感謝祭のはじまり
その夜、俺はベッドに寝転んでじっと天井を見つめながら秋矢さんのことを考えていた。
酔ってた―――んだよな、きっと……
だってキス……
キスしようとしてたんじゃないの!?あの人!!
男同士なのに!?
落ち着け俺……
秋矢さんはオータムナルさまの側室だ。それに自分(俺)だってオータムナルさまが好きじゃないか。
でも秋矢さんて沙夜さんとデキてるんじゃ……
ぐわっ!!分からん!!
一人悶々と考え込んでいたが、結局答えなんて見つからず。
俺は―――
秋矢さんの涙をはじめて見た。相変わらず顔の表情筋は一切動かず、切れ長の瞳からこぼれた涙がまるで宝石のようだった。
きれいに―――涙を流す人だと思った。
それを見たときびっくりした。何て声を掛けていいのか分からず「何故、泣いてるのですか?」
と、おざなりな言葉になっちゃったけれど、でも秋矢さんは俺の言葉ではじめて自分が泣いていることに気づいたみたいだった。
何て言うか……ねぇ??だって秋矢さんだよ。
あの人に限って悲しいこととか辛いことってないと思ってたから。
なんか、サイボーグみたいな人だもん。でも、秋矢さんも
人間だったんだな。
P.242
涙の理由は分からないけれど、それとは別で秋矢さんて―――お母さんと仲が悪いのかな。
と、思ったのは彼が電話をしているときどことなくぎこちなかったから。
俺は家族が居ないから、母親と呼べる人が居て羨ましい限りだけど、どこの家庭でも何かしら問題を抱えているんだよな~……
国王さまとオータムナルさま、国王さまとマリアさまの関係のように。
まぁ他人の俺がいくら考えたからってどうにかなる問題じゃないし、
俺は大人しく目を閉じると布団をかぶった。
――――
――
次の日、どことなく宮殿内は賑やかだった。いつも白や黒などの単色の制服を見にまとったお手伝いさんたちも、色鮮やかな民族衣装に身を包みどこか楽しげだった。
その理由を沙夜さんに尋ねると
「今日は感謝祭でございますわ」
と。
感謝祭―――……ああ、ここに来たとき秋矢さんが説明してたような。
あれからもう一か月ってことかぁ。
長いようで短い。俺の約束された十二か月の内のひと月。もう十二分の一を過ごしたかと思うとやっぱり時の流れは早い。
「コウさんもお出かけになられます?」
沙夜さんに聞かれて、
「いえ……俺は…」
言いかけてその言葉をしまい込んで、ピン!と思い立った。
P.243
―――
――――
「感謝祭へ?」
オータムナルさまは切れ長の目をぱちぱち。
勉強会のときに、俺はオータムナルさまを誘ってみた。
相変わらず喪の色……黒のネクタイと黒のスーツでオータムナルさまが未だカイルさまのことを引きずっていると思ったから。ほんの気晴らしになれば……と思ったのだ。
確かにカイルさまは残念なことになったけれど、それを軽くとらえずいつまでも胸にとどめている彼は思いやりがあってそこもいいけれど、でも―――
いつまでも不幸を引きずってっちゃダメだ。じゃないと、オータムナルさまもおかしくなっちゃうよ……
「行きましょうよ!悲しいことは今日だけは忘れて思いっきり楽しみましょう?」
「行かぬ。大体皇子の私がSPも付けず市街地に向かったら大変なことになろう」
あ、やっぱり??
はぁ。感謝祭でもダメかぁ……
てか俺が軽率だった。オータムナルさまは皇子さまであらせられるお方だった。今さらそのお立場を忘れるなよなぁ俺も。
「すみません……出過ぎた真似を…」
慌てて謝ろうとすると
「紅意外の人間とは行かぬ、と申したのだ。市街地に向かうのは大変なことだがそのために変装もしよう」
え――――……?嘘!!?行ってくれるの!
「しかも変装!?」
「と言っても大げさなものじゃないが、ようは皇子とバレなければ良い。お前と二人で飲んで踊って、楽しそうじゃないか」
と、オータムナルさまは意外にも楽しそうだ。
俺も―――
よっし!
オータムナルさまとお祭り!!
やった!!
