言いなさい。言わないとお弁当なし。
言うまでお弁当お預け」
私はタッパーを取り上げて黒猫を睨むと
「はぁ?そんなん脅迫じゃん」と黒猫は呆れ顔。
「どーせエッチな夢なんでしょう。トラネコくんのDVDでも見た??」
と、言いつつも運命論に期待している自分もいる。
だけど
「は?ちげぇし」
黒猫は不機嫌そうに目を細めてぶすりと遠くを見る。
「夢の中で俺は…
本当に小さな黒いネコで……」
黒猫は恥ずかしそうに顔をそらせると耳まで赤くした。
「俺は飼い主の朝都の膝に乗って
朝都が俺に話し聞かせてくれてるんだ、
魚の造りについてあれこれを。
ここの部位はどうたらこうたら、骨の作りはなんたらとか。
俺、退屈でしょーがなかった」
運命論破れたり。
私……私は黒猫の夢の中でも私だった。
でも
私が見たやらしー夢じゃなくて良かった。そのことにちょっとほっ。
「…て退屈言うな!」
「だって魚の造りを知るより食わせろって感じだし。
途中で飽きて朝都の手を引っかいてやった。
そしたら朝都はツナ缶くれた」
そ、そう。ちゃんとオチまであるのね。
てか黒猫の夢の中は夢でも食べることなのね。
私はちょっと想像した。
膝にちょこんと乗った黒いネコの背中をそっと撫でて
可愛がるその光景を―――
黒猫の夢は
夢でも可愛かった。
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「予知夢??
朝都のごはん食いたいって願望か?」
いつの間にか取り返したタッパーを掲げて黒猫は首を捻る。
んなバカな。
とか思ったケド、ネコってどこか神秘的な生き物だしあながち予知夢も外れてないかも。
って…ちっがーーーう!
黒猫は人間の♂!
とりあえず、私が見たあのやらしい夢じゃなかったことだけ良かったか。
「ちゃんと話したから、弁当食わせろ」
黒猫は取り上げたタッパーの中のおかずに箸を走らせている。
手掴みで卵焼きを口に運びながら、
「夢ってさー、俺に会いたいって思ってくれてる人が出てくるんだって。
知ってた?センセー」
にやり、と口の端を吊り上げて黒猫がちょっと笑いながら卵焼きを口に放り入れる。
会いたい―――…
確かにそう思ったけど
「だったらあんたもそう思っててくれたんだ」
私も意地悪そうに笑みを返した。
私の夢にも黒猫が出てきたわけだし。
「何それ、どーゆう意味?」
「ふふっ♪なーいしょ♪」
ま、私が黒猫を襲ってたなんて口が裂けても言えないけどね。
…………
…
その奥で、
「倭人のヤツ…何喋ってんだ??」
「黒猫がどーのとかツナ缶がどうのとか言ってるぞ?」
「倭人、何喋ってンだよ!もっと色気のある話しろよ~!」
「あいつ…彼女の前でもアイツだな」
外野が煩い…
給水タンクの向こう側は男子高生たちで賑わっている。
そんなこと知らずにか、黒猫は偶然触れた私の指先を握って、
「朝都、指熱い…熱、ある?」
そう聞かれて私は首を横に振った。
熱なんてないし(…たぶん)私はいたって健康だ。
「手!繋いだぞ!!」
「倭人やる~♪」
「「……………」」
さすがに外野の賑わいに気づいたのか黒猫は私から手を慌てて離して顔を背ける。
「やっぱ屋上はマズかったな」
「そうみたいだね……」
恋人とラブラブ甘いランチタイム(?)…は、こうして終わった。
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―――次の日、
カリンちゃんも無事退院できたし、私は珍しくケーキなんて買って黒猫のおうちを訪れようとしていた。
今日はお勉強の日じゃないけど、なんとなく罪悪感で…
カリンちゃんが大変なときに「黒猫がうちに来てくれない」と拗ねていた自分を恥じて。
前にカリンちゃんのママが買ってたきたのと似たようなケーキをお土産にしてみた。
どーせトラネコくんも食べるだろうし、多めに買ったケーキは大きな箱に入れられて私はそれを両手に抱えて黒猫のマンションの前に。
行くって言ってなかったからびっくりするかも。
おうちにいるとは思うけど、一応連絡しておくか。
と思ってもたもたとケータイを取り出していると、
出入り口のエントランスから、覚えのある女子高生が出てきて私は思わずその手を止めた。
長い髪を揺らして、短いスカートのすそが計算された美しさで翻る。
ロシアン葵ちゃん―――……
何で―――
びっくりして目をまばたいていると、ロシアン葵ちゃんが私に気づいたのか
その足取りを止めて
「あ」
小さく声を発した。
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「こんにちは~」
ロシアン葵ちゃんはにこやかに笑ってこっちに近づいてくる。
「こ、こんにちは…」
私は目をまばたいて頭上に伸びる高層ビルを眺めた。
ビルの先には今にも一雨きそうな重くて分厚い雨雲が広がっている。
まるで私の心境を表しているような。
―――何でロシアン葵ちゃんが、このマンションから出てきたのだろう…
まさか倭人に会いに?
