訃報は突然に…
オータムナルさまは物珍しそうにタトゥーをしげしげ。
「真面目なお前が……何だか不釣合いな気がするが。宗教の関係か?」
そう問われて俺は首を横に振った。
「これは……何をイメージしてあるのだ」
オータムナルさまは俺のタトゥーに興味津々なご様子。
「……これは……」
俺が言い淀んでいると
「答えたくなければ答えなくて良い。それでお前を嫌いになったりなどしない」
オータムナルさまの気遣うような言葉を聞いて俺は目を伏せた。
「これは―――恋人だった人への愛の証です」
何故太陽のモチーフなのか。
それはステイシーが俺にとって太陽のような人だったから。
暗い夜を終わらせるために訪れるたった一つの光。
俺にとってステイシーはそんな人だった。
オータムナルさまは俺の説明を聞いて切なげに目を細めると、俺の腰を引き寄せた。
そしてそのタトゥーがある場所にそっと口づけ。
その熱い唇でその場所にキスされた瞬間、またも電流のような快感が体中に走った。
「お前に愛された恋人は―――幸せだろうな」
その言葉で急に現実に戻された気がした。
このまま―――オータムナルさまに全てを委ねてもいいのか。
ステイシーを忘れられないっていうのに。
「あの……俺…」
何か言わなくちゃ。でも言葉が出てこない。
そんなときだった。
コンコン!
乱雑ななノック音が聞こえて
「皇子。いらっしゃいますか!?」とバスルームの向こう側で秋矢さんの声が聞こえた。
いつになく緊迫した…切羽詰まった声で何故だか俺の方が緊張してきた。
「何ごとだ」オータムナルさまだけがいつも通り、不機嫌そうに答える。
「申し上げます!さきほど英国領事館より連絡がございました。
カイル様がお亡くなりになられたようです」
P.198
カイルさまが―――――――!!?
死んだ?
P.199
その訃報を受け取り、オータムナルさまはさっきまで甘く色っぽい表情だったのを険しくさせて、
「悪いが紅、今日は一人で入ってくれ」
オータムナルさまは俺にバスローブを羽織らせると、大切な何かを包み込むようにしっかりと前を合わせた。
今から風呂に入るってのに何で??とか思ったけれど、扉のすぐ外には秋矢さんが控えている。
あ…それで……
オータムナルさまは濡れた衣服のままバスルームから出ると、一人不安にしている俺にやんわり微笑みかけ、開けた扉の向こう側で秋矢さんが膝をついてバスタオルを掲げていた。
その秋矢さんの顔色もいつもの余裕が感じれなくて、ひたすらに困惑しているようだった。
オータムナルさまが出て行って扉がパタン…としまり、俺は広いバスルームの中、
まるで世界に一人きりになったような孤独を覚えた。
P.200
――――
――
その日の夕刻にはカイルさまの訃報が宮殿のあちこちに広まっていた。
相変わらず噂が回るの早いな……
沙夜さんもマリアさまも二人とも悲しみとも困惑ともつかない……どこか冴えない表情。
その時間帯、オータムナルさまは領事館に行かれ、秋矢さんは英国とのやりとりに追われていた。
その物々しい雰囲気の中、あちこちの部屋を行ったり来たりしている秋矢さんを捕まえて俺は聞いた。
「秋矢さん!……カイルさまは………どうしてお亡くなりに…?」
秋矢さんは忙しいのだろう、いつもの冗談を言う顔つきではなく事務的に
「お教えできません」
と相変わらずバッサリ。
それでも俺が食い下がって秋矢さんの袖を少し強めに引っ張った。
「教えてください」
俺がいつになく真剣だったのが通じたのか、はたまた違う理由なのか―――秋矢さんは小さく吐息をつき、腕を組むと目を細めた。
「あなたは皇子とカイル様の仲裁まがいなことをしましたね」
仲裁まがい―――って……俺は本気で仲直りしてほしかっただけなのに。
「そこまで皇子のことを想ってくださるあなただからこそ話しますが、この話は決して口外しないように」
秋矢さんは念押しするように言って俺の額を指さし。俺はひたすらこくこく頷くしかできなかった。秋矢さんは
「ここだけの話ですが、自殺―――のようです」
と温度のない淡々とした言葉で告げた。
P.201
自殺―――――……!
