太陽と月
「ごめんください」
再びテントを捲ると
「いらっしゃい。待ってたわ」とソフィアさんが来たときと変わらぬ笑顔でにっこり。
「あ、あの俺……」
何から切り出そうか迷ってると、
「元恋人の行方を知りたいのでしょう?」
え……?
「ごめんなさい、これは占いじゃなくあなたたちの会話が聞こえてきたの」
え!?
「あんな大声で痴話喧嘩されるとねー」
ソフィアさんは苦笑。
「痴話っっ!!違います!!えっと、いえ違わないですぅ……
この際だからはっきり言います。俺あの人のことが
好きなんです。
前に進むためにも、彼女の行方がどうなのか知りたい」
何だか何でも見透かされていそうなソフィアさんの前で嘘とかはつけない気がした。
ソフィアさんは少しだけ憂いの含んだ目を伏せて、
男が男を好き、と言うことに特別何かを想ったり言ったりはせず
「いいわ、占ってあげる」と言って再びクリスタルを手に取った。
P.269
「手を」
言われた通り右手を差し出すと、ソフィアさんは手相を見るように目を細めて俺の手のひらをまじまじ。
しばしの沈黙が流れ、
「あの……?」
不安になって俺が問いかけると、
「いい手をしているわ。とても強運の持ち主。正義感が強く、一途で真面目。
その一方とても頑固で意見を譲らないこともある。
流れに身を任せているようで、そうじゃない。
とても意思が強いのね。
世界で一番高い硬度を持つダイヤのように」
ソフィアさんはにっこり笑って、キラキラ光る一つの石を取り出した。
「それ…ダイヤ……なんですか?」
「そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない。ただ―――あなたが‟大事にしている”石と同じものよ」
ソフィアさんは意味深に笑い、俺は目を開いた。
「大切な人と交換した?あなたはそうね自分のリング……銀製のリングを彼女にあげた。
一文字、イニシャルを彫って。そのイニシャルは―――」
言いかけたところを俺は遮った。
「当たってます。全て―――」
そう、ステイシーと指輪を交換したことも、俺のあげた指輪がシルバー製でその裏にイニシャルを彫ってあることも、全て当たっている。
「そう?」
ソフィアさんはまたもきれいに笑って、俺の手を丁寧に撫でそっと離した。その手でクリスタルを握りなおすと、先ほどと同様、水鉢の中にそれを落とし入れた。
キラキラと輝くダイヤの欠片は、鉢の底にゆっくりと堕ち、もとからあったであろう淡い黄色をした石の上に落ちた。
さっきと同じように落ちた石の行方と、波紋を眺めるソフィアさん。
ごくり
喉を鳴らして彼女の言葉を待っていると
ソフィアさんは目を開いたまま、
固まった。
P.270
その一種異様な表情に―――俺は不安になった。
「ど…どうしたんですか……あの、ステイ……じゃなくて元恋人は……」
恐る恐る聞くと、ソフィアさんは申し訳なさそうに眉を寄せこちらを見てゆっくりと頭を横に振った。
その行動が、俺に最悪の結末を告げたのだ、と思って目の前が一瞬にして暗くなった気がしたが
「ごめんなさい。元彼女の行方は……私にも分からない」
想像してない言葉に、今度は俺の方が戸惑った。
「え……分からないって…?」
「こんなことはじめてだわ。占う対象がまったく見えないの」
まったく見えない―――……
「それは亡くなっている―――から…とか?」
ドキンドキンと心臓が早鐘を打つ。ことさらゆっくり深呼吸しながら問うと
「さあ、それも分からない」
と、一言。
分からない…?がっかりしたのとほっとしたのと半分半分だった。複雑な気持ちだ。
知りたいけれど、知りたくない。
今の俺にはまだその準備と覚悟ができていないと言うことだろう。
時期じゃないんだ、と自分に言い聞かせる。
ソフィアさんを責めることなどできない。
「ありがとうござい……」
お礼を述べて席を立ち上がろうとすると
「けれどそれ以上にあなたから実に興味深い強いエネルギーを感じるわ」
ソフィアさんは鉢の底をまだ睨み据えている。
灰色の瞳は、感情を無くしていて、ただ機械的に口が動いていた。
「強いエネルギー…?」
「ええ、
闇が来るわ。
空は闇に包まれ、暗雲が垂れ込める。あなたのこれからの運勢よ。
良くないことが起こる前兆だわ」
ソフィアさんは至極真面目な顔でクリスタルの行方を見つめ、額に手を置いた。
良くないこと――――?