嫌な想像だけが巡り、私はそこから一歩も動けなかった。
「おねーさんも倭人のおうちに行くんですか?
倭人、今お昼寝中ですよ」
ロシアン葵ちゃんが完璧な笑顔を湛えて私に微笑みかける。
何で―――…ロシアン葵ちゃん、倭人のお部屋に入ったの……?
あのお部屋でロシアン葵ちゃんと倭人はたった今まで二人きり……
想像するだけで目の前が真っ暗になった。
カタン……
私の手からケータイが滑り落ちて、硬いコンクリートの階段に落ちた。
こんなときでも食い意地ははってるのか、ケーキはしっかりと抱えている私。
「葵ちゃん…や、倭人に用が……?」
確認する意味で聞くと、ロシアン葵ちゃんは軽く肩をすくめて
「さぁ。ご想像にお任せします♪」といたずらっぽく微笑んだ。
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「それじゃあたし、レッスンがあるんで」
ロシアン葵ちゃんはバイオリンのケースを抱えなおして、私の横を素通り。
会いにいったのかどうか、なんて確かめるほどでもない。
ロシアン葵ちゃんからは、倭人と同じ柔軟剤が香ってきたから―――
倭人、もう連絡取らないって言ってたのに、
私の知らないところで
二人で会ってたんだね。
どうして…
どうしてよ。
――――
私は落ちたケータイを拾って、そのままエントランスに続く石造りの階段で座り込んでいた。
マンションの住人らしい人が怪訝そうに通りかかったけれど、その気味悪そうな視線も気にならず、冷たい石段に腰を下ろして…
いったいどれぐらい時間が経ったのだろう…
いつの間にか降ってきた雨が肩や髪を濡らす。
傘……持って来てなかったなぁ。
帰らなきゃ……
そう思いつつも重い腰は上がらない。
いつのまにか雨は本降りになっていて、視界をぼんやりと灰色ににじませている。
倭人の家に行かなきゃ……
行って確かめなきゃ。それはほんの少しの希望。
『葵は来てないよ』
そう思うのに、その反面、
なんだか自分がひどく惨めで黒猫に見せる顔がない。帰りたい。とも思う。
だけれど私の足は会いに行くこともできなかったし、帰ることもできず
ただずっとぼんやりと雨の中、灰色の景色だけを見据えていた。
P.22
―――
「アサちゃん…?」
ふいに頭上に影が落ちて、ゆっくりと顔を上げると紺色の大きな傘を持ったトラネコりょーたくんが心配そうに私を覗き込んでいた。
「どうしたの?倭人の家にいかないの?
こんなに濡れて……
もしかして倭人と喧嘩でもした?」
トラネコくんがいつになく神妙な面持ちで聞いてきて、私はその問いかけに無言で首を横に振った。
「違うの……喧嘩なんてしてない」
「じゃ、どうして……」
トラネコくんの質問を途中で遮って、
「これ、カリンちゃんへ退院祝い…少しだけど。みんなで食べて」
私はビニール袋でカバーされたケーキの箱をトラネコくんに手渡して立ち上がった。
「え…!倭人に会っていかないの!」
バシャバシャッ!
水溜りを跳ね飛ばして私は階段を降り、そのまま駆け出した。
雨が…肩をはじめとする体全体に降り注ぎ、体の芯から冷えてくる。
何度も水溜りに足を入れてしまって、私の足取りは走っているつもりなのに、よたよたと頼りなく
何度もつまづきそうになった。
「ちょっとアサちゃん、大丈夫?」
トラネコくんが追いかけてきて、それでもその言葉を無視しているうちに
ドタン…!
