Autumnal

蝶が囚われた部屋


 

 

「気づいて……いらっしゃったんですか?」

 

 

俺がマスカラで重くなった睫をまばたきしていると

 

 

「当たり前だ。最初からお前だと分かっておったわ」

 

 

と、明るく笑われた。

 

 

「じゃ、じゃぁ何で!初対面みたいな素振りしたんですかー!」

 

 

「お前が気づいてほしくなさそうだったから、スルーしようかと思ったが

 

 

何とも妖艶で美しいお前を手放したくなくなった」

 

 

さらりと言われ目が点。

 

 

美しい??妖艶??

 

 

自分には程遠い単語の連発でどう反応していいのか分からない。

 

 

「普段のお前も十分美しいが、今日は怖いほど―――だな」

 

 

オータムナルさまの方こそ、どこか熱を帯びた色っぽい視線でその目で見られたら―――どうにかなりそうだ。

 

 

「このままお前の部屋になだれ込んで、お前のその帯をゆっくりと解いて着物を一枚一枚丁寧にはぎとってその大理石のような肌をゆっくり堪能したいが……」

 

 

オータムナルさまの一言一言に、ドキリと胸が強くなる。

 

 

「だがその前にどうしても行きたいところがあるのだ。ついてきて―――くれぬか」

 

 

オータムナルさまは澄み切った青い瞳を細めて、切なそうにゆらゆらと瞳を揺らしている。

 

 

俺はその表情を見て「どこへ?」とは聞かなかった。

 

 

オータムナルさまの美しいお顔には今……‟悲しみ”の表情が浮かんでいる。

 

 

どうして……

 

 

何が悲しいのですか?

 

 

オータムナルさま。

 

 

彼の頬に手を伸ばしかけて、俺はそれを途中で止めた。

 

 

彼の頬を撫でてどうすると言うのだ。

 

 

彼の悩みを俺が全部受け止められるのか―――

 

 

そもそも受け止めるって何?

 

 

深く考えると出口のない迷路に迷い込みそうだった。

 

 

俺は小さく頷き、彼に促されるまま歩き出した。

 

 

 

 

 

 

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「実は私の父上に会ってほしいのだ」

 

 

廊下を並んで歩いているとき、オータムナルさまが突如として言い出した。

 

 

王様に…!?

 

 

びっくりして目を丸めていると

 

 

「なに、怖い人ではないから安心しろ。

 

 

昔はそれなりに威厳もあったし、私は厳しく育てられたが―――

 

 

数年前に脳溢血で倒れられて以来、寝たきりの状態が続いている」

 

 

脳溢血―――……

 

 

「ここ数日間はさらに容体が悪くて、枕から頭も上げられない状態が続いているのだ。

 

 

優秀な医者は居るし、我が国の医療も日本に劣らず発達している。

 

 

けれど私にできることはこうして花を届けるしか―――……」

 

 

ああ、それで百合の花束を……

 

 

お父上のお見舞い用だったんだ。

 

 

「そんなお加減が悪い王様の寝所に俺なんか行って大丈夫なんですか…」

 

 

おずおずと顔を上げると

 

 

「私が―――そう望んだ。

 

 

日に日に弱っていく父上を見ると、私も―――辛いのだ。

 

 

 

日に日にやせ細っていくそのお姿を見ると、いつか消えてなくなるんじゃないだろうか―――と、ありえないのにそんな気がしてならない。

 

 

私は臆病者だ。一人でそんな父上と対峙できぬ……臆病者だ。

 

 

だがお前が居れば―――何故か安心できる気がするのだ」

 

 

オータムナルさまと俺。廊下に落ちた夕陽が作り出した影も二つ。少し距離を置いて、ずっと一定間隔を保っていた。

 

 

 

 

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その影を一つにしたのは俺―――

 

 

俺はすぐ隣にある彼の手の甲にそっと自分の手の甲を触れさせた。

 

 

骨を通して伝わってくる彼のぬくもりに、必死に応えようと指先を動かすと、俺より一足早くオータムナルさまの指先が俺の指に絡んできた。

 

 

男同士―――(まぁ俺は今女の恰好してるけど)手を繋ぐのなんてありえないし、変なことだけど

 

 

今はこうして手を繋ぎたかった。

 

 

 

 

 

「オータムナルさまは臆病者なんかじゃありません。

 

 

あなたは心優しいお方。

 

 

誰でも肉親が病に伏せっていたら気を病むのも同然―――

 

 

家族の心配をして何が悪いんですか」

 

 

 

 

俺が言い切るとオータムナルさまは目をまばたいて俺を見下ろしてきた。

 

 

「すみません……軽率なことを……俺には家族が居ないし、体験してもないこと言っちゃって……」

 

 

慌てて謝ると、オータムナルさまが少しだけ手を強く引っ張った。

 

 

手を引かれてその拍子によろけるとオータムナルさまは俺の肩をそっと抱いた。

 

