『占いの館』にようこそ
「ジプシーって遊牧民のことですよね。彼らはどうやって生計を立てているのですか?」
「物売りが大半だな。彼らは土地と家を持たない代わりにたくさんの地を旅して回っている。
その土地で購入したものを他の地方で売り歩くのだ」
なるほど……放浪人ってところかな。
「もう良いか?他に行こう」
オータムナルさまが焦れたように言って俺の手を軽く引いたが、俺は彼の手を握り返し逆に引いた。
ちょっと力を入れすぎたかな…オータムナルさまがよろめいて俺の方へしなだれかかってきた。
「す、すみませ…!」
「別に良いが。あのテントが気になるのか?」
『はい』と言う意味で頷くと、オータムナルさまは小さく吐息を吐き
「よかろう、今日は祭りだ。お前と楽しむと決めたしな」
オータムナルさまはしぶしぶ、といった感じで付き合ってくれた。
テントに近づくと、それは灰色ではなく、もともと白い地が泥や砂で汚れて灰色に染まっているという感じだった。
テントの入口にアイアン製のランタンが一つ、錆びた鉄の音をぎぃぎぃいわせて吊るされていた。
どこか薄気味悪い雰囲気なのは、ランタンの下にできそこないの不格好なフランス人形がぶら下がっていたからだろうか。
長い髪は黒く、大きなガラス玉の目は一方が黒で一方が灰色をしている。赤い帽子をかぶって黒いワンピースに白いエプロン。
その人形を手に取ってしげしげと眺めていると
「Hey,welcome to divinatory house.( いらっしゃい“占いの館”へようこそ)」
すぐ傍で女の人の声が聞こえて、
「ひ!」
俺は短く声を挙げた。
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何で悲鳴なんかって??
だってこんな暗いテントに意味深なフランス人形とか、出てくるのは絶対醜悪な顔をした魔女と相場が決まっている。
けれど、俺の前に立っていたのは
クラシカルなレースをあしらった黒いワンピース姿、白い肌、黒い髪は細かいカールを描いていて口に赤い口紅を引いた若い女の人だった。
顔立ちは中東のそれとは違って西洋の顔立ち。英国人か、もしくはアメリカ人かも。
しかも結構美人だ。
「あ、あの……」
日本語が通じるのかどうか分からず俺が聞くと
「You said "divinatory", right? Are you trading here?(“占い”と申したな。そなたはここで商いをしているのか)」
オータムナルさまが聞き、女の人はオータムナルさまではなく俺の方を見てにっこり。
「日本語喋れるわよ。どうぞ入って」
テントの入口を開けて促され、俺たちは顔を見合わせた。
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「入って」と言われて「いやいいです」なんて腑抜けに思われるだろう。俺もオータムナルさまも男だからそこんとこのプライドってのがあって、つまり引くに引けない状態だってこと。
恐る恐る入った中は、おどろおどろしい大釜の中でぐつぐつ何かが煮え立っていて、白骨化した骸骨が何個も転がっている……なんてのを想像してたけれど
意外とこざっぱりしていた。大釜も白骨化した骸骨もない。
あるのは日本の…帯??みたいなのを絨毯替わりにしているのか真横に敷いていて、少し背の高い赤いテーブルと椅子のセットがあるだけだった。
生活感はまるでないけれど。
女主人は俺たちを床に座るよう促し、グラスに何かを注ぎ入れ俺たちに勧めてきた。
「ウォッカよ。サービス」
「あ、ありがとうございます。日本語お上手ですね」
ウォッカが入っているであろうグラスを受け取り俺が聞くと
「日本人に知り合いが居たの。もう何十年も前の話だけどね。親友だったわ。
Sofia Yavlinsky(ソフィア・ヤヴリンスキー)よ。よろしく」
英国人かと思っていたけど、名前からするとロシアの人か。
握手を求められて、俺も手を差し出した。
それより早く、まるで俺の手を遮るようにオータムナルさまが彼女と握手をして
「Nice to meet you.」
笑顔で答えたが、その笑顔が……どことなくひきつっていて
表で見た薄気味悪い人形の不気味さよりなにより彼の笑顔の方が怖かった。
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ソフィアさんがオータムナルさまの手を握った瞬間、彼女は目を開いた。
「あなたの身分を言い当てましょうか。街人に身をやつしているけれど、あなたは高貴な血筋のお方。
それもかなり血が濃い……カーティアの直系……一親等の」
嘘!!
