超微妙な日本人トリオ…
お…皇子のお部屋で一泊してしまった……
それが良いことなのか悪いことなのか。
普通の友人同士だったら気軽に「泊まった」って言えるのに、それが何だかひどくイケナイ気がするのは……
オータムナルさまは一国の皇子であらせられて、さらにさらにっ!!俺を側室に加えたくて、
ちらり
俺の隣を見ると
「何だ?」と、普通の友人には見せない淡い笑みを浮かべたオータムナルさまが、愛おしい何かを見るような目つきで俺の頬をゆっくり撫でた。
その手は―――
嫌じゃない。
これは果たして恋なのだろうか―――
考えているうちにまたも引っ張られるようにして食堂の広間に連れていかれた。
皇子さまはいつでもマイペース&自由なお方。
ゆっくり考えてる暇さえないんだもん。
連れてこられた広間はいつもの床に絨毯ではなく長いテーブルとそれとセットになっている椅子が何脚が並んでいた。
そのテーブルですでに沙夜さんと秋矢さんが朝食を召し上がっていた。
珍しい組み合わせだな。
二人は隣り合って座っていて、秋矢さんはいつものクールな表情かと思いきや顔には淡い笑み、沙夜さんはほんの少し頬を染めて楽しそうだった。
何か楽しそうだし。この二人って仲良かったっけ??
俺たちの登場にいち早く気づいたのは、やっぱり秋矢さんだった。
この人、何かのセンサーでもついてるのか??反応が凄いよ。
若干呆れていると
「おはようございます。皇子、ミスター来栖」
とこの国に来たときと同じ、恭しい姿勢で礼をする秋矢さん。
P.178
「おはようございます」
沙夜さんも慌てて立ち上がり、相変わらずマナー講座の先生のように丁寧に挨拶して、俺も慌てて頭を下げた。
「お、おはようございます、沙夜さん。秋矢さん」
「おはよう。トオル昨夜は悪かったな」
「………」
秋矢さんはオータムナルさまに何かを言うことなく、軽く頭を下げただけだった。
秋矢さん……怒って……るのかな??昨日はその…秋矢さんがオータムナルさまの寝所にはべる予定だったのだろう。
けれど秋矢さんの不機嫌(?)を特に気にすることなく
オータムナルさまはさっさと所定の位置に座り、その隣に俺を座らせる。
沙夜さんとは随分離れた場所だ。
こっちは相変わらず……仲がよろしくないんだな……
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仮にも沙夜さんは正妻なのに、あんな扱いされちゃ可哀想だよ。
まぁオータムナルさまも彼なりの考えがあるからしょうがないっちゃしょうがないけど……
でもあからさまなのはちょっと…
と不憫に思って居るものの、沙夜さんもあまり気にならないのか上品な仕草でもくもくと食事を摂っている。
秋矢さんは沙夜さんの隣から離れて、オータムナルさまの食事のお世話係に徹している。
沙夜さんと秋矢さん……さっきはあんなに楽しそうだったのに、急にだんまり。いつものように「互いに無関心」という感じだ。
今日は英国のブレックファストのようにスープ、パン、サラダにソーセージエッグ、ベイクドビーンズと言うのだろうか、トマトソースで煮込んだ豆のようなものが出された。
出された紅茶は香りが強く、味も濃い。
Breakfastteaと呼ばれ、アッサム、セイロン、ケニア産の茶葉をブレンドしている、と秋矢さんから説明を受けた。
俺はもっぱらコーヒー党だから紅茶のことに詳しくないが、そのガツンとした渋みはなかなかいける。
と、味わって飲んでいると
「Excuse me for meal.Prince,king is calling.(お食事中失礼いたします。皇子、国王がお呼びです)」
と、一人のお手伝いさんがオータムナルさまにそっと耳打ち。
「My father says?(父上が?)What's up?(何かあったのか?)」
「No.His recovery is progressing nicely.(いいえ、お父上は順調でございます)
「OK.I'll be there right away.(なら良い。すぐ向かおう)」
早口の英語だったし、そもそも小声だったから何を喋ってるのかイマイチ分からなかったが、どうやらオータムナルさまは国王さまに呼ばれたようだ。
「悪いが紅、私は席を外す」
紅茶を飲んでいたオータムナルさまはナプキンで口元を拭い、さっと立ち上がった。
「私もお供いたしましょうか」
それにならって秋矢さんも立ち上がったが
「いや、私だけでいい。お前は紅と沙夜の相手を頼む」
えぇ~??秋矢さん残るのぉ??
