Side A(1st)
――――
オータムナル様の自室。
ベッドに俯きになって寝そべっている、彼のむき出しの肩や背中に花のオイルを垂らして
私は彼の背中に手を這わせた。
ゆっくりとした動作で彼の背中をマッサージしていると
俯きのままオータムナル様が小さく吐息をついた。
「いかがなされました?力加減に不満が?」
「お前の力加減は不満じゃない。不満なのはカイルだ。
あいつ、早速クルスに目を付けやがって」
彼の広い背中をマッサージしていた私の手が止まった。
だがすぐに再開させる。
「ミスター来栖…まぁ少し童顔ではありますが、かなりの美青年ですからね。
カイル様が目を付けられるのも分からないでもないですが」
ぎゅっ
オータムナル様の肩に少しばかり力を入れて目を細めると
「Ouch!(痛い)」
オータムナル様は半身をわずかに起こした。
「I'm sorry」
彼の肩から手を離すと彼はそのまま起き上がり
「Your jealousy is showing.
(嫉妬か?)」
とニヤリと口の端を曲げるオータムナル様。
「No way.
(そのようなことはございません)」
私が無表情に答えると
「たまには嫉妬でもしろ」
私の手をオータムナル様が強く引いた。
P.40
彼の胸の中に抱きしめられて、
「オイルで手がベタベタしていますよ?」
私は彼の腕の中、彼を見上げた。
「シャワーを浴びればいいだけのことだろう?」
そう言われて顎を持ち上げられると、突然の―――……噛み付くようなキス。
彼はキスの合間、私のワイシャツの中に手を入れ、胸元を探るように手を這わせる。
私もそれに応えるようにして彼の白い衣装を剥ぐ。
彼の紅茶のような肌は衣を剥がせるたびに、その色を鮮やかに反映させる。
彼の手のひらが私の胸元を探り、感じる場所をわざと避け腹に降りてきた。
焦らされるような快感に首の後ろに鳥肌が浮かび上がり、
その反応を楽しむかのように彼は私のスーツパンツのベルトの中に手を差し込んだ。
じかに握られて
「……」
小さく吐息が漏れる。
「お前が何もかも教えてくれた。
“ここ”を使って気持ちよくなることもな」
彼の手が私の自身を包み込むように握り、反対の手は私の後ろの入り口を彷徨っている。
「教えたのは間違いだったようですね。
あなたは私の教育以上に上達して…」
そこまで言って、言葉が消えた。
彼が強引にベルトを外し、私のスーツパンツを下着ごと下ろしたからだ。
P.41
彼の肉体が私の後ろを貫き、私の腰がのけぞる。
侵入するときの一瞬の痛みは、やがて彼の律動で甘い快感に変わる。
彼が最奥を突くと、
「……あ……」
私は首をのけぞらせ、その首に玉のように浮いた汗を彼は丁寧に舐めとる。
「海と同じ味がする、トオル」
甘く囁かれて私は彼のうなじに手を這わせた。
まるで最上級の金糸を思わせる豊かなブロンドの襟足を乱暴に掴み、その向こうにある肌へ爪を立てると
「…ふ………」
彼のものが私の中で面積を増した。
お互い限界が近づきつつあるようだ。
この国に来て十年……はじめてこの部屋から眺めた海のさざなみは
天候が荒く大きな波を立てていた。白い砂浜に打ち付ける波のように力強く荒々しい
あのときと同じような波に似た快感が私の体を打ちつけ
打ち付けたときのような飛沫の泡のように私は体内から快楽の証拠を放出した。
彼とこのような関係になったのは彼が十八になったときだった。
どちらから求める、と言うわけではなく私たちは自然に抱き合い、言葉も少なめにただただ互いの体を貪った。
P.42
この関係を何と呼べばいいのだろう。
恋人、愛人―――…セックスフレンド…
どれも当てはまらない気がするが、どれも正しい気がする。
私はオータムナル様の部屋の広くて白いベランダに出て、タバコを口にくわえたまま、夜の闇が支配する中庭へ目を向けた。
生い茂る葉の合間に、ミスター来栖の柔らかそうな明るい茶色の髪がちらちらと見え隠れしている。