再び喉を鳴らしてソフィアさんの次の言葉を待っていると
「でも心配しないで。必ず救いとなる者が現れる。
蹄の音が聞こえる――――あれは……馬……
闇に包まれた黒い騎士―――
太陽と月が重なるとき奇跡は起こる”」
月と太陽が重なるとき―――…
奇跡は起こる――――――?
P.271
ソフィアさんの言っている意味の数ミリも理解できなくて、俺は目をぱちぱち。
意味が分からない。
俺に理解力が無いのだろうか。
言葉の真意を確かめたくて、ソフィアさんを見つめること数分。
ソフィアさんも真剣な瞳で俺を見据え返してきて、
どれぐらいそうやってソフィアさんと対峙していただろうか。
やがて馬の小さな鳴き声が聞こえて、
「アレクサンドラ?大人しい雌馬なのに、どうしたのかしら…」
とソフィアさんはこの緊張状態から糸が切れたようにふっと視線を緩め、不思議そうに腰を上げた。
「あ、あの……」
「ちょっと待ってて。様子を見てくるわ」
ソフィアさんはそれだけ言ってテントを出て行ってしまった。
あとに残された俺は―――
ソフィアさんに言われた言葉を反芻しながら、そわそわと所在なげに当たりをきょろきょろ。
意味を解説してほしい。早く戻ってこないかな……
なんて思っていると、突如強烈な頭痛に襲われた。
「っーーー!!」
額を押さえ、ぎゅっと目を閉じるとこめかみに脂汗が流れた。
何――――……
目を開けると、ゆっくりと視界が反転していく。
平行感覚を失って、椅子からずり落ちると投げ出した腕の先がぼんやりと視界に写った。
指の先が細かく痙攣している。
意識を手放そうとしている―――と言うことが分かったが、自分にはどうすることもできない。
「…誰――――か………」
最後の気力を振り絞り、何とか誰かを呼んだときだった。
バサッ
テントを開ける音が聞こえてきて、俺は閉じかけた瞳を強引にこじ開けた。
黒い影が俺の元まで伸びている。
ソフィアさん……良かった……戻ってきて―――くれたんですね。
そう思ったが、黒い影はソフィアさんではなく
スーツを着た男が俺を覗き込んでいた。
P.272
誰――――……
照明を落としたテント内でその顔ははっきりと認識できない。
かろうじてその人物がスーツを着た男だと言うことだった。
でも……どこかで見た顔――――
どこでだったか分からないけれど………
虚ろな目でその‟誰か”を見上げると
その男は俺の顎を持ち上げ
「Well,he is retain consciousness.(へぇ、まだ意識があるとはね)」
と呟いた。
アメリカ英語ではなくイギリス訛のある発音。英国人か……
遠のきそうになる意識の中、必死に誰だか探りを入れる。
今意識を失ってはだめだ。
そう思ったのは、俺の本能的な部分で危険信号を感知したから。これがソフィアさんの言う‟救いの手”だとは思えなかった。
何故なら
顔も見えないのに、その突き刺さるような視線は――――
カイルさまのそれとよく似ていたから。
P.273
「Hey,Don't mow him.He's stool pigeon.(おい、そいつに手を出すなよ?大事な囮だからな)」
するとその男の背後からまた一人別の声が聞こえた。
「I know.(分かってるって)」
俺の顎を掴んでいた男はぞんざいに応え、
さらに違う男の声が聞こえた。そいつは口笛を吹き