「そんな!理由は何なんですか!!遺書は見つかったんですか!
カイルさまはどうやって自殺されたんですか」
俺は秋矢さんの腕に縋って、矢継ぎ早に質問を繰り出すと、秋矢さんは不審そうに俺を見下ろしてきた。
「何故そのようなことをお聞きになるんですか」
「いえ……あの…俺のせいで、カイルさまが強制送還されることになっちゃったから……」
「あなたのせいじゃありません」
秋矢さんはまたもそっけなく言ったが、
「でも……」と俺がぎゅっと秋矢さんの袖を握っていると
秋矢さんは小さくため息。
「カイル様は体のどこにも外傷が見当たらなく、恐らく服毒自殺だろう、と言う見解です。今のところ何の毒物を使ったのかは不明ですが。
また遺書などは見つかっておりませんが、カーティアで不祥事を起こして英国でも恐らくカイル様へ対する風当たりは相当なものだと。
それを悲観しての、自殺かと―――英国領事館の者は言っておりましたが」
「あの……カイルさまのご遺体は……」
「明日、領事館で司法解剖されます。その後ご遺体は英国に帰され、あちらで埋葬する手続きを」
英国で―――お葬式を―――……?
それじゃオータムナルさまは……
「オータムナルさまやマリアさまはお葬式に参列できないのですか!」
俺が勢い込むと
「いくら皇族の身内だからと言って不祥事を起こした者です。
皇子や皇女なるお立場の方々は参列いたしません」
またもピシャリ、と言われて俺は目を開いた。
そんな―――
そんなのって―――あんまりだ。
カイルさまが可哀想だよ。
オータムナルさまはその日の夜遅くに帰ってこられた。
疲労しきった顔を見て、俺は何も言えなかった。
オータムナルさまはカイルさまの死をどう受け止めておいでなのですか―――
そう聞きたかったけれど、聞けなかった。
P.202<→次へ>
冬の夜
キミへの気持ちを窓に託しました
たった一言が言えない私は臆病者ですか?
でも今はこれが精一杯
雪に想いを
『次はお天気コーナーです。今日から明日にかけて低気圧が日本の南を発達しながら東北東に進み、明日には日本の東に進む見込みです。
関東甲信地方では今夜から雨が次第に雪に変わり、あす午前中にかけて山沿いを中心に、平野部でも積雪となる所がある見込みです。雪による交通障害、架線や電線、樹木等への着雪、路面の凍結に注意してください』
今朝のワイドショーのお天気キャスターの言葉を思い出したのは、勤めている会社の定時を迎え業務を終えたときだった。
「えー!やだっ!雪降ってるじゃん」と誰からともなく声が挙がり
「ホントだー、私傘持ってきてない」
「どうりで冷えると思った」
と同僚たちが次々と口にする。
またも誰かが「せっかく彼氏に買って貰ったバッグが濡れちゃう」と言い出し、それでもちっとも困った様子ではなく、どこか誇らし気だ。
そしてその周りの女子たちが盛んに羨ましがる。
「いいなー、でもあたし今度のクリスマスにダイヤの指輪ねだっちゃうんだー」と一人の女の子。
「いいなー!」黄色い声に、私は苦笑いを浮かべるしかない。ここでの男の年収と、女の品格は反比例する。いかにいい服を着るか、いかにいいバッグを持つか、いかにいい男を彼氏にするか、年中こんな会話でうんざりする。
かと言って輪に加わらないわけにはいかない。仕事とプライベートの内容こそ比例するのだ。
P.1
「仁科《にしな》さんはいつも素敵な服着てますよね」ふいに一人から話題を振られた。
「えっ、そう?」私は曖昧に笑って言葉を濁した。今日の服装は白いタイトワンピ。腰回りに太いベルトが巻き付いていて、ちょっと豪華に見えるゴールドのバックルがワンポイント。
そして同じくゴールド系のスパンコールが襟元に入ったコートを腕にかけて帰りたいアピール。