私は派手に転んでしまった。
まともな精神状態と言えなかったとは言え、こんなにみっともなく転んで恥ずかしい。
髪も服もドロドロ。
そんな状態で益々惨めな気持ちになって私は顔を上げられなかった。
冷たい地面に座り込みながら
「痛っ……」
転んだふしにすりむいたのだろう、膝から血が出てることに気づいて、今度こそ
自分何やってるんだよ
って恥ずかしくなってうつむいた。
P.23
――――
――
「ほら、あったかいものでも飲むと落ち着くよ?」
私は黒猫と同じマンションの…何故か、違う階のトラネコくんのおうちに来てる。
タオルも借りたし、濡れた服を脱いで…トラネコくんのお母さん??の服にしちゃ若い感じの服も借りた。
トラネコくんはドロドロになった私の服を洗濯までしてくれて、今は乾燥中。
その間すりむいた傷の手当てをしてくれて、ホットココアを貰っていると言う状況。
手際がいいな。
てか意外に面倒見がいい??
私も断れば良かったのに、さすがにあの状態で電車に乗れないし…
「あ、ありがとね。お…おうちの人は…?」
タオルをぎゅっと握って人の気配がないマンションのお部屋をきょろきょろ。
間取りは黒猫のおうちと同じように見えたけれど、インテリアが違うだけで全然違うお部屋に見える。
トラネコくんのおうちはあまりものがない黒猫のおうちと違って、アンティーク調の可愛い小物がセンス良く飾られている。
「うち?
今、両親いないんだ」
にやり、トラネコくんは不適に笑って
ギシッ
ソファの手すりに手をつき、ソファに座っている私を見下ろしてきた。
またこのイタズラネコは……
ぺしっ
私はトラネコくんの額を軽くはたいて、
「おねーさんをからかい過ぎよ」
私が軽く睨むと
「別に、からかってなんかないし」
トラネコくんは無表情に私を見下ろしてきて、私は意味もなくドキリとした。
P.24
「ちょっと…上から退いて」
私がトラネコくんを押しのけるように肩を押したけれど、トラネコくんの肩はぴくりとも動かない。
「弱い力ー、アサちゃん全力で押してるの?」
からかうようにトラネコくんが低く笑い、私の脚の間に膝をつく。
「ちょっと……冗談やめてよ。
カリンちゃんが見たら怒るよ」
何だか不穏な成り行きに私が身をよじって逃げようとするも、トラネコくんは私の手首を掴んで引き寄せた。
「冗談なんかじゃないよ。
アサちゃんが悪いんだからね。
倭人と何があったか知らないけど
他の男のとこにほいほいついてくるアサちゃんが悪い」
トラネコくんはネコのくせに、でも
やっぱり男だった―――
トラネコくんの今日も決まった一部だけシマ模様を目に入れて、トラネコくんが顔を近づけてきた気配を感じた。
「ちょ、ちょっと待ってよ!
それ以上近づいたら…」
近づいたら??そのあとの言葉が出てこなかった。
「近づいたら?」
トラネコくんが挑発するように薄く笑う。
「ち、近づいたら……か、解剖してマスクドホルムに漬け込んでやる!
み、溝口さんに頼めばいつでも用意してくれるもんね!」
「解剖…?」
トラネコくんは目をきょとんとさせて、私を見下ろしてきて
ぅわあ!!私、何でもっとマシな威嚇がなかったのよ!と言った瞬間後悔↓↓
だけど
「ぶぁははははは!」
トラネコくんは私の発言に、おなかを抱えて笑い出した。
P.25
「アサちゃんはやっぱりアサちゃんだな~」
ひー、と変な声をあげながら涙目になってまだお腹を抱えているトラネコくん。
笑いながら私の上から身体を起こした。
何よ…
やっぱりからかっただけ?