「エリー、エリー…
って言っても返事しないか、
犬やネコじゃあるまいし、蛇だもんなぁ」
ミスター来栖は来たときと同じ…白いワイシャツに黒いパンツ姿。ワイシャツを腕まくりして葉をがさごそと避ける。
片方の腕で松葉杖をついているからその動きは酷く鈍重そうに見えた。
彼はマリア様のお約束を律儀に守っているようで、逃げたエリーの捜索を続けているようだ。
最初の印象と代わらず、真面目でとくに面白みもない男だが…
二十代半ばの男性教諭。
私が提示した条件を守ってくれた上、しかも予想以上の男を派遣してくれた。
私は手すりに肘を乗せ、彼の様子をじっと見下ろしていた。
「エリー…」
英国の庭をイメージした表の庭と違い、南国をイメージしてある鬱蒼と茂る、まるでジャングルのような大きな葉が風でガサガサ揺れるたびに
ミスター来栖はビクっと肩を揺らせる。
「何か……小動物を見てるみたいだ…」
オータムナル様と対面したときも子猫のように怯えていたしな。
そのちょこちょこと動く様子を、頬杖をついて眺めていると
「トオル」
オータムナル様に呼ばれて私は顔を振り向かせた。
オータムナル様は裸身にガウンだけを羽織った格好で、ワイングラスを傾けている。
「風邪ひくぞ?中に入れ」
そう言われたが、彼は私の背後から体を抱きしめ、外気にさらされて冷たくなった私の首にそっと口付け。
「お前の体、冷えてる」
長い睫を僅かに伏せ、その睫の先が私の首筋をくすぐる。
くすぐったくて身をよじると、
庭でエリーを探していたミスター来栖と目が合った。
P.43
ミスター来栖はぎょっとしたように体を強張らせていたものの、慌てて回れ右をして来た道を引き返そうとする。
別に見られても構わない。
噂だって出回っているだろうし、
そもそもミスター来栖は、王族のスキャンダルを外の国に吹聴して出回るなど度胸もないはず。
そう思っていたが、彼は逃げる足を止め、ちらりとこちらを振り返った。
一瞬
ほんの一瞬だが、彼の白い肌に浮かんだ赤い唇の口角が微妙に釣りあがった。
――――……
本当に想像以上だよ。
何を考えている、Mr.Kurusu.
――――
「またお兄様のお部屋へ?トオル」
オータムナル様のお部屋を出たところで、マリア様がローブ姿で腕を組んで私を見ていた。
「マリア様、お休みの時間でございますよ」
「子供じゃないんだから。寝る時間は自分で決めるわ」
マリア様は面白くなさそうに唇を尖らせ、それでもすぐに機嫌を直したのか
私の腕を取り
「あなたがお部屋に来てくださるのなら、言うことを聞いてあげても良くてよ?」
楽しそうに笑う。
P.44
「コウがまだエリーを探してる?」
マリア様は肌と同じ色の琥珀色の液体をグラスに注ぎ入れ、面白そうに笑った。
「あなたが“お願い”したからじゃないですか」
「あら、わたくしは何も頼んでなくてよ?コウが探してくれるって言ったんだから」
マリア様は肩をすくめてグラスを傾ける。
「イタイケな青年を弄び、苛めるのはあなたの悪い性格ですね。
私もここへ来た当時はこっぴどくあなたにやられた」
ここへ来た当時、マリア様はまだ十一歳になられたばかり。まだあどけない少女だと思って油断していたが
「あなたの作った落とし穴に何度落ちたか」
「トオルは面白いほど簡単に引っかかってくれて嬉しかったわ♪」
十年の時を経て、彼女も成人し酒も飲める年頃になったが、
やっていることは十年前とあまり代わらない。
まぁそこがこの人の可愛いところでもあるのだが。
特に悪意があってやっているわけではなく、この広い宮殿に同じ年代の人間も居らず単に遊び相手が欲しかったに過ぎない。
「今はミスター来栖を苛めるのが楽しくてしょうがない、って顔してますよ?」
渡されたグラスを手にして一口口を付けると
「それ、マムシドリンクよ♪」
マリア様は面白そうに笑って瓶詰めになったマムシドリンクをふらふら。
ブーーー!!
