LadyBlackSwan
女の人はサーベルのようなものを持ち、手綱を目一杯引き、興奮した馬をいさめている。
馬は興奮しているのだろうか、前足を高らかに挙げ大きな鳴き声を上げた。
馬の脚に着いた灰色の泥。それはこのテントに繋がっていた馬だと言うことに気づく。
椅子を振りあげようとしていた男も彼女の姿に一瞬気を奪われたようだ。
「Who is you!(お前!何者だ!!)」
男たちが怒鳴り声を挙げ
女の人は馬の手綱を引き
「Lady Blackswan」
と低く答えた。
大きく開いた胸元の黒いビスチェ風のドレス、裾はふわふわしたチュール素材で顔の目の部分に大きなベネチアンのアイマスク(仮面)を付けている。
なるほど……黒鳥をイメージしてあるのだな。
レディブラックスワンはサーベルを一振り。その華奢な細腕からは想像もつかない一振りで、風を斬る音が聞こえた。
「Sooner begun, sooner done!(誰だか知らないが、やっちまおうぜ!)」
怪我をしたオータムナルさまより彼女の方が危険だと察知したのか男たちは
三人がかりでその彼女に飛びかかった。
「危ない!」俺が叫ぶと同時にレディブラックスワンは
素早い動作で男たちをサーベルで一突き。もちろん急所は外している。
馬から飛び上がると、向かってくる一人のみぞおちに強烈とも呼べる膝蹴りを一発。素早い動作で最後の一人を今度は回し蹴りで応戦して
「What's she like?(……何だこの女は!)」
男たちは撃たれた場所を押さえながらうめき声を挙げ、恐れ慄いてみっともなく逃げて行った。
彼女の動きは一寸の乱れもない鮮やかなものだった。まるでアクション映画のスタントマンのような。
けど
な……何が何だか分からないけれど、助かった……?
敵か味方か―――分からないけれど。
彼女は俺の方を一瞥して
「あなた…違うの?」
と一言。
え――――日本語……?
俺が目をまばたいていると、彼女は失言をしたと思ったのだろうか、慌てて口を噤むと再び軽やかに馬に飛び乗り、
「Hi!」
馬の尻を叩いて、テントを飛び出して行った。
P.278
その白く華奢な背中の肩甲骨に三日月のタトゥーが彫られていて
‟太陽と
―――――月――――?”
「待っ…!」
俺が追いかけようとすると、オータムナルさまがそれを遮った。
「追うな!紅!」
ぎゅっと抱きしめられ、その腕から赤い血が流れて手首まで滴り落ちているのを見て、俺も追うのをやめた。
それより何よりオータムナルさまのお怪我の方が心配だ。
俺はそっと太ももの内側を撫でさするようにそこに手を置いた。その場所には太陽のモチーフのタトゥーが彫られている。
太陽と月―――
奇跡は
起こった。
―――ソフィアさんの予言は当たったのだ。
結局俺たちは最後まで祭りを楽しむことができず、そのまま宮殿に帰ることになった。
ハイヤーの中で俺はオータムナルさまの腕を止血するため、自分のトーブの先を引き裂いて巻き付けたが
オータムナルさまは苦笑を浮かべて
「大した怪我じゃない。それよりもお前が無事で良かった。
薬を盛られた、とお前は言っていたが、大丈夫か?頭痛や吐き気は?」
そう聞かれて、さっきと比べてそれらが和らいでいるのが分かった。
まるで堕ちるように意識が朦朧としていたのに、今ははっきりと物事を考えられる。
盛られた薬が何なのか分からなかったが即行性はあるようだが、持続性はないとみた。
それに―――
考えたくないけど、薬を盛ったのはきっと
ソフィアさんだ。
P.279
勧められたウォッカを俺は飲んだ。オータムナルさまは口すらつけていない。だから体のどこにも異常が見当たらない。
でも何の為に―――
ソフィアさんは最初からオータムナルさまの正体を言い当てた。はじめから何もかも知っていてあんな小芝居を打ったと言うのか。
でも『月と太陽』そして『馬に乗った騎士』の話は当たっていた。敵か味方か分かんないけれど、でもそれは仕組もうにも難しい話だ。
と言うことは彼女の予言はホンモノだったってわけか―――