このときバカな俺は浮かれすぎていて、皇子さまを連れ出すことにどんな危険な意味があるのか
分からなかった。
その本当の意味を知るのは
この後。
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オータムナルさまから色よい返事をもらって俺の脳内は行ってもいないのにすでにお祭りモード。
「やった!やったぁ♪」
と、まるで恋する女子中学生並の反応で一人廊下で浮かれてスキップなんてしちゃったり。
しかも勉強の後
「ではこの三時間後にお前の部屋に迎えに行こう」なんて、約束もしてくれたし♪
しかも
「私が感謝祭に出向くのは極秘だ。誰にも言うなよ?」
「秋矢さんにも?」
「トオルにもだ。
私とお前の秘密だ」
オータムナルさまは細くてきれいな指先を俺の唇に当て悪戯っぽくウィンクして内緒話をするように「しー」
俺たちだけの秘密……
いけないことを共有しているのに、何だかそれがひどく嬉しいんだ。
たったこんなことで浮かれすぎてる自分が傍から見たら相当イタいが、
気にしない。
だってここは日本を離れた遠い国だもん。
ステイシー以来だ。熱いようなくすぐったいような甘いようなこんな気持ちを抱く相手と出会えたことは。
オータムナルさまとお祭り!うっしゃ!!気合い入れてオシャレしていこう!!
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けどオシャレっていってもなぁ、俺ワードローブ少ないし……オシャレにも限度がある……と悩んでいると
「さっきから何百面相しているのですか、ミスター来栖」
ぬっと背後から現れた秋矢さんにドキんこ!!
だ、だって足音も何もしなかったもん。
「あ、秋矢さん!」
やばっ!!さっきのスキップ見られたかなー…
秋矢さんは昨夜のあの複雑な表情から一変、相変わらず飄々とした態度だった。
しかも
「皇子と感謝祭に行かれるんですってね」
さ、早速バレてるし!!
「何で感謝祭に行くこと知ってるんですか。極秘な筈なのに」
俺は声をひそめて秋矢さんを見上げた。
「だってあなた、さっきそれはそれは楽しそうにスキップしていましたから」
やっぱ見られてた……恥ずかしい!!
しかし、秋矢さんに知られたとなると猛反発を受けるに違いない。
「……やっぱ行っちゃダメ……ですよねぇ」
俺が上目づかいでおずおずと聞くと、秋矢さんは相変わらず冷めた目線で腕を組んだ。
「聞かなかったことにしておきますよ」
え……それって……?
「行っていいんですか!?」
「皇子はカイル様の件以来、塞ぎがちでした。ちょうどいい息抜きになるかと。
ミスター来栖の衣装は私が整えてさしあげましょう」
「いや、いいです」
と、丁重にお断りしたかったが、俺あんまり服とか持ってないし、癪だけどたまには秋矢さんを頼るのもいいかも。
何せこの人かっこいい上、つま先から頭のてっぺんまでセンス抜群と言う厭味ったらしい人だからな。
しかも秋矢さん公認だから、なんだか気が軽くなった。
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用意されたのは―――……
黒色のトーブ……(アラブ民族の男の人たちが着ているワンピースみたいなものを想像してもらえばいいと思います)と深緑とからし色、そして鮮やかな赤色を織り交ぜたタータンチェックのガトラというスカーフみたいな被り物、そしてそれを飾るのは黒い輪っかのアガール。
「え!これを!!?」
秋矢さんから用意された衣装一式を受け取って俺は目を丸めた。
確かにこれは“衣装”に違いないけど。
「これっ!着るんですか!!」
思わず秋矢さんを見上げると
「お気に召されませんでしたか?最上級の絹糸を織って作らせた衣装ですが。皇子が数週間前に仕立てられたものです。生地に一目ぼれされたようです」
と秋矢さんはちょっと苦笑。
最上級……確かに肌触りは抜群にいい。
「毎年感謝祭に参加する大半の人間はイスラム教徒です。その男性のほとんどがそのトーブという衣装を身にまとって参加します。
ただでさえ異国人は目立ちますので、そちらの衣装の方がよろしいかと」
なるほど、あんまり目立ちたくない俺にはちょうどいいのかもしれない。しかもオータムナルさまが俺のために作ってくれたし。
俺は秋矢さんの申し出を素直に受け入れることにした。
「お着替えをお手伝いいたしましょう。丈直しも必要ですし」
と言って秋矢さんは俺の部屋までついてきた。
丈直しは自分でやれないけど……
でも!
「着替えは自分でできますぅ!!」
俺は「子供じゃあるまいし」という意味でい゛ーと歯を剥き出して秋矢さんに反対。
秋矢さんは「やれやれ」といった感じで、天蓋付のベッドのカーテンを下ろし、俺をその中へと促した。
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カーテンを下ろすと、ちょっとした個室みたいになる。
俺はベッドの上に預かった衣装を並べ、ワイシャツに手を掛けた。
ボタンを一つ二つ外したところで、薄いカーテンの向こう側、うっすらと映る秋矢さんのシルエットを見て慌てて背を向けた。
カーテン越しとは言え…何となくこの人の前で着替えるのは気恥ずかしい。
昨日キスされそうになったからか??