「ごめん、ごめん」と言いながらも、私の隣に腰掛けてくるトラネコくん。
「何なのよ」
私はまだ疑ったままビクビク。
トラネコくんはやっぱりネコで。こっちが予想もしない奇行に出るんだから。
「怒らないでよ、アサちゃん~」と私の腕に腕を絡ませてすりすり。
「今ので完全に怒ったわ!」
私はトラネコくんを払いのけると、ぐいーと押しのけた。
今度はトラネコくんはあっさり身体を後退させる。
「ごめんね、アサちゃん」
もう一度言われて、
「分かったわよ。もう怒ってないから」
嘘だったけど。まだ半分怒ってるけど。
でも年下の男子高生にからかわれただけの私も悪いんだし。
「違くて。
俺……俺なんだ、倭人を引きとめたの」
眉を寄せて申し訳なさそうに言われて、
私は何のことか分からず目を開いた。
P.26
「果凛が喘息で病院に運ばれたときあったでしょ?」
そう聞かれて、
「うん、覚えてるけど」
まさにそのときのお見舞いにケーキを持ってきたところだし。
「俺、倭人から電話があったとき、バイト抜け出してすぐ病院に向かったんだよね。
果凛は点滴打って眠ったままで、
倭人にアサちゃんと約束があるから、おばちゃんたちが到着するまで果凛の傍に居てやってくれ、って言われたけど
俺が引きとめた。
果凛が目を覚ましたとき、倭人が居なかったら果凛が悲しむんじゃないかってそんな気がして。
果凛が一番近くに居て欲しいヤツ……てのは俺じゃなくて、たぶん
倭人だと思ったから。
ほんとにごめん」
トラネコくんは小さくうな垂れて謝ってきた。
そう―――…
だったんだ…
ホントは黒猫も私のところに来ようとしてくれていて、でもカリンちゃんが心配で
カリンちゃんのことを好きなトラネコくんはカリンちゃんのことを想って黒猫を引き止めて…
「倭人さ、ずっとアサちゃんのこと心配してた。
ケータイ禁止区域だから電源入ってないケータイを開いたり閉じたり…
ずっと気にしてた。
ごめんね、アサちゃん。俺、倭人にも悪いことした」
今回のことは一体誰が悪いのだろう
連絡をしてこなかった倭人?
倭人を引き止めたトラネコくん??
倭人が来れずに子供っぽく拗ねていた私―――
きっと誰も悪くない気がする。
だって好きな人のために、みんな精一杯がんばった結果だもん。
「そうゆうことか…
だったら全然大丈夫だし。カリンちゃんがよくなって良かったよ。
わざわざありがと」
私がトラネコくんに笑いかけると、トラネコくんは大げさな仕草で顔を覆い
「あーもぉ!俺、何やってんだろな!」
と体を折った。
P.27
「理由をちゃんと話したらアサちゃんは怒らないって思ったけど…
倭人だってアサちゃんとこに行きたかっただろうに、
アイツ…何にも言わなくてさ……
俺だけがガキみたいだよ。
こんなアサちゃんの知らないところでこそこそ…さ」
「私を陥れるためにした行動じゃないでしょう?
カリンちゃんを想ってなら全然大丈夫じゃない。
キミはもっと自分の行動に自信と責任を持ちなさい」
そう言うと、トラネコくんは覆った手のひらの指の隙間から私をチラ見。
「かっこいいね、アサちゃん」
「かっこよくなんてないわよ。
さっきは葵ちゃんの姿見て動揺しまくって、転んでこうやってトラネコくんに迷惑かけたし」
ネコをお世話するどころか、私がネコにお世話されてるって状態……どうよ。
しかも五歳も年下の男子高生に。
「…え、待って。葵ちゃんが――――…?
どこで会ったの?」
トラネコくんに聞かれて、私は床を指差し。
「マンションの下で。倭人に会いにきた感じだった」
「それってヤバくない?
あいつが元カノをうちにあげるような軽いヤツじゃないとは思うけどさ、アサちゃん今すぐ倭人に確認すべきじゃない?
何か事情があるかもしれないし」
事情―――……
どんな事情があるにせよ、あのときのロシアン葵ちゃんの勝ち誇ったような笑みを思い出すと
怖くて、聞けない。
結局、私もトラネコくんと同じ。
ううん。トラネコくんよりも臆病だ。
大人ぶってトラネコくんにあれこれ言ったけど
私はトラネコくんが思うような大人じゃ
ない。
P.28
――――
――
結局、倭人に真意を聞けず
私はトラネコくんのおうちを出た。
「服、ありがとうね。ちゃんとクリーニングに出して返すから」
「いいよ、それ姉貴のだから。
あ、上の姉貴、家出て一人暮らしだからしばらく戻ってくる予定もないし、気にしないで」
姉貴……それも…上??
