秋矢さんと居酒屋なう。
結局、秋矢さんについてきてしまった。
そこは最初にこの国に来たとき通った道沿いに位置していて、白い街並みに異色とも呼べる風合いで建っていた。
まるで昔の遊郭のような店構えで、日本にあってもそれなりに流行りそうな洒落た店だ。
店の大将も日本人で、五年ほど前にこの店を開いたとのこと。最初は日本領事館の職員たちが利用していただけのものの、そのうち口コミで広がったらしく、店には日本人とカーティア国の人々が入り混じって結構な賑わいを見せていた。
カウンターに通され、俺たちは隣り合って座った。
何か変な感じだった。
なんか……ここがカーティア国だってこと忘れそうになるぐらい懐かしいんだけど、隣に座った人はほとんど初対面の人だし。
ホントのこと言うと俺、秋矢さんちょっと苦手だし……
けど
最初の一杯……ジョッキに入ったビールを一飲みし、タバコの煙を鼻からも口からも吐き出して
「やってらんねー」
秋矢さんが言い出したときはさすがにびっくりした。
秋矢さん…!?ってこんなキャラだっけ??
目をぱちぱちさせていると
「と、言う顔をしていましたよ。この国に来たばかりのあなたは」
そう指摘され、にやり…意味深に笑う秋矢さん。
「……は…はは」
俺は苦笑いしか返せない。必死に隠していたつもりだけど俺の怠惰を見抜かれていた。
P.88
俺は内心の動揺を隠すためにビールをグイと呷る。
そこへ、またもスマホを向けられカシャッ!
「ミスター来栖と居酒屋なう」
……………またTwitterですか……相変わらずわけわかん。
「さっきの話ですが」
え!話戻るんですか??もうすでに俺は秋矢さんのわけわからんペースに巻き込まれている。
「まぁ、分からなくもないですが」秋矢さんはテーブルの上に頬杖をつき、さっきのおっさんみたいな吸い方をやめてタバコを上品にくゆらせ小さく吐息。
早くも秋矢さんのグラスは底が見えかけていた。
はやっ!
皇子のお世話係で、この人もストレス溜まってるのかなぁ。秋矢さんはマイペースに「大将、生中を」と追加注文して
「ビール、うまいですね」俺は秋矢さんに話を合わせるのに必死。
沈黙していると、よからぬことをツッコまれそうだったから、これ以上この人のわけわからんペースに巻き込まれたくない、と思ってのことだった。
「うまいですね。宮殿にはビールがないから。実のところ毎日ワインと紅茶で飽き飽きしてたんですよ。上品な飲み物は私には性が合わない」
ワインも紅茶もどちらも上品な秋矢さんにぴったりだが
「たまにはビールや安い焼酎を飲みたくなる」
秋矢さんはどこか懐かしむかのように目を細めてうっすら笑った。
その意見は、ちょっと分かるかもしれない。
P.89
「昔、まだ私が大学生の頃、貧乏学生でしてね」
へぇ意外……秋矢さんはどこをどう見てもお育ちよさげなエリートコースまっしぐらのお坊ちゃまかと思ってたけど。(俺とは違って)
「貧乏を経験した身として、その代わり野心が人一倍強い」
秋矢さんは小さくなったタバコの吸い殻をぎゅっと灰皿に押し付け火種を消した。俺は、と言うと
「へ、へぇ…」と頷くしかない。「い、いいんですか?俺にそんなぶっちゃけ話しして」
まぁ俺だって莫大な給料につられてきたクチだから何も言えないけど。
秋矢さんは俺の質問にうっすら笑っただけで、そしてまた沈黙が到来した。
その沈黙を打ち破るかのように
「へい!生中一丁!」
ドン!とカウンターにジョッキが置かれて、
「何でも‟生”は良いと思いませんか?」
軽くジョッキを掲げて秋矢さんが色っぽく……てか意味深に??ウィンク。
「ええ、まぁ。刺身とか……うまいですよね」俺がまたも秋矢さんの話に合わせてビールを一飲み。
「あとは
セックスとか?」
ブーーーー!!!
秋矢さんのぶっ飛んだ発言に、俺は口に入れていたビールを吹き出してしまった。
P.90
ゲホッゴホッ!
盛大にむせて咳き込んでいると、秋矢さんが俺の背中をトントンと優しく撫でさする。
「こんな話で真っ赤になって、ウブですね、ミスター来栖は。もしかして童貞?」
意地悪そうにそう聞かれて、俺は口元を拭いながら涙目になって首をブンブン横に振りながら秋矢さんを睨み上げた。
「違っ!」
あ、あなたが!!変なこと言い出すからでしょう!!