昨日の秋矢さん―――いつもの冗談じゃなくて、真剣そうだった。
まぁ酔っぱらって俺を沙夜さんと間違えたのだろう。
考え事をしながら着替えをしていたからだろうか、
「まだお済みではないのですか」
秋矢さんがじれったそうに言って、いつの間にかカーテンを持ち上げて中に入ってきていた。
すぐ背後に秋矢さんが居てびっくりして飛び上がりそうになる。
ちょうど俺の肩からワイシャツが滑り落ちるところで、俺は慌てて引き上げると前を合わせた。
「お着替え、お手伝いしましょうか」
秋矢さんは意地悪そうに聞いてきて、俺のワイシャツの襟首をちょっとつまむ。
「い、いえ結構です!」
俺の声はみっともなくひっくり返った。
「あはは。ミスター来栖首まで真っ赤ですよ。可愛いですね」と秋矢さんはいつもの調子で明るく笑い、
ま、またからかわれてる!!
「もう!!いい加減にしてください!!着替えるので出て行ってください」
俺が秋矢さんをカーテンの向こう側に押しやると、
「いつも言ってるじゃないですか。冗談なんかじゃないって―――ね」
秋矢さんは昨夜の真剣な物言いで、その低い声と共に、カーテンがちらりと揺れた。
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俺が振り向くと、ふわり
カーテンが大きく揺れ、ほんのわずか透ける素材の薄いカーテンの向こう側から秋矢さんの手が伸びてきた。
そのままカーテンごと俺を包むように後ろから抱きしめられる。
ドキリ
心臓が大きく跳ねた。
「あき……」
「最初に言っておきます。冗談じゃないですよ」
抱きしめられて耳元でそっと囁かれ、俺の背筋が僅かに粟立った。
さらり
秋矢さんは俺の襟足をそっと撫で、
「このカーテン、まるで上質なガトラのようだ。あなたは派手な色合いよりも清純な白の方がお似合いですよ。それかウェディングベールの方がよろしいかな」
またも低く囁いた。
ウェディングベール……?またからかわれてる。
「その台詞、沙夜さんに言ってあげてください。秋矢さんが今俺に言ってる言葉が冗談じゃなければ、沙夜さんのことはどうなんですか。
秋矢さんて気が多いタイプ?」
嫌味たっぷりに言い返してやると
「沙夜姫様―――……?」と秋矢さんは今さらながら空とぼけた。
シラを切るつもりかよ。俺は見たんだからな!
「秋矢さんと沙夜さんてどんな関係なんですか」
知っていてわざと聞くと
「見たままの関係ですが」と秋矢さんはさらりとかわす。
む゛ーーー!!
秋矢さんは俺よりも一枚も二枚も……いや百枚ぐらい上手(うわて)だ。
「とにかく離してください!じゃないと着替えができない」
苛立ちを隠せないまま、うわずった声で言うと秋矢さんはあっさりと俺を離してくれた。
「どうぞ、お着替えください」
何なんだよ、もう!!
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なんなんだ…
何なんだ。
何なんだ!!!!
俺はずっと同じフレーズを頭に描いてひたすらに着替えに没頭した。
五分にも満たない時間で着ていた服を脱ぎ、用意された衣装に着替える。
だけど
オータムナルさま……俺の身長見誤ったな……
と言うもの、トーブの裾は引きずるぐらい長かったから。
このまま出て行くのも癪だったけれど、お直ししてもらわないと歩くこともできない。
こないだの花魁……歌舞伎の女形??どっちでもいいや、お引きずりの着物とわけが違うし。
カーテンをめくると秋矢さんが待ち構えていたように腕を組んで柱にもたれかかっていた。
く……どんな格好しててもかっこいいんだからこの人は……
そんな秋矢さんが俺を見ると、彼は目を見開いてまばたき。
「ああ、白が似合うかと思っていましたがお若いあなたには黒とその色鮮やかなガトラの組み合わせもモダンでよろしいですね。
良くお似合いです」
秋矢さんは素直に褒めてくれて、俺はう゛ーん、と口の中で唸った。
本当に似合ってるのか、それともまたまた冗談か……
「少し裾が長いようですね。お直ししましょう」
秋矢さんは待ち針を二本口に咥え、一本を裾へと差し込んだ。
「秋矢さんがやってくれるんですか。お手伝いさんは…」
「生憎ですが使用人のほとんどが感謝祭に出向いています。今日ばかりは仕事を休んで各々楽しんでよろしいのです。ですのでお直しは私が」
へー……
「アメリカのクリスマスみたいな感じですか?」
俺が聞くと
「クリスマスはもっと盛大です。皇子がカトリックなので」
ほー…なるほど。
「クリスマスも楽しみにしていてください」
そう言われてクリスマス―――秋矢さん…日本に帰るようなことを言ってたような―――
故郷に帰る―――か…
羨ましいようなそうじゃないような……
何だか複雑な気分だ。
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それから二十分ほどで裾のお直しが終わった。
縫い目を見るとそれはそれは均等できれいなものだった。
秋矢さんて仕立て屋さんにもなれるんじゃない??
