奇妙な晩餐会
どっと疲労を浮かべて夕食を迎えることになった。
夕食が用意されていると言う広間に向かう最中、秋矢さんが俺の襟元を正してくれた。
「襟が乱れておいでです」
「あ、す…すみません!」
そうだよな…王族が揃う場だし(…たぶん)
ちゃんとしなきゃな。
慌てて自分で直そうとするも秋矢さんはそれを丁寧に拒み、
俺のワイシャツのボタンを一番上まできっちり留めてくれた。
怖い人かと思ったけどやっぱ優しいなー…
そう思っていると、秋矢さんは俺の耳元でそっと囁いた。
「皇子のお戯れの証拠が首に残っていました。
愛人契約をしたと堂々と歩き回られても困りますので」
くすぐるような低い声に首の後ろが変な風に粟立つ。
そっと指先で首筋を撫でられ、今度は‟変な風に”じゃなくはっきりとぞくりと何かを感じて俺は秋矢さんを見上げた。
お戯れの証拠……
「って何??」
慌てて襟元を確認しようにも自分じゃできなし。
秋矢さんはちょっときょとんとしたように目をまばたかせ、
「あなたは相当なバカか、それとも相当ずる賢いか、この場合どちらか?」
頭痛がするかのように額を押さえ、秋矢さんは小さくため息。
バカか、ずる賢い??
それってどっちも良くないじゃん!
ちょっとムっと顔をしかめていると
「失礼。
相当純粋か、相当頭がキレるか
どちらかだろうね」
秋矢さんはちょっと興味がもったように目を細め、口元に淡い笑みを浮かべた。
純粋…も頭がキレるもどっちも俺に不適切な言葉だと思うけど、さっきよりは悪い気がしない。
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秋矢さんは俺の首筋にそっと指を這わせると
「あなたの首筋に魅惑的な花が咲いてますよ。
その美しさで人を惑わし、狂わせ、やがて破滅へ導く“死の華”
皇子からのキスマークだ」
き、キスマーク…!?
そこではじめて意味が分かり、俺は慌てて襟元を正した。
あんのアホエロ皇子!!
なんてことをしてくれたんだ。
思わず顔が熱くなるのを感じて、俺は秋矢さんから顔を背けた。
秋矢さんは俺の鼻先に指で指し
「気をつけてください。あなたは無防備過ぎる」
ちょっと真剣に睨まれて、俺は慌てて頷いた。
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食欲なんてまるで無かったけど、でも食べないと体力持たないし…
食事をする広間に集まったのは、俺とオータムナル皇子さま、そしてマリア皇女さま
それから秋矢さんと、数人のお手伝いさんたち。
それからもう一人…白人男性が一人。
「ご紹介いたします。あちらはオータムナル皇子の従兄弟に当たるカイル様。
王の姉君で英国に嫁がれた皇女さまのご子息であられます」
カイルさまは…皇子や皇女さまと違い肌は白く、髪も茶色だ。
年齢は秋矢さんと同じぐらいかな。
って言っても俺も秋矢さんのはっきりした年齢知らないんだけど。
てかカイルさまもこれまた結構なイケメンで、どこを見ても眩しいのは俺だけ??
広間にテーブルはなく、代わりにこれまた値が張りそうな豪華なゴブラン織りの絨毯が敷き詰めてある。
上座には薄いカーテンが掛かっていて、その端は飾り紐でくくってあり、天蓋付のベッドのようになっている。
大小様々なクッションが置いてあり、皇子はその元へ歩くと慣れた様子でその場に腰を下ろした。
そのすぐ側に秋矢さんが腰を下ろし、
代わりに皇女さまが俺の手をとって
「コウはこっち。わたくしの隣よ♪」と
俺を座らせる。向かい側にはカイル様。どうやら俺は皇女さまに気に入られたようだ。
「サヤ姫がまだお見えになっていないようだが」
カイル様が入り口の方を気にしながら胡坐を掻く。
カイル様も日本語が堪能なようで。
ここが日本を離れた遠い異国だと言う事を忘れてしまいそうだ。
「サヤ姫さまと言うのは……?」
俺がマリア様にこそっと聞くと
「お兄様のご正室よ。
日本の元華族のお嬢様、わたくしたちは“サヤ姫”と呼んでるの」
正室―――……
ああ……さっきもちらりと聞いた。
愛がない、とか何とか。
ちらりとオータムナル皇子を見ると、彼は気にした様子もなく銀製のワイングラスにワインを注いでもらっていた。
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通常ならその“サヤ姫”と言う人が座るであろう場所に秋矢さんが座っていて、皇子のお世話をしている。
それを誰も不思議に思う素振りは見せず
「姫がまだですけど、はじめちゃいましょう」
マリア様が秋矢さんと同様、俺のワイングラスにワインを注いでくれる。
皇女さまから酌をされてる!