当たってるよ!
俺とオータムナルさまは思わず顔を見合わせた。
だけれどすぐにオータムナルさまは彼女から手を離すと
「ばかばかしい」
と吐き捨てた。
「あなたも当てましょうか」彼女は楽しそうに言って俺の手をそっと握った。僅かに目を伏せると黒いマスカラがしっかり乗った睫が上下して
「あなたは“先生”と呼ばれる職業………物を教える―――そうね……教師かしら。
この国には期間限定で派遣された―――」
ソフィアさんは独特のリズムでそう言って、探るように目を上げた。
当たってる―――
再びオータムナルさまと目を合わせると
「当たった?」
ソフィアさんはにっこり。
「ええ……」
これ以上、俺のことを知られたくなくて俺は慌てて手をひっこめた。
「ついでだから、占いしてあげる。あなたたちの今後についての未来予想。今日はお客さんがめっきりだから、占いもサービスよ」
ソフィアさんは俺たちが何か言う前にテーブルにきれいなガラスの水鉢と水晶のようなキラキラしたものを沈めた。
結局、彼女のペースに巻き込まれて俺たちはまたも顔を見合わせるしかなかった。
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占いなんてあんまり信じてないけど、こうゆうのも祭りの一貫としてありかな??
多少気味が悪いけど……と、半分諦め??みたいな感じで椅子に座ろうとすると
「そっちの彼から先に」とソフィアさんはオータムナルさまを目配せ。
「私は占いなど信じぬ」オータムナルさまは頑なだったが
「まぁまぁただだって言うし、やってもらいましょうよ」と俺はオータムナルさまを宥めた。
ここから早く出たい一心も手伝って、俺は彼をせっかちに立たせた。
オータムナルさまはしぶしぶと言った具合でソフィアさんと向き合う。
俺は背後からその様子を窺った。
ソフィアさんは色とりどりのいくつかある水晶のうち、どれか二つをオータムナルさまに選ぶよう命じた。
オータムナルさまはぞんざいな態度で淡いブルーとグリーンのクリスタルを適当に選んだ。
それを水鉢の中に落とし入れるソフィアさん。
彼女は落ちたクリスタルの行方と、そこで生じた水面の波紋を真剣なまなざしでじっと眺めていたが、やがてゆっくりと顔を上げオータムナルさまと向き合った。
「あなたにはたくさんの兄妹が居る」
いきなり言われて俺は目をきょとん。
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いきなり外した??
だってオータムナルさまには妹姫のマリアさましかご兄妹はいらっしゃらない筈。
けれどオータムナルさまはギクリとしたように視線を険しくさせ、やがて
「私には妹一人しかおらぬ」警戒するように、ちょっと顎を引く。
ソフィアさんは笑顔だった表情を拭い去り、真摯な視線をオータムナルさまに向けている。
何だか険悪な雰囲気がイヤで
「ほ、ホントのことですよ。彼には妹さんしか……」俺が言い添えると
「まだ知らないのね。あなたには妹君の他にお姉様とお兄様が一人ずつ居る……」
ソフィアさんは水の中で転がったクリスタルを見つめ、熟れたリンゴのような赤い唇で言葉を紡いだ。
何故リンゴだと思ったのか。
リンゴはアダムとイブが最初に犯した罪。『禁断の果実』だ。
超えてはならない禁域――――
オータムナルさまは……このことについて触れられたくない……と言うか、知られたくなさそうだ。
俺のことを君蝶さんだと間違えた国王様。さらには他のお妃さまがいらっしゃって、その方の子供が居るかも……と推理した沙夜さん。
もし、それが本当なら―――
『秘密』はトロリと甘い蜜の味だ。
アダムとイブが堕ちたように、まるでそのリンゴを差し出されているかのように、俺はソフィアさんの次の言葉に耳を傾けた。
が……
バンっ!
