Side A(3rd)
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晩餐会は楽しかった。
久しぶりに良い余興を愉しめた。
ミスター来栖の女装姿は見ものだったな。単なる女装ではなく、彼は見事に芸子を演じきった。
その妖しいまでの美しさときたら、まるで魂を根こそぎ奪われるような……
そんな気がするほど、私は彼の姿に魅入っていた。
その余韻を楽しんでいたが、
けれど私の上機嫌と反比例してオータムナルさまは不機嫌を隠そうとせず、私の腕をぐいぐい引っ張って無言で廊下を歩く。
彼がこんな風に怒りを露わにしているのは至極珍しいことだった。
普段、私の発言で機嫌を悪くされることはあるが、大抵が子供のように拗ねて口も利かないと言うレベルだ。
……と言うのが通例だったが今日は少しばかり事情が違いそうだ。
オータムナル様の部屋に連れて行かれた、と思ったら部屋に入るなりすぐにベッドに倒された。
ドサッ
私の背が上質なシーツに沈む。
オータムナル様は不機嫌そうに眉間に皺を寄せ、
ギシッ
予告もなしに私の上へ覆いかぶさってきた。そして私のワイシャツの襟を両手で掴むと
「何故、紅にあのようなことを言った」
と不機嫌そうに声を低めて私を睨んできた。その澄み切る青い二つの水晶体に私の顔が歪んで映っている。
紅――――……
いつの間にあなたはミスター来栖をファーストネームで呼ぶようになったのか。
「あのようなこと…と申されますと?」
本当は分かっていた。"仕置き"のことだ。だが敢えて私の口からあの発言を認めることはしなかった。
「私が紅に鞭打ちや強姦をしようとしている、などと嘘を伝えたことだ」
「ああ、そのことですか……」
ようやく思い出した素振りで、手を打つと
「何故そのようなことを!」
オータムナル様は今度は声を挙げて怒鳴り声を散らした。
思えば彼がこんな風に私に怒鳴り声を挙げるのははじめてのことだった。
少なからず、私は驚いた。だがその驚きを顔に出すことはせず平静を装って無表情を取り繕った。
「紅は私に何かされると可哀想なぐらい怯えて震えていたぞ」
「そうだったらもくろみは成功ですね」
「もくろみ……?」
私の言葉に皇子は眉をしかめて私の襟を掴む手を緩めた。
「牽制のつもりでございますよ、皇子」
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「けんせい……とは?」
オータムナル様がその美しい青色の目をまばたきさせて私を見下ろしてくる。
「相手を威圧したり監視したりして行動を妨げることにございます皇子」
私が淡々と説明すると
「何故その必要があった」
とオータムナル様は益々眉間に皺を寄せて、不機嫌そうに私を睨み下ろしてくる。
だが襟を掴んだ手は緩んだまま。
「ミスター来栖がルール違反を犯したからにございます。
カイル様に会うことは禁じられている。皇子の命に背くとどうなるのか、身をもって知っていただきたかった」
「しかし方法と言うものがあるだろうが」
「何を甘いことをおっしゃっておいでですか。たかだか一人の側室候補と言うだけの男に」
私がオータムナル様の頬にそっと手を伸ばすと、彼の頬を手のひらで包んだ。
その手から逃れるように皇子は鬱陶しそうに顔を逸らす。
その行動を見て私は目を開いた。
彼はよほど私の行動が気に入らなかった模様。
「まさか皇子―――あなたはミスター来栖に側室以上の感情を持っておいでなのですか」
私の質問にオータムナル様は困惑したように視線を泳がせた。
「………」
オータムナル様は口を噤んで目を伏せる。長い睫が褐色の頬に影を落としていた。
妙に物憂げなその表情に何故だか苛立ちが募る。
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私は皇子の信頼を得るのに、皇子の寵愛を得るのに数年もの月日を費やした。
それなのに、ミスター来栖はたったの数日で皇子のお気持ちを掴んだ。
たかだか家庭教師の分際で。
と、思うが……彼の言い知れぬミステリアスな部分に、私も少しばかり惹かれている―――ことは他ならない
「皇子……よもやあの家庭教師に特別な想いを抱いておられるのですか」
私が更に問い詰めると、皇子は益々私から視線を逸らす。
「皇子、お忘れでおいでですか?