分からない。
少しの間で色々考えていると、オータムナルさまが俺の頬をそっと包んだ。
「何を考えている」
さっきの……威圧的な口調ではなく優しくまるで撫でられるような声音。
そっと撫でられた手の感触に温度に―――俺は、
何だかとても安心できた。
「オータムナルさま……ごめんなさ……」
最初からオータムナルさまはソフィアさんに疑いを持っていた。それを振り切って俺は彼女の元に戻った。
「何を謝る。お前は何も悪くない」
オータムナルさまはそっと俺の頬を包み、その感触に、さっき男たちに触れられた嫌な感触を忘れられそうだった。
オータムナルさまは俺を責めなかった。
嫌な思いさせちゃったのに。
恨み言の一つも言わず、ただ俺を必死に助けてくれた。
もうやめよう。
俺は溢れる涙を手の甲で乱暴に拭いながら
もう
ステイシーの影を追い求めるのはやめよう、と誓った。
「どうした紅、どこか痛いのか?」
オータムナルさまは眉を寄せて心配そうに俺を覗き込んできた。
こんなどうしようもなくダメ人間な俺を心底大切にしてくれている。
何もかも……身の危険まで投げ出して俺を助けてくれた人が俺の目の前に居る。
守ってくれた人が居る。
守りたい人が居る。
この人を
愛したい。
ふと窓の外を見やると涙で滲んだ視界の中、街の一角にそびえたつ煉瓦造りの建物が目に入った。
あそこは――――英国領事館……
さっきの―――
どこかで見たと思ったら―――
P.280
「オータムナルさま!!」
突如声を挙げた俺にオータムナルさまはびっくりしたように目を丸めた。
「どうした?どこか痛むのか?」
「いえ…!あのっ…!さっき俺を襲った男……どこかで見覚えがあると思ったら、英国領事館の前に突っ立っていた衛兵の一人でした!」
「は?」
意味が分からない、という意味でオータムナルさまは目をぱちぱち。
「前に行ったんですよ、マリアさまと!!覚えておいでですよね!」
「ああ……覚えているが…」
「そのとき俺、あの人に門前払いを食ったので覚えていたんです!制服も着てたしさっきは暗かったからあの場では判断できなかったけれど、声に覚えがあって…
間違いないです!」
俺の言葉にオータムナルさまはさらに目を開き何事か考えるように顎に手を乗せた。
「奴らの狙いは恐らく私――――
私が祭りに行くという情報が英国に漏れていた―――……?」
「そうに違いありません!」
俺が勢い込むと、
「だが英国の人間が私を狙う理由が分からない。彼らとは平和条約を交わした仲だ」
オータムナルさまは難解な問題に挑んでいるかのように目を細めて眉を寄せた。
「目的はあなただった!それは明らかだ。国ではなく個人で雇われていたとしたら?何か大きな組織がバックにあるんですよ!そいつらがオータムナルさまのお命を狙ってる」
沙夜さんに感化されたのかな…俺も推理小説並の考えを唱えちゃったぜ。
俺の推理を聞いてオータムナルさまはまたも目をぱちぱちさせて俺をじっと見つめてくる。
「それが本当だとしたら、宮殿内の誰かが
ユダだ」
P.281
宮殿内の誰かが―――裏切り者。
「お前の推理はなかなか面白いものだが、今回は偶然が重なったのであろう。
あの男たちは祭りでお前を見つけて、可愛かったから襲おうとした。それだけのことだ」
「そんな……!俺…確かに聞きました!」
オータムナルさまをおびき出すために、俺は囮だったんだ―――
単なる強姦目的なんかじゃない。
それに俺たちを助けれてくれたレディブラックスワンだって敵か味方か―――俺たちを助けた目的すら分からない状態なのに。
「オータムナルさま!警護を固くしましょう。あなたが心配だ」
俺が勢い込むと
「紅!」
オータムナルさまの少し強めの声で呼ばれた。
「……はい」
俺はまた―――出過ぎた真似を……
「心配してくれるのはありがたい。だが私とて考えがないわけではない。
一国の皇子と言う身だからな」
それが何を意味するのか―――
知っていたくせに、心のどこかで平和ボケしていた自分が居たんだ。
こんな間抜けな結果ってある??