「He's considerable good shit.If he's sold, it'll be considerable money.A lecherous old man bids.(かなりの上物じゃないか。売り飛ばしたらかなりの金になる。スケベじじぃがこぞって入札するに違いない)」
「Don't be daft.Make money trading.He sey leave he alone.(バカ言うな。これは取引道具だ。手を出すなと言われている)」
「Make sure nobody finds out.(でもちょっとだけならバレやしないぜ)」
もう誰が誰だか分からなかったが、一人の男が俺の髪を掴んで強引に頭を持ち上げる。
「Even we're doing dirty work.Good things only happen to him.(こっちだって汚れ仕事をやってるんだ。金以上に美味しい思いしたっていいだろ?)」
男がネクタイを緩めた。
「Gang-rape.(輪姦そうぜ)」
その言葉を聞いたとき、俺の顔から血の気が引いていった。
P.274
「No!Hands off!Don't touch me!( やめろ!俺に触るな!)」
俺は最後の力を振り絞って彼らの手から逃れるよう身をよじった。
男たちはそろって顔を見合わせる。
「Lure Autumnal out into the open.You have no hostilities,I will knock your head off.A painful one, only the beginning. It'll become good immediately surely.(オータムナルをおびき出すためだ。あんたにゃ恨みがないが、ちょっとだけ痛い思いをしてもうらうぜ?大丈夫、痛いのは最初の内ですぐに良くなるから)」
男たちは下品な笑い声を漏らして俺のトーブの裾に手を差し入れる。
トーブの下は生成りのズボンを履いているとは言え、直に足首に触れられて、俺の背中に鳥肌が浮かんだ。
言葉の端々、単語を拾うとどうやら彼らは俺を囮にしてオータムナルさまをおびき寄せるつもりだ。
どうみても友好的とは言えない手段。彼らは一体何が目的なのだろうか。
オータムナルさまに恨みを持つ者だとしたら―――ここに彼を呼び寄せるわけにはいかない。
たとえ
俺がどんな目に遭っても―――
「お…お前らの目的はオータムナルさまか。じゃぁ残念だな。
お…オータムナルさまなら来ない!」
俺は叫んだ。
彼らはまたぞろ顔を合わせて
「オータムナル来ないっテ?」
と今度はかたことの日本語で聞いてきた。
英語が通じないと思ったのだろうか。まぁ半分当たってるが。
「ああ、そうだ。オータムナルさまは来ない。俺なんかのために戻ってきやしない!」
そうさ
俺はオータムナルさまに愛想をつかされたんだから―――
彼は来ない。
―――来ないでほしい。
彼が傷つけられるのなら、いっそのこと俺が傷ついた方が
ましだ。
「戯言抜カスナ!」
ぐいっ
髪を一層強く引かれて俺は悲鳴を挙げた。
P.275
俺の悲鳴は狭いテント内に響き渡った。遠くで祭りの賑やかな歌声や音楽が聞こえる。
誰か……
誰でも良い。オータムナルさま以外の誰かが俺の悲鳴を聞きつけてここに来てくれれば!