てか俺もっとしかりしなければ。
俺は慌ててマリア様からワインが入ったピッチャーを取り、彼女のグラスに注ぎいれた。
そのときだった。
「お待たせいたしました」
まるでヒバリのような軽やかな声が聞こえて、声のしたほうを振り返ると
長い黒髪をまっすぐに下ろし、赤い色を基調とした和服姿の……まるで日本人形のような少女が現れて
俺は思わず目をまばたいた。
「遅い」
オータムナル皇子は不機嫌そうに呟き、サヤ姫さま…と思われる女の子は居心地悪そうに顔を俯かせながら部屋へと入ってくる。
彼女は皇子さまの隣に座るかと思いきや、一番離れた場所に腰を降ろし正座をした。
「サヤ姫様、お夕食の時間は守っていただくように」
秋矢さんも咎めるように言って、サヤ姫さまはまたも俯いた。
見るからに大人しそうな気の弱そうなお嬢さんなのに、オータムナル皇子と秋矢さんに睨まれて居心地が悪そうだ。
何だか可哀想になってきて、俺は彼女の様子を気にしながらも食事を進めた。
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夕食は魚介類が中心でパンやスープの種類もたくさんあった。
床に直接ずらりと並べられた豪華な食事。
オータムナル様へワインを注いだり、新しい品の采配をしたりしているのはもっぱら秋矢さんで、正室のサヤ姫さまは静かに黙って食事を進めている。
「あの……サヤ姫さまっていつもあんなに静かなのですか?
ご夫婦なら並んで座ればいいのに」
アルコールも入っていくらか気が緩んだ俺はすぐ隣のマリアさまにこそっと聞いてみた。
「ああ…コウはまだここに来て間もないから知らないんだね」
銀製のワイングラスを片手に、俺の向かい側に座っていたカイルさまが意味深に笑いながらこちらに歩いてきた。
「お兄様とサヤ姫は政略結婚。いわば表面上の夫婦なのですわ」
「ああ、だから秋矢さんが皇子さまのお世話を?」
俺が聞くと、マリアさまとカイルさまは顔を見合わせて目をぱちぱち。
「あらやだ♪コウにはなぁんにも言ってないのね、お兄様も、トオルも」
マリアさまはちょっと悪戯ぽく…意味深に微笑み、
「有名な話だよ、皇子とミスター秋矢の仲は」
「……仲…?」
意味が分からず目をまばたいていると
「トオルはお兄様の側室の一人、ってことですわ」
え!!!!
秋矢さんが皇子の側室!!?
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「王族は何人もの側室を娶ることができることご存知でしょう?」
マリアさまに聞かれて俺はぶんぶん首をタテに振った。
で、でも!男を側室になんて!!!
大体秋矢さんだって言ったじゃないか。より優秀な血を残すための側室制度だって!
男が側室になっても意味がないじゃん!
「トオルはお兄様のお気に入り。片時も離さないんだから。トオルを独り占めしてズルいわ」
いやいや、てかツッこむところ他にありますよね!
「そう言えば…」
マリアさまが思い出したように手を打ち、兄君である皇子さまを見た。
「ワトソン博士も側室の一人でしたわよね、お兄様。
コウのように異国から訪れていらっしゃった方。覚えておいでです?」
皇子さまは自分に問いかけられたと言うのに、覚えがないのか首をひねり、代わりに秋矢さんの視線が一瞬だけ険しくなった。
ワトソン博士―――……?
…って誰??
「地学博士ですよ。水と大地に恵まれたこの土地を研究しにきた博士です。出身は英国でしたかな…
私も名前しか聞いたことがない」
カイルさまが教えてくれて、
「かなりの美形で、その人も側室の一人として迎え入れようとしていたんですけどね
突然行方をくらましたんですの」
突然行方を―――…??
「失踪ってことですか…?」
分かる!!俺だって突然の側室契約に逃げ出したいと思ったもん!