オータムナルさまは常に危険を感じておられて、たくましく俺を守ろうとしてくださったのに―――
俺、何もかも足手まといだ。
P.282
それ以来俺たちは車の中で会話らしい会話をしなかった。
結局、警護の件や、襲われた理由なんてものはうやむやになっちゃったし。
さっきまであんなに楽しかったのに、今は葬式に参列するよりもこの沈黙が辛い。
宮殿内に帰りつくと、辺りは騒然となった。
何といってもオータムナルさまの目立った外傷が人目についたのだ。
「早くお手当てを!」
出迎えに控えていた秋矢さんもさすがに顔を青くして彼を寝室に引っ張っていこうとする。
「私は大したことない。それより今すぐに医師を呼べ。紅の方が心配だ。何の薬が使われたのか調べる必要がある」
「薬……?」
秋矢さんは切れ長の目を開いて口を半開きにした。
「事情は後で話す。ひとまず医師だ。ドクターに検査させろ」
オータムナルさまの命令で
「かしこまりました」
秋矢さんは恭しく頭を下げ、
「ミスター来栖、こちらへ」と俺は秋矢さんに案内された。
「紅、それが終わったら私の寝所に来るように」
そう命じられて
「…………はい」
俺はそう答えるしかできなかった。
秋矢さんが呼んでくれたお医者さんはすぐに来てくれた。かかりつけの医者なのだろう。
宮殿内に部屋を与えられているとのことで、数分も待たされず俺は血液検査をされた。
その他瞳孔や脈拍なんかのチェックをされたが、「恐らく異常はないでしょう」とのこと。
はっきりした検査結果は三日後に分かるらしいが、一晩ゆっくり休むことを言われてそれ以上の診察はなかった。
一方のオータムナルさまは怪我の具合も特別酷いものではなく椅子の衝撃で受けた打ち身と壊れた脚の破片で僅かに皮膚を切っただけ、と言う診断結果で消毒して包帯を巻いただけの状態だ。
それでもさすがに相手が王室ともなると、誤診なんてあったら大変だ、ということで後日レントゲンを撮って精密検査が行われる。
が
ひとまずは解放されたわけだ。
P.283<→次へ>
冬の夜
キミへの気持ちを窓に託しました
たった一言が言えない私は臆病者ですか?
でも今はこれが精一杯
雪に想いを
『次はお天気コーナーです。今日から明日にかけて低気圧が日本の南を発達しながら東北東に進み、明日には日本の東に進む見込みです。
関東甲信地方では今夜から雨が次第に雪に変わり、あす午前中にかけて山沿いを中心に、平野部でも積雪となる所がある見込みです。雪による交通障害、架線や電線、樹木等への着雪、路面の凍結に注意してください』
今朝のワイドショーのお天気キャスターの言葉を思い出したのは、勤めている会社の定時を迎え業務を終えたときだった。
「えー!やだっ!雪降ってるじゃん」と誰からともなく声が挙がり
「ホントだー、私傘持ってきてない」
「どうりで冷えると思った」
と同僚たちが次々と口にする。
またも誰かが「せっかく彼氏に買って貰ったバッグが濡れちゃう」と言い出し、それでもちっとも困った様子ではなく、どこか誇らし気だ。
そしてその周りの女子たちが盛んに羨ましがる。
「いいなー、でもあたし今度のクリスマスにダイヤの指輪ねだっちゃうんだー」と一人の女の子。
「いいなー!」黄色い声に、私は苦笑いを浮かべるしかない。ここでの男の年収と、女の品格は反比例する。いかにいい服を着るか、いかにいいバッグを持つか、いかにいい男を彼氏にするか、年中こんな会話でうんざりする。
かと言って輪に加わらないわけにはいかない。仕事とプライベートの内容こそ比例するのだ。
P.1
「仁科《にしな》さんはいつも素敵な服着てますよね」ふいに一人から話題を振られた。
「えっ、そう?」私は曖昧に笑って言葉を濁した。今日の服装は白いタイトワンピ。腰回りに太いベルトが巻き付いていて、ちょっと豪華に見えるゴールドのバックルがワンポイント。