しかし俺の願いは虚しく、バカみたいに祭りの騒ぎが大きくなっていく。
必死に何か武器になるものがないか薄れゆく意識の中辺りを見渡したが、武器になるものは何もない。
かろうじて、オータムナルさまが俺に取ってくれた白いへびが転がっているだけだ。
それでも無いよりはましだ。俺はそろりとそれに手を伸ばした。
男たちは俺の悲鳴を聞いて愉しそうに口元を曲げる。
「面白イ。ヤッチマオウ」
「だが途中で意識が無くなったらツマラナイな」
男たちが愉しそうに囁くのを聞いて俺は手にした白へびを思いっきり振り回し、一番近くに居た男めがけて振り下ろした。
ふ
「ざけんじゃねぇ!!」
「Ow!(痛て!)」男が顔を押さえ、がくりと腰を折った。
「What was that for?!(こいつ!!何しやがる!)」
「Because you were cute, I saw rather much, but I won't control any more!(ちょっと可愛いからと多めに見てやったものの、もう手加減はしない!)」
男の手がズボンの中に侵入してきた。
ぎゅっと目を閉じて嫌悪感をやり過ごそうとしたが―――
そのときだった。
「紅――――――!!!」
来てほしくない、と願っていたけれど
ホントは
助け出して欲しかった人の声が聞こえて
俺の目から涙が一粒こぼれた。
P.276
オータムナルさまは男たちに組み敷かれている俺を目にして、目を開いた。
「貴様ら!!!何をしている!!私の紅に」
オータムナルさまが走ってきて、これまたどこにそんな力があるのか俊敏な動きで俺の上に乗っていた男の頬を殴り飛ばした。
男が吹き飛ぶ。
「オータムナル…さま……何故……何故戻ってきたんですか…」
切れ切れに言うと
「お前のことが心配になったのだ。戻ってきて良かった」
オータムナルさまが俺を助け起こそうとしてくれたときだった。彼の背後で椅子の脚を持ってまさに今それを振りあげようとした男に
「オータムナルさま!!後ろっ!」
俺が大声を挙げて、オータムナルさまは振り返ったが、避けきれなかったようで右肘に椅子の脚が派手にぶつかり音を立てて脚が壊れる音がした。
パラパラと木くずの落ちる音がして、彼の白いトーブの肘の部分に赤い血がにじみ出た。
「オータムナルさま!」
「案ずるな。これぐらいどうってことない!」
オータムナルさまは怒鳴り声を挙げて、俺を……俺なんかを守るようぎゅっと俺を抱きしめる。
「お前は私の大切な側室だ。何が何でも守る」
オータムナルさま……
「Shit!(くそっ!)」
男がもう一振り椅子を掲げた瞬間―――
もうだめだと目を閉じた瞬間
近くで
馬の鳴き声が聞こえた。
と同時だった。
バサッ!!!
布製のテントを破る音が聞こえ、そろりと目を開けると
横真一文字に切り裂かれたテントの隙間から
黒い大きな馬に乗った―――女の人が現れた。
P.277<→次へ>
冬の夜
キミへの気持ちを窓に託しました
たった一言が言えない私は臆病者ですか?
でも今はこれが精一杯
雪に想いを
『次はお天気コーナーです。今日から明日にかけて低気圧が日本の南を発達しながら東北東に進み、明日には日本の東に進む見込みです。
関東甲信地方では今夜から雨が次第に雪に変わり、あす午前中にかけて山沿いを中心に、平野部でも積雪となる所がある見込みです。雪による交通障害、架線や電線、樹木等への着雪、路面の凍結に注意してください』
今朝のワイドショーのお天気キャスターの言葉を思い出したのは、勤めている会社の定時を迎え業務を終えたときだった。
「えー!やだっ!雪降ってるじゃん」と誰からともなく声が挙がり
「ホントだー、私傘持ってきてない」
「どうりで冷えると思った」
と同僚たちが次々と口にする。
またも誰かが「せっかく彼氏に買って貰ったバッグが濡れちゃう」と言い出し、それでもちっとも困った様子ではなく、どこか誇らし気だ。
そしてその周りの女子たちが盛んに羨ましがる。
「いいなー、でもあたし今度のクリスマスにダイヤの指輪ねだっちゃうんだー」と一人の女の子。