カイル様は王室の秘密を握っておいでです」
私が質問を変えると、オータムナル様の顔色が変わった。
さっきまでの戸惑った表情ではなく、その深い青色の底に険悪な黒い光が渦巻いている。
いっそ無表情に近いと言えよう。
「私の父上に子がもう一人居たと言う話か?それが私の兄上である、と」
「そうでございます。これは王室のスキャンダルにもなり得ます。
カイル様の強姦未遂があって体の良い厄介払いが出来た、と思ったらそのカイル様をミスター来栖が探っている様子。
それは由々しき問題でございます。
何が何でもその秘密を握りつぶさなければ」
私がオータムナル様の耳元でそっと囁くように説明をすると、彼は私の言葉に一つ一つ頷き、だが
「しかし―――紅はカイルが握っている秘密を暴きたかったのではない。
私との関係を案じて―――……」
と、眉を寄せ、言葉を詰まらせた。
まだ
そのような寝言を言っておいでか。
私は本気で頭痛がしてきた。額を押さえながら頭をベッドに沈める。
「ミスター来栖の言葉を信じる、とおっしゃるのですか」
「私には紅が嘘をついているようには見えない」
皇子はミスター来栖のことを信じて疑わないようだ。まぁ私とてあの無力で非力で……ついでに言うと頭もそう良くなさそうな男が何かしでかす、なんて思ってもないが。
だが、100%安全とは言い切れない。
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私の中に、ミスター来栖が謎の地図を保管していたと言う事実が、不安要素を煽る。
「何故そう言い切れるのですか」
私が反論すると
「逆に聞くが何故お前はそこまで紅にこだわる」
と、聞かれた。
「それは………」
今度は私が言葉を詰まらせた。
「お前は思っているのだろう。
紅が私の血のつながった兄上なのだ、と」
オータムナル様の言葉に私は目を開いて彼を見上げた。
何も知らない……そうゆうことに無頓着な若造だと思っていたがさすがに王室の第一皇子なだけある。勘が鋭いな。
だがいい線は行っても、まだ完全とは言い難い。
何故なら、私にもミスター来栖が本当に王の子だと言う確証はないのだ。
まぁ確証なんて最初から必要ないが。オータムナル様がそう思い込んでくれることだけが私の望みだ。
私の操り人形の皇子がいかにしてミスター来栖を料理してくれるか、それが楽しみではある。
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再びベッドに倒されて、今度は私も抵抗らしい抵抗はしなかった。
オータムナル様の手が私の首元に伸びてきて、その手を受け入れる意味でゆっくりと目を閉じた。
オータムナル様の大きな手のひらが私のシャツの合間から入り込んでくる。
珍しくその手つきは乱暴で、まるで煩わしい問題を忘れたいかのような性急な行為に思えた。
………と、そのときだった。
「ぎ……ゃあぁああああああああああああ!!!!!!」
壮絶な男の悲鳴が轟いて、私はぱっと目を開けた。同じようにその叫び声に驚いたのか皇子も目を開いている。
「紅!?」
「ミスター来栖……」
私とオータムナル様の声が重なり、お互い顔を見合わせるとオータムナル様は素早く身を起こしベッドから立ち上がった。
オータムナル様が血相を変えて自室を飛び出し、私も乱れたシャツの合わせ目を閉じる暇もないほど慌てて彼の後ろを追った。
声のした方に二人で走って行くと、途中でご就寝前だったのだろう、白いネグリジェにガウンを羽織っただけのマリア様が何事か顔を出した。
「コウの叫び声が聞こえたわ。何事なの」
「私にも何が何だか。マリア様、お体が冷えるのでお部屋にお戻りください」
