エリーMyLove
逃げた蛇のエリーを探し出すどころか、大変な光景を見てしまった…!
皇子さまと秋矢さんがベランダでイチャイチャ!!?
ぅうわ!
秋矢さんが皇子の側室だって噂は本当だったんだ。
………
でも、不思議と違和感を抱かない。
気持ち悪いとかないのは、あの二人が世にも稀な美形だからか。
俺は一旦エリーの捜索を打ち切り、与えられた部屋のベッドにごろり。
とにかく眠ろう。今日は疲れてるんだ。
余計なことを考えないように…
そう思って目を閉じるも、目の裏に浮かんでくるのはオータムナル皇子さまのお顔。
あの薄くてきれいな唇が秋矢さんに……
あの紅茶色の手が秋矢さんの体に…
考えるだけで体が熱くなってくる。
何で!
「何で俺こんなこと考えてる!」
がばっと起き上がっては、「いかん、いかん。変な想像はしないでおこう」そう決め込んでベッドに逆戻り。
…を繰り返すこと数時間。
――――
――
結局、一睡もできず↓↓
ああ…昨夜は色んな妄想…じゃなくて想像が俺の頭を支配して眠るどころじゃなかった。
ガクリとうな垂れていると
「おっはよう♪コウ」
後ろからガバっと抱きつかれて、その相手は何と
皇女さまのマリアさまだった。
P.48
肌の色とか髪の質とか、オータムナル皇子に似てるから…せっかく忘れようとしていたのにまたも思い出してしまった。
「お、おはようございます!皇女さまっ!」
俺が慌てて挨拶をすると
「あら、そんなにかしこもらなくてもよろしくてよ?朝食ができてるから一緒に行きましょう」
マリアさまは俺の手を取ってまたもあの大広間に移動。
昨夜のゴブラン織りの絨毯は爽やかな白色に変っていたが、だが大広間に居るのは俺とマリアさま、そしてオータムナルさまのフィアンセのサヤ姫さまの三人だった。
ってかよく考えたらサヤ姫さまだって居るのに堂々と側近と浮気とか、あの皇子さまも何を考えてるのやら。
王室だからって何でも許されるのか?
人道的にどうよ、と思ってるけど
やっぱり俺は違う意味でもやもやと胸の中に不可解な何かを抱えている。
「あの…オータムナルさまと秋矢さん…それからカイルさまは?」
俺がマリアさまに聞くと
「お兄様とトオルはお散歩ですわ。毎朝の日課なの。
カイルお兄様はまだ寝てると思うわ」
散歩……朝っぱらから堂々とデートかよ。
ギリギリと歯軋りをしていると、目の前にミルクティーが出された。
それはオータムナルさまが動くたびに香ってくる芳しい香りと同じもの。
「シッキム紅茶ですわ。我が国でも生産している茶葉ですけれど、なかなか生産が難しく手に入れるのも難しいんですのよ」
マリアさまは上品に紅茶を一口。
そんな高価なものを??
昨日も分不相応と言うお部屋を与えてもらったし…何だか悪い気もするが
「おいしいですわよ、召し上がってください」
本日初のサヤ姫さまの優しいお言葉に、俺は何だかじーんと来てしまって紅茶のカップを手にした。
サヤ姫様…字は何て書くんだろう…
きれいだけど、男としての恋愛感情とかじゃく、なんか落ち着くんだよね~
同郷だからか??
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「わたくしの名前?」
朝食後に俺はサヤ姫さまと散歩をしてまわることに。
彼女が庭を案内してくれると言う。
サヤ姫さまの今日のお召し物は昨夜見た艶やかな着物ではなく、訪問着みたいに軽装で髪も大正時代の娘さんのように結ってある。
昨日の人形みたいなのも似合ってたけど、俺はこっちの方がいい。
「さんずいに少に、夜で沙夜。姫さまなんて恐れ多い呼び方ですわ。
もと華族とは言え、今は落ちぶれた財閥ですの。
コウ様もどうか沙夜とお呼びくださいませ」
いえいえ、俺こそ一介の家庭教師だし“コウ様”なんて恐れ多い。
「じゃぁコウさん、コウくん。どちらでも沙夜さんのお好きな方を」
「ではコウさんと…」
沙夜さんは白い頬をほんの少し染めて小鳥のように笑う。
元気で明るく活発なマリアさまもいいけど、しっとりとお上品は沙夜さんもいいなぁ。
俺、日本を離れてこんなにいい思いしていいの?