俺は不服だったがそれを押し隠して
「いってらっしゃいませ」と大人しく頭を下げた。
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残された俺と秋矢さんそして沙夜さんの三人。
見事に日本人だな~……ここが遠く離れた異国だってこと忘れちゃいそうだ。
「不服そうですが?ミスター来栖」
秋矢さんは口元を吊り上げてにやりと笑う。
「そ、そんなこと……!」
俺は慌てて否定。秋矢さんはそんな俺をからかうように見てきて背もたれにそっと手をついた。
「あなたは嘘がつけない性分だと思いますが?」
「買いかぶり過ぎですよ」
ふん、と顔を逸らすと秋矢さんは俺の失礼な態度も気にならないようにマイペースに隣の席に腰を降ろした。
前の席で沙夜さんとばっちり目が合い、彼女は俺と目が合うと慌てて逸らす。
どうやらキマヅイのは俺だけじゃないようだ。
間が持たなくて俺は紅茶のカップにやたらと口を付けた。苦みと渋みをゆっくり味わっている間もなくせっかちに紅茶を口にしていると
「昨夜は皇子との初夜だったでしょう?
お体は大丈夫ですか?皇子の求愛は激しいから」
秋矢さんのぶっ飛んだ発言に
「ブーーーーー!!」
俺は飲んでいた紅茶を派手に吹き出した。
「まぁ!」沙夜さんがちょっと驚いたように目を丸め、白いきれいなハンカチを取り出すと慌てて駆け寄ってきた。
「あ、いや……すみません…」慌てて口元を手の甲で拭いながら沙夜さんを手で制すると
「照れておいでですか?」
と秋矢さんはさらり。
ちょっと!!その手の話は朝っぱらから勘弁してくれ。
女性の沙夜さんだって居るし。
「てか!俺たち何にもないです!!」
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「何も……?」
秋矢さんがちょっと驚いたように目を開いて、沙夜さんから受け取ったハンカチで俺の服に飛び散った紅茶を拭ってくれる。
俺はそれを乱暴にひったくり、口元を拭うと
「勘違いされてるようですが、俺たちそんな仲じゃありませんから」と吐き捨てるように言って秋矢さんを睨む。
秋矢さんは俺の睨みにも動じず、軽く肩をすくめると
「どうやら私はミスター来栖に嫌われたようだ」
としみじみ。
「嫌いなのは秋矢さんの方でしょう?俺がオータムナルさまの周りをうろちょろしてるから気に入らないんだ」
「私が?ミスター来栖を?」
秋矢さんはさも心外そうに眉を寄せて顔を歪ませた。
え………だって……嫌いじゃないの…?
「私がいつあなたを嫌い、と申しました?最初から言ってるじゃないですか。私はあなたが大好きだと」
「だってそれ……冗談……」
「私がいつも冗談ばかり言っているとは心外ですね。たまには本当のことを言います。特にあなたの前では素直に自分を打ち明けてきたつもりですが?」
え――――……だって……
秋矢さんはふいに顔を寄せると、沙夜さんに聞こえないように俺の耳元でそっと囁いた。
「あなたが皇子のお手つきじゃないってことは本当のようですね。これで安心しました」
お手っ………!?