「ちょっと待って…トラネコくんお姉さんが居るの?」
「居るよ。二人。俺は末っ子」
なるほどね~…
どうりでトラネコくんママのお洋服にしては若いと思った。
しかしトラネコくん…てっきり一人っ子だと思い込んでたけど、三人きょうだいだったとは。
私に対する態度もお姉さんとじゃれあってる程度なんだな。
「アサちゃんは最初から会ったときから女の人だよ。
冗談でも姉貴を押し倒したりする?」
トラネコくんは顔をゆがませて腕組み。
ま…まぁね。
ラブハンターめ。
「私にやったぐらいの気軽さでカリンちゃんにも迫ってみたら?」
二秒で平手打ちを食らうに1,000円賭けられるケドね。
トラネコくんはいつもの調子で「やってみる~♪」と言うと思いきや、
「む、無理!!」と慌てて手を振って口元に手をやり顔を赤らめる。
何なの、その可愛い反応は。
トラネコくんは、本命にはとことん奥手か。
……と思ったケド
「果凛を押し倒したりなんてしたら……俺、マジで止まらないかも…だから」
あっそ…
私からしたらまだまだ子猫ちゃんかと思ってたら
しっかりオスの顔をしてるんだから。
P.29
「じゃぁ、ケーキはご家族のみなさんで食べて?
お世話になったお礼ってことで」
軽く手を挙げて立ち去ろうとすると、
トラネコくんが心配そうに私の手を引いた。
「アサちゃん……本当にいいの?倭人に聞かなくて」
聞きたい―――……
けど
聞けない。
私はトラネコくんの言葉に首を横に振った。
「まだ心の準備ができてないの。もう少し気持ちの整理をしてからちゃんと聞くから…」
そっとトラネコくんの手を払うと、トラネコくんもそれ以上は強く勧めず
「じゃぁ…そのときになって何か困ったことがあったら相談して?
俺、あいつとは幼馴染だし、たいてい考えてることは分かるつもりだから…」
そう申し出てくれた。
「ありがと。キミもがんばってね」
私は強引に笑って、その場を立ち去った。
――――
―
ホント……臆病な自分がどうしようもなくイヤになるよ。
たった一言
ロシアン葵ちゃんと会った―――?
そう聞けばいいだけなのに。
『ど…どうしよう、この先に何があるのか確かめるべき?』
暗くした部屋の中、テレビに映し出された再放送のホラー映画だけが流れていた。
主人公のジェニファーは殺人鬼が潜む古い洋館に迷い込んで、迷路のような屋敷内から脱出するって物語り。
ジェニファーは果たして生きて屋敷を出られるのか…というようなありきたりなストーリーだったけど、結構面白い。
私はビールを飲みながら
「私だったら確かめるな」と一人言。
扉の向こうに何かがあるって思ったら、好奇心の方が勝って素通りできないタチ。
ビールの缶から口を離して
はぁ……
でも、倭人のお部屋の向こうを想像したら、やっぱり素通りだな。
『キャァァァアアアア!』
ジェニファーの悲鳴が轟き、中から包帯ぐるぐるのミイラが出迎えた。
「ミイラぐらい何よ。お化けじゃあるまいし。
私はライバル(?)と遭遇しちゃったんだからね。
あんたはまだましよ」
変な独り言をもらす。
P.30
さっきからジェニファーの悲鳴が連続して聞こえて、私はまたもため息。
「ダメだ、集中できない。ごめんジェニファー、また今度レンタルビデオ屋さんで会おう」
私は小さく謝ってテレビの電源を消した。
殺人鬼もののホラーミステリー。
結構見るの好きなんだけど。(小さい頃は切り裂きジャックとかが私の童話だった←変過ぎる)お化けは苦手だけど。
やっぱり映画は映画の世界で、現実の方がよっぽどホラーだよ。
大体…人間びっくりし過ぎると叫ぶより、止まる。
暗くなった部屋でケータイを開くと、明るいディスプレイが光を放った。
メールボックスを開いて、メールを打ち込む。
To:黒猫倭人
今日何してた?