私は危うくその妖しげな飲み物を吹き出しそうになった。
新しい男が入って彼女のいじめの対象がそこに向いたかと思ったが、まだまだ私は対象から外れていないみたいだ。
「あなたが悪いのよ、お兄様にべったりだから」
マリア様は拗ねた口調で私の背後に回ると、私のシャツの合わせ目から手を入れる。
「お兄様のところで精根尽き果てた、なんて言ったら許さなくてよ?」
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精根尽き果てた、と答えたかったが体は正直だ。
情事の後、裸で俯き横たわったマリア様の背中に口付けを落とすと、彼女は長い髪を掻き揚げながらそっと体を起こした。
さっき出したばかりだと言うのに、私は彼と同じ血が流れる妹君の体内にも欲望を放出させた。
「お兄様とわたくし、どっちが良くて?」
挑発的に笑われて私の顎のラインをそっと撫でるマリア様。
「さぁ?ご想像にお任せしますよ」
彼女のベッドから抜けると、裸身にローブを羽織り、窓際の席へと落ち着いた。
「トオルはわたくしを意地悪だと言うけれど、トオルだってわたくしと変らずだわ」
マリア様が裸身を隠すようにシーツを胸の前で覆い、
「コウのことよ?分かっておいででしょう?
あなた何を考えているの?」
長いシーツを引きずりながらゆっくりと私の元に歩いてきた。
それには答えずタバコの先に火を灯すと
「噂で聞いたわ。
お兄様が生まれる前に、
お父様が外に生ませた子供が居るって」
含みのある物言いで私の足元に座り込み、私の膝の上に腕を置く。
「それがミスター来栖だと?」
「違うの?」
マリア様は大きな目をまばたきさせて不思議そうに聞いてくる。
私はマリア様に微笑みを向け、彼女の豊かなブロンドをそっと撫で梳いた。
「事実はどうだっていいんですよ、皇女。
ただそういう噂が出回っている以上、それを利用しない手はない。
彼が王の隠し子だと思わせて、王位継承の座を狙っている、と知ったらオータムナル様はどうされるとお思いですか?」
P.46
私がマリア様に笑いかけると、マリア様は小鳥のように首をかしげ
「お父様の後継者はお兄様とわたくしのただ二人」
「ええ、ですがこのまま行くと男子であるオータムナル様に継承されるのが目に見えている」
「お兄様より年上のコウが王族だと思ったらお兄様はコウを追放するか、亡きものにするでしょうね。
あなたはその証拠を国民に知らせる。
コウが居なくなって、お兄様も投獄されたら王位はわたくしのもの。
そうしたらあなたをお婿さんに迎えてさしあげてよ?」
「楽しみにしていますよ、我が皇女」
私はマリア様の額にそっとキスをして、
「あなたってワルいひと♪」
マリア様はどこか楽しそうに笑って目を細める。
私は皇女の婿の座なんて狙っていない。
それほど危ういものはないだろうし、第一彼女が心変わりをする可能性だってある。
ミスター来栖には悪いが、王族ともども消えてもらう。
そして王座はいずれ私のもの。
いずれ、ね。
P.47<→次へ>
冬の夜
キミへの気持ちを窓に託しました
たった一言が言えない私は臆病者ですか?
でも今はこれが精一杯
雪に想いを
『次はお天気コーナーです。今日から明日にかけて低気圧が日本の南を発達しながら東北東に進み、明日には日本の東に進む見込みです。
関東甲信地方では今夜から雨が次第に雪に変わり、あす午前中にかけて山沿いを中心に、平野部でも積雪となる所がある見込みです。雪による交通障害、架線や電線、樹木等への着雪、路面の凍結に注意してください』
今朝のワイドショーのお天気キャスターの言葉を思い出したのは、勤めている会社の定時を迎え業務を終えたときだった。
「えー!やだっ!雪降ってるじゃん」と誰からともなく声が挙がり
「ホントだー、私傘持ってきてない」
「どうりで冷えると思った」
と同僚たちが次々と口にする。
またも誰かが「せっかく彼氏に買って貰ったバッグが濡れちゃう」と言い出し、それでもちっとも困った様子ではなく、どこか誇らし気だ。
そしてその周りの女子たちが盛んに羨ましがる。
「いいなー、でもあたし今度のクリスマスにダイヤの指輪ねだっちゃうんだー」と一人の女の子。