俺は心の中でそのワトソン博士って人に激しく同意。
「さぁ…真相はどうか知らないけれど、
でもその行方をくらました数ヶ月後に、宮殿内の人間がワトソン博士のGhostを見たって言いだして…
ちょっとした騒ぎになったんですの」
ゴースト!?ってことはもう亡くなってる可能性大!!?
「ゴーストなんて…恐ろしいですわ」
ほぅ、とマリアさまは可憐な…いやいや不安そうな吐息をつく。
「だ、大丈夫です!俺が守ってさしあげます!ゴーストからもゾンビからも!!!」
なんて大口たたいちゃったけど、
俺だって幽霊は怖い。
「マリア、余計なことは言うな」
オータムナルさまがグラスを床に乱暴に置いて、俺は一瞬びくりとして彼を見た。
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消えたワトソン博士ってのも、そのゴーストの話も気になるけれど、俺はもっぱら皇子さまと秋矢さんの動向の方がもっと気になる。
皇子と秋矢さんが…!!
気になる…けど、そうと知ったら俺は直視できず、あたふたと視線を泳がせた。
ライ麦のパンに、何だかよく分からない冷製スープ、鮭の香草焼きには名前は分からないけど飾りつけにきれいな花が乗ってるし、見たこともないゼラチン状のテリーヌは絶品。
……だろうに、味が分からない。
間が持たなくて俺はやたらと食事の手を動かせた。
それを何と勘違いしたのか
「海に面しているこの国では魚介が豊富です」
秋矢さんが説明をくれ、
「でもお城の裏は途方もない砂漠が広がっているんですのよ。砂漠にお出かけになる際はわたくしかお兄様と一緒じゃないと
帰ってこれなくなるわよ」
マリア様が楽しそうに説明を付け加えてくれた。
「カーティア国の表と裏。おもしろいでしょう?
植民地から独立した際、我々の祖先は金と水晶で国を潤わせてきた。
その財源のおかげで表はさぞきれいな街が広がっているが、一歩裏に出ると手入れのされてない砂が無法地帯になっている。
海は目の前だが、わが国は純粋な水資源には恵まれなくてね、水は貴重なんですよ」
カイル様はアルコールが入っていくぶんか饒舌になって、いつの間にか俺のすぐ傍に座っていた。
「ですから日本のダム建設の技術は是非この国へ取り入れたいですね。
日本の水は世界中のどの水よりもきれいで飲みやすいですからね」
食事も終盤になってきてすっかりくつろぎモードの皇子さまの頭を膝に乗せ、秋矢さんは何かの文庫本をぺらぺらとめくりながら説明をくれた。
なるほど…だからサヤ姫さまとの結婚か…
それって政略結婚ってこと…?
そんなことに利用されてサヤ姫さまもオータムナル皇子も可哀想…とちらっと思ったけど。
「余計なことは話すな、トオル。早く次のページだ」
秋矢さんの膝枕の上で寝そべり、皇子は早くページをめくれとせっつく。
てか膝枕!!!
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公然といちゃいちゃされると目のやり場に困る。
てかいくら二人の仲が公認だからってサヤ姫さまのお立場だってあるだろうし。
俺は気になってサヤ姫さまの方を窺ったが、彼女は特に気にした様子も見せずに黙々と食事を摂っている。
「お気になさらず。彼らはいつもああなので」
とカイル様も気にした様子がない。
「トオルを独り占めしてズルいわ」
とマリア様はまたも言い、頬を膨らます。
ま…まぁ見目麗しい美形二人だから絵になるっちゃなるけど。
それともあれが皇子さまのスキンシップかなぁ。
俺の部屋にも入ってきて、勝手に寝顔を眺めていたし。
日本とワケが違うんだよ、きっと。
早く慣れなければ。と言う想いで俺はワインを口に入れた。
「ミスタークルス、私もコウとお呼びしても?」
すぐ隣でカイル様が聞いてきて、
「あ、はい!どーそ、どーぞ!!もぉ好きに呼んじゃってください」
王族の人たちに名前呼びされることなんてないしな。
まるでロイヤルファミリーの一員になったようでくすぐったい。
……くすぐったい。
と思って身をよじると、カイル様の細くてきれいな指が俺の頬のラインを撫でていた。
びっくりして目を開いていると
「Are you be fair of face.
cavity-causing sweetness.