バカみたい。
こんな…探るようなこと―――
大体、こんなメールされても黒猫困るって。
『にゃ~』
突然ネコの鳴き声があがってビクっとしたけど、それは私のメール着信の音で
最近設定し直したばかりだからまだ慣れず。
こんな…こんなメール着信にネコの鳴き声設定して私イタ過ぎるよ。
でも誰だろう、こんな夜に。
メールボックスを開くと
From:黒猫倭人
寝てた。今日は昼寝日和だ。
ちなみに今は居間(ギャグ??)でホラー映画
鑑賞中。
朝都好きそうなの。
へ…??
慌てて送信ボックスを確認すると、
”送信成功”なる四文字が。
私…間違えて送っちゃったみたいだ!
P.31
“寝てた”ってのは本当のことだろうか。
何もかも疑うのは良くないけど、でもロシアン葵ちゃんが
倭人はお昼寝中、とか言ってたし……
ロシアン葵ちゃん……何でその状況知ってるの?
嫌な考えが巡り私は慌てて頭を振った。
聞きたいこと聞けずに、当たり障りのない会話のメールを送信してしまう。
To:黒猫倭人
私も見てた。でも途中でつまらなくなったから切っちゃった。
From:黒猫倭人
俺は結構好きだよ。昼寝したから目がぱっちり。
To:黒猫倭人
早く寝なさい。明日も学校でしょ?
From:黒猫倭人
うっせー。お説教朝都。
何回目かのネコの鳴き声にメールを開いて私は思わず、
「な、何ですってー!」
ネコのくせに生意気なっ!
疑う気持ちも一瞬吹き飛んで本気で目を吊り上げてると、
そのメールはそれだけで終わりじゃなく、長い空白をスクロールしていくと
"嘘。すっげー好き。”
わ、わわっ!
びっくりし過ぎてまたも言葉を失う。
真夜中の黒猫メールは、愛をたくさん届けてくれた。
こんな最後にちょこんと一文…私が気づかなかったらどうするつもりだったのよ。
From:黒猫倭人
今日ねー、ペルシャ砂糖さんが泊まりに来てんの。
二人とも寝てるから電話できなくてごめんね。
(親父一人なら気を遣わず電話する)
ペルシャ砂糖さん……
ミケネコお父様カップルは相変わらずラブラブなようで。
結婚も控えてるし、安定してるよね、あのカップルは。
まぁ年齢も年齢だし、経験も私と違うってのもあるけど。
こんな小さなことで不安になる私が
まだまだ未熟なのかな。
それとも二人の仲に確固たる何かがまだ存在してないだけ―――……?
分かんないよ。
私、どうしたらいいの。
P.32<→次へ>
冬の夜
キミへの気持ちを窓に託しました
たった一言が言えない私は臆病者ですか?
でも今はこれが精一杯
雪に想いを
『次はお天気コーナーです。今日から明日にかけて低気圧が日本の南を発達しながら東北東に進み、明日には日本の東に進む見込みです。
関東甲信地方では今夜から雨が次第に雪に変わり、あす午前中にかけて山沿いを中心に、平野部でも積雪となる所がある見込みです。雪による交通障害、架線や電線、樹木等への着雪、路面の凍結に注意してください』
今朝のワイドショーのお天気キャスターの言葉を思い出したのは、勤めている会社の定時を迎え業務を終えたときだった。
「えー!やだっ!雪降ってるじゃん」と誰からともなく声が挙がり
「ホントだー、私傘持ってきてない」
「どうりで冷えると思った」
と同僚たちが次々と口にする。
またも誰かが「せっかく彼氏に買って貰ったバッグが濡れちゃう」と言い出し、それでもちっとも困った様子ではなく、どこか誇らし気だ。
そしてその周りの女子たちが盛んに羨ましがる。
「いいなー、でもあたし今度のクリスマスにダイヤの指輪ねだっちゃうんだー」と一人の女の子。
「いいなー!」黄色い声に、私は苦笑いを浮かべるしかない。ここでの男の年収と、女の品格は反比例する。いかにいい服を着るか、いかにいいバッグを持つか、いかにいい男を彼氏にするか、年中こんな会話でうんざりする。
かと言って輪に加わらないわけにはいかない。仕事とプライベートの内容こそ比例するのだ。
P.1
「仁科《にしな》さんはいつも素敵な服着てますよね」ふいに一人から話題を振られた。
「えっ、そう?」私は曖昧に笑って言葉を濁した。今日の服装は白いタイトワンピ。腰回りに太いベルトが巻き付いていて、ちょっと豪華に見えるゴールドのバックルがワンポイント。