オータムナル様の後を追いながら手短に伝えると、マリア様はそれを聞き入れる風ではなく私たちの後を追ってきた。
「わたくしも行くわ」
「なりません」
私が部屋に戻るよう手で指し示すと、皇女は首を横に振った。
全く、頑固なご兄妹だ。
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広い廊下の一角で両足を投げ出し、どこか宙を指し示してミスター来栖が真っ青な顔でぶるぶる震えていた。
その傍らにミスター来栖が移動の際に利用している松葉杖が無様に転がっている。
「何事です!ミスター来栖」
私はオータムナルさまより先にミスター来栖の元へ駆け寄って、彼が震える指先で指さす方に視線を向けたが
彼が指さした先は夜の闇が支配する庭園が広がっているだけだった。
「叫び声が聞こえたのですが、いかがされました?」
廊下の反対側からマリア様と同じような恰好で現れたのは沙夜姫様だった。こちらもご就寝前だったのだろう。
その他にも宮殿に待機している衛兵たちがマシンガンを構えてバタバタと駆けつけてきた。
ミスター来栖の叫び声は衛兵まで動かすほど強烈だったわけで…
「何事だ!紅!!エリーに噛まれでもしたのか!」
オータムナル様がすぐにミスター来栖の元に駆けよって、その細い両肩をやんわりと包んだ。
まるで見えない敵から彼を守るようなその仕草に少しだけ唇を噛む。
オータムナル様には先ほどの私の忠告が耳に入ってないようだ。
「あらやだお兄様。エリーは毒を抜いてあるではないですか。
それにお兄様が放し飼いになさったのよ」
慌てふためくオータムナル様とは反対にマリア様は幾分か冷静だった。
「それは分かっている。が、噛まれれば痛いことに違いない。
大丈夫か、紅」
まだ顔色を青白くさせたままのミスター来栖はゆるゆると首を横に振った。
「……違……エリーじゃありません……俺…俺が見たのは―――」
ミスター来栖は夜闇でも分かるほど真っ青な顔つきでぶるぶる震えながら庭園の方を指さし。
「何を見たと仰るのですか」
私が彼の先に続く言葉を促すと
「お、お化け……!!!」
ミスター来栖は今にも失神しそうなほど声を震わせて私を見上げてきた。
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「おばけ………とは…?」
ミスター来栖の両肩を支えていたオータムナル様が怪訝そうに私を見上げてきた。
「Ghostにございます、皇子」
私が説明をすると
「幽霊を見た……と申すのか、お前は」
オータムナル様はさすがに呆れたように額に手をやった。
「ほ……本当なんです!」
ミスター来栖は大げさな動きで手振り身振りで説明をする。
「こう白っぽい長いドレスを着た金髪の……髪の長い女の人がぼーっとそこに突っ立ってて……
声を掛けたら振り向いたんです……
そしたら…」
そこまで言ってミスター来栖は思い出したのか口元に手を当てあわあわと俯く。
「そうしたら……?そのあとはいかがなさったの?コウさん」
先を促したのは意外にも沙夜姫様だった。
沙夜姫様の質問にミスター来栖は急に幽霊を見たと言う自分を恥じたように顔を赤くして益々俯くと
「……顔が……なかったんです……」
「顔が…!まぁ」
と声を挙げたのはマリア様だった。
「怖いわ。トオル」と私の腕に縋ってくる。
「バカバカしい。幽霊なんてこの世に居ません。大方寝ぼけて夢でも見たのでしょう」
私はピシャリと遮ったが、
「その幽霊……もしかしてワトソン博士じゃなくて?」
とマリア様がぞっとしたように顔を青くしてさらに私に縋ってくる。
「ワトソン博士………って……オータムナルさまが側室に迎えようとしていて、次の日失踪した……?