(きれいな顔だね。食べてしまいたい)」
またも早口の英語を俺は理解することはできなかった。
え……?何て…
頬を撫でられたことよりもその言葉の意味に目をまばたいていると
コンっ
オータムナル皇子がワイングラスをトレイに置き、その音がやけに強く耳に響いた。
「Kyle(カイル)」
まるで射抜くような鋭い視線をカイルさまに向け、カイルさまは冗談っぽく両手を軽く挙げる。
益々何て言われたのか気になる。
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「Toru(トオル)」
皇子は秋矢さんを指で手招き、ひそひそと内緒話。
顔を寄せた二人が……怪しい…じゃなくて妖しい。
秋矢さんは皇子の言葉に真剣に頷きながら、会話が終わると立ち上がった。
「ミスター来栖。お食事はお済みですか?」
無表情にそう言われて俺は慌てて頷いた。
「まだのようでしたらお部屋に運ばせます。今日はどうぞ、お部屋にお戻りください」
いっそ跳ね除けるような冷たい表情で言われ、
俺は慌てて立ち上がった。
俺……何かやらかしたかな…
皇子さまや皇女さま、カイルさまの気に障るようなこと言ったかな。
自分の言動や行動を思い出しながらうな垂れて広間を出ようとするとサヤ姫さまとばっちり目が合ってしまった。
「どうかお気になさらず。あなたが悪いわけではございません」
そっとそう言われて、俺は思わず立ち止まった。
「ミスター来栖」
せっかちに秋矢さんに言われ、今度こそ俺は慌てて広間を出た。
P.38
――――
…
「何か変だ……」
一人自室に帰って俺はベッドの上にごろり。
何が変?
って聞かれるとどう答えていいのか分からないけど、あの場に居た人たちの誰もが何かを隠している。
何を―――?
と聞かれても、またも答えられないが
でもそんな感じがした。
大体皇子も皇女も…さらには従兄弟であるカイル様もあの広間に顔を出したのに、当の王はどうしてこなかった…?
そして本来サヤ姫さまが居る場所には秋矢さんがずっと陣取ってたし。
いくら側室だからって…ねぇ??
秋矢さんは皇子に仕えてもう十年って言ってたしきっと信頼だってあるんだろうけど、
でも普通后が座る場所じゃない?
結局サヤ姫さまが喋ってるのは最初の登場のときと最後俺が立ち去るときのたった二言だったし。
カイル様は何だか意味深だし。
ま、誰しも秘密なんて隠し持ってるもんか―――
俺はボストンバッグの中に手を入れ、底の方へ隠した小箱を取り出した。
金色に輝く細めのリング。その台座にはダイヤモンドがあしらってある。
ダイヤの中は透かし彫りにしてあって、軽くかざすと葉で縁取った輪が浮かび上がる。
それをぎゅっと手の中に握り、俺は箱をボストンバッグに戻した。
「誰にでも言えない秘密はある。
そうだろ?
ステイシー」
そう、人には誰にも秘密があるのだ。
でもあの人たちはどこかもっと異質な―――そんな何かを抱えているように思えた。
「唯一まとも(?)なのはマリアさまだよな~、可愛いし優しいし、はぁ…癒される…」
マリア様…
言って俺ははっ!となった。
そうだった!
エリーを探さなきゃっ!!
P.39<→次へ>
冬の夜
キミへの気持ちを窓に託しました
たった一言が言えない私は臆病者ですか?