てか異国パワーだよな。ここじゃ俺ぐらいの年齢なんてそういないし、きっと仲間意識にしか過ぎないけど。
そう思っていると、薔薇の生垣に黒っぽい何かが飛び出ていて俺は目を開いた。
「エリー!!?」
エリーは呼ばれたことで、ビクっと尻尾を揺らしてガサガサ音を立てて生垣の向こう側に消えてった。
犬やネコじゃないし呼んでも返事はないと思ったけれど、少なくとも自分の名前は認識しているようでエリーは逃げていってしまった。
「うっそ!待ってよ!エリー!!!
沙夜さん、すみません俺ここで」
それだけ断りを入れて俺はエリーを追って生垣に飛び込んだ。
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エリーがどこへ消えたのか分からず、松葉杖を何とか操りながらやみくもに探していたらいつの間にか宮殿の裏口だと思われれる扉の前に来ていた。
木の扉は半分開いていて、キィキィ音を立てている。
「エリー…??」
その扉の向こう側へ逃げたと思って、俺は恐る恐る扉から顔を出す。
し……ん
当然呼びかけてもエリーからの返事があるはずもなく、仕方なしに俺は扉の内側に入ると
そこは宮殿の廊下の一部だった。
アーチ状の高い天井がどこまでも続いていて、廊下はひっそりとしていた。
お手伝いさんの姿も見えない。
ってかどこだよ、ここ。
早くエリーを見つけ出してマリアさまにお返ししたいんだけど…
ブツブツ思いながら
キィキィ…またもどこか分からないお部屋の扉が音を立てて僅かに開いていた。
「エリー…?ってか日本語の発音だと分からないのかな…
スペルはE・L・L・I・E…?
Ellie…?」
そっと扉を開いて中を覗くと、俺に与えられたお部屋と同じ間取りの部屋が目に入った。調度品や家具も同じものだ。
お手伝いさんの誰かのお部屋なのだろうか。
「Excuse me…」
勝手に入るのは失礼だと思って、とりあえず部屋の奥に誰かいないか問いかけた。
けれど返事がない。
「Hello……? Anybody here?(誰かいませんかー…)」
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しん、と静寂が支配する部屋の奥に俺はもう一度問いかけた。
「Hello?」
しかしながら返事は返ってこない。
「し、失礼しますよ~……エリーがここに居るかもしれないんで。
す、すぐ帰るのでちょっとだけ失礼します」
誰に言うわけでもなく断りを入れて、俺はそのお部屋に足を踏み入れた。
「エリー…Ellie…?」
エリーの名前を呼びながら俺は部屋をきょろきょろ。
何だか生活感のない部屋だった。何て言うんだろう……そっけない、って言うのか、こざっぱりしてる、って言うのか。
部屋の中央に置かれたベッドはきれいにベッドメイクされていてシーツの皺一つないし、床はきれいに磨かれていて埃一つ落ちていない。
何だかきれいなモデルルームのようだ。
宮殿のモデルルームってどんなだよ。と自分にツッこむ。
エリーを探して早く帰るつもりだった。「失礼しますよー…」何度目かの断りを入れて俺はバスルームの方を覗いてみた。
だが、こちらも人の気配がなくガランとしていた。
もしかしてここは誰かが使用しているお部屋じゃなく、空き部屋なのかもしれない。
と思い始めた頃、ふとパウダールームの洗面台に置かれたコンタクトケースに目がいった。
日本製の洗浄液も隣に置いてあって、唯一の生活の跡に俺は目をまばたいた。
誰かのお部屋だったのか……エリーもいなさそうだし、そう思うと一刻も早く出なければ!