え―――女性……だったのですか…?」
ワトソン博士の存在を知らなかったミスター来栖はさっきまでの恐怖はどこへやら不思議そうに目をぱちぱち。
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「ミスター来栖」
私が声を掛けると、彼はビクリと肩を揺らした。
「ありもしない幽霊話でいたずらに女性陣を怖がらせないでいただきたい。
たたでさえ繊細な方々たちなので」
私がマリア様と沙夜姫様を見やると彼女たちは一様に顔を青くさせて俯いていた。
「………す……すみませ…」
ミスター来栖は謝りかけたが、その言葉を遮ったのは
オータムナル様だった。
「トオル!頭ごなしに紅を否定するな。
紅が見たと言うのなら、そうなんだろう。
私は信じる」
オータムナル様はミスター来栖の頭に手をやり、
「可哀想に。こんなに震えて。さぞ怖い想いをしたのだろうが、
もう大丈夫だ。私が一晩ついててやろう」
「オータムナル……さま……」
ミスター来栖は今にも泣きだしそうに瞳を揺らし、オータムナル様を見上げた。
「皇子、今宵は私と―――」
今、オータムナル様とミスター来栖を接近させるのはマズい。皇子が側室以上の愛情をミスター来栖に抱いたのなら、私の立てた作戦は泡と化す。
だが、言いかけた言葉をオータムナル様はまたも遮った。
「お前には悪いと思っているが、紅をこのまま放っておくわけにはいかぬ」
その言葉に私は何も言い返せなかった。
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オータムナル様はミスター来栖を立ち上がらせると、その華奢な肩を抱いて皇子の寝室へと向かわれる。
私は―――と言うと……
「振られちゃったわね、トオル。わたくしが慰めてあげてもよろしくてよ?」
とマリア様が悪戯っぽく妖艶に微笑む。
沙夜姫様は私たちのやりとりを見て、ぱっと顔を背けると
「わたくしも休みます。マリア様、秋矢様おやすみなさいませ」
ガウンの前を合わせてまるで逃げるように立ち去っていく沙夜姫様。
その華奢な後ろ姿を見送り、私はため息を吐きながらマリア様の腕を取り
「ではマリア様、お部屋までお送りいたします」
まだ警戒しているのか下がっていない衛兵の手前、そう言うしかない。
私はマリア様をお部屋に送り届け、だが当然ながら送るだけでは済まされない。
「シャツが乱れておいでよ?トオル」
部屋に入るなり私のシャツの乱れを直そうとするマリア様。
その手に僅かに力が籠っているように思えた。
「お兄様のお部屋でお兄様に可愛がられていたようね」
「マリア様……」
私はマリア様の手に自分の手をそっと重ねると、彼女の頭頂部に頬を乗せた。
「いいのよ。あなたはお兄様お気に入りの側室ですもの」
マリア様はそうは言ったものの、言葉の裏にどこか恨みがましい何かが含まれていた。
この様子じゃミスター来栖を女装させたのも、単なるマリア様のいじわるだったわけだな。
「トオルもお可哀想。お兄様はお気に入りのおもちゃを見つけたようにコウに夢中」
「お気に入りのおもちゃ…か。なるほどその言葉が適切ですね」
私は喉の奥でふっと笑うと
「悔しくないの?お兄様の寵愛がコウに移ってしまうかもしれないって言うのに」
マリア様が不思議そうに目をぱちぱち。マリア様がまばたきをされるたびに長い睫が私の首筋を甘くくすぐる。
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ぎゅっとマリア様を抱きしめると、兄上様の紅茶のような香りとは違って、どこか甘い香りが香ってきた。
「悔しい?