ソフィアさんの言葉を遮って、オータムナルさまはテーブルを強く叩いた。
その音に俺はびっくり。けれどソフィアさんは顔色一つ変えずにオータムナルさまをじっと凝視している。
「……当たってるようね」ソフィアさんは無表情に言って鉢に手を入れてクリスタルを取り出した。今気づいたが、その指には蛇のモチーフを象った指輪がはまっていた。
「まだ言うか。私には兄君など居らぬ!」
オータムナルさまのお言葉に―――
俺は目を瞬いた。
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「あなたなかなか観察眼が鋭いのね。占い師に向いてるわ」
ソフィアさんは険悪な雰囲気を気にせず、俺の方を見て赤い唇ににっこり笑みを浮かべる。
「……え…?俺??」観察眼…??
「だって気づいたでしょう?彼は『兄君など居らぬ』と。
私はお姉さまも居ると言ったのよ?それなのに否定したのはお兄様だけ?
認めたも同然よ」
ソフィアさんはにっこり笑ったまま優雅に頬杖をついて
代わりにオータムナルさまはソフィアさんの方を見ようともせず
「Damn it! (くそっ)」と悪態を飛ばす。
「あの…オー…じゃなかったアシュラフにはお兄さんがいらっしゃるんですか…?」
「紅、お前までくだらない“占い”を信じるのか。こんなのペテンだ。
行くぞ!」
オータムナルさまは勢いよく立ち上がると俺の腕を掴んでテントを出ようとする。
ソフィアさんも引き止めなかった。
「Thank you for visiting our shop.(ありがとうございました)
Look forward to your shopping with us again.(またのご来店お待ちしています)」
「Never ever.(次は無い)」
オータムナルさまが振り返って吐き捨てるように言うと
「No,You are always comes back.(いいえ、必ず来るわ)」
ソフィアさんは意味深ににやり、と笑った。
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テントを出たところで、
「ちょ……ちょっと待ってください!!」
しかしオータムナルさまは俺の意見など聞く耳持たずにどんどん賑やかな祭りの方へと足を向ける。
「せっかく紅と祭を楽しみに来たのに」
「ちょっと待ってください!」
もう一度言ったが
「仕切り直しだ。何か飲もう。ワインがいい」
オータムナルさまは俺の言葉が耳に入ってないのか、俺の手を引いてどんどん進んでいく。
待ってって!!!
俺はオータムナルさまの手を乱暴に振り払った。思えばこんな風に彼のことを拒んだのは初めてだったかもしれない。
「紅………」オータムナルさまは呆然と振り払われた手と俺の手を見比べて切なそうに眉を寄せた。
「俺は……俺は!!
ペテンでも何でもいい!!
あんな言葉で救われるのなら、俺は聞きたい。
ステイシーの行方を!!」
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オータムナルさまが目を開いて俺を見てきて、
しまった……口が滑った。と慌てて口を噤んでも遅い。
「紅……まだ前の恋人が忘れられないと言うのか。
お前を捨てていった女だぞ!
何故お前はそうまでして過去に縋る!」
オータムナルさまの怒鳴り声は賑やかな祭りの喧騒の中でもしっかりと聞こえた。
売り言葉に買い言葉…いけないと思いつつ抱えていた苦いものが一気に喉を通ったのが分かる。
「過去に縋っちゃ悪いのかよ!!
俺には彼女が全てだった!
突然失った消失感があんたに分かるか!
お別れの言葉も、手紙も何もなく突然消えた恋人の行方を知りたいと思うのが普通じゃないか!