でも今はこれが精一杯
雪に想いを
『次はお天気コーナーです。今日から明日にかけて低気圧が日本の南を発達しながら東北東に進み、明日には日本の東に進む見込みです。
関東甲信地方では今夜から雨が次第に雪に変わり、あす午前中にかけて山沿いを中心に、平野部でも積雪となる所がある見込みです。雪による交通障害、架線や電線、樹木等への着雪、路面の凍結に注意してください』
今朝のワイドショーのお天気キャスターの言葉を思い出したのは、勤めている会社の定時を迎え業務を終えたときだった。
「えー!やだっ!雪降ってるじゃん」と誰からともなく声が挙がり
「ホントだー、私傘持ってきてない」
「どうりで冷えると思った」
と同僚たちが次々と口にする。
またも誰かが「せっかく彼氏に買って貰ったバッグが濡れちゃう」と言い出し、それでもちっとも困った様子ではなく、どこか誇らし気だ。
そしてその周りの女子たちが盛んに羨ましがる。
「いいなー、でもあたし今度のクリスマスにダイヤの指輪ねだっちゃうんだー」と一人の女の子。
「いいなー!」黄色い声に、私は苦笑いを浮かべるしかない。ここでの男の年収と、女の品格は反比例する。いかにいい服を着るか、いかにいいバッグを持つか、いかにいい男を彼氏にするか、年中こんな会話でうんざりする。
かと言って輪に加わらないわけにはいかない。仕事とプライベートの内容こそ比例するのだ。
P.1
「仁科《にしな》さんはいつも素敵な服着てますよね」ふいに一人から話題を振られた。
「えっ、そう?」私は曖昧に笑って言葉を濁した。今日の服装は白いタイトワンピ。腰回りに太いベルトが巻き付いていて、ちょっと豪華に見えるゴールドのバックルがワンポイント。
そして同じくゴールド系のスパンコールが襟元に入ったコートを腕にかけて帰りたいアピール。
シンプルな服装だったけど、流石は目が肥えている女子たち。すぐにそれが高価なものだと見破った。女のチェック程厳しいものはない。私がオシャレをするのは対、男ではなく、彼女たちの為。
「仁科さんてぇ、結婚しないんですかぁ」間延びした話し方が赦されるのはこの年代の特権だ。
「結婚ね……相手がいないから」私は適当にごまかして再び言葉を濁した。
こう言っておけば大抵の女は引き下がる。私が長い間、人付き合いをしてきて、これが最良の方法だと知ったのはつい最近のこと。
私がこの会社に勤めはじめて五年になる。この会社での女性正社員では長いほうだ。後から派遣された若い女の子たちから見れば私なんてお局のようだった。
「そう言えばぁ仁科さん、この前見ちゃったんですぅ」一人の女の子が思わせぶりに口元へ手をやった。
短く切った髪にはパーマがあててあり、傍から見ればマシュマロのように可愛らしい女の子だ。
だが、そんな可愛らしさに惑わされてはいけない。女はいつでも顔の下にしたたかな一面を隠しているのだから。
P.2
「何を?」私は平静を装って取り澄ました。
もしかして“アイツ”と居る所を見られた?と思ってドキリとしたが
「この前の金曜日、青山のイタリアンレストランで、経理の前田さんと一緒にいるところぉ」
ああ、そっちか。とちょっとほっと安堵する。
「ええー!!」周りから黄色い声が飛ぶ。私は思わず頭を押さえたくなった。
そう、確かに経理の前田に誘われて先週の金曜に青山まで行った。
でも食事をしただけで、別に艶かしい関係ではない。だが、ここで重要なのが、経理の前田という男、この会社ではなかなかのハンサムでしかも独身、きさくな性格をしているわりには頼れる上司でもあるのだ。そうゆう男を若い女性社員が放っておくわけがない。
「いいなー、ねえお二人って付き合ってるんですか?」
食事をするイコール男女の関係と、どうして若い子たちはそう短絡的なのだろう。私はこの場から逃げ出したくなった。だけど、この場から立ち去ると認めたことになってしまう。
「別に、ただお食事に誘われただけよ」
「うそー、絶対前田さん仁科さんのこと狙ってるわよぅ。だって、あたしたちがいくら誘っても全然だったのよー。それなのに前田さんは仁科さんのこと」
嫉妬心と羨望の眼差しで見られ、私は思わず後ずさり。
何とか前田との話を切り返し、従業員出入り口から女子の群れに混ざって出てきた所だった。
遠くで派手なエンジン音が聞こえてきて、この狭い路地裏へと近づいてきた。この聞き慣れたエンジン音。私は嫌な予感がして思わず一方通行の標識を見つめた。
「よーう、仁科」黒のポルシェの窓から腕を出し、銜えタバコをしながら九条《くじょう》が手を振っている。
「やっぱり」
私は、今度こそ頭痛をこらえるように頭をしっかりと押さえた。
P.3
「仁科、今終わりか?これから飯でも食わねー?」
この状況を知らずに能天気に笑ってるその整った横っ面に今すぐ張り手を食らわせたい。