「まだ私にも分があるってことですね。長期戦になりそうだ、ミスター来栖、楽しみですよ」
秋矢さんは立ち上がった。
「Have whatever it is one wants.(必ず手に入れてみせる)」
それだけ言い残して彼は広間を出て行った。
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秋矢さんが広間を出ていってくれたおかげでちょっとほっ。
「で……さっき秋矢さんは何て?」
沙夜さんに訳を頼むと
「……知らない方がよろしいかと…」沙夜さんは無理やり苦笑い。
残された俺は、と言うと……
「沙夜さん……昨日は、そのお騒がせしてすみませんでした」
俺が謝ると
「いいえ……それより昨夜は良く眠れましたか?」とお優しいお言葉。
沙夜さん……やっぱすっげぇいい人!!
その後は沙夜さんと朝食を摂り、そして朝食後は散歩の意味で沙夜さんがあちこちを案内してくれた。その間、俺たちは他愛のない話をした。
今度は世間話、と言っていいほど話が通じたし(何せ故郷が同じだしね)純粋に会話を楽しんだ。
「え!沙夜さんて伊住院財閥の御令嬢だったんですか!」
沙夜さんの本名は伊住院 沙夜。
その名は日本でかなり有名な財閥だ。街を歩けばその名のつくグループ会社や施設、土地なんかが必ず目に入る、と言うまさにBigname。
沙夜さんは自分の家が落ちぶれた元華族だ、なんて言ったがそれは謙遜だったようだ。
はぁ~……どうりで…物腰が上品な筈だ。正真正銘のお嬢様だったわけか。
と一人納得していると
「兄が一人居ますが、財閥の家督は兄が継ぐことが決まっておりますので、わたくしにできることと言えば他国に嫁いで少しでも家の助けをすることしか…」
沙夜さんは少し寂しそうに微笑んだ。
その笑顔が無理をしているように思えた。
オータムナルさまがおっしゃってた……「可哀想な娘だ」と言う言葉をふと思い出す。
オータムナルさまも沙夜さんの家庭環境を十分知った上でこの話を飲んだに違いない。
その上で、沙夜さんが早くに亡くならないよう距離を開けて
―――何だかすれ違って
可哀想なお二人だ。
それを考えるとまたもチクリ胸が痛む。
心のどこかで俺は―――沙夜さんがもっと悪い女だったら良かった、と思った。我儘で高飛車で何もかも手に入れられると思っている世間知らずのお嬢様。
そんな女性が相手だったら堂々とオータムナルさまに近づけた気がする。
そんな考えを払拭するように頭を振って考えを改める。
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俺と沙夜さんは並んで回廊を歩いた。
夜、歩き回ったときと違ってそこは眩しいほどの白が光に反射してキラキラと幻想的な光景を生み出していた。
こうやって並んでると……何だか普通の恋人同士っぽい。
沙夜さんは俺より十センチぐらい身長が低くて、可愛らしいし。何より同じ日本人だし。
ステイシーとちゃんと別れることができていたのなら、俺は沙夜さんと付き合いたい……とかちょっと思ったり。
オータムナルさまに惹かれていたのはほんの気の迷いだよ……そう片付けるほかない。
だって―――どう考えたって変―――だよ。
男の俺が男のオータムナルさまに惹かれてる――――て。
……何て色々理由付けるけど、俺本当は無理やり誰かを好きになろうとしている。
オータムナルさま以外の誰かを―――
そうすることで、道徳とか倫理とかあれこれ考えないですみそうだったから。
オータムナルさまが以前仰っていた「自分は卑怯者」だと。
そんなことない。
俺の方がよっぽど……
卑怯だよ。
少しの間オータムナルさまのことを考えて黙っていると
「どうされたんですの?お顔が赤いですわ。もしやお熱でも……」
と、沙夜さんに心配された。
え??顔が赤い―――……?
オータムナルさまのことを考えてただけなのに……
それとも彼のことを考えてたから赤くなったのか!?