「失礼しました~」
誰に言うわけでもなくぺこりと一礼してパタン……パウダールームの扉を閉めたときだった。
バタン!
背後で部屋の扉が閉まる音がして俺はビクっ!
薄暗い部屋の…扉の前に
カイル様が立っていた。
「ここは秋矢の部屋だが、ここで何を?」
秋矢さんの――――……?
「す、すみません!エリーを探しててっ」
慌てて説明するとカイルさまは意味深にフっと笑った。
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「言い訳はいいよ?秋矢に興味があるんだろう?」
そう聞かれて…
「は?」
俺は相手が王室の一人だと言うことも忘れて思わず聞いてしまった。
慌てて口を噤み、
「いえ…あの……俺ホントに蛇のエリーを探してただけで…」
「嘘だ。君は秋矢に興味がある様だった。
昨晩の晩餐でも秋矢をじっと見つめていたでしょう?」
そう聞かれて
いやいや、見ていたのはオータムナルさまと秋矢さんの関係が気になったダケで…
とは言えない。
「秋矢はやめておいた方がいい。
確かに美形だが、あの美しい顔の裏で何を考えているのか分かったものじゃない」
カイルさまは俺にゆっくりと近づいてきて耳元でそっと囁いた。
ゾクリとする低い声に、俺が一歩後退するとその一歩先はベッドだったようで俺はベッドの脚に足をぶつけて無様にベッドに転がった。
松葉杖が手を離れて
カラン……
床に落ちたのか、渇いた音が室内に響き渡った。
何を思ったのかカイルさまは俺に覆いかぶさってきて、俺の立てた膝に手を置いてくる。
その一種異様とも呼べる雰囲気に、俺は後ずさりをしながら
「な、何か知っていらっしゃるんですか…?」
みっともなく声をひっくり返らせて聞いた。
「さぁ、私は何も知らない。けれどあいつはふらりと十年前にやってきて、どうやって取り入ったのかいつの間にか私の叔父上にあたる王のお気に入りになった。
そして首尾よく皇子の側室にまんまと収まった。
たかだか外交官ふぜいが」
「王…!王様はいらっしゃるのですね!
てか秋矢さん外交員だったんですか!」
俺がこのおかしすぎる状況にも関わらず思わず勢い込むと
「あ、ああ…叔父上もいらっしゃるし、秋矢は確かに外交官だった」
とカイルさまは驚いたように手を挙げた。
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「聞きたいことはそれだけ?」
カイルさまに聞かれて、「聞きたいことはまだたくさんあるんですが…」ともごもご言う俺にカイルさまが覆いかぶさってきた。
俺の質問を無視してカイルさまは俺の襟もとをちょっと下げると忌々しそうに目を細める。
その視線に、ぞくり……
嫌な何かが背中を伝った。
俺は――――この舐めるようないやらしい視線を―――
知っている。
逃げなければ。本能的に悟ったが、何故だかベッドに足が吸い付いて起き上がれない。
「なるほど。
君もオータムナルの側室候補と言うわけ、か」
「いや!それは違います!」
慌てて否定をすると
「隠すことはないよ。でも私の方が君に良い思いをさせてあげるよ?
私にはオータムナルが寵愛している秋矢の存在もないし、君が一番だ。
私はオータムナルが秋矢を束縛するように、君を縛りつけたりはしない。私の手元で自由に暮らしていける」
カイルさまの説明を聞いて俺は目をまばたきさせるしかできなかった。
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ツッコミどころ満載な発言だったが、呆れすぎてツッこめない。
それより逃げなきゃ。でも手が……足が…まるで金縛りにあったようにぴくりとも動かない。
ただただ目を開いていると、突然に首筋に噛み付かれるようなキス。
ぞわっと首の後ろに鳥肌が立ち、
「お、おやめください!カイルさま!!」
覆いかぶさってくる彼を押しのけようと必死にもがくも、彼は俺の腕を拘束して
俺のシャツの胸元に手を這わせる。
「やめろ、と?