「いいなー!」黄色い声に、私は苦笑いを浮かべるしかない。ここでの男の年収と、女の品格は反比例する。いかにいい服を着るか、いかにいいバッグを持つか、いかにいい男を彼氏にするか、年中こんな会話でうんざりする。
かと言って輪に加わらないわけにはいかない。仕事とプライベートの内容こそ比例するのだ。
P.1
「仁科《にしな》さんはいつも素敵な服着てますよね」ふいに一人から話題を振られた。
「えっ、そう?」私は曖昧に笑って言葉を濁した。今日の服装は白いタイトワンピ。腰回りに太いベルトが巻き付いていて、ちょっと豪華に見えるゴールドのバックルがワンポイント。
そして同じくゴールド系のスパンコールが襟元に入ったコートを腕にかけて帰りたいアピール。
シンプルな服装だったけど、流石は目が肥えている女子たち。すぐにそれが高価なものだと見破った。女のチェック程厳しいものはない。私がオシャレをするのは対、男ではなく、彼女たちの為。
「仁科さんてぇ、結婚しないんですかぁ」間延びした話し方が赦されるのはこの年代の特権だ。
「結婚ね……相手がいないから」私は適当にごまかして再び言葉を濁した。
こう言っておけば大抵の女は引き下がる。私が長い間、人付き合いをしてきて、これが最良の方法だと知ったのはつい最近のこと。
私がこの会社に勤めはじめて五年になる。この会社での女性正社員では長いほうだ。後から派遣された若い女の子たちから見れば私なんてお局のようだった。
「そう言えばぁ仁科さん、この前見ちゃったんですぅ」一人の女の子が思わせぶりに口元へ手をやった。
短く切った髪にはパーマがあててあり、傍から見ればマシュマロのように可愛らしい女の子だ。
だが、そんな可愛らしさに惑わされてはいけない。女はいつでも顔の下にしたたかな一面を隠しているのだから。
P.2
「何を?」私は平静を装って取り澄ました。
もしかして“アイツ”と居る所を見られた?と思ってドキリとしたが
「この前の金曜日、青山のイタリアンレストランで、経理の前田さんと一緒にいるところぉ」
ああ、そっちか。とちょっとほっと安堵する。
「ええー!!」周りから黄色い声が飛ぶ。私は思わず頭を押さえたくなった。
そう、確かに経理の前田に誘われて先週の金曜に青山まで行った。
でも食事をしただけで、別に艶かしい関係ではない。だが、ここで重要なのが、経理の前田という男、この会社ではなかなかのハンサムでしかも独身、きさくな性格をしているわりには頼れる上司でもあるのだ。そうゆう男を若い女性社員が放っておくわけがない。
「いいなー、ねえお二人って付き合ってるんですか?」
食事をするイコール男女の関係と、どうして若い子たちはそう短絡的なのだろう。私はこの場から逃げ出したくなった。だけど、この場から立ち去ると認めたことになってしまう。
「別に、ただお食事に誘われただけよ」
「うそー、絶対前田さん仁科さんのこと狙ってるわよぅ。だって、あたしたちがいくら誘っても全然だったのよー。それなのに前田さんは仁科さんのこと」
嫉妬心と羨望の眼差しで見られ、私は思わず後ずさり。
何とか前田との話を切り返し、従業員出入り口から女子の群れに混ざって出てきた所だった。
遠くで派手なエンジン音が聞こえてきて、この狭い路地裏へと近づいてきた。この聞き慣れたエンジン音。私は嫌な予感がして思わず一方通行の標識を見つめた。
「よーう、仁科」黒のポルシェの窓から腕を出し、銜えタバコをしながら九条《くじょう》が手を振っている。
「やっぱり」
私は、今度こそ頭痛をこらえるように頭をしっかりと押さえた。
P.3
「仁科、今終わりか?これから飯でも食わねー?」
この状況を知らずに能天気に笑ってるその整った横っ面に今すぐ張り手を食らわせたい。
「あ、あんたいつ東京に戻ってきたわけ?」私は女の子の群れから一人離れると、九条の車に近づいた。
「あー、悪い。三日ぐらい前かな?この前言ってた日本料理屋行こうぜ」
「あんたっていつも何で急なのよ」
私が声を潜めて九条を睨んでいるときだった。
「えー、仁科さんの彼氏さんですかぁ?かっこいい!」
女の子たちの視線が九条に移った。予想していなかった最悪の事態。
上半身しか見えなかったが、今日の九条は黒いジャケットの中に白いカットソーを着ていて、真冬だって言うのに襟ぐりに濃いサングラスをかけている。いつものように髪をラフにセットしてあって、左耳には輪っかのようなピアスが三つ光っていた。