「い、いえ!!こうやって並んでると俺たち恋人同士みたいだな~って」
慌てて冗談を取り繕う。だけど沙夜さんは俺の冗談を真に受けて、
「まぁいけませんわ。そのようなこと……」
咎めるように言われて「すみません…俺…身分もわきまえず恐れ多いことを…」
少しも俺の入る余地がないことをたった一秒で知らしめされてガクンと気落ちしていると
「だってあなたは皇子の御寵愛も深いご側室。
わたくしは正室。許される恋じゃありません」
………
ちょっと待て……
何で!
何で沙夜さんまで俺が皇子の側室だってこと知ってるの!!?
てか噂回るの早いし!!
てか側室じゃねーし!!
てか男が側室っておかしいだろ!
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ツッコミどころ満載だったが、俺はその言葉をすべて飲み込んだ。
反論したからってどうにでもなる問題じゃない。
もう半分諦め……
「それにわたくしはお慕いしている殿方が……」
あー…そうなのネ。じゃぁ俺が入り込む隙間なんてないじゃんかー……
………
って…
「ぇえ!!?」
俺が目を剥いて沙夜さんの横顔を見ると、沙夜さんはまるでゆでたこのように顔を真っ赤にさせて白い両手で顔を覆った。
「な、内緒にしていてくださいね」
「も、もちろん!!」
てか……そんな(恐ろしい)こと…誰にも言えない。
日本とカーティア国間に平和条約が結ばれてるからには、国間の問題に発展する可能性だってある。
「沙夜さんの好きな人ってのは……この国の人なんですか…?それとも故郷の日本に……お…おいでなのですか…?」
変な敬語になっちゃったのは少なからず動揺していたから。
「こちらの国に……」
沙夜さんは顔を真っ赤にさせながら蚊の鳴くような声を絞り出した。
は~……へ~……
としか言いようがありません。
「………内緒にしていてくださいね」
またも念を押され、俺はコクコク頷いた。
P.185
はー……こんな可愛い人に想われてる男ってのも幸せだよなー……
俺はどこか他人事のように上の空。
だから
「コウさんにはそのようなお方がいらっしゃらないのですか?」と逆に聞かれたときは戸惑った。
「えっと…今フリーなんで……」
皇子に求愛されてるけど、あれはカウントに入らないし。
てかいれちゃマズイだろ。
俺にとっての恋人は――――今でもたった一人……
ステイシーただ一人だ。
ふと気づくと、幽霊騒ぎがあった廊下まで来ていた。
いくら今が朝だと言っても、いくら明るいからと言っても俺の足は自然竦む。
昨日の今朝だし。
「あの……沙夜さんはワトソン博士をご存じですか?」
思い切った質問だった。
幽霊騒ぎでこの御令嬢が怖い思いをしていると思うと酷な質問かと思ったが、聞かずには居られなかった。
「いいえ……わたくしが嫁ぐ前の話でしたから。写真でしか」
と答えが返ってきたときは意外だった。
「どんな方だったんですか?」
「どんな…とおっしゃられても……大変お美しく頭の良いお方だと……伺いました」
沙夜さんは顔を伏せて小声で喋る。やっぱり―――この手の話題は避けたいのだろう。
沙夜さんはいかにも儚げでホンモノの幽霊に会っちゃったらそれこそ失神しかねない。
「何故?…そのようなことをお聞きになるのです?」
そう聞かれて俺は頭に手を置いた。
「いや……俺……幽霊なんてみたのはじめてでどんな人だったか気になったので―――」
取り繕ったように言うと
「コウさん
あなたは『白っぽい長いドレスを着た金髪の、髪の長い女性がぼーっと立っていた』とおっしゃいましたが
何故、暗い廊下でその幽霊が金髪だと分かったのですか?」