てか秋矢さんもう酔ってる??……ようには見えないけど。
「これぐらいの猥談だったら普通でしょう。男同士だったら」
さらり、と言われて……まぁ確かに…俺だって同僚と飲みに行くとそうゆう話はする。
するけど!!秋矢さんの口から聞きたくないよ!
てか秋矢さんのイメージがどんどん崩れていくんだけど。
やけになって俺もビールを飲み干し、こうなったらとことんまで秋矢さんに付き合ってやろうと決め込んだ。
「大将!!俺にも生中!」
勢いよく挙手すると
「イケる口ですね、ミスター来栖。見た目と違って」
秋矢さんは面白い珍種を目にしたかのように、好奇の視線を寄越してきて「ふん。舐めてもらっちゃ困ります」俺は鼻息を吐いた。
付き合いついでに、ずっと疑問に思ってたことを聞く。てか今しか聞けん。
「秋矢さんやオータムナルさまって、ぶっちゃけゲイなんですか?」
秋矢さんは俺の質問に喉の奥でフっと笑うと
「違いますよ?私も皇子も。本当の意味での同性愛者はカイル様だけだ」
そーなの……?じゃ、じゃぁどっちもイケるってヤツ??いわゆる…
「Bisexual。両性愛者ですね」
またもあっさりはっきり言われて、
「き、器用ですね」としか答えられん。
秋矢さんの話に付き合う覚悟はしたけれど、まだまだ俺はついていけそうにもない。
P.91
「お……オータムナルさまのことは……好きなんですか?」
またも気になっていた質問を投げかけると
「好きか嫌いかと問われれば、好きの内に入ると思いますよ?
まぁ彼は手のかかる可愛い弟のようなものだ」
と、曖昧な返事が返ってきた。
「そ、その程度なんですか?側室なんて立ち位置に居るから俺……秋矢さんはオータムナルさまのこと男性として……あ……愛してるのかと」
「愛?」
秋矢さんはここにきて初めてはすっぱな感じで嘲笑した。「何寝ぼけたこと言っているんですか」と言われた気がした。
「ミスター来栖、言ったでしょう?私には人一倍野心がある、と。皇子のお傍に仕えていたらそれなりの立場と権力を得られる。
ただそれだけですよ。
その代わりに私は自分の体を提供している。Give&takeですよ」
ギブアンドテイク……って……
割り切ってんなー。
「でもそれってセフレじゃないですか」
「まぁそんなところですね。皇子だって私の愛を欲しているわけじゃない。
最初に言われました。
『私を愛していると言う言葉も、気持ちも要らない』と」
P.92
そんなの―――……
「そんなの、おかしいよ。
だってセックスするのってやっぱりその人のこと好きで大好きで、たまらないから欲しくなるんじゃないですか」
秋矢さんは俺の言葉に目をまばたき、けれど次の瞬間またいつもの意味深な笑みを浮かべると
「あなたは好きで大好きでたまらない人と抱き合ったことがあるんですね。
羨ましい限りだ」
秋矢さんは憎たらしいほど長い脚をゆっくりと組み、そのつま先を俺のスーツパンツの裾に入れてきた。
直に足首に靴が触れ、ゆっくりと上下して撫でられる。くすぐられるような甘い痺れが俺のつま先から昇ってきた。
ドキリ、として秋矢さんを見ると
「男なんて好きでもない相手と寝ることなんて簡単にできる生き物なんですよ」
秋矢さんはどこか意味深に笑って俺を見る。秋矢さんの考えは胸を張って言えることじゃない。
けれど「違う」とも言い切れない俺。
「………少なくとも俺は―――好きな人じゃないといやだ……です」
口の中でもごもごと言うと
「では、私と試してみませんか?私はあなたのこと大好きなので。
少なくとも皇子よりは」
頬杖をつきながら、ぞっとするような妖艶な笑みを浮かべて秋矢さんが俺を見つめてくる。
P.93
「試すって――――……?」
またも冗談だと分かっていたが、俺はわざとはぐらかせた。
秋矢さんはフっとまたも涼しく笑い、俺の背もたれに腕を伸ばす。
「分かってるくせに」
秋矢さんはふいに俺の体を抱き寄せると、俺の耳元まで顔を近づけてそっと囁いた。
―I want you.
I'd hit it.
英語の意味が分からないと言う意味で顔を背けようとすると、ぐいと顎を掴まれ前を向けさせられる。
「意味が分からないと?