「あ、あんたいつ東京に戻ってきたわけ?」私は女の子の群れから一人離れると、九条の車に近づいた。
「あー、悪い。三日ぐらい前かな?この前言ってた日本料理屋行こうぜ」
「あんたっていつも何で急なのよ」
私が声を潜めて九条を睨んでいるときだった。
「えー、仁科さんの彼氏さんですかぁ?かっこいい!」
女の子たちの視線が九条に移った。予想していなかった最悪の事態。
上半身しか見えなかったが、今日の九条は黒いジャケットの中に白いカットソーを着ていて、真冬だって言うのに襟ぐりに濃いサングラスをかけている。いつものように髪をラフにセットしてあって、左耳には輪っかのようなピアスが三つ光っていた。
そう
どこからどーみてもこいつは
ホスト。
P.4
「仁科、今終わりか?これから飯でも食わねー?」
この状況を知らずに能天気に笑ってるその整った横っ面に今すぐ張り手を食らわせたい。
「あ、あんたいつ東京に戻ってきたわけ?」私は女の子の群れから一人離れると、九条の車に近づいた。
「あー、悪い。三日ぐらい前かな?この前言ってた日本料理屋行こうぜ」
「あんたっていつも何で急なのよ」
私が声を潜めて九条を睨んでいるときだった。
「えー、仁科さんの彼氏さんですかぁ?かっこいい!」
女の子たちの視線が九条に移った。予想していなかった最悪の事態。
上半身しか見えなかったが、今日の九条は黒いジャケットの中に白いカットソーを着ていて、真冬だって言うのに襟ぐりに濃いサングラスをかけている。いつものように髪をラフにセットしてあって、左耳には輪っかのようなピアスが三つ光っていた。
そう
どこからどーみてもこいつは
ホスト。
P.4
でも勘違いしてもらっては困る。私はこいつの客じゃない。東京を離れていたのも、大方客の一人と遠征旅行でもしていたのだろう。
「違っ!こいつとは単なる腐れ縁。彼氏とかじゃないから」
と慌てて否定するも秒の単位で噂が回るこの会社で明日の朝には『仁科さんて、ホストに貢いでるらしいよ』とあちこちで言われるに違いない。
くらり、と眩暈が起きた。
腐れ縁、と言うのは間違いない。中学からの同級生だから。
「じゃあ、本命は前田さんですかぁ?」女の子達が興味津々で目を輝かせている。
「前田??ひどいなー、仁科ぁ。俺たち何度もセック……もがっ」
最後の方が言葉にならなかったのは私の手が九条の口を塞いだから。
ふざけんな!何言い出すんだこいつぁ!!
空気読めっつうの!
と言うことを目で訴えると、流石に冗談が過ぎたと思ったのか九条は苦笑い。
「で?行くの?行かないの?」せっかちに聞かれて
「わかったわよ!行くわよ」半ば怒鳴るように九条を睨みつけると、私はそそくさと助手席に回った。
「それじゃ、私はこれで。お先に」女の子たちにはなるべく平静を装って、にこやかに手を振る。
ため息をついて車の助手席を開けると、運転席から九条が笑顔で手を差し伸べてきた。
「ただいま、仁科」
昔とちっとも変わらない笑顔。眉が下がり、目を細める、優しい笑顔。そして時々その低い声で呼ばれる、自分の名前。何だかくすぐったいが、この笑顔を向けられたら、たとえ九条の勝手に振り回されても、赦せてしまう。
「……おかえりなさい」私は俯くと、小さく返事を返した。
P.5
前述した通り私と九条とは中学からの付き合いだ。かれこれ十年以上の付き合いになる。十年、と言う歳月は長く感じられるけれど、その間に音信不通になったり、そしてどこからか連絡先を入手して電話を寄越して来たり、をだらだらと繰り返している。
でも、私たちははっきりと『付き合って』はいない。もちろん九条のブラックジョークの『体の関係』もない。
あるのは中学生から変わらないノリと
私が九条のこと「好き」
と言うことだけ。歳を重ねて、九条がホストになって……あ、今はホストじゃなくホスト店を経営してるオーナー様でもあったかしら。とにかく環境は変わったものの、不変的な何かは確実に存在している。
パワーウィンドウの外をちらほらと雪が降っていた。
「北海道行ってきたんだ~土産に蟹買ってきてやったぞ」と九条は運転しながらどこか楽しそう。
「北海道……ここより雪が多そうね」ぼんやりと呟きながら、九条に気づかれない程度にこっそりと、外気との差で曇った窓ガラスに、人差し指で
『好き』
と書く。
私の書いた文字は私の体で隠れて九条からは見えない。
「蟹すきしようぜ~、お前んちで」
「何であんたを一々上げないといけない?」
言い合いをしながら、やがて私のマンションに着く頃にはみぞれになった大粒の白いものが私の『好き』をかき消す。
「だってお前んち床暖あるじゃん?」
「そんな理由かよ」
中学生から変わってないこの関係とノリ。
今はまだ―――
この関係でいいや。
~FIN~
P.6