シンプルな服装だったけど、流石は目が肥えている女子たち。すぐにそれが高価なものだと見破った。女のチェック程厳しいものはない。私がオシャレをするのは対、男ではなく、彼女たちの為。
「仁科さんてぇ、結婚しないんですかぁ」間延びした話し方が赦されるのはこの年代の特権だ。
「結婚ね……相手がいないから」私は適当にごまかして再び言葉を濁した。
こう言っておけば大抵の女は引き下がる。私が長い間、人付き合いをしてきて、これが最良の方法だと知ったのはつい最近のこと。
私がこの会社に勤めはじめて五年になる。この会社での女性正社員では長いほうだ。後から派遣された若い女の子たちから見れば私なんてお局のようだった。
「そう言えばぁ仁科さん、この前見ちゃったんですぅ」一人の女の子が思わせぶりに口元へ手をやった。
短く切った髪にはパーマがあててあり、傍から見ればマシュマロのように可愛らしい女の子だ。
だが、そんな可愛らしさに惑わされてはいけない。女はいつでも顔の下にしたたかな一面を隠しているのだから。
P.2
「何を?」私は平静を装って取り澄ました。
もしかして“アイツ”と居る所を見られた?と思ってドキリとしたが
「この前の金曜日、青山のイタリアンレストランで、経理の前田さんと一緒にいるところぉ」
ああ、そっちか。とちょっとほっと安堵する。
「ええー!!」周りから黄色い声が飛ぶ。私は思わず頭を押さえたくなった。
そう、確かに経理の前田に誘われて先週の金曜に青山まで行った。
でも食事をしただけで、別に艶かしい関係ではない。だが、ここで重要なのが、経理の前田という男、この会社ではなかなかのハンサムでしかも独身、きさくな性格をしているわりには頼れる上司でもあるのだ。そうゆう男を若い女性社員が放っておくわけがない。
「いいなー、ねえお二人って付き合ってるんですか?」
食事をするイコール男女の関係と、どうして若い子たちはそう短絡的なのだろう。私はこの場から逃げ出したくなった。だけど、この場から立ち去ると認めたことになってしまう。
「別に、ただお食事に誘われただけよ」
「うそー、絶対前田さん仁科さんのこと狙ってるわよぅ。だって、あたしたちがいくら誘っても全然だったのよー。それなのに前田さんは仁科さんのこと」
嫉妬心と羨望の眼差しで見られ、私は思わず後ずさり。
何とか前田との話を切り返し、従業員出入り口から女子の群れに混ざって出てきた所だった。
遠くで派手なエンジン音が聞こえてきて、この狭い路地裏へと近づいてきた。この聞き慣れたエンジン音。私は嫌な予感がして思わず一方通行の標識を見つめた。
「よーう、仁科」黒のポルシェの窓から腕を出し、銜えタバコをしながら九条《くじょう》が手を振っている。
「やっぱり」
私は、今度こそ頭痛をこらえるように頭をしっかりと押さえた。
P.3
「仁科、今終わりか?これから飯でも食わねー?」
この状況を知らずに能天気に笑ってるその整った横っ面に今すぐ張り手を食らわせたい。
「あ、あんたいつ東京に戻ってきたわけ?」私は女の子の群れから一人離れると、九条の車に近づいた。
「あー、悪い。三日ぐらい前かな?この前言ってた日本料理屋行こうぜ」
「あんたっていつも何で急なのよ」
私が声を潜めて九条を睨んでいるときだった。
「えー、仁科さんの彼氏さんですかぁ?かっこいい!」
女の子たちの視線が九条に移った。予想していなかった最悪の事態。
上半身しか見えなかったが、今日の九条は黒いジャケットの中に白いカットソーを着ていて、真冬だって言うのに襟ぐりに濃いサングラスをかけている。いつものように髪をラフにセットしてあって、左耳には輪っかのようなピアスが三つ光っていた。
そう
どこからどーみてもこいつは
ホスト。
P.4
「仁科、今終わりか?これから飯でも食わねー?」
この状況を知らずに能天気に笑ってるその整った横っ面に今すぐ張り手を食らわせたい。