知っているくせに。前から思って居たが、はぐらかすのが実にうまい人だ。
相当、ずる賢い人なんだろうね」
秋矢さんの切れ長の……まるで黒曜石のような黒い目に俺の困惑した表情が写っている。
「あなたは一見して優しいが、心の中は氷のように冷え切っている。
いつも笑顔でにこにこしている裏では別のことを考えている。人懐っこいと思わせておいて常に他人と距離を置いている。
そうじゃありませんか?ミスター来栖」
顔を近づけられて低く問われ、俺は至近距離にある秋矢さんの顔をただただ見つめ返すしかできなかった。
「………突然……何をおっしゃるんですか。俺はそんな―――」
秋矢さんは色っぽく笑うと、俺の背中に手を這わせた。人差し指がつー…と線を描く。
「あなたの心は冷え切っているかもしれないが、
あなたの秘部は熱をもったように熱く、侵入するとぎゅうぎゅうと締め付けてくるんでしょうねミスター来栖?
まるで私を食いちぎるような強さで」
秋矢さんは開いた片方の手で出された焼き鳥の串に手を伸ばし、一本を取ると口に入れる。
少し大きめの焼き鳥を口に頬張り、それを色っぽい仕草でゆっくりと咀嚼するとごくりと飲み込んだ。
彼のくっきりとした喉仏が上下するのを見て、何故だか心臓がドキリと鳴る。
明らかに―――挑発されている、と分かっていた。
P.94
何のために俺を挑発しているのか分からないが、少なくとも秋矢さんはこの会話を愉しんでいるように見える。
「言ってる意味が……分かりませんが…」
秋矢さんのペースに乗るわけにはいかず、俺はまたも顔を逸らそうとしたが
秋矢さんは残った焼き鳥にそっと舌でなぞり、その鮮やかな紅色をした舌が焼き鳥を舐める姿が妖艶で、目を離せなかった。
「本当は分かってるくせに。私のものがあなたの熱い内壁を擦る度に、あなたの中心は甘い蜜を垂らして、あなたの口からは甘い吐息が漏れる」
薄く笑われて、背中に回された指がさらに下へ下へと下ろされる。
俺の腰らへんに回った手がぞっとするような優しい手つきで撫で回し、俺の尻へと降りてくる。
「あなたは甘く啼き、シーツの上を……まるで蛇のようにうねる。それはそれは美しく。
その姿を想像しただけでも十分楽しめそうだ」
甘美とも言える低く色っぽい声が俺の耳元で囁かれ、耳の淵をぺろりと一舐めされる。
俺はされるがまま、だけど秋矢さんに指摘されたようどんどん心が冷えていくのを感じ取った。
「Screw you.(くたばれ)」
一言、そう言ってやると
「よくできました」と秋矢さんはにっこり笑って、俺の顔から手を離した。
さっき舐めていた焼き鳥をぱくりと口に放り込み
「なかなかの美味ですよ、ミスター来栖」
にっこり……いつもの優しい笑顔に戻って秋矢さんはビールを一口。
秋矢さんの―――笑顔が俺の脳を不快に浸食する。
やっぱ俺……この人苦手だ。
「やっぱり……俺をからかってたんですね。楽しいですか?」
さすがに俺も怒りがこみあげてきて秋矢さんを睨むと、秋矢さんは「ええ、とっても」と言ってにっこり、微笑んだ。
「秋矢さんて……俺のことやっぱり嫌いですよね」
「いいえ?大好きですよ?」
秋矢さんはその作り物のような笑顔でにっこり。
本心を隠しているのは俺じゃなく、秋矢さんじゃん。
「心を開いてください、ミスター来栖。今のように―――
せめてオータムナルさまには素直になられた方がいい」
P.95<→次へ>
冬の夜
キミへの気持ちを窓に託しました
たった一言が言えない私は臆病者ですか?