私の母は国外に嫁いだとは言え、私の中には王室の血が流れている。
君のクビも、君の命さえ、私の手の中なのだよ」
低くそう言われて俺は目を開いた。
『Come on! Spill it!(言え!)Who is your employer!(お前の雇主は誰だ!)』
カイルさまの声が―――‟あの”声に重なる。
カイルさまの手のひらがワイシャツの中に侵入してきて、俺の肌を撫で上げる。
「日本人の肌はきめが細やかで美しい、ねぇコウ?」
そう言って撫で上げる指先が俺の胸の突起を探る。
「やめ…!」
そう声をあげようとしたときだった。
「Take your filthy hands off Kurusu!
(クルスから手を離せ!)」
カイルさまの背後に現れたオータムナルさまが、カイルさまの頬を殴り、カイルさまはその衝撃で吹き飛んだ。
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宮殿でちやほやぬくぬく育った皇子さまは非力かと勝手に想像していたが、そのパンチの威力は結構なものだった。
「お…タムナルさま……」
震える声で何とか起き上がると
「Are you ok?(大丈夫か?)」そう言ってオータムナルさまが俺の両腕を掴んで起き上がるのを手伝ってくれた。
「は、はい…何とか…」
涙が出そうになって慌てて目じりを拭うと
「怖い思いをさせて悪かったな。こうなると分かっていながら防げなかった…」
オータムナルさまは昨夜見せた傲慢な態度とは違って、本当に俺を心配するように眉を下げて俺を覗き込んできた。
「いえ…本当にありがとうございます」
「What would you do!(何をする!)」
カイルさまは打たれた頬を押さえてオータムナルさまを睨み上げる。
「何をするかって?お前は私の大事な家庭教師(兼側室)に手を出した。
英国の目もあって大人しくしていたが、もう我慢ならん。
お前をカーティア国から永久追放だ。
今後この土地に足を踏み入れることは許さん」
オータムナルさまは俺をぎゅっと抱きしめて、カイルさまを指差し。
すぐにマシンガンを持ったガードマンらしき男たちが部屋に入り、カイルさまの両腕を拘束した。
「Wait!(待てよ!)You're a tyrant!(横暴だ!!)」
カイル様はなおも喚いていたがガードマンたちに連れて行かれる。
カイルさまの姿が見えなくなって俺は
へなへな…急に力を失いその場に崩れた。
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オータムナルさまは俺を助けてくれたかと思いきや
「You dummy! (バカかお前は!)」
といきなり指差し。
「あんな男の前でへらへらしやがって!警戒心が薄いんだよ!
これだからノンケの男は!」
ノンケ…てよくその言葉を知っていましたね。
俺は変なところで感心。
それも秋矢さんに教わったのかな…
てか秋矢さん変な言葉教えてんなよ…
でも―――心配してくれていたのは分かる。
不思議だ……さっきはあんなにカイルさまに恐怖を感じて、身動きすら取れなかったのに、今は皇子さまの腕の中で安心している自分がいる。
てか、怒鳴られたり予想もつかないこと言われてびっくりしただけかもしれないけど。
「すみませんでした…」
素直に謝ると、拍子抜けしたのかオータムナルさまは額に手をやって吐息。
「 I'm so glad no harm was done.(まぁ無事で良かったが)」
「俺の心配を?ありがとうございます…」
「Hey you!(お・前・は)One should doubt!(もっと警戒しろ!)
A state of low alertness.(警戒心が薄すぎる!)」
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ビクっ!!