こうまで何でもやっちゃう人、羨ましい通り越していっそ憎らしいよ。
同じ男なのになー……とほほ。
秋矢さんは裾直しを終えて、でもそれ以上は本当に何もするつもりはないらしく
「では私はこれで」
とぺこりと一礼して部屋を出て行こうとする。
その秋矢さんを俺は引き止めた。
「あの!」
「何か?」
秋矢さんが顔だけを振り向かせて相変わらずそっけない物言いで聞いていた。
「秋矢さんは……感謝祭行かれないのですか?」
「行きません。私は一人で部屋で読書をします」
と、あっさりきっぱり。
「さ、沙夜さんとか誘えばいいのに……あ、マリアさまも退屈しておられるかも?」
俺はあの二人のどっちの味方でもないけれど、秋矢さんがどっちかとちゃんとくっついてくれたらもう俺にちょっかい出されないかも、なんて思うのと
俺だけ浮かれてオータムナルさまとお祭り、と言うことが何となく後ろめたかったのがあった。
何せ秋矢さんはオータムナルさまお気に入りの側室だし??
抜け駆けみたいで何となく嫌だった。
「もしよろしければ三人で一緒に…」
と勝手に秋矢さんを誘っちゃったが
「いいえ、私は読書をします。彼女たちも騒がしいところはどうも苦手なようです。マリア様はピアノのお稽古、沙夜姫様はキッチンにいらっしゃいますが、それぞれその状況を楽しんでおられるようですよ」
と、またもあっさり。
そーなの……?
俺の気持ちを読んだのか、
「私のことはお気になさらず。皇子と楽しんできてください。
行ってらっしゃいませ、ミスター来栖」
秋矢さんは体ごと俺に向かい直り、無表情で言って恭しく腰を折って挨拶をした。
秋矢さんが出て行く間際、彼の口が意味深そうにつり上がり
「どうぞお気をつけて」
と言う台詞が出てきたが、俺は「どうも…」と返しただけだった。
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きっちり約束の時間にオータムナルさまは俺を迎えに来た。
「紅、準備は整ったか」
「あ、はい!」
と返事はしたものの、この恰好が何となく気恥ずかしくて、俺は下ろしたままのベッドのカーテンにくるまったまま入ってこられたオータムナルさまを見た。
見て……
俺は……
ブーーーー!!
思わず鼻血を吹き出しそうになった。
それぐらい、彼は美しく立派だった。
白いトーブは詰襟部分から裾に掛けて金色の豪華な刺繍が施してあり、同じく白いガトラの中からちらりと覗いた形の良い片耳には、金座にターコイズとサファイヤをあしらったキラキラした長いピアスをぶら下げている。
その白い色が、その淡いコントラストを描くブルーが、まるで権力を指し示すかのような立派な金の刺繍が
どの色も彼の褐色の肌に映えて、まるで紅茶に混ざるミルクのように自然だ。
そのどの衣装も小物も、オータムナルさまが付けるためだけに生まれてきたような、そんな感じでどれもすごく彼の雰囲気に似合っている。
てか……
「全然変装になってませんよね!!それじゃ皇子だとバレバレじゃないですか!」
カーテンにくるまりながら指さすと
「?そうか?今までメディアで顔出しNGにしてきたから、よっぽど悪目立ちしなければ大丈夫だと思ったが」
顔出しNGってどこのアーティストだよ!!
てか、よくその言葉を知っていたな。秋矢さんだな、こんな変な日本語教える人は。
悪目立ち……と言うか、全然悪くないけど、その美貌は思いっきり目立っちゃうじゃん!!
「それはそうと……お前、何故そんなところに居る。出てこぬか。じゃないと祭りにも行けぬ」
オータムナルさまは短気そうに言ってふんと鼻息を吐く。
…出て行って早くお祭り行きたいけど……でも
彼の恰好がまぶしくて彼が美し過ぎて、俺なんて隣に並んじゃいけない気がした。
けれど
「早くこぬか。私は知っての通り気が短い」
ぐい
オータムナルさまに引っ張られてカーテンから出ると、彼は目を開いた。
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「何と………
美しい」
は?