沙夜さんは視線をどこか遠くにやりぽつりと呟いた。
P.186
俺は目を開いて沙夜さんの横顔を見つめた。
沙夜さんの端正な横顔から何の表情も読み取れない。
「何故って……金髪だったからですよ…俺、確かに見たんです。
金髪の女性が……」
俺が身振り手振りで説明をしていると
「確かにワトソン博士はブロンドでした。
ですが、あなたはワトソン博士をご存じない筈。
白を白っぽいと表現されたのに、あなたは髪の色を金髪と断言しましたね。
何故―――」
と、沙夜さんが言葉をかぶせた。
それまではにかむような小さな声だったのに、その問いかけは廊下に響き、はっきりと俺の耳に届いた。
その黒い二つの目は少なくとも目に見えない幽霊の姿に怯えている深層のお嬢様―――には見えなかった。
「えっと……」
何て言えばいいんだろう。これ以上の説明が思い浮かばなくて頭を掻いていると
「し、失礼いたしました。わたくしとしたことが……
コウさんを一瞬でも疑うような真似をして」
沙夜さんは口元を押さえて恥じ入るように顔を背けた。
「申し訳ございません。わたくしはこれで…」
まるで俺から逃げるように沙夜さんは回れ右をしてパタパタと足音を鳴らし廊下を駆けていく。
俺はその小さな後ろ姿を見送りながら
「思ったより―――
厄介な女だな」
ぽつり
そう呟いた。
P.187<→次へ>
冬の夜
キミへの気持ちを窓に託しました
たった一言が言えない私は臆病者ですか?
でも今はこれが精一杯
雪に想いを
『次はお天気コーナーです。今日から明日にかけて低気圧が日本の南を発達しながら東北東に進み、明日には日本の東に進む見込みです。
関東甲信地方では今夜から雨が次第に雪に変わり、あす午前中にかけて山沿いを中心に、平野部でも積雪となる所がある見込みです。雪による交通障害、架線や電線、樹木等への着雪、路面の凍結に注意してください』
今朝のワイドショーのお天気キャスターの言葉を思い出したのは、勤めている会社の定時を迎え業務を終えたときだった。
「えー!やだっ!雪降ってるじゃん」と誰からともなく声が挙がり
「ホントだー、私傘持ってきてない」
「どうりで冷えると思った」
と同僚たちが次々と口にする。
またも誰かが「せっかく彼氏に買って貰ったバッグが濡れちゃう」と言い出し、それでもちっとも困った様子ではなく、どこか誇らし気だ。
そしてその周りの女子たちが盛んに羨ましがる。
「いいなー、でもあたし今度のクリスマスにダイヤの指輪ねだっちゃうんだー」と一人の女の子。
「いいなー!」黄色い声に、私は苦笑いを浮かべるしかない。ここでの男の年収と、女の品格は反比例する。いかにいい服を着るか、いかにいいバッグを持つか、いかにいい男を彼氏にするか、年中こんな会話でうんざりする。
かと言って輪に加わらないわけにはいかない。仕事とプライベートの内容こそ比例するのだ。
P.1
「仁科《にしな》さんはいつも素敵な服着てますよね」ふいに一人から話題を振られた。
「えっ、そう?」私は曖昧に笑って言葉を濁した。今日の服装は白いタイトワンピ。腰回りに太いベルトが巻き付いていて、ちょっと豪華に見えるゴールドのバックルがワンポイント。
そして同じくゴールド系のスパンコールが襟元に入ったコートを腕にかけて帰りたいアピール。
シンプルな服装だったけど、流石は目が肥えている女子たち。すぐにそれが高価なものだと見破った。女のチェック程厳しいものはない。私がオシャレをするのは対、男ではなく、彼女たちの為。
「仁科さんてぇ、結婚しないんですかぁ」間延びした話し方が赦されるのはこの年代の特権だ。
「結婚ね……相手がいないから」私は適当にごまかして再び言葉を濁した。