オータムナルさまの怒鳴り声に、俺の肩は大きく震えた。胸の前で手を握っていると
「すまない……少し…言い過ぎた」
オータムナルさまはその形の良い眉を僅かに下げ、コツン……俺の額に自分の額を合わせた。
キスができそうなぐらい至近距離に居ても、さっきのカイルさまとは違う。
オータムナルさまは……カイルさまと違う。何故だかそう思えた。
額を合わせたまま、オータムナルさまは俺の髪をそっと撫で梳き、目を伏せる。
長い睫が伏せられていて、頬に影を落としていた。それすらも……完成された美しさで
俺はこんな状況だって言うのに、彼の姿に
見惚れた。
オータムナルさまは俺の拳にそっと手を重ねて
「震えているではないか……」
小さく呟き、俺の手のひらをそっと開かせる。それまで気づかなかった。
俺の拳は寒くもないのに指先が冷え切って小刻みに震えていたのだ。
その冷え切った俺の手を温めるように、オータムナルさまの大きな手が俺の手を包み込む。
「爪の跡―――手のひらに食い込むまで握っていたとは、よっぽど怖い思いをしたのだな。
すまない、駆けつけるのが遅くなった」
オータムナルさまが謝ることなんて一つもないのに……
「私のことも―――怖いと思うか?」
そっと聞かれて、俺は首をゆるゆると横に振った。
「オータムナルさまは怖くありません……
むしろ安心できるって言うか…」
「そうか……それなら良かった」
オータムナルさまは微笑を浮かべ、俺の頭を再び撫でると額を離した。
オータムナルさまの顔が遠のいていって、ちょっとだけ名残惜しさを感じる。
何だってんだ、自分。
一人でそう考えていると、オータムナルさまは予告もなく俺の額にチュっとキス。
びっくりしていると
「今度から気を付けるように」
と優しく目尻を下げて、オータムナルさまは笑った。
俺は―――
キスされた場所が熱をもったように熱くなるのを感じて―――……
でも全然イヤじゃなかったことを不思議に思った。
P.58<→次へ>
冬の夜
キミへの気持ちを窓に託しました
たった一言が言えない私は臆病者ですか?
でも今はこれが精一杯
雪に想いを
『次はお天気コーナーです。今日から明日にかけて低気圧が日本の南を発達しながら東北東に進み、明日には日本の東に進む見込みです。
関東甲信地方では今夜から雨が次第に雪に変わり、あす午前中にかけて山沿いを中心に、平野部でも積雪となる所がある見込みです。雪による交通障害、架線や電線、樹木等への着雪、路面の凍結に注意してください』
今朝のワイドショーのお天気キャスターの言葉を思い出したのは、勤めている会社の定時を迎え業務を終えたときだった。
「えー!やだっ!雪降ってるじゃん」と誰からともなく声が挙がり
「ホントだー、私傘持ってきてない」
「どうりで冷えると思った」
と同僚たちが次々と口にする。
またも誰かが「せっかく彼氏に買って貰ったバッグが濡れちゃう」と言い出し、それでもちっとも困った様子ではなく、どこか誇らし気だ。
そしてその周りの女子たちが盛んに羨ましがる。
「いいなー、でもあたし今度のクリスマスにダイヤの指輪ねだっちゃうんだー」と一人の女の子。
「いいなー!」黄色い声に、私は苦笑いを浮かべるしかない。ここでの男の年収と、女の品格は反比例する。いかにいい服を着るか、いかにいいバッグを持つか、いかにいい男を彼氏にするか、年中こんな会話でうんざりする。
かと言って輪に加わらないわけにはいかない。仕事とプライベートの内容こそ比例するのだ。
P.1
「仁科《にしな》さんはいつも素敵な服着てますよね」ふいに一人から話題を振られた。
「えっ、そう?」私は曖昧に笑って言葉を濁した。今日の服装は白いタイトワンピ。腰回りに太いベルトが巻き付いていて、ちょっと豪華に見えるゴールドのバックルがワンポイント。
そして同じくゴールド系のスパンコールが襟元に入ったコートを腕にかけて帰りたいアピール。