じゃないと俺は――――」
前には進めない。
オータムナルさまが
好き
でもその一方で
俺はまだステイシーの影を求めている。
彼女が他の男とよろしくやってるのなら俺も諦めが付く。
幸せになっているのなら、俺だって自分の幸せを考えられる。
でもそうじゃなかったら―――
俺はいつだって足踏みしてるんだよ。
オータムナルさまの胸に素直に飛び込むことを。
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俺がオータムナルさまとまっすぐに対峙していると
「勝手にするがいい」
オータムナルさまは踵を返して賑やかな祭りの方へと歩いていった。
あとに残された俺は―――
「言っちゃったし……行っちゃった」
いっちゃった……
壊れたおもちゃのようにその言葉だけがくるくるくるくる俺の中を不快に回っている。
と、同時に目がしらに熱い何かがこみ上げてきたのが分かった。
目がしらを押さえると、くるくるくるくる、視界が歪んで見えた。
……あれ……
涙のせいかな。おかしいな……眩暈か……?
額を押さえると、いくぶんか楽になって俺は鼻をすすった。
俺が手を離した隙に落っこちちゃったんだろう、白い蛇のぬいぐるみが地面に転がっていることに気づいて
「ごめんな、乱暴に扱って」
俺はぬいぐるみに語り掛け、そっとそれを拾った。
さっき出てきたばかりのテントをふり仰ぎながら、
「行こうか……ステイシーの行方を知りに」
誰に問いかけるわけでもなく一人呟いたその言葉は賑やかな祭りの音楽でかき消された。
俺の手に握った蛇の黒い目が光った―――気がした。
P.268<→次へ>
冬の夜
キミへの気持ちを窓に託しました
たった一言が言えない私は臆病者ですか?
でも今はこれが精一杯
雪に想いを
『次はお天気コーナーです。今日から明日にかけて低気圧が日本の南を発達しながら東北東に進み、明日には日本の東に進む見込みです。
関東甲信地方では今夜から雨が次第に雪に変わり、あす午前中にかけて山沿いを中心に、平野部でも積雪となる所がある見込みです。雪による交通障害、架線や電線、樹木等への着雪、路面の凍結に注意してください』
今朝のワイドショーのお天気キャスターの言葉を思い出したのは、勤めている会社の定時を迎え業務を終えたときだった。
「えー!やだっ!雪降ってるじゃん」と誰からともなく声が挙がり
「ホントだー、私傘持ってきてない」
「どうりで冷えると思った」
と同僚たちが次々と口にする。
またも誰かが「せっかく彼氏に買って貰ったバッグが濡れちゃう」と言い出し、それでもちっとも困った様子ではなく、どこか誇らし気だ。
そしてその周りの女子たちが盛んに羨ましがる。
「いいなー、でもあたし今度のクリスマスにダイヤの指輪ねだっちゃうんだー」と一人の女の子。
「いいなー!」黄色い声に、私は苦笑いを浮かべるしかない。ここでの男の年収と、女の品格は反比例する。いかにいい服を着るか、いかにいいバッグを持つか、いかにいい男を彼氏にするか、年中こんな会話でうんざりする。
かと言って輪に加わらないわけにはいかない。仕事とプライベートの内容こそ比例するのだ。
P.1
「仁科《にしな》さんはいつも素敵な服着てますよね」ふいに一人から話題を振られた。
「えっ、そう?」私は曖昧に笑って言葉を濁した。今日の服装は白いタイトワンピ。腰回りに太いベルトが巻き付いていて、ちょっと豪華に見えるゴールドのバックルがワンポイント。
そして同じくゴールド系のスパンコールが襟元に入ったコートを腕にかけて帰りたいアピール。
シンプルな服装だったけど、流石は目が肥えている女子たち。すぐにそれが高価なものだと見破った。女のチェック程厳しいものはない。私がオシャレをするのは対、男ではなく、彼女たちの為。