こう言っておけば大抵の女は引き下がる。私が長い間、人付き合いをしてきて、これが最良の方法だと知ったのはつい最近のこと。
私がこの会社に勤めはじめて五年になる。この会社での女性正社員では長いほうだ。後から派遣された若い女の子たちから見れば私なんてお局のようだった。
「そう言えばぁ仁科さん、この前見ちゃったんですぅ」一人の女の子が思わせぶりに口元へ手をやった。
短く切った髪にはパーマがあててあり、傍から見ればマシュマロのように可愛らしい女の子だ。
だが、そんな可愛らしさに惑わされてはいけない。女はいつでも顔の下にしたたかな一面を隠しているのだから。
P.2
「何を?」私は平静を装って取り澄ました。
もしかして“アイツ”と居る所を見られた?と思ってドキリとしたが
「この前の金曜日、青山のイタリアンレストランで、経理の前田さんと一緒にいるところぉ」
ああ、そっちか。とちょっとほっと安堵する。
「ええー!!」周りから黄色い声が飛ぶ。私は思わず頭を押さえたくなった。
そう、確かに経理の前田に誘われて先週の金曜に青山まで行った。
でも食事をしただけで、別に艶かしい関係ではない。だが、ここで重要なのが、経理の前田という男、この会社ではなかなかのハンサムでしかも独身、きさくな性格をしているわりには頼れる上司でもあるのだ。そうゆう男を若い女性社員が放っておくわけがない。
「いいなー、ねえお二人って付き合ってるんですか?」
食事をするイコール男女の関係と、どうして若い子たちはそう短絡的なのだろう。私はこの場から逃げ出したくなった。だけど、この場から立ち去ると認めたことになってしまう。
「別に、ただお食事に誘われただけよ」
「うそー、絶対前田さん仁科さんのこと狙ってるわよぅ。だって、あたしたちがいくら誘っても全然だったのよー。それなのに前田さんは仁科さんのこと」
嫉妬心と羨望の眼差しで見られ、私は思わず後ずさり。
何とか前田との話を切り返し、従業員出入り口から女子の群れに混ざって出てきた所だった。
遠くで派手なエンジン音が聞こえてきて、この狭い路地裏へと近づいてきた。この聞き慣れたエンジン音。私は嫌な予感がして思わず一方通行の標識を見つめた。
「よーう、仁科」黒のポルシェの窓から腕を出し、銜えタバコをしながら九条《くじょう》が手を振っている。
「やっぱり」
私は、今度こそ頭痛をこらえるように頭をしっかりと押さえた。
P.3
「仁科、今終わりか?これから飯でも食わねー?」
この状況を知らずに能天気に笑ってるその整った横っ面に今すぐ張り手を食らわせたい。
「あ、あんたいつ東京に戻ってきたわけ?」私は女の子の群れから一人離れると、九条の車に近づいた。
「あー、悪い。三日ぐらい前かな?この前言ってた日本料理屋行こうぜ」
「あんたっていつも何で急なのよ」
私が声を潜めて九条を睨んでいるときだった。
「えー、仁科さんの彼氏さんですかぁ?かっこいい!」
女の子たちの視線が九条に移った。予想していなかった最悪の事態。
上半身しか見えなかったが、今日の九条は黒いジャケットの中に白いカットソーを着ていて、真冬だって言うのに襟ぐりに濃いサングラスをかけている。いつものように髪をラフにセットしてあって、左耳には輪っかのようなピアスが三つ光っていた。
そう
どこからどーみてもこいつは
ホスト。
P.4
「仁科、今終わりか?これから飯でも食わねー?」
この状況を知らずに能天気に笑ってるその整った横っ面に今すぐ張り手を食らわせたい。
「あ、あんたいつ東京に戻ってきたわけ?」私は女の子の群れから一人離れると、九条の車に近づいた。
「あー、悪い。三日ぐらい前かな?この前言ってた日本料理屋行こうぜ」