 

「何を言う。お前は私の家族の一員だ。

 

 

お前が欲しかった家族―――お前が望んだ家族になるよう私も努力する」

 

 

オータムナルさま……

 

 

何だろう、俺―――

 

 

すっげぇ嬉しいよ。

 

 

そう言ってもらえただけで、何だか心がふわふわ温かくなるんだ。

 

 

「だったらオータムナルさまのお父さまも俺にとっては家族ですね」

 

 

明るく笑うと、オータムナルさまは柔らかい微笑を浮かべて俺の頬をそっと撫でてきた。

 

 

「そうだ、家族だ」

 

 

 

 

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王様の寝所と言うのは宮殿の最奥に位置していた。

 

 

白い観音開きの扉はどのお部屋の扉よりも立派で金細工がいやらしくない程度で上品に施されている。

 

 

その金細工が、見るも艶やかな

 

 

 

蝶――――……?

 

 

 

を描いていた。

 

 

揚羽蝶だ。美しい羽を伸ばし、まるでその扉から今にも飛び上がりそうな……

 

 

男のお手伝いさんが両扉を外側に開いてくれて、オータムナルさまに促されるまま俺は照明が落とされた暗い部屋の中―――案内された。

 

 

おずおずと部屋に入ると、寝所の中央に置かれた天蓋付の大きなベッドに目がいった。

 

 

ベッドの背後には大きな大きな窓がある。カーテンは引かれていない。窓の光を浴びて映ったそのお姿は逆光で―――

 

 

でもその輝くほどの美しい姿に一瞬目を奪われた。

 

 

オータムナルさまと同じ肌の色、同じ髪色……上品な口髭と顎髭をたくわえ、精悍な眉に目鼻立ちがオータムナルさまと良く似た紳士がベッドに横になっていた。

 

 

年の頃は五十代前半だろうと思われたが、随分と弱っておいでだ。

 

 

頬はこけ、目はうつろで俺を見ているのかどうかも分からない。

 

 

それなのに、どこか凛とした気品を纏っている。

 

 

 

 

この方が王様。

 

 

 

 

俺は着物で身動きが取りづらい中、何とか膝まづき用意してきた英語でたどたどしく伝え

 

 

「King.I don't believe I've had the pleasure.(お初にお目にかかります王様 )」

 

 

頭を下げた。

 

 

「父上、新しく私の日本語教師に就任した紅です。私の良き話し相手に―――…」

 

 

オータムナルさまが俺の方を手で促し紹介しかけたとき、王様はゆっくりと目を開きオータムナルさまの言葉を遮ってゆっくりと枕から顔を上げた。

 

 

俺を見て王様は目を開くと、まるで幽霊にでも遭遇したかのように驚愕の表情を浮かべられ、ほっそりとした震える手を俺に差し出してきた。

 

 

 

 

 

 

「君蝶――――……」

 

 

 

 

 

 

 

キミチョウ………?

 

 

王様を支える意味で彼の背中に手を添えていたオータムナルさまも目を開く。

 

 

 

 

 

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俺を―――誰かと間違えているようだ。

 

 

それも君蝶なんて普通の名前じゃない。名前の響きからして芸子さんや舞子さんが名乗る芸名ってやつじゃないかな?

 

 

こんな恰好してるし……日本に行かれたとき食事のときにでもお召になった芸子さん(または舞子さん)を思い出したのかもしれない。

 

 

「あの俺……」

 

 

戸惑っていると

 

 

王様はオータムナルさまの手をやんわりと払いよろよろと立ち上がると、ふらふらと危なっかしい足つきでベッドを降り、ひざまづいたままの俺の元へ何とか歩いてきた。

 

 

骨が浮き出た細くて冷たい手で俺の白塗りした手を取ると

 

 

 

 

 

「君蝶――――会いたかった。ずっとずっと―――

 

 

夢でしか会えなかったことが誠に残念だ。

 

 

だがそれが私に科せられた罰。

 

 

お前にはまこと申し訳ないことをした。

 

 

 

 

 

許しておくれ」

 

 

 

 

 

王様は震える手で俺の両手を必死に握り、オータムナルさまとは少し色合いの違う青い瞳に涙の粒を浮かべ俺を真正面から見据えていた。

 

 

 

許しておくれ―――

 

 

 

もう一度口の中で呟かれ、その贖罪が何の意味を持っているのか俺には分からなかった。

 

 

俺はただ戸惑ったまま王様の手を握り返し、どうしていいのかオータムナルさまを目配せすると

 

 

すぐにオータムナルさまが王様の背後に回り、そのほっそりとした王様の体を起こした。

 

 

「父上……この者は君蝶なるおなごにはございません。私の家庭教師でございます。お気を確かに」

 

 

困ったように眉を寄せ、王様をベッドに促す。

 

 

オータムナルさまが『違う』と言っても、王様は信じられないようで…と言うかオータムナルさまの言葉がお耳に入っていないようにも見える。

 