シンプルな服装だったけど、流石は目が肥えている女子たち。すぐにそれが高価なものだと見破った。女のチェック程厳しいものはない。私がオシャレをするのは対、男ではなく、彼女たちの為。
「仁科さんてぇ、結婚しないんですかぁ」間延びした話し方が赦されるのはこの年代の特権だ。
「結婚ね……相手がいないから」私は適当にごまかして再び言葉を濁した。
こう言っておけば大抵の女は引き下がる。私が長い間、人付き合いをしてきて、これが最良の方法だと知ったのはつい最近のこと。
私がこの会社に勤めはじめて五年になる。この会社での女性正社員では長いほうだ。後から派遣された若い女の子たちから見れば私なんてお局のようだった。
「そう言えばぁ仁科さん、この前見ちゃったんですぅ」一人の女の子が思わせぶりに口元へ手をやった。
短く切った髪にはパーマがあててあり、傍から見ればマシュマロのように可愛らしい女の子だ。
だが、そんな可愛らしさに惑わされてはいけない。女はいつでも顔の下にしたたかな一面を隠しているのだから。
P.2
「何を?」私は平静を装って取り澄ました。
もしかして“アイツ”と居る所を見られた?と思ってドキリとしたが
「この前の金曜日、青山のイタリアンレストランで、経理の前田さんと一緒にいるところぉ」
ああ、そっちか。とちょっとほっと安堵する。
「ええー!!」周りから黄色い声が飛ぶ。私は思わず頭を押さえたくなった。
そう、確かに経理の前田に誘われて先週の金曜に青山まで行った。
でも食事をしただけで、別に艶かしい関係ではない。だが、ここで重要なのが、経理の前田という男、この会社ではなかなかのハンサムでしかも独身、きさくな性格をしているわりには頼れる上司でもあるのだ。そうゆう男を若い女性社員が放っておくわけがない。
「いいなー、ねえお二人って付き合ってるんですか?」
食事をするイコール男女の関係と、どうして若い子たちはそう短絡的なのだろう。私はこの場から逃げ出したくなった。だけど、この場から立ち去ると認めたことになってしまう。
「別に、ただお食事に誘われただけよ」
「うそー、絶対前田さん仁科さんのこと狙ってるわよぅ。だって、あたしたちがいくら誘っても全然だったのよー。それなのに前田さんは仁科さんのこと」
嫉妬心と羨望の眼差しで見られ、私は思わず後ずさり。
何とか前田との話を切り返し、従業員出入り口から女子の群れに混ざって出てきた所だった。
遠くで派手なエンジン音が聞こえてきて、この狭い路地裏へと近づいてきた。この聞き慣れたエンジン音。私は嫌な予感がして思わず一方通行の標識を見つめた。
「よーう、仁科」黒のポルシェの窓から腕を出し、銜えタバコをしながら九条《くじょう》が手を振っている。
「やっぱり」
私は、今度こそ頭痛をこらえるように頭をしっかりと押さえた。
P.3
「仁科、今終わりか?これから飯でも食わねー?」
この状況を知らずに能天気に笑ってるその整った横っ面に今すぐ張り手を食らわせたい。
「あ、あんたいつ東京に戻ってきたわけ?」私は女の子の群れから一人離れると、九条の車に近づいた。
「あー、悪い。三日ぐらい前かな?この前言ってた日本料理屋行こうぜ」
「あんたっていつも何で急なのよ」
私が声を潜めて九条を睨んでいるときだった。
「えー、仁科さんの彼氏さんですかぁ?かっこいい!」
女の子たちの視線が九条に移った。予想していなかった最悪の事態。
上半身しか見えなかったが、今日の九条は黒いジャケットの中に白いカットソーを着ていて、真冬だって言うのに襟ぐりに濃いサングラスをかけている。いつものように髪をラフにセットしてあって、左耳には輪っかのようなピアスが三つ光っていた。
そう
どこからどーみてもこいつは
ホスト。
P.4
「仁科、今終わりか?これから飯でも食わねー?」
この状況を知らずに能天気に笑ってるその整った横っ面に今すぐ張り手を食らわせたい。