オータムナルさまは俺の姿をつま先から頭のてっぺんまでじろじろ。
無遠慮な視線に身を縮こませていると、
「やはりその鮮やかな色合いのガトラはお前に良く合っているな。黒のトーブも着こなしが難しいが、お前はさらりと着こなした。
何と見たて甲斐のある男よ」
オータムナルさまはそれはそれは満足そうににっこり。
これは……似合っているってことかな??
オータムナルさまはちらり
ベッドを横目で見つめて、俺の顎をくいと持ち上げる。
「知っているか?
男が相手に服を送るとき、その者の服を脱がしたい―――と意味合いを持っていると」
え――――……?それって……俺の服を―――脱がしたいってこと……
急激に顔が熱くなっていってそれを気づかれたくなくて、持ち上げられたままの顎を慌ててぶんぶん横に振ると
「ふっ。可愛いな紅は。こんなことで真っ赤になって」
やっぱりバレた……
「まぁそれはあとのお楽しみにとっておこう。
それより今日はお前と一緒に祭を楽しもう」
オータムナルさまは俺の手を引き、俺の意思を無視してスタスタ歩きだした。
P.253
宮殿からハイヤーに乗って二十分。
祭りの賑やかさが目立ってきた。
それまでは家々の電飾が施されたり、仮装した人々が立ち話をしていたり、と言うひっそりとしたものだったが
市街地の中心部はさすがに賑わっている。
赤、青、黄、緑、その他にピンクや紫と言ったカラフルな電飾を施された屋台があちこちで輝いていて、そこから威勢の良い掛け声が聞こえてくる。見たことのない食べ物がたくさん屋台で売られていて、良い香りが辺りに充満していた。
その背後に立派な茶畑が広がっていて、一番最初ここに来たとき目にした光景を思い出す。
メインストリートとは言え、どこにでもある街だと思っていたのに、今はがらりと風貌を変えていてちょっとしたテーマパークのようだ。
アメリカのHalloweenを明るくした感じを想像してもらえばいい。
秋矢さんは大半の人が民族衣装を着ている、と言ったが別にそうでもない。紳士淑女よろしくタキシードやドレスに身を包んだ人々も居れば、アニメのコスプレをした人も居る。
なるほど、これだったらオータムナルさまが目立つことも……でもそれはやっぱりあるな。
いくら顔出しNGだったって言ってもやっぱ俺はハラハラドキドキ。
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オータムナルさまはマイペースで
「紅、ズールビヤー(甘めの揚げ菓子)が売っているぞ。お前は食べたことがないだろう。
美味だぞ」
と言っては買ってきて、
「カレーはどうだ?ラムミルクティーもあるぞ!」
とあちこちではしゃいだ声を挙げている。いつも実際の年齢より大人っぽいお人だけど、今日はまるで子供のように可愛い。
何より、オータムナルさまが楽しそうで良かった。
……が
オータムナルさまは俺の手にどっさりと貢物を渡してきて、俺の両手はすぐにパンパン。
「オータムナルさま、こんなに食べれないですよ」とちょっと苦笑すると
「し」
彼は俺の唇に指を当て、
「その名は今日は禁止だ」
あ……そーだった……
「じゃぁ何て呼べば?」
「私のミドルネームがアシュラフ・ウルワ・ヤズィード・バシールだ。アシュラフでどうだ?」
「わ、分かりました!今日はアシュラフ皇子……じゃなくてアシュラフさま……」
「“さま”はいらぬ。アシュラフと呼び捨てろ」
へ!?そ、そんな恐れ多くも皇子さまを呼び捨てなんて!!