そう
どこからどーみてもこいつは
ホスト。
P.4
「仁科、今終わりか?これから飯でも食わねー?」
この状況を知らずに能天気に笑ってるその整った横っ面に今すぐ張り手を食らわせたい。
「あ、あんたいつ東京に戻ってきたわけ?」私は女の子の群れから一人離れると、九条の車に近づいた。
「あー、悪い。三日ぐらい前かな?この前言ってた日本料理屋行こうぜ」
「あんたっていつも何で急なのよ」
私が声を潜めて九条を睨んでいるときだった。
「えー、仁科さんの彼氏さんですかぁ?かっこいい!」
女の子たちの視線が九条に移った。予想していなかった最悪の事態。
上半身しか見えなかったが、今日の九条は黒いジャケットの中に白いカットソーを着ていて、真冬だって言うのに襟ぐりに濃いサングラスをかけている。いつものように髪をラフにセットしてあって、左耳には輪っかのようなピアスが三つ光っていた。
そう
どこからどーみてもこいつは
ホスト。
P.4
でも勘違いしてもらっては困る。私はこいつの客じゃない。東京を離れていたのも、大方客の一人と遠征旅行でもしていたのだろう。
「違っ!こいつとは単なる腐れ縁。彼氏とかじゃないから」
と慌てて否定するも秒の単位で噂が回るこの会社で明日の朝には『仁科さんて、ホストに貢いでるらしいよ』とあちこちで言われるに違いない。
くらり、と眩暈が起きた。
腐れ縁、と言うのは間違いない。中学からの同級生だから。
「じゃあ、本命は前田さんですかぁ?」女の子達が興味津々で目を輝かせている。
「前田??ひどいなー、仁科ぁ。俺たち何度もセック……もがっ」
最後の方が言葉にならなかったのは私の手が九条の口を塞いだから。
ふざけんな!何言い出すんだこいつぁ!!
空気読めっつうの!
と言うことを目で訴えると、流石に冗談が過ぎたと思ったのか九条は苦笑い。
「で?行くの?行かないの?」せっかちに聞かれて
「わかったわよ!行くわよ」半ば怒鳴るように九条を睨みつけると、私はそそくさと助手席に回った。
「それじゃ、私はこれで。お先に」女の子たちにはなるべく平静を装って、にこやかに手を振る。
ため息をついて車の助手席を開けると、運転席から九条が笑顔で手を差し伸べてきた。
「ただいま、仁科」
昔とちっとも変わらない笑顔。眉が下がり、目を細める、優しい笑顔。そして時々その低い声で呼ばれる、自分の名前。何だかくすぐったいが、この笑顔を向けられたら、たとえ九条の勝手に振り回されても、赦せてしまう。
「……おかえりなさい」私は俯くと、小さく返事を返した。
P.5
前述した通り私と九条とは中学からの付き合いだ。かれこれ十年以上の付き合いになる。十年、と言う歳月は長く感じられるけれど、その間に音信不通になったり、そしてどこからか連絡先を入手して電話を寄越して来たり、をだらだらと繰り返している。
でも、私たちははっきりと『付き合って』はいない。もちろん九条のブラックジョークの『体の関係』もない。
あるのは中学生から変わらないノリと
私が九条のこと「好き」
と言うことだけ。歳を重ねて、九条がホストになって……あ、今はホストじゃなくホスト店を経営してるオーナー様でもあったかしら。とにかく環境は変わったものの、不変的な何かは確実に存在している。
パワーウィンドウの外をちらほらと雪が降っていた。
「北海道行ってきたんだ~土産に蟹買ってきてやったぞ」と九条は運転しながらどこか楽しそう。
「北海道……ここより雪が多そうね」ぼんやりと呟きながら、九条に気づかれない程度にこっそりと、外気との差で曇った窓ガラスに、人差し指で
『好き』
と書く。
私の書いた文字は私の体で隠れて九条からは見えない。
「蟹すきしようぜ~、お前んちで」
「何であんたを一々上げないといけない?」
言い合いをしながら、やがて私のマンションに着く頃にはみぞれになった大粒の白いものが私の『好き』をかき消す。
「だってお前んち床暖あるじゃん?」
「そんな理由かよ」
中学生から変わってないこの関係とノリ。
今はまだ―――
この関係でいいや。
~FIN~
P.6