でも今はこれが精一杯
雪に想いを
『次はお天気コーナーです。今日から明日にかけて低気圧が日本の南を発達しながら東北東に進み、明日には日本の東に進む見込みです。
関東甲信地方では今夜から雨が次第に雪に変わり、あす午前中にかけて山沿いを中心に、平野部でも積雪となる所がある見込みです。雪による交通障害、架線や電線、樹木等への着雪、路面の凍結に注意してください』
今朝のワイドショーのお天気キャスターの言葉を思い出したのは、勤めている会社の定時を迎え業務を終えたときだった。
「えー!やだっ!雪降ってるじゃん」と誰からともなく声が挙がり
「ホントだー、私傘持ってきてない」
「どうりで冷えると思った」
と同僚たちが次々と口にする。
またも誰かが「せっかく彼氏に買って貰ったバッグが濡れちゃう」と言い出し、それでもちっとも困った様子ではなく、どこか誇らし気だ。
そしてその周りの女子たちが盛んに羨ましがる。
「いいなー、でもあたし今度のクリスマスにダイヤの指輪ねだっちゃうんだー」と一人の女の子。
「いいなー!」黄色い声に、私は苦笑いを浮かべるしかない。ここでの男の年収と、女の品格は反比例する。いかにいい服を着るか、いかにいいバッグを持つか、いかにいい男を彼氏にするか、年中こんな会話でうんざりする。
かと言って輪に加わらないわけにはいかない。仕事とプライベートの内容こそ比例するのだ。
P.1
「仁科《にしな》さんはいつも素敵な服着てますよね」ふいに一人から話題を振られた。
「えっ、そう?」私は曖昧に笑って言葉を濁した。今日の服装は白いタイトワンピ。腰回りに太いベルトが巻き付いていて、ちょっと豪華に見えるゴールドのバックルがワンポイント。
そして同じくゴールド系のスパンコールが襟元に入ったコートを腕にかけて帰りたいアピール。
シンプルな服装だったけど、流石は目が肥えている女子たち。すぐにそれが高価なものだと見破った。女のチェック程厳しいものはない。私がオシャレをするのは対、男ではなく、彼女たちの為。
「仁科さんてぇ、結婚しないんですかぁ」間延びした話し方が赦されるのはこの年代の特権だ。
「結婚ね……相手がいないから」私は適当にごまかして再び言葉を濁した。
こう言っておけば大抵の女は引き下がる。私が長い間、人付き合いをしてきて、これが最良の方法だと知ったのはつい最近のこと。
私がこの会社に勤めはじめて五年になる。この会社での女性正社員では長いほうだ。後から派遣された若い女の子たちから見れば私なんてお局のようだった。
「そう言えばぁ仁科さん、この前見ちゃったんですぅ」一人の女の子が思わせぶりに口元へ手をやった。
短く切った髪にはパーマがあててあり、傍から見ればマシュマロのように可愛らしい女の子だ。
だが、そんな可愛らしさに惑わされてはいけない。女はいつでも顔の下にしたたかな一面を隠しているのだから。
P.2
「何を?」私は平静を装って取り澄ました。
もしかして“アイツ”と居る所を見られた?と思ってドキリとしたが
「この前の金曜日、青山のイタリアンレストランで、経理の前田さんと一緒にいるところぉ」
ああ、そっちか。とちょっとほっと安堵する。
「ええー!!」周りから黄色い声が飛ぶ。私は思わず頭を押さえたくなった。
そう、確かに経理の前田に誘われて先週の金曜に青山まで行った。
でも食事をしただけで、別に艶かしい関係ではない。だが、ここで重要なのが、経理の前田という男、この会社ではなかなかのハンサムでしかも独身、きさくな性格をしているわりには頼れる上司でもあるのだ。そうゆう男を若い女性社員が放っておくわけがない。
「いいなー、ねえお二人って付き合ってるんですか?」
食事をするイコール男女の関係と、どうして若い子たちはそう短絡的なのだろう。私はこの場から逃げ出したくなった。だけど、この場から立ち去ると認めたことになってしまう。
「別に、ただお食事に誘われただけよ」
「うそー、絶対前田さん仁科さんのこと狙ってるわよぅ。だって、あたしたちがいくら誘っても全然だったのよー。それなのに前田さんは仁科さんのこと」
嫉妬心と羨望の眼差しで見られ、私は思わず後ずさり。
何とか前田との話を切り返し、従業員出入り口から女子の群れに混ざって出てきた所だった。
遠くで派手なエンジン音が聞こえてきて、この狭い路地裏へと近づいてきた。この聞き慣れたエンジン音。私は嫌な予感がして思わず一方通行の標識を見つめた。
「よーう、仁科」黒のポルシェの窓から腕を出し、銜えタバコをしながら九条《くじょう》が手を振っている。
「やっぱり」
私は、今度こそ頭痛をこらえるように頭をしっかりと押さえた。
P.3
「仁科、今終わりか?これから飯でも食わねー?」
この状況を知らずに能天気に笑ってるその整った横っ面に今すぐ張り手を食らわせたい。