「む、無理ですぅ」
と懇願すると
「無理などと申すな。これは命令だ」
そんな~……
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オータムナルさま……もといアシュラフとその後もきらびやかな屋台の間を行ったり来たり。
おいしい食べ物を食べたり、射的ゲームみたいなもので遊んだり。
「……ああ!また外した!」
俺がゴム弾の詰まった猟銃を手に、がっくりとうなだれていると
「あのぬいぐるみが欲しいのか」
オータムナルさまは白い蛇のぬいぐるみを指さし。ぬいぐるみだから、全然怖くないしむしろ黒い真ん丸の目が愛嬌があって可愛い。
射的のカウンターから景品の陳列されている棚まで5メートルほど。その5メートルでさえ、俺は当てられない。
俺の放ったゴム弾は蛇の隣を見事に外してくれた。
「マリアさまのお土産に。未だエリーを見つけられてない罪滅ぼしでもありますが……」
最後の方は声がちっちゃくなったが、オータムナルさまにはしっかり聞こえていたようで
「エリーは気まぐれな女だ。気にするな」
気まぐれな……エリーはメスか………
そんな的外れなことを考えていると、
「よし、私がお前に取ってやろう。こう見えても狩りは得意だ」
オータムナルさまは猟銃を構えた。
その構えは『得意だ』と豪語するだけのことがある。様になっていた。
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両手で猟銃を構え、銃口を蛇へと向けるとオータムナルさまの切れ長の瞳が一層険しくなった。標的を狙っている目は真剣で
どこか中世的だったお顔を“男”のそれへと変化させたていた。
本来男は“狩る”生き物なのだ―――
俺も“狩る”側なのに。
その“男”の部分にどうしようもなく惹かれる俺―――
顔が赤くなるのが分かって、俺はわざと咳払いをすると照れ隠しに
「狩りって何を狩るんですか?」
まさか男じゃないよな……と心の中でツッコむも
「鷹やうさぎだ」
と意外にまともな答えが帰ってきた。
「しかし私は殺生は好まぬ。狩るときは麻酔弾を使う」
オータムナルさまはやっぱりお優しい。
俺は―――と言うと、やっぱり銃口の先そっちのけでオータムナルさまの横顔に見惚れていると
パン
小さな破裂音が聞こえて、慌てて景品が陳列されている棚を見ると、見事に白い蛇は後ろにひっくり返っていた。
「うそ!!一発で!!凄い凄い!!オータ……じゃなくてアシュラフ!!」
俺は両手を叩いてぴょんぴょん飛び跳ねると、
「お前は子うさぎのように可愛いな。どうだ?今度私と狩りに出かけぬか?」
と頭をそっと撫でられ……
狩り……俺を子うさぎと例えたオータムナルさまに違った意味で狩られそうだけど、でも行ってみたい。
狩りは自信がないけど、でもオータムナルさまと一緒だったらたとえゴミ処理場でさえ楽しめるだろう。
P.257
こうして俺は白い蛇をGET☆
「やった♪マリアさま喜んでくださるかな~」
蛇を宙に掲げると
「マリアになんてくれてやるな。それはお前にやったものだ」
蛇を取り上げ、改めて俺の胸に押し付けるオータムナルさま。
「いえ……俺、ぬいぐるみは……男ですし」
丁重にお断りしたが
「アスクレピオスと言って白い蛇は神の使いだ。縁起が良い。私が不在のときあらゆる厄災からお前を守ってくれるだろう」
このぬいぐるみがぁ??
アス…??ま、まぁ縁起物ってことだよな。
「じゃぁありがたく」
俺は白蛇をぎゅっと抱きしめた。はじめてオータムナルさまからもらったものだ。マリアさまには申し訳ないが大切にしよう。
そう考えていると、全体的に華やかだった屋台の奥でひっそりと隠れるように張ったテントが目に入った。
どことなく陰気な感じがするのは、この華やかな場に場違いなほど暗く地味な造りだったからだろうか。
テントはくすんだ灰色をしていて、黒い大きな馬が一匹繋がれていた。その馬の脚も泥で薄汚れている。
何故だか気になった。
思わず立ち止まってそのテントを見やっていると
「どうした?珍しいものでも発見したか?」とオータムナルさまも立ち止まった。
「いえ……あれ…」
俺がテントの方を指さすと
「ああ、ジプシーだろう。普段は地方を回って生活しているが、祭りの日は彼らもここに集まる。
物売りなんかが多い、人が集まるからな」
ジプシー……
秋矢さんが言ってた……でも何となく―――想像してたのと違う。
P.258<→次へ>
冬の夜
キミへの気持ちを窓に託しました
たった一言が言えない私は臆病者ですか?