「あんたっていつも何で急なのよ」
私が声を潜めて九条を睨んでいるときだった。
「えー、仁科さんの彼氏さんですかぁ?かっこいい!」
女の子たちの視線が九条に移った。予想していなかった最悪の事態。
上半身しか見えなかったが、今日の九条は黒いジャケットの中に白いカットソーを着ていて、真冬だって言うのに襟ぐりに濃いサングラスをかけている。いつものように髪をラフにセットしてあって、左耳には輪っかのようなピアスが三つ光っていた。
そう
どこからどーみてもこいつは
ホスト。
P.4
でも勘違いしてもらっては困る。私はこいつの客じゃない。東京を離れていたのも、大方客の一人と遠征旅行でもしていたのだろう。
「違っ!こいつとは単なる腐れ縁。彼氏とかじゃないから」
と慌てて否定するも秒の単位で噂が回るこの会社で明日の朝には『仁科さんて、ホストに貢いでるらしいよ』とあちこちで言われるに違いない。
くらり、と眩暈が起きた。
腐れ縁、と言うのは間違いない。中学からの同級生だから。
「じゃあ、本命は前田さんですかぁ?」女の子達が興味津々で目を輝かせている。
「前田??ひどいなー、仁科ぁ。俺たち何度もセック……もがっ」
最後の方が言葉にならなかったのは私の手が九条の口を塞いだから。
ふざけんな!何言い出すんだこいつぁ!!
空気読めっつうの!
と言うことを目で訴えると、流石に冗談が過ぎたと思ったのか九条は苦笑い。
「で?行くの?行かないの?」せっかちに聞かれて
「わかったわよ!行くわよ」半ば怒鳴るように九条を睨みつけると、私はそそくさと助手席に回った。
「それじゃ、私はこれで。お先に」女の子たちにはなるべく平静を装って、にこやかに手を振る。
ため息をついて車の助手席を開けると、運転席から九条が笑顔で手を差し伸べてきた。
「ただいま、仁科」
昔とちっとも変わらない笑顔。眉が下がり、目を細める、優しい笑顔。そして時々その低い声で呼ばれる、自分の名前。何だかくすぐったいが、この笑顔を向けられたら、たとえ九条の勝手に振り回されても、赦せてしまう。
「……おかえりなさい」私は俯くと、小さく返事を返した。
P.5
前述した通り私と九条とは中学からの付き合いだ。かれこれ十年以上の付き合いになる。十年、と言う歳月は長く感じられるけれど、その間に音信不通になったり、そしてどこからか連絡先を入手して電話を寄越して来たり、をだらだらと繰り返している。
でも、私たちははっきりと『付き合って』はいない。もちろん九条のブラックジョークの『体の関係』もない。
あるのは中学生から変わらないノリと
私が九条のこと「好き」
と言うことだけ。歳を重ねて、九条がホストになって……あ、今はホストじゃなくホスト店を経営してるオーナー様でもあったかしら。とにかく環境は変わったものの、不変的な何かは確実に存在している。
パワーウィンドウの外をちらほらと雪が降っていた。
「北海道行ってきたんだ~土産に蟹買ってきてやったぞ」と九条は運転しながらどこか楽しそう。
「北海道……ここより雪が多そうね」ぼんやりと呟きながら、九条に気づかれない程度にこっそりと、外気との差で曇った窓ガラスに、人差し指で
『好き』
と書く。
私の書いた文字は私の体で隠れて九条からは見えない。
「蟹すきしようぜ~、お前んちで」
「何であんたを一々上げないといけない?」
言い合いをしながら、やがて私のマンションに着く頃にはみぞれになった大粒の白いものが私の『好き』をかき消す。
「だってお前んち床暖あるじゃん?」
「そんな理由かよ」
中学生から変わってないこの関係とノリ。
今はまだ―――
この関係でいいや。
~FIN~
P.6