 

「君蝶―――……」

 

 

王様の手が名残惜しそうに俺の手から離れ―――

 

 

「父上、だいぶお疲れのようですね。すぐに医者をおよびしましょう」

 

 

オータムナルさまは王様をベッドに寝かせつけても

 

 

王様は

 

 

「君蝶―――」と‟俺”を呼び続けた。

 

 

一瞬、自分が君蝶なる女性になったかのような錯覚に囚われるほど王様の目は真剣で―――その中に、一途に恋をしている無邪気な少年のような視線が合わさり

 

 

俺は戸惑った。

 

 

俺は―――

 

 

 

君蝶なる女じゃない。

 

 

 

 

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けれどそんなことは言い出せず

 

 

「紅、すまぬ。せっかく来てもらったのに。今日は父上のお加減がお宜しくないようだ。

 

 

私と一緒に帰ろう」

 

 

結局、オータムナルさまがそう言い出してくれて少しだけほっとした。

 

 

オータムナルさまの言う通り、すぐにドクターだと思われる白衣を着た男が診察鞄を手にして入ってきて、彼にすべてを任せると俺はオータムナルさまと王様の部屋を出た。

 

 

パタン……

 

 

両開きの扉が静かに閉められ、そっと振り向くと片方ずつだった羽がきれいに合わさり

 

 

美しい蝶を描いていた。

 

 

さっき見たときは今にも飛び出しそうに思えたが、今見ると

 

 

まるで虫かごに囚われた蝶のように見える。

 

 

囚われて―――羽を張り付けにされて飛べない蝶。

 

 

それはまるで王様の気持ちを張り付けにしてどこにも飛べないでいるように

 

 

思えた。

 

 

 

 

――――――

 

 

――

 

 

「すまぬな。みっともないところを見せて」

 

 

廊下を歩きながらオータムナルさまが申し訳なさそうに眉を寄せた。

 

 

「みっともないなんてそんな……俺を君蝶って人と間違えていらっしゃるようでしたね。

 

 

誰なんですか…君蝶って」

 

 

至極当然の質問をしたのに、オータムナルさまは困ったように……戸惑ったように額に手を置き俺を見下ろしてきた。

 

 

聞いちゃ―――いけないことだったのかな。

 

 

「すみませ……」

 

 

慌てて謝ろうとすると

 

 

 

 

 

 

「紅

 

 

お前は本当に自分の母親のことを知らぬのか」

 

 

 

 

 

 

 

オータムナルさまが突然聞いてきて、俺には何でそんなことを聞いてきたのか全く分からなかった。

 

 

けれどオータムナルさまの目は真剣で、冗談を言っているようには見えない。

 

 

その質問の答えようによっては―――

 

 

俺もオータムナルさまも酷く傷つくような予感がした。

 

 

 

 

 

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けれど何が正しい答えなのか、当然俺には分からず。

 

 

結局、俺は困惑しながらも

 

 

「……残念ながら……俺、両親のこと全然知らないんです」

 

 

と何とか答える。

 

 

「それはまことだな」

 

 

念押しされるように聞かれ、俺は今度ははっきりと大きく頷いた。

 

 

「はい、知りません」

 

 

「ならよい。私の思い違いだったようだ。すまない、今の質問は忘れてくれ」

 

 

オータムナルさまはあっさりと言い、さっきの難しい表情を拭い去った。

 

 

忘れてくれ、って言われてもなぁ……

 

 

一体何で俺の母親のこと聞いてきたのかホント謎。

 

 

俺はこめかみをポリポリ掻いて行き場のない視線を宙に彷徨わせた。

 

 

変な雰囲気の中、さっきの君蝶さんの話に戻せるわけもなく

 

 

「お、王様…オータムナルさまのお父上はやはりオータムナルさまに良く似ておいででしたね。

 

 

何て言うかな…こぅナイスミドルな感じで」

 

 

俺が手振り身振り説明してわざと話題を変えるようことさら明るく言うと

 

 

「そうか」

 

 

オータムナルさまもいつもの優しい微笑を浮かべて俺に笑いかけてくれる。

 

 

その表情にほっとして

 

 

「オータムナルさまもお歳をお召しになったらあんな風になられるんですかね。だったら将来も楽しみだ…」

 

 

俺が一人で盛り上がっていると、

 

 

 

 

「紅。

 

 

 

お前は私が父上の年齢になっても私の傍に居てくれると言うのか」

 

 

 

 

オータムナルさまはふいに俺の手を引き、またも真剣な表情で俺を見下ろしてきた。

 

 

吸い込まれるような深いブルーはやっぱり王様と一緒で、そのガラス玉のような瞳に見つめられると流されそうになる。

 

 

けれど「はい」とすぐに即答できない俺。

 

 

家庭教師の任期は一年だ。

 

 

 

 

 

一年後―――俺は日本に帰る。

 

 

 

 

 

 

 

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