そして同じくゴールド系のスパンコールが襟元に入ったコートを腕にかけて帰りたいアピール。
シンプルな服装だったけど、流石は目が肥えている女子たち。すぐにそれが高価なものだと見破った。女のチェック程厳しいものはない。私がオシャレをするのは対、男ではなく、彼女たちの為。
「仁科さんてぇ、結婚しないんですかぁ」間延びした話し方が赦されるのはこの年代の特権だ。
「結婚ね……相手がいないから」私は適当にごまかして再び言葉を濁した。
こう言っておけば大抵の女は引き下がる。私が長い間、人付き合いをしてきて、これが最良の方法だと知ったのはつい最近のこと。
私がこの会社に勤めはじめて五年になる。この会社での女性正社員では長いほうだ。後から派遣された若い女の子たちから見れば私なんてお局のようだった。
「そう言えばぁ仁科さん、この前見ちゃったんですぅ」一人の女の子が思わせぶりに口元へ手をやった。
短く切った髪にはパーマがあててあり、傍から見ればマシュマロのように可愛らしい女の子だ。
だが、そんな可愛らしさに惑わされてはいけない。女はいつでも顔の下にしたたかな一面を隠しているのだから。
P.2
「何を?」私は平静を装って取り澄ました。
もしかして“アイツ”と居る所を見られた?と思ってドキリとしたが
「この前の金曜日、青山のイタリアンレストランで、経理の前田さんと一緒にいるところぉ」
ああ、そっちか。とちょっとほっと安堵する。
「ええー!!」周りから黄色い声が飛ぶ。私は思わず頭を押さえたくなった。
そう、確かに経理の前田に誘われて先週の金曜に青山まで行った。
でも食事をしただけで、別に艶かしい関係ではない。だが、ここで重要なのが、経理の前田という男、この会社ではなかなかのハンサムでしかも独身、きさくな性格をしているわりには頼れる上司でもあるのだ。そうゆう男を若い女性社員が放っておくわけがない。
「いいなー、ねえお二人って付き合ってるんですか?」
食事をするイコール男女の関係と、どうして若い子たちはそう短絡的なのだろう。私はこの場から逃げ出したくなった。だけど、この場から立ち去ると認めたことになってしまう。
「別に、ただお食事に誘われただけよ」
「うそー、絶対前田さん仁科さんのこと狙ってるわよぅ。だって、あたしたちがいくら誘っても全然だったのよー。それなのに前田さんは仁科さんのこと」
嫉妬心と羨望の眼差しで見られ、私は思わず後ずさり。
何とか前田との話を切り返し、従業員出入り口から女子の群れに混ざって出てきた所だった。
遠くで派手なエンジン音が聞こえてきて、この狭い路地裏へと近づいてきた。この聞き慣れたエンジン音。私は嫌な予感がして思わず一方通行の標識を見つめた。
「よーう、仁科」黒のポルシェの窓から腕を出し、銜えタバコをしながら九条《くじょう》が手を振っている。
「やっぱり」
私は、今度こそ頭痛をこらえるように頭をしっかりと押さえた。
P.3
「仁科、今終わりか?これから飯でも食わねー?」
この状況を知らずに能天気に笑ってるその整った横っ面に今すぐ張り手を食らわせたい。
「あ、あんたいつ東京に戻ってきたわけ?」私は女の子の群れから一人離れると、九条の車に近づいた。
「あー、悪い。三日ぐらい前かな?この前言ってた日本料理屋行こうぜ」
「あんたっていつも何で急なのよ」
私が声を潜めて九条を睨んでいるときだった。
「えー、仁科さんの彼氏さんですかぁ?かっこいい!」
女の子たちの視線が九条に移った。予想していなかった最悪の事態。
上半身しか見えなかったが、今日の九条は黒いジャケットの中に白いカットソーを着ていて、真冬だって言うのに襟ぐりに濃いサングラスをかけている。いつものように髪をラフにセットしてあって、左耳には輪っかのようなピアスが三つ光っていた。
そう
どこからどーみてもこいつは
ホスト。
P.4
「仁科、今終わりか?これから飯でも食わねー?」