でも今はこれが精一杯
雪に想いを
『次はお天気コーナーです。今日から明日にかけて低気圧が日本の南を発達しながら東北東に進み、明日には日本の東に進む見込みです。
関東甲信地方では今夜から雨が次第に雪に変わり、あす午前中にかけて山沿いを中心に、平野部でも積雪となる所がある見込みです。雪による交通障害、架線や電線、樹木等への着雪、路面の凍結に注意してください』
今朝のワイドショーのお天気キャスターの言葉を思い出したのは、勤めている会社の定時を迎え業務を終えたときだった。
「えー!やだっ!雪降ってるじゃん」と誰からともなく声が挙がり
「ホントだー、私傘持ってきてない」
「どうりで冷えると思った」
と同僚たちが次々と口にする。
またも誰かが「せっかく彼氏に買って貰ったバッグが濡れちゃう」と言い出し、それでもちっとも困った様子ではなく、どこか誇らし気だ。
そしてその周りの女子たちが盛んに羨ましがる。
「いいなー、でもあたし今度のクリスマスにダイヤの指輪ねだっちゃうんだー」と一人の女の子。
「いいなー!」黄色い声に、私は苦笑いを浮かべるしかない。ここでの男の年収と、女の品格は反比例する。いかにいい服を着るか、いかにいいバッグを持つか、いかにいい男を彼氏にするか、年中こんな会話でうんざりする。
かと言って輪に加わらないわけにはいかない。仕事とプライベートの内容こそ比例するのだ。
P.1
「仁科《にしな》さんはいつも素敵な服着てますよね」ふいに一人から話題を振られた。
「えっ、そう?」私は曖昧に笑って言葉を濁した。今日の服装は白いタイトワンピ。腰回りに太いベルトが巻き付いていて、ちょっと豪華に見えるゴールドのバックルがワンポイント。
そして同じくゴールド系のスパンコールが襟元に入ったコートを腕にかけて帰りたいアピール。
シンプルな服装だったけど、流石は目が肥えている女子たち。すぐにそれが高価なものだと見破った。女のチェック程厳しいものはない。私がオシャレをするのは対、男ではなく、彼女たちの為。
「仁科さんてぇ、結婚しないんですかぁ」間延びした話し方が赦されるのはこの年代の特権だ。
「結婚ね……相手がいないから」私は適当にごまかして再び言葉を濁した。
こう言っておけば大抵の女は引き下がる。私が長い間、人付き合いをしてきて、これが最良の方法だと知ったのはつい最近のこと。
私がこの会社に勤めはじめて五年になる。この会社での女性正社員では長いほうだ。後から派遣された若い女の子たちから見れば私なんてお局のようだった。
「そう言えばぁ仁科さん、この前見ちゃったんですぅ」一人の女の子が思わせぶりに口元へ手をやった。
短く切った髪にはパーマがあててあり、傍から見ればマシュマロのように可愛らしい女の子だ。
だが、そんな可愛らしさに惑わされてはいけない。女はいつでも顔の下にしたたかな一面を隠しているのだから。
P.2
「何を?」私は平静を装って取り澄ました。
もしかして“アイツ”と居る所を見られた?と思ってドキリとしたが
「この前の金曜日、青山のイタリアンレストランで、経理の前田さんと一緒にいるところぉ」
ああ、そっちか。とちょっとほっと安堵する。
「ええー!!」周りから黄色い声が飛ぶ。私は思わず頭を押さえたくなった。
そう、確かに経理の前田に誘われて先週の金曜に青山まで行った。
でも食事をしただけで、別に艶かしい関係ではない。だが、ここで重要なのが、経理の前田という男、この会社ではなかなかのハンサムでしかも独身、きさくな性格をしているわりには頼れる上司でもあるのだ。そうゆう男を若い女性社員が放っておくわけがない。
「いいなー、ねえお二人って付き合ってるんですか?」
食事をするイコール男女の関係と、どうして若い子たちはそう短絡的なのだろう。私はこの場から逃げ出したくなった。だけど、この場から立ち去ると認めたことになってしまう。
「別に、ただお食事に誘われただけよ」
「うそー、絶対前田さん仁科さんのこと狙ってるわよぅ。だって、あたしたちがいくら誘っても全然だったのよー。それなのに前田さんは仁科さんのこと」
嫉妬心と羨望の眼差しで見られ、私は思わず後ずさり。
何とか前田との話を切り返し、従業員出入り口から女子の群れに混ざって出てきた所だった。
遠くで派手なエンジン音が聞こえてきて、この狭い路地裏へと近づいてきた。この聞き慣れたエンジン音。私は嫌な予感がして思わず一方通行の標識を見つめた。
「よーう、仁科」黒のポルシェの窓から腕を出し、銜えタバコをしながら九条《くじょう》が手を振っている。
「やっぱり」
私は、今度こそ頭痛をこらえるように頭をしっかりと押さえた。
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「仁科、今終わりか?これから飯でも食わねー?」
この状況を知らずに能天気に笑ってるその整った横っ面に今すぐ張り手を食らわせたい。
「あ、あんたいつ東京に戻ってきたわけ?」私は女の子の群れから一人離れると、九条の車に近づいた。