「仁科さんてぇ、結婚しないんですかぁ」間延びした話し方が赦されるのはこの年代の特権だ。
「結婚ね……相手がいないから」私は適当にごまかして再び言葉を濁した。
こう言っておけば大抵の女は引き下がる。私が長い間、人付き合いをしてきて、これが最良の方法だと知ったのはつい最近のこと。
私がこの会社に勤めはじめて五年になる。この会社での女性正社員では長いほうだ。後から派遣された若い女の子たちから見れば私なんてお局のようだった。
「そう言えばぁ仁科さん、この前見ちゃったんですぅ」一人の女の子が思わせぶりに口元へ手をやった。
短く切った髪にはパーマがあててあり、傍から見ればマシュマロのように可愛らしい女の子だ。
だが、そんな可愛らしさに惑わされてはいけない。女はいつでも顔の下にしたたかな一面を隠しているのだから。
P.2
「何を?」私は平静を装って取り澄ました。
もしかして“アイツ”と居る所を見られた?と思ってドキリとしたが
「この前の金曜日、青山のイタリアンレストランで、経理の前田さんと一緒にいるところぉ」
ああ、そっちか。とちょっとほっと安堵する。
「ええー!!」周りから黄色い声が飛ぶ。私は思わず頭を押さえたくなった。
そう、確かに経理の前田に誘われて先週の金曜に青山まで行った。
でも食事をしただけで、別に艶かしい関係ではない。だが、ここで重要なのが、経理の前田という男、この会社ではなかなかのハンサムでしかも独身、きさくな性格をしているわりには頼れる上司でもあるのだ。そうゆう男を若い女性社員が放っておくわけがない。
「いいなー、ねえお二人って付き合ってるんですか?」
食事をするイコール男女の関係と、どうして若い子たちはそう短絡的なのだろう。私はこの場から逃げ出したくなった。だけど、この場から立ち去ると認めたことになってしまう。
「別に、ただお食事に誘われただけよ」
「うそー、絶対前田さん仁科さんのこと狙ってるわよぅ。だって、あたしたちがいくら誘っても全然だったのよー。それなのに前田さんは仁科さんのこと」
嫉妬心と羨望の眼差しで見られ、私は思わず後ずさり。
何とか前田との話を切り返し、従業員出入り口から女子の群れに混ざって出てきた所だった。
遠くで派手なエンジン音が聞こえてきて、この狭い路地裏へと近づいてきた。この聞き慣れたエンジン音。私は嫌な予感がして思わず一方通行の標識を見つめた。
「よーう、仁科」黒のポルシェの窓から腕を出し、銜えタバコをしながら九条《くじょう》が手を振っている。
「やっぱり」
私は、今度こそ頭痛をこらえるように頭をしっかりと押さえた。
P.3
「仁科、今終わりか?これから飯でも食わねー?」
この状況を知らずに能天気に笑ってるその整った横っ面に今すぐ張り手を食らわせたい。
「あ、あんたいつ東京に戻ってきたわけ?」私は女の子の群れから一人離れると、九条の車に近づいた。
「あー、悪い。三日ぐらい前かな?この前言ってた日本料理屋行こうぜ」
「あんたっていつも何で急なのよ」
私が声を潜めて九条を睨んでいるときだった。
「えー、仁科さんの彼氏さんですかぁ?かっこいい!」
女の子たちの視線が九条に移った。予想していなかった最悪の事態。
上半身しか見えなかったが、今日の九条は黒いジャケットの中に白いカットソーを着ていて、真冬だって言うのに襟ぐりに濃いサングラスをかけている。いつものように髪をラフにセットしてあって、左耳には輪っかのようなピアスが三つ光っていた。
そう
どこからどーみてもこいつは
ホスト。
P.4
「仁科、今終わりか?これから飯でも食わねー?」
この状況を知らずに能天気に笑ってるその整った横っ面に今すぐ張り手を食らわせたい。
「あ、あんたいつ東京に戻ってきたわけ?」私は女の子の群れから一人離れると、九条の車に近づいた。