この状況を知らずに能天気に笑ってるその整った横っ面に今すぐ張り手を食らわせたい。
「あ、あんたいつ東京に戻ってきたわけ?」私は女の子の群れから一人離れると、九条の車に近づいた。
「あー、悪い。三日ぐらい前かな?この前言ってた日本料理屋行こうぜ」
「あんたっていつも何で急なのよ」
私が声を潜めて九条を睨んでいるときだった。
「えー、仁科さんの彼氏さんですかぁ?かっこいい!」
女の子たちの視線が九条に移った。予想していなかった最悪の事態。
上半身しか見えなかったが、今日の九条は黒いジャケットの中に白いカットソーを着ていて、真冬だって言うのに襟ぐりに濃いサングラスをかけている。いつものように髪をラフにセットしてあって、左耳には輪っかのようなピアスが三つ光っていた。
そう
どこからどーみてもこいつは
ホスト。
P.4
でも勘違いしてもらっては困る。私はこいつの客じゃない。東京を離れていたのも、大方客の一人と遠征旅行でもしていたのだろう。
「違っ!こいつとは単なる腐れ縁。彼氏とかじゃないから」
と慌てて否定するも秒の単位で噂が回るこの会社で明日の朝には『仁科さんて、ホストに貢いでるらしいよ』とあちこちで言われるに違いない。
くらり、と眩暈が起きた。
腐れ縁、と言うのは間違いない。中学からの同級生だから。
「じゃあ、本命は前田さんですかぁ?」女の子達が興味津々で目を輝かせている。
「前田??ひどいなー、仁科ぁ。俺たち何度もセック……もがっ」
最後の方が言葉にならなかったのは私の手が九条の口を塞いだから。
ふざけんな!何言い出すんだこいつぁ!!
空気読めっつうの!
と言うことを目で訴えると、流石に冗談が過ぎたと思ったのか九条は苦笑い。
「で?行くの?行かないの?」せっかちに聞かれて
「わかったわよ!行くわよ」半ば怒鳴るように九条を睨みつけると、私はそそくさと助手席に回った。
「それじゃ、私はこれで。お先に」女の子たちにはなるべく平静を装って、にこやかに手を振る。
ため息をついて車の助手席を開けると、運転席から九条が笑顔で手を差し伸べてきた。
「ただいま、仁科」
昔とちっとも変わらない笑顔。眉が下がり、目を細める、優しい笑顔。そして時々その低い声で呼ばれる、自分の名前。何だかくすぐったいが、この笑顔を向けられたら、たとえ九条の勝手に振り回されても、赦せてしまう。
「……おかえりなさい」私は俯くと、小さく返事を返した。
P.5
前述した通り私と九条とは中学からの付き合いだ。かれこれ十年以上の付き合いになる。十年、と言う歳月は長く感じられるけれど、その間に音信不通になったり、そしてどこからか連絡先を入手して電話を寄越して来たり、をだらだらと繰り返している。
でも、私たちははっきりと『付き合って』はいない。もちろん九条のブラックジョークの『体の関係』もない。
あるのは中学生から変わらないノリと
私が九条のこと「好き」
と言うことだけ。歳を重ねて、九条がホストになって……あ、今はホストじゃなくホスト店を経営してるオーナー様でもあったかしら。とにかく環境は変わったものの、不変的な何かは確実に存在している。
パワーウィンドウの外をちらほらと雪が降っていた。
「北海道行ってきたんだ~土産に蟹買ってきてやったぞ」と九条は運転しながらどこか楽しそう。
「北海道……ここより雪が多そうね」ぼんやりと呟きながら、九条に気づかれない程度にこっそりと、外気との差で曇った窓ガラスに、人差し指で
『好き』
と書く。
私の書いた文字は私の体で隠れて九条からは見えない。
「蟹すきしようぜ~、お前んちで」
「何であんたを一々上げないといけない?」
言い合いをしながら、やがて私のマンションに着く頃にはみぞれになった大粒の白いものが私の『好き』をかき消す。
「だってお前んち床暖あるじゃん?」
「そんな理由かよ」
中学生から変わってないこの関係とノリ。
今はまだ―――
この関係でいいや。
~FIN~
P.6