何を言っておいでですか。
私があの側室と言う立ち位置に甘んじているのは、その方が色々動きやすいから―――
あなた様にもご理解いただけているものだと思ってましたが?」
わざとそっけなく言ってマリア様から体を離すと、逃がさないと言いたげにマリア様の手が私の腰に絡む。
「わたくしが悪かったわ、トオル。そんなことが言いたかったわけじゃないのよ」
マリア様は宝石のようなその淡いブルー…まるで海の色を思わせるその瞳をまばたきさせて私を見据えている。
似ているのは瞳の色だけかと思いきや、そのまなざしまでも兄上のオータムナル皇子と良く似ていらっしゃる。
私は再びマリア様に手を伸ばした。マリア様が素直に私に体を預ける。
マリア様の重みを受け止め―――私は心の中でふと考えていた。
今宵は―――
オータムナルさまはミスター来栖を寝所に召された。
と、言うことは……本当の意味で今日、彼はオータムナル様の側室になる。
ミスター来栖は
彼の肌は―――
彼のぬくもりは―――………
一体どんな温度をしているのだろう。
彼の血は――――……?
マリア様のお部屋に飾られていた真紅の薔薇の花弁が一かけら、ひらりと落ちた。
あの薔薇のように
美しいだろうか。
彼の後ろを裂けるぐらい犯して、薔薇の花びらのような流れる血をゆっくりと眺め、
そして私に服従させる―――
いつの間にか、私は彼が死ぬのを勿体なく思い始めていた。
ミスター来栖のあの眼。
私を睨むあの二つの眼はまるで禍々しい凶眼のようにも見える。
だが、同時にその不吉とも呼べるまなざしに強烈に惹かれている自分も居る。
美しい―――眼だ。
オータムナル様の瞳がトパーズならば、ミスター来栖の眼はタイガーアイ。
茶色と金色が微妙に入り混じったあの不思議な色合いの眼。
「絶対手に入れて見せる。ミスター来栖」
私はマリア様の髪を撫でながら、彼女には聞こえない小声でそっと囁いた。
P.165<→次へ>
冬の夜
キミへの気持ちを窓に託しました
たった一言が言えない私は臆病者ですか?
でも今はこれが精一杯
雪に想いを
『次はお天気コーナーです。今日から明日にかけて低気圧が日本の南を発達しながら東北東に進み、明日には日本の東に進む見込みです。
関東甲信地方では今夜から雨が次第に雪に変わり、あす午前中にかけて山沿いを中心に、平野部でも積雪となる所がある見込みです。雪による交通障害、架線や電線、樹木等への着雪、路面の凍結に注意してください』
今朝のワイドショーのお天気キャスターの言葉を思い出したのは、勤めている会社の定時を迎え業務を終えたときだった。
「えー!やだっ!雪降ってるじゃん」と誰からともなく声が挙がり
「ホントだー、私傘持ってきてない」
「どうりで冷えると思った」
と同僚たちが次々と口にする。
またも誰かが「せっかく彼氏に買って貰ったバッグが濡れちゃう」と言い出し、それでもちっとも困った様子ではなく、どこか誇らし気だ。
そしてその周りの女子たちが盛んに羨ましがる。
「いいなー、でもあたし今度のクリスマスにダイヤの指輪ねだっちゃうんだー」と一人の女の子。
「いいなー!」黄色い声に、私は苦笑いを浮かべるしかない。ここでの男の年収と、女の品格は反比例する。いかにいい服を着るか、いかにいいバッグを持つか、いかにいい男を彼氏にするか、年中こんな会話でうんざりする。
かと言って輪に加わらないわけにはいかない。仕事とプライベートの内容こそ比例するのだ。
P.1
「仁科《にしな》さんはいつも素敵な服着てますよね」ふいに一人から話題を振られた。
「えっ、そう?」私は曖昧に笑って言葉を濁した。今日の服装は白いタイトワンピ。腰回りに太いベルトが巻き付いていて、ちょっと豪華に見えるゴールドのバックルがワンポイント。
そして同じくゴールド系のスパンコールが襟元に入ったコートを腕にかけて帰りたいアピール。