「いいなー!」黄色い声に、私は苦笑いを浮かべるしかない。ここでの男の年収と、女の品格は反比例する。いかにいい服を着るか、いかにいいバッグを持つか、いかにいい男を彼氏にするか、年中こんな会話でうんざりする。
かと言って輪に加わらないわけにはいかない。仕事とプライベートの内容こそ比例するのだ。
P.1
「仁科《にしな》さんはいつも素敵な服着てますよね」ふいに一人から話題を振られた。
「えっ、そう?」私は曖昧に笑って言葉を濁した。今日の服装は白いタイトワンピ。腰回りに太いベルトが巻き付いていて、ちょっと豪華に見えるゴールドのバックルがワンポイント。
そして同じくゴールド系のスパンコールが襟元に入ったコートを腕にかけて帰りたいアピール。
シンプルな服装だったけど、流石は目が肥えている女子たち。すぐにそれが高価なものだと見破った。女のチェック程厳しいものはない。私がオシャレをするのは対、男ではなく、彼女たちの為。
「仁科さんてぇ、結婚しないんですかぁ」間延びした話し方が赦されるのはこの年代の特権だ。
「結婚ね……相手がいないから」私は適当にごまかして再び言葉を濁した。
こう言っておけば大抵の女は引き下がる。私が長い間、人付き合いをしてきて、これが最良の方法だと知ったのはつい最近のこと。
私がこの会社に勤めはじめて五年になる。この会社での女性正社員では長いほうだ。後から派遣された若い女の子たちから見れば私なんてお局のようだった。
「そう言えばぁ仁科さん、この前見ちゃったんですぅ」一人の女の子が思わせぶりに口元へ手をやった。
短く切った髪にはパーマがあててあり、傍から見ればマシュマロのように可愛らしい女の子だ。
だが、そんな可愛らしさに惑わされてはいけない。女はいつでも顔の下にしたたかな一面を隠しているのだから。
P.2
「何を?」私は平静を装って取り澄ました。
もしかして“アイツ”と居る所を見られた?と思ってドキリとしたが
「この前の金曜日、青山のイタリアンレストランで、経理の前田さんと一緒にいるところぉ」
ああ、そっちか。とちょっとほっと安堵する。
「ええー!!」周りから黄色い声が飛ぶ。私は思わず頭を押さえたくなった。
そう、確かに経理の前田に誘われて先週の金曜に青山まで行った。
でも食事をしただけで、別に艶かしい関係ではない。だが、ここで重要なのが、経理の前田という男、この会社ではなかなかのハンサムでしかも独身、きさくな性格をしているわりには頼れる上司でもあるのだ。そうゆう男を若い女性社員が放っておくわけがない。
「いいなー、ねえお二人って付き合ってるんですか?」
食事をするイコール男女の関係と、どうして若い子たちはそう短絡的なのだろう。私はこの場から逃げ出したくなった。だけど、この場から立ち去ると認めたことになってしまう。
「別に、ただお食事に誘われただけよ」
「うそー、絶対前田さん仁科さんのこと狙ってるわよぅ。だって、あたしたちがいくら誘っても全然だったのよー。それなのに前田さんは仁科さんのこと」
嫉妬心と羨望の眼差しで見られ、私は思わず後ずさり。
何とか前田との話を切り返し、従業員出入り口から女子の群れに混ざって出てきた所だった。
遠くで派手なエンジン音が聞こえてきて、この狭い路地裏へと近づいてきた。この聞き慣れたエンジン音。私は嫌な予感がして思わず一方通行の標識を見つめた。
「よーう、仁科」黒のポルシェの窓から腕を出し、銜えタバコをしながら九条《くじょう》が手を振っている。
「やっぱり」
私は、今度こそ頭痛をこらえるように頭をしっかりと押さえた。
P.3
「仁科、今終わりか?これから飯でも食わねー?」
この状況を知らずに能天気に笑ってるその整った横っ面に今すぐ張り手を食らわせたい。
「あ、あんたいつ東京に戻ってきたわけ?」私は女の子の群れから一人離れると、九条の車に近づいた。
「あー、悪い。三日ぐらい前かな?この前言ってた日本料理屋行こうぜ」
「あんたっていつも何で急なのよ」
私が声を潜めて九条を睨んでいるときだった。
「えー、仁科さんの彼氏さんですかぁ?かっこいい!」
女の子たちの視線が九条に移った。予想していなかった最悪の事態。