「あー、悪い。三日ぐらい前かな?この前言ってた日本料理屋行こうぜ」
「あんたっていつも何で急なのよ」
私が声を潜めて九条を睨んでいるときだった。
「えー、仁科さんの彼氏さんですかぁ?かっこいい!」
女の子たちの視線が九条に移った。予想していなかった最悪の事態。
上半身しか見えなかったが、今日の九条は黒いジャケットの中に白いカットソーを着ていて、真冬だって言うのに襟ぐりに濃いサングラスをかけている。いつものように髪をラフにセットしてあって、左耳には輪っかのようなピアスが三つ光っていた。
そう
どこからどーみてもこいつは
ホスト。
P.4
でも勘違いしてもらっては困る。私はこいつの客じゃない。東京を離れていたのも、大方客の一人と遠征旅行でもしていたのだろう。
「違っ!こいつとは単なる腐れ縁。彼氏とかじゃないから」
と慌てて否定するも秒の単位で噂が回るこの会社で明日の朝には『仁科さんて、ホストに貢いでるらしいよ』とあちこちで言われるに違いない。
くらり、と眩暈が起きた。
腐れ縁、と言うのは間違いない。中学からの同級生だから。
「じゃあ、本命は前田さんですかぁ?」女の子達が興味津々で目を輝かせている。
「前田??ひどいなー、仁科ぁ。俺たち何度もセック……もがっ」
最後の方が言葉にならなかったのは私の手が九条の口を塞いだから。
ふざけんな!何言い出すんだこいつぁ!!
空気読めっつうの!
と言うことを目で訴えると、流石に冗談が過ぎたと思ったのか九条は苦笑い。
「で?行くの?行かないの?」せっかちに聞かれて
「わかったわよ!行くわよ」半ば怒鳴るように九条を睨みつけると、私はそそくさと助手席に回った。
「それじゃ、私はこれで。お先に」女の子たちにはなるべく平静を装って、にこやかに手を振る。
ため息をついて車の助手席を開けると、運転席から九条が笑顔で手を差し伸べてきた。
「ただいま、仁科」
昔とちっとも変わらない笑顔。眉が下がり、目を細める、優しい笑顔。そして時々その低い声で呼ばれる、自分の名前。何だかくすぐったいが、この笑顔を向けられたら、たとえ九条の勝手に振り回されても、赦せてしまう。
「……おかえりなさい」私は俯くと、小さく返事を返した。
P.5
前述した通り私と九条とは中学からの付き合いだ。かれこれ十年以上の付き合いになる。十年、と言う歳月は長く感じられるけれど、その間に音信不通になったり、そしてどこからか連絡先を入手して電話を寄越して来たり、をだらだらと繰り返している。
でも、私たちははっきりと『付き合って』はいない。もちろん九条のブラックジョークの『体の関係』もない。
あるのは中学生から変わらないノリと
私が九条のこと「好き」
と言うことだけ。歳を重ねて、九条がホストになって……あ、今はホストじゃなくホスト店を経営してるオーナー様でもあったかしら。とにかく環境は変わったものの、不変的な何かは確実に存在している。
パワーウィンドウの外をちらほらと雪が降っていた。
「北海道行ってきたんだ~土産に蟹買ってきてやったぞ」と九条は運転しながらどこか楽しそう。
「北海道……ここより雪が多そうね」ぼんやりと呟きながら、九条に気づかれない程度にこっそりと、外気との差で曇った窓ガラスに、人差し指で
『好き』
と書く。
私の書いた文字は私の体で隠れて九条からは見えない。
「蟹すきしようぜ~、お前んちで」
「何であんたを一々上げないといけない?」
言い合いをしながら、やがて私のマンションに着く頃にはみぞれになった大粒の白いものが私の『好き』をかき消す。
「だってお前んち床暖あるじゃん?」
「そんな理由かよ」
中学生から変わってないこの関係とノリ。
今はまだ―――
この関係でいいや。
~FIN~
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