シンプルな服装だったけど、流石は目が肥えている女子たち。すぐにそれが高価なものだと見破った。女のチェック程厳しいものはない。私がオシャレをするのは対、男ではなく、彼女たちの為。
「仁科さんてぇ、結婚しないんですかぁ」間延びした話し方が赦されるのはこの年代の特権だ。
「結婚ね……相手がいないから」私は適当にごまかして再び言葉を濁した。
こう言っておけば大抵の女は引き下がる。私が長い間、人付き合いをしてきて、これが最良の方法だと知ったのはつい最近のこと。
私がこの会社に勤めはじめて五年になる。この会社での女性正社員では長いほうだ。後から派遣された若い女の子たちから見れば私なんてお局のようだった。
「そう言えばぁ仁科さん、この前見ちゃったんですぅ」一人の女の子が思わせぶりに口元へ手をやった。
短く切った髪にはパーマがあててあり、傍から見ればマシュマロのように可愛らしい女の子だ。
だが、そんな可愛らしさに惑わされてはいけない。女はいつでも顔の下にしたたかな一面を隠しているのだから。
P.2
「何を?」私は平静を装って取り澄ました。
もしかして“アイツ”と居る所を見られた?と思ってドキリとしたが
「この前の金曜日、青山のイタリアンレストランで、経理の前田さんと一緒にいるところぉ」
ああ、そっちか。とちょっとほっと安堵する。
「ええー!!」周りから黄色い声が飛ぶ。私は思わず頭を押さえたくなった。
そう、確かに経理の前田に誘われて先週の金曜に青山まで行った。
でも食事をしただけで、別に艶かしい関係ではない。だが、ここで重要なのが、経理の前田という男、この会社ではなかなかのハンサムでしかも独身、きさくな性格をしているわりには頼れる上司でもあるのだ。そうゆう男を若い女性社員が放っておくわけがない。
「いいなー、ねえお二人って付き合ってるんですか?」
食事をするイコール男女の関係と、どうして若い子たちはそう短絡的なのだろう。私はこの場から逃げ出したくなった。だけど、この場から立ち去ると認めたことになってしまう。
「別に、ただお食事に誘われただけよ」
「うそー、絶対前田さん仁科さんのこと狙ってるわよぅ。だって、あたしたちがいくら誘っても全然だったのよー。それなのに前田さんは仁科さんのこと」
嫉妬心と羨望の眼差しで見られ、私は思わず後ずさり。
何とか前田との話を切り返し、従業員出入り口から女子の群れに混ざって出てきた所だった。
遠くで派手なエンジン音が聞こえてきて、この狭い路地裏へと近づいてきた。この聞き慣れたエンジン音。私は嫌な予感がして思わず一方通行の標識を見つめた。
「よーう、仁科」黒のポルシェの窓から腕を出し、銜えタバコをしながら九条《くじょう》が手を振っている。
「やっぱり」
私は、今度こそ頭痛をこらえるように頭をしっかりと押さえた。
P.3
「仁科、今終わりか?これから飯でも食わねー?」
この状況を知らずに能天気に笑ってるその整った横っ面に今すぐ張り手を食らわせたい。
「あ、あんたいつ東京に戻ってきたわけ?」私は女の子の群れから一人離れると、九条の車に近づいた。
「あー、悪い。三日ぐらい前かな?この前言ってた日本料理屋行こうぜ」
「あんたっていつも何で急なのよ」
私が声を潜めて九条を睨んでいるときだった。
「えー、仁科さんの彼氏さんですかぁ?かっこいい!」
女の子たちの視線が九条に移った。予想していなかった最悪の事態。
上半身しか見えなかったが、今日の九条は黒いジャケットの中に白いカットソーを着ていて、真冬だって言うのに襟ぐりに濃いサングラスをかけている。いつものように髪をラフにセットしてあって、左耳には輪っかのようなピアスが三つ光っていた。
そう
どこからどーみてもこいつは
ホスト。
P.4
「仁科、今終わりか?これから飯でも食わねー?」
この状況を知らずに能天気に笑ってるその整った横っ面に今すぐ張り手を食らわせたい。