そして同じくゴールド系のスパンコールが襟元に入ったコートを腕にかけて帰りたいアピール。
シンプルな服装だったけど、流石は目が肥えている女子たち。すぐにそれが高価なものだと見破った。女のチェック程厳しいものはない。私がオシャレをするのは対、男ではなく、彼女たちの為。
「仁科さんてぇ、結婚しないんですかぁ」間延びした話し方が赦されるのはこの年代の特権だ。
「結婚ね……相手がいないから」私は適当にごまかして再び言葉を濁した。
こう言っておけば大抵の女は引き下がる。私が長い間、人付き合いをしてきて、これが最良の方法だと知ったのはつい最近のこと。
私がこの会社に勤めはじめて五年になる。この会社での女性正社員では長いほうだ。後から派遣された若い女の子たちから見れば私なんてお局のようだった。
「そう言えばぁ仁科さん、この前見ちゃったんですぅ」一人の女の子が思わせぶりに口元へ手をやった。
短く切った髪にはパーマがあててあり、傍から見ればマシュマロのように可愛らしい女の子だ。
だが、そんな可愛らしさに惑わされてはいけない。女はいつでも顔の下にしたたかな一面を隠しているのだから。
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「何を?」私は平静を装って取り澄ました。
もしかして“アイツ”と居る所を見られた?と思ってドキリとしたが
「この前の金曜日、青山のイタリアンレストランで、経理の前田さんと一緒にいるところぉ」
ああ、そっちか。とちょっとほっと安堵する。
「ええー!!」周りから黄色い声が飛ぶ。私は思わず頭を押さえたくなった。
そう、確かに経理の前田に誘われて先週の金曜に青山まで行った。
でも食事をしただけで、別に艶かしい関係ではない。だが、ここで重要なのが、経理の前田という男、この会社ではなかなかのハンサムでしかも独身、きさくな性格をしているわりには頼れる上司でもあるのだ。そうゆう男を若い女性社員が放っておくわけがない。
「いいなー、ねえお二人って付き合ってるんですか?」
食事をするイコール男女の関係と、どうして若い子たちはそう短絡的なのだろう。私はこの場から逃げ出したくなった。だけど、この場から立ち去ると認めたことになってしまう。
「別に、ただお食事に誘われただけよ」
「うそー、絶対前田さん仁科さんのこと狙ってるわよぅ。だって、あたしたちがいくら誘っても全然だったのよー。それなのに前田さんは仁科さんのこと」
嫉妬心と羨望の眼差しで見られ、私は思わず後ずさり。
何とか前田との話を切り返し、従業員出入り口から女子の群れに混ざって出てきた所だった。
遠くで派手なエンジン音が聞こえてきて、この狭い路地裏へと近づいてきた。この聞き慣れたエンジン音。私は嫌な予感がして思わず一方通行の標識を見つめた。
「よーう、仁科」黒のポルシェの窓から腕を出し、銜えタバコをしながら九条《くじょう》が手を振っている。
「やっぱり」
私は、今度こそ頭痛をこらえるように頭をしっかりと押さえた。
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「仁科、今終わりか?これから飯でも食わねー?」
この状況を知らずに能天気に笑ってるその整った横っ面に今すぐ張り手を食らわせたい。
「あ、あんたいつ東京に戻ってきたわけ?」私は女の子の群れから一人離れると、九条の車に近づいた。
「あー、悪い。三日ぐらい前かな?この前言ってた日本料理屋行こうぜ」
「あんたっていつも何で急なのよ」
私が声を潜めて九条を睨んでいるときだった。
「えー、仁科さんの彼氏さんですかぁ?かっこいい!」
女の子たちの視線が九条に移った。予想していなかった最悪の事態。
上半身しか見えなかったが、今日の九条は黒いジャケットの中に白いカットソーを着ていて、真冬だって言うのに襟ぐりに濃いサングラスをかけている。いつものように髪をラフにセットしてあって、左耳には輪っかのようなピアスが三つ光っていた。
そう
どこからどーみてもこいつは