「あ、あんたいつ東京に戻ってきたわけ?」私は女の子の群れから一人離れると、九条の車に近づいた。
「あー、悪い。三日ぐらい前かな?この前言ってた日本料理屋行こうぜ」
「あんたっていつも何で急なのよ」
私が声を潜めて九条を睨んでいるときだった。
「えー、仁科さんの彼氏さんですかぁ?かっこいい!」
女の子たちの視線が九条に移った。予想していなかった最悪の事態。
上半身しか見えなかったが、今日の九条は黒いジャケットの中に白いカットソーを着ていて、真冬だって言うのに襟ぐりに濃いサングラスをかけている。いつものように髪をラフにセットしてあって、左耳には輪っかのようなピアスが三つ光っていた。
そう
どこからどーみてもこいつは
ホスト。
P.4
でも勘違いしてもらっては困る。私はこいつの客じゃない。東京を離れていたのも、大方客の一人と遠征旅行でもしていたのだろう。
「違っ!こいつとは単なる腐れ縁。彼氏とかじゃないから」
と慌てて否定するも秒の単位で噂が回るこの会社で明日の朝には『仁科さんて、ホストに貢いでるらしいよ』とあちこちで言われるに違いない。
くらり、と眩暈が起きた。
腐れ縁、と言うのは間違いない。中学からの同級生だから。
「じゃあ、本命は前田さんですかぁ?」女の子達が興味津々で目を輝かせている。
「前田??ひどいなー、仁科ぁ。俺たち何度もセック……もがっ」
最後の方が言葉にならなかったのは私の手が九条の口を塞いだから。
ふざけんな!何言い出すんだこいつぁ!!
空気読めっつうの!
と言うことを目で訴えると、流石に冗談が過ぎたと思ったのか九条は苦笑い。
「で?行くの?行かないの?」せっかちに聞かれて
「わかったわよ!行くわよ」半ば怒鳴るように九条を睨みつけると、私はそそくさと助手席に回った。
「それじゃ、私はこれで。お先に」女の子たちにはなるべく平静を装って、にこやかに手を振る。
ため息をついて車の助手席を開けると、運転席から九条が笑顔で手を差し伸べてきた。
「ただいま、仁科」
昔とちっとも変わらない笑顔。眉が下がり、目を細める、優しい笑顔。そして時々その低い声で呼ばれる、自分の名前。何だかくすぐったいが、この笑顔を向けられたら、たとえ九条の勝手に振り回されても、赦せてしまう。
「……おかえりなさい」私は俯くと、小さく返事を返した。
P.5
前述した通り私と九条とは中学からの付き合いだ。かれこれ十年以上の付き合いになる。十年、と言う歳月は長く感じられるけれど、その間に音信不通になったり、そしてどこからか連絡先を入手して電話を寄越して来たり、をだらだらと繰り返している。
でも、私たちははっきりと『付き合って』はいない。もちろん九条のブラックジョークの『体の関係』もない。
あるのは中学生から変わらないノリと
私が九条のこと「好き」
と言うことだけ。歳を重ねて、九条がホストになって……あ、今はホストじゃなくホスト店を経営してるオーナー様でもあったかしら。とにかく環境は変わったものの、不変的な何かは確実に存在している。
パワーウィンドウの外をちらほらと雪が降っていた。
「北海道行ってきたんだ~土産に蟹買ってきてやったぞ」と九条は運転しながらどこか楽しそう。
「北海道……ここより雪が多そうね」ぼんやりと呟きながら、九条に気づかれない程度にこっそりと、外気との差で曇った窓ガラスに、人差し指で
『好き』
と書く。
私の書いた文字は私の体で隠れて九条からは見えない。
「蟹すきしようぜ~、お前んちで」
「何であんたを一々上げないといけない?」
言い合いをしながら、やがて私のマンションに着く頃にはみぞれになった大粒の白いものが私の『好き』をかき消す。
「だってお前んち床暖あるじゃん?」
「そんな理由かよ」
中学生から変わってないこの関係とノリ。
今はまだ―――
この関係でいいや。
~FIN~
P.6