「あ、あんたいつ東京に戻ってきたわけ?」私は女の子の群れから一人離れると、九条の車に近づいた。
「あー、悪い。三日ぐらい前かな?この前言ってた日本料理屋行こうぜ」
「あんたっていつも何で急なのよ」
私が声を潜めて九条を睨んでいるときだった。
「えー、仁科さんの彼氏さんですかぁ?かっこいい!」
女の子たちの視線が九条に移った。予想していなかった最悪の事態。
上半身しか見えなかったが、今日の九条は黒いジャケットの中に白いカットソーを着ていて、真冬だって言うのに襟ぐりに濃いサングラスをかけている。いつものように髪をラフにセットしてあって、左耳には輪っかのようなピアスが三つ光っていた。
そう
どこからどーみてもこいつは
ホスト。
P.4
でも勘違いしてもらっては困る。私はこいつの客じゃない。東京を離れていたのも、大方客の一人と遠征旅行でもしていたのだろう。
「違っ!こいつとは単なる腐れ縁。彼氏とかじゃないから」
と慌てて否定するも秒の単位で噂が回るこの会社で明日の朝には『仁科さんて、ホストに貢いでるらしいよ』とあちこちで言われるに違いない。
くらり、と眩暈が起きた。
腐れ縁、と言うのは間違いない。中学からの同級生だから。
「じゃあ、本命は前田さんですかぁ?」女の子達が興味津々で目を輝かせている。
「前田??ひどいなー、仁科ぁ。俺たち何度もセック……もがっ」
最後の方が言葉にならなかったのは私の手が九条の口を塞いだから。
ふざけんな!何言い出すんだこいつぁ!!
空気読めっつうの!
と言うことを目で訴えると、流石に冗談が過ぎたと思ったのか九条は苦笑い。
「で?行くの?行かないの?」せっかちに聞かれて
「わかったわよ!行くわよ」半ば怒鳴るように九条を睨みつけると、私はそそくさと助手席に回った。
「それじゃ、私はこれで。お先に」女の子たちにはなるべく平静を装って、にこやかに手を振る。
ため息をついて車の助手席を開けると、運転席から九条が笑顔で手を差し伸べてきた。
「ただいま、仁科」
昔とちっとも変わらない笑顔。眉が下がり、目を細める、優しい笑顔。そして時々その低い声で呼ばれる、自分の名前。何だかくすぐったいが、この笑顔を向けられたら、たとえ九条の勝手に振り回されても、赦せてしまう。
「……おかえりなさい」私は俯くと、小さく返事を返した。
P.5
前述した通り私と九条とは中学からの付き合いだ。かれこれ十年以上の付き合いになる。十年、と言う歳月は長く感じられるけれど、その間に音信不通になったり、そしてどこからか連絡先を入手して電話を寄越して来たり、をだらだらと繰り返している。
でも、私たちははっきりと『付き合って』はいない。もちろん九条のブラックジョークの『体の関係』もない。
あるのは中学生から変わらないノリと
私が九条のこと「好き」
と言うことだけ。歳を重ねて、九条がホストになって……あ、今はホストじゃなくホスト店を経営してるオーナー様でもあったかしら。とにかく環境は変わったものの、不変的な何かは確実に存在している。
パワーウィンドウの外をちらほらと雪が降っていた。
「北海道行ってきたんだ~土産に蟹買ってきてやったぞ」と九条は運転しながらどこか楽しそう。
「北海道……ここより雪が多そうね」ぼんやりと呟きながら、九条に気づかれない程度にこっそりと、外気との差で曇った窓ガラスに、人差し指で
『好き』
と書く。
私の書いた文字は私の体で隠れて九条からは見えない。
「蟹すきしようぜ~、お前んちで」
「何であんたを一々上げないといけない?」
言い合いをしながら、やがて私のマンションに着く頃にはみぞれになった大粒の白いものが私の『好き』をかき消す。
「だってお前んち床暖あるじゃん?」
「そんな理由かよ」
中学生から変わってないこの関係とノリ。
今はまだ―――
この関係でいいや。
~FIN~
P.6