「あ、あんたいつ東京に戻ってきたわけ?」私は女の子の群れから一人離れると、九条の車に近づいた。
「あー、悪い。三日ぐらい前かな?この前言ってた日本料理屋行こうぜ」
「あんたっていつも何で急なのよ」
私が声を潜めて九条を睨んでいるときだった。
「えー、仁科さんの彼氏さんですかぁ?かっこいい!」
女の子たちの視線が九条に移った。予想していなかった最悪の事態。
上半身しか見えなかったが、今日の九条は黒いジャケットの中に白いカットソーを着ていて、真冬だって言うのに襟ぐりに濃いサングラスをかけている。いつものように髪をラフにセットしてあって、左耳には輪っかのようなピアスが三つ光っていた。
そう
どこからどーみてもこいつは
ホスト。
P.4
「仁科、今終わりか?これから飯でも食わねー?」
この状況を知らずに能天気に笑ってるその整った横っ面に今すぐ張り手を食らわせたい。
「あ、あんたいつ東京に戻ってきたわけ?」私は女の子の群れから一人離れると、九条の車に近づいた。
「あー、悪い。三日ぐらい前かな?この前言ってた日本料理屋行こうぜ」
「あんたっていつも何で急なのよ」
私が声を潜めて九条を睨んでいるときだった。
「えー、仁科さんの彼氏さんですかぁ?かっこいい!」
女の子たちの視線が九条に移った。予想していなかった最悪の事態。
上半身しか見えなかったが、今日の九条は黒いジャケットの中に白いカットソーを着ていて、真冬だって言うのに襟ぐりに濃いサングラスをかけている。いつものように髪をラフにセットしてあって、左耳には輪っかのようなピアスが三つ光っていた。
そう
どこからどーみてもこいつは
ホスト。
P.4
でも勘違いしてもらっては困る。私はこいつの客じゃない。東京を離れていたのも、大方客の一人と遠征旅行でもしていたのだろう。
「違っ!こいつとは単なる腐れ縁。彼氏とかじゃないから」
と慌てて否定するも秒の単位で噂が回るこの会社で明日の朝には『仁科さんて、ホストに貢いでるらしいよ』とあちこちで言われるに違いない。
くらり、と眩暈が起きた。
腐れ縁、と言うのは間違いない。中学からの同級生だから。
「じゃあ、本命は前田さんですかぁ?」女の子達が興味津々で目を輝かせている。
「前田??ひどいなー、仁科ぁ。俺たち何度もセック……もがっ」
最後の方が言葉にならなかったのは私の手が九条の口を塞いだから。
ふざけんな!何言い出すんだこいつぁ!!
空気読めっつうの!
と言うことを目で訴えると、流石に冗談が過ぎたと思ったのか九条は苦笑い。
「で?行くの?行かないの?」せっかちに聞かれて
「わかったわよ!行くわよ」半ば怒鳴るように九条を睨みつけると、私はそそくさと助手席に回った。
「それじゃ、私はこれで。お先に」女の子たちにはなるべく平静を装って、にこやかに手を振る。
ため息をついて車の助手席を開けると、運転席から九条が笑顔で手を差し伸べてきた。
「ただいま、仁科」
昔とちっとも変わらない笑顔。眉が下がり、目を細める、優しい笑顔。そして時々その低い声で呼ばれる、自分の名前。何だかくすぐったいが、この笑顔を向けられたら、たとえ九条の勝手に振り回されても、赦せてしまう。
「……おかえりなさい」私は俯くと、小さく返事を返した。
P.5
前述した通り私と九条とは中学からの付き合いだ。かれこれ十年以上の付き合いになる。十年、と言う歳月は長く感じられるけれど、その間に音信不通になったり、そしてどこからか連絡先を入手して電話を寄越して来たり、をだらだらと繰り返している。
でも、私たちははっきりと『付き合って』はいない。もちろん九条のブラックジョークの『体の関係』もない。
あるのは中学生から変わらないノリと
私が九条のこと「好き」
と言うことだけ。歳を重ねて、九条がホストになって……あ、今はホストじゃなくホスト店を経営してるオーナー様でもあったかしら。とにかく環境は変わったものの、不変的な何かは確実に存在している。
パワーウィンドウの外をちらほらと雪が降っていた。
「北海道行ってきたんだ~土産に蟹買ってきてやったぞ」と九条は運転しながらどこか楽しそう。
「北海道……ここより雪が多そうね」ぼんやりと呟きながら、九条に気づかれない程度にこっそりと、外気との差で曇った窓ガラスに、人差し指で
『好き』
と書く。
私の書いた文字は私の体で隠れて九条からは見えない。
「蟹すきしようぜ~、お前んちで」
「何であんたを一々上げないといけない?」
言い合いをしながら、やがて私のマンションに着く頃にはみぞれになった大粒の白いものが私の『好き』をかき消す。
「だってお前んち床暖あるじゃん?」
「そんな理由かよ」
中学生から変わってないこの関係とノリ。
今はまだ―――
この関係でいいや。
~FIN~
P.6