「あー、悪い。三日ぐらい前かな?この前言ってた日本料理屋行こうぜ」
「あんたっていつも何で急なのよ」
私が声を潜めて九条を睨んでいるときだった。
「えー、仁科さんの彼氏さんですかぁ?かっこいい!」
女の子たちの視線が九条に移った。予想していなかった最悪の事態。
上半身しか見えなかったが、今日の九条は黒いジャケットの中に白いカットソーを着ていて、真冬だって言うのに襟ぐりに濃いサングラスをかけている。いつものように髪をラフにセットしてあって、左耳には輪っかのようなピアスが三つ光っていた。
そう
どこからどーみてもこいつは
ホスト。
P.4
「仁科、今終わりか?これから飯でも食わねー?」
この状況を知らずに能天気に笑ってるその整った横っ面に今すぐ張り手を食らわせたい。
「あ、あんたいつ東京に戻ってきたわけ?」私は女の子の群れから一人離れると、九条の車に近づいた。
「あー、悪い。三日ぐらい前かな?この前言ってた日本料理屋行こうぜ」
「あんたっていつも何で急なのよ」
私が声を潜めて九条を睨んでいるときだった。
「えー、仁科さんの彼氏さんですかぁ?かっこいい!」
女の子たちの視線が九条に移った。予想していなかった最悪の事態。
上半身しか見えなかったが、今日の九条は黒いジャケットの中に白いカットソーを着ていて、真冬だって言うのに襟ぐりに濃いサングラスをかけている。いつものように髪をラフにセットしてあって、左耳には輪っかのようなピアスが三つ光っていた。
そう
どこからどーみてもこいつは
ホスト。
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でも勘違いしてもらっては困る。私はこいつの客じゃない。東京を離れていたのも、大方客の一人と遠征旅行でもしていたのだろう。
「違っ!こいつとは単なる腐れ縁。彼氏とかじゃないから」
と慌てて否定するも秒の単位で噂が回るこの会社で明日の朝には『仁科さんて、ホストに貢いでるらしいよ』とあちこちで言われるに違いない。
くらり、と眩暈が起きた。
腐れ縁、と言うのは間違いない。中学からの同級生だから。
「じゃあ、本命は前田さんですかぁ?」女の子達が興味津々で目を輝かせている。
「前田??ひどいなー、仁科ぁ。俺たち何度もセック……もがっ」
最後の方が言葉にならなかったのは私の手が九条の口を塞いだから。
ふざけんな!何言い出すんだこいつぁ!!
空気読めっつうの!
と言うことを目で訴えると、流石に冗談が過ぎたと思ったのか九条は苦笑い。
「で?行くの?行かないの?」せっかちに聞かれて
「わかったわよ!行くわよ」半ば怒鳴るように九条を睨みつけると、私はそそくさと助手席に回った。
「それじゃ、私はこれで。お先に」女の子たちにはなるべく平静を装って、にこやかに手を振る。
ため息をついて車の助手席を開けると、運転席から九条が笑顔で手を差し伸べてきた。
「ただいま、仁科」
昔とちっとも変わらない笑顔。眉が下がり、目を細める、優しい笑顔。そして時々その低い声で呼ばれる、自分の名前。何だかくすぐったいが、この笑顔を向けられたら、たとえ九条の勝手に振り回されても、赦せてしまう。
「……おかえりなさい」私は俯くと、小さく返事を返した。
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前述した通り私と九条とは中学からの付き合いだ。かれこれ十年以上の付き合いになる。十年、と言う歳月は長く感じられるけれど、その間に音信不通になったり、そしてどこからか連絡先を入手して電話を寄越して来たり、をだらだらと繰り返している。
でも、私たちははっきりと『付き合って』はいない。もちろん九条のブラックジョークの『体の関係』もない。
あるのは中学生から変わらないノリと
私が九条のこと「好き」
と言うことだけ。歳を重ねて、九条がホストになって……あ、今はホストじゃなくホスト店を経営してるオーナー様でもあったかしら。とにかく環境は変わったものの、不変的な何かは確実に存在している。
パワーウィンドウの外をちらほらと雪が降っていた。
「北海道行ってきたんだ~土産に蟹買ってきてやったぞ」と九条は運転しながらどこか楽しそう。
「北海道……ここより雪が多そうね」ぼんやりと呟きながら、九条に気づかれない程度にこっそりと、外気との差で曇った窓ガラスに、人差し指で
『好き』
と書く。
私の書いた文字は私の体で隠れて九条からは見えない。
「蟹すきしようぜ~、お前んちで」
「何であんたを一々上げないといけない?」
言い合いをしながら、やがて私のマンションに着く頃にはみぞれになった大粒の白いものが私の『好き』をかき消す。
「だってお前んち床暖あるじゃん?」
「そんな理由かよ」
中学生から変わってないこの関係とノリ。
今はまだ―――
この関係でいいや。
~FIN~
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