「あ、あんたいつ東京に戻ってきたわけ?」私は女の子の群れから一人離れると、九条の車に近づいた。
「あー、悪い。三日ぐらい前かな?この前言ってた日本料理屋行こうぜ」
「あんたっていつも何で急なのよ」
私が声を潜めて九条を睨んでいるときだった。
「えー、仁科さんの彼氏さんですかぁ?かっこいい!」
女の子たちの視線が九条に移った。予想していなかった最悪の事態。
上半身しか見えなかったが、今日の九条は黒いジャケットの中に白いカットソーを着ていて、真冬だって言うのに襟ぐりに濃いサングラスをかけている。いつものように髪をラフにセットしてあって、左耳には輪っかのようなピアスが三つ光っていた。
そう
どこからどーみてもこいつは
ホスト。
P.4
でも勘違いしてもらっては困る。私はこいつの客じゃない。東京を離れていたのも、大方客の一人と遠征旅行でもしていたのだろう。
「違っ!こいつとは単なる腐れ縁。彼氏とかじゃないから」
と慌てて否定するも秒の単位で噂が回るこの会社で明日の朝には『仁科さんて、ホストに貢いでるらしいよ』とあちこちで言われるに違いない。
くらり、と眩暈が起きた。
腐れ縁、と言うのは間違いない。中学からの同級生だから。
「じゃあ、本命は前田さんですかぁ?」女の子達が興味津々で目を輝かせている。
「前田??ひどいなー、仁科ぁ。俺たち何度もセック……もがっ」
最後の方が言葉にならなかったのは私の手が九条の口を塞いだから。
ふざけんな!何言い出すんだこいつぁ!!
空気読めっつうの!
と言うことを目で訴えると、流石に冗談が過ぎたと思ったのか九条は苦笑い。
「で?行くの?行かないの?」せっかちに聞かれて
「わかったわよ!行くわよ」半ば怒鳴るように九条を睨みつけると、私はそそくさと助手席に回った。
「それじゃ、私はこれで。お先に」女の子たちにはなるべく平静を装って、にこやかに手を振る。
ため息をついて車の助手席を開けると、運転席から九条が笑顔で手を差し伸べてきた。
「ただいま、仁科」
昔とちっとも変わらない笑顔。眉が下がり、目を細める、優しい笑顔。そして時々その低い声で呼ばれる、自分の名前。何だかくすぐったいが、この笑顔を向けられたら、たとえ九条の勝手に振り回されても、赦せてしまう。
「……おかえりなさい」私は俯くと、小さく返事を返した。
P.5
前述した通り私と九条とは中学からの付き合いだ。かれこれ十年以上の付き合いになる。十年、と言う歳月は長く感じられるけれど、その間に音信不通になったり、そしてどこからか連絡先を入手して電話を寄越して来たり、をだらだらと繰り返している。
でも、私たちははっきりと『付き合って』はいない。もちろん九条のブラックジョークの『体の関係』もない。
あるのは中学生から変わらないノリと
私が九条のこと「好き」
と言うことだけ。歳を重ねて、九条がホストになって……あ、今はホストじゃなくホスト店を経営してるオーナー様でもあったかしら。とにかく環境は変わったものの、不変的な何かは確実に存在している。
パワーウィンドウの外をちらほらと雪が降っていた。
「北海道行ってきたんだ~土産に蟹買ってきてやったぞ」と九条は運転しながらどこか楽しそう。
「北海道……ここより雪が多そうね」ぼんやりと呟きながら、九条に気づかれない程度にこっそりと、外気との差で曇った窓ガラスに、人差し指で
『好き』
と書く。
私の書いた文字は私の体で隠れて九条からは見えない。
「蟹すきしようぜ~、お前んちで」
「何であんたを一々上げないといけない?」
言い合いをしながら、やがて私のマンションに着く頃にはみぞれになった大粒の白いものが私の『好き』をかき消す。
「だってお前んち床暖あるじゃん?」
「そんな理由かよ」
中学生から変わってないこの関係とノリ。
今はまだ―――
この関係でいいや。
~FIN~
P.6