ホスト。
P.4
「仁科、今終わりか?これから飯でも食わねー?」
この状況を知らずに能天気に笑ってるその整った横っ面に今すぐ張り手を食らわせたい。
「あ、あんたいつ東京に戻ってきたわけ?」私は女の子の群れから一人離れると、九条の車に近づいた。
「あー、悪い。三日ぐらい前かな?この前言ってた日本料理屋行こうぜ」
「あんたっていつも何で急なのよ」
私が声を潜めて九条を睨んでいるときだった。
「えー、仁科さんの彼氏さんですかぁ?かっこいい!」
女の子たちの視線が九条に移った。予想していなかった最悪の事態。
上半身しか見えなかったが、今日の九条は黒いジャケットの中に白いカットソーを着ていて、真冬だって言うのに襟ぐりに濃いサングラスをかけている。いつものように髪をラフにセットしてあって、左耳には輪っかのようなピアスが三つ光っていた。
そう
どこからどーみてもこいつは
ホスト。
P.4
でも勘違いしてもらっては困る。私はこいつの客じゃない。東京を離れていたのも、大方客の一人と遠征旅行でもしていたのだろう。
「違っ!こいつとは単なる腐れ縁。彼氏とかじゃないから」
と慌てて否定するも秒の単位で噂が回るこの会社で明日の朝には『仁科さんて、ホストに貢いでるらしいよ』とあちこちで言われるに違いない。
くらり、と眩暈が起きた。
腐れ縁、と言うのは間違いない。中学からの同級生だから。
「じゃあ、本命は前田さんですかぁ?」女の子達が興味津々で目を輝かせている。
「前田??ひどいなー、仁科ぁ。俺たち何度もセック……もがっ」
最後の方が言葉にならなかったのは私の手が九条の口を塞いだから。
ふざけんな!何言い出すんだこいつぁ!!
空気読めっつうの!
と言うことを目で訴えると、流石に冗談が過ぎたと思ったのか九条は苦笑い。
「で?行くの?行かないの?」せっかちに聞かれて
「わかったわよ!行くわよ」半ば怒鳴るように九条を睨みつけると、私はそそくさと助手席に回った。
「それじゃ、私はこれで。お先に」女の子たちにはなるべく平静を装って、にこやかに手を振る。
ため息をついて車の助手席を開けると、運転席から九条が笑顔で手を差し伸べてきた。
「ただいま、仁科」
昔とちっとも変わらない笑顔。眉が下がり、目を細める、優しい笑顔。そして時々その低い声で呼ばれる、自分の名前。何だかくすぐったいが、この笑顔を向けられたら、たとえ九条の勝手に振り回されても、赦せてしまう。
「……おかえりなさい」私は俯くと、小さく返事を返した。
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前述した通り私と九条とは中学からの付き合いだ。かれこれ十年以上の付き合いになる。十年、と言う歳月は長く感じられるけれど、その間に音信不通になったり、そしてどこからか連絡先を入手して電話を寄越して来たり、をだらだらと繰り返している。
でも、私たちははっきりと『付き合って』はいない。もちろん九条のブラックジョークの『体の関係』もない。
あるのは中学生から変わらないノリと
私が九条のこと「好き」
と言うことだけ。歳を重ねて、九条がホストになって……あ、今はホストじゃなくホスト店を経営してるオーナー様でもあったかしら。とにかく環境は変わったものの、不変的な何かは確実に存在している。
パワーウィンドウの外をちらほらと雪が降っていた。
「北海道行ってきたんだ~土産に蟹買ってきてやったぞ」と九条は運転しながらどこか楽しそう。
「北海道……ここより雪が多そうね」ぼんやりと呟きながら、九条に気づかれない程度にこっそりと、外気との差で曇った窓ガラスに、人差し指で
『好き』
と書く。
私の書いた文字は私の体で隠れて九条からは見えない。
「蟹すきしようぜ~、お前んちで」
「何であんたを一々上げないといけない?」
言い合いをしながら、やがて私のマンションに着く頃にはみぞれになった大粒の白いものが私の『好き』をかき消す。
「だってお前んち床暖あるじゃん?」
「そんな理由かよ」
中学生から変わってないこの関係とノリ。
今はまだ―――
この関係でいいや。
~FIN~
P.6