上半身しか見えなかったが、今日の九条は黒いジャケットの中に白いカットソーを着ていて、真冬だって言うのに襟ぐりに濃いサングラスをかけている。いつものように髪をラフにセットしてあって、左耳には輪っかのようなピアスが三つ光っていた。
そう
どこからどーみてもこいつは
ホスト。
P.4
「仁科、今終わりか?これから飯でも食わねー?」
この状況を知らずに能天気に笑ってるその整った横っ面に今すぐ張り手を食らわせたい。
「あ、あんたいつ東京に戻ってきたわけ?」私は女の子の群れから一人離れると、九条の車に近づいた。
「あー、悪い。三日ぐらい前かな?この前言ってた日本料理屋行こうぜ」
「あんたっていつも何で急なのよ」
私が声を潜めて九条を睨んでいるときだった。
「えー、仁科さんの彼氏さんですかぁ?かっこいい!」
女の子たちの視線が九条に移った。予想していなかった最悪の事態。
上半身しか見えなかったが、今日の九条は黒いジャケットの中に白いカットソーを着ていて、真冬だって言うのに襟ぐりに濃いサングラスをかけている。いつものように髪をラフにセットしてあって、左耳には輪っかのようなピアスが三つ光っていた。
そう
どこからどーみてもこいつは
ホスト。
P.4
でも勘違いしてもらっては困る。私はこいつの客じゃない。東京を離れていたのも、大方客の一人と遠征旅行でもしていたのだろう。
「違っ!こいつとは単なる腐れ縁。彼氏とかじゃないから」
と慌てて否定するも秒の単位で噂が回るこの会社で明日の朝には『仁科さんて、ホストに貢いでるらしいよ』とあちこちで言われるに違いない。
くらり、と眩暈が起きた。
腐れ縁、と言うのは間違いない。中学からの同級生だから。
「じゃあ、本命は前田さんですかぁ?」女の子達が興味津々で目を輝かせている。
「前田??ひどいなー、仁科ぁ。俺たち何度もセック……もがっ」
最後の方が言葉にならなかったのは私の手が九条の口を塞いだから。
ふざけんな!何言い出すんだこいつぁ!!
空気読めっつうの!
と言うことを目で訴えると、流石に冗談が過ぎたと思ったのか九条は苦笑い。
「で?行くの?行かないの?」せっかちに聞かれて
「わかったわよ!行くわよ」半ば怒鳴るように九条を睨みつけると、私はそそくさと助手席に回った。
「それじゃ、私はこれで。お先に」女の子たちにはなるべく平静を装って、にこやかに手を振る。
ため息をついて車の助手席を開けると、運転席から九条が笑顔で手を差し伸べてきた。
「ただいま、仁科」
昔とちっとも変わらない笑顔。眉が下がり、目を細める、優しい笑顔。そして時々その低い声で呼ばれる、自分の名前。何だかくすぐったいが、この笑顔を向けられたら、たとえ九条の勝手に振り回されても、赦せてしまう。
「……おかえりなさい」私は俯くと、小さく返事を返した。
P.5
前述した通り私と九条とは中学からの付き合いだ。かれこれ十年以上の付き合いになる。十年、と言う歳月は長く感じられるけれど、その間に音信不通になったり、そしてどこからか連絡先を入手して電話を寄越して来たり、をだらだらと繰り返している。
でも、私たちははっきりと『付き合って』はいない。もちろん九条のブラックジョークの『体の関係』もない。
あるのは中学生から変わらないノリと
私が九条のこと「好き」
と言うことだけ。歳を重ねて、九条がホストになって……あ、今はホストじゃなくホスト店を経営してるオーナー様でもあったかしら。とにかく環境は変わったものの、不変的な何かは確実に存在している。
パワーウィンドウの外をちらほらと雪が降っていた。
「北海道行ってきたんだ~土産に蟹買ってきてやったぞ」と九条は運転しながらどこか楽しそう。
「北海道……ここより雪が多そうね」ぼんやりと呟きながら、九条に気づかれない程度にこっそりと、外気との差で曇った窓ガラスに、人差し指で
『好き』
と書く。
私の書いた文字は私の体で隠れて九条からは見えない。
「蟹すきしようぜ~、お前んちで」
「何であんたを一々上げないといけない?」
言い合いをしながら、やがて私のマンションに着く頃にはみぞれになった大粒の白いものが私の『好き』をかき消す。
「だってお前んち床暖あるじゃん?」
「そんな理由かよ」
中学生から変わってないこの関係とノリ。
今はまだ―――
この関係でいいや。
~FIN~
P.6