神と罪びと
その日の夕食―――渦中の秋矢さんは姿を見せなかった。亡くなったカイルさまの件で秋矢さんは事務手続きをしに英国領事館へ向かわれた、とのこと。
オータムナルさまも―――いらっしゃらない。
マリアさまと沙夜さん、そして俺―――いつかの三人組が出来上がって、俺はどうにも居心地が悪かった。
沙夜さんはオータムナルさまがご不在だからだろうか、それともさっき秋矢さんと抱き合ってたからなのか、いつもより幾分かリラックスした様子で食事を楽しんでいる。
マリアさまも同様、沙夜さんと何やら楽しそうに喋っていて
目の前でライバル同士が仲良くしているのを見ると、いつ修羅場になるか…それが恐ろしくて俺だけがハラハラ。
マリアさまと沙夜さん、お二人は―――きっとお互いの気持ちを知らないんだろうし。
二人して同じ人が好き―――とかなぁ…それを知ってる俺はどーすればいいんだよ。
とやきもきしながら何とか食事を終わらせ、
てかハラハラし過ぎて食事の味なんてこれっぽっちもわかんなかったけど…
やっぱり俺は沙夜さんマリアさんお二人の恋路より自分の恋も―――オータムナルさまのご様子が気になる。
「あの……沙夜さん!」
俺は思い切って沙夜さんに声を掛けてみた。
――――
「だめ……コウさん、もっと優しく握って…」
「こ…こうですか…?」
「そんなに締め付けないで…もっと…」
沙夜さんと何やら怪しい会話―――読者諸君、決して淫らな会話ではないです。
じゃぁ何をしてるかって??
オータムナルさまのために
おにぎりを作っているのです!!
P.222
恥ずかしながら、俺…おにぎりをにぎるのは初めてで…
一人暮らし歴が長かったにも関わらず料理は(“も”の間違い)からきしな俺。
おにぎり一つ作るにも大騒ぎ。
「コウさん、もっと力を抜いてにぎってください。それじゃお米がつぶれちゃいますわ」
「痛て!手ぇ切ったぁ!!」
「え!包丁使ってないのに何故!?」
……と、騒がしくもなんとか形になった??かな……おにぎりと呼べるかどうかも謎だったけれど何とかできて
俺はそれをトレーに乗せてオータムナルさまのいらっしゃる執務室まで運んだ。
「オータムナルさま…俺です…紅です……今よろしいですか?」
おずおずと声を掛けると、
「入れ」
オータムナルさまのよく透る声が聞こえてきて、ちょっと緊張するのと同時に、いつもの変わらぬご様子にほっと安心する俺がいる。
「し…失礼しまーす…」
オータムナルさまは俺に背を向けていた。
執務机と対になっている大きな回転椅子に、これまたなっがい脚を組んで頬杖をつきながら
壁に掛かっている『最後の晩餐』をじっと眺めていた。
「またその絵を眺めておいででしたか…。よっぽどお好きなんですね」
俺は持ってきたトレーを執務机に置き、おにぎりの乗った皿と急須(てかこんなものこの国にあったんだな…謎だぜ)と湯呑をテーブルに並べた。
オータムナルさまは振り向かず、
「何用だ?」と短く聞いてきた。
その冷たい声音に胸がツキリと痛む。
用は…ちゃんとある。でも用がないけど会いたいってのが本心だ。
用がなけりゃ会っちゃいけないのかよ…
「お食事をお持ちいたしました。あの…お節介かもしれませんけど…少しは…」
言いかけた言葉にオータムナルさまは言葉をかぶせてきた。
「紅……すまぬな、夕食を一緒にできなくて。お前の運んでくれた食事だ。摂ろう」
俺の予想を裏切ってオータムナルさまは素直に…優しく頷きくるりと回転椅子を回した。
黒いスーツに黒いネクタイ。
そのいでたちから喪に服しているのだ、と言うことに気づいた。
三日ぶりにまともに見るそのお顔は―――
少し疲れたご様子で―――…でもそれすらもどこか色っぽい翳りを浮かべていて、不謹慎だけどドキリとした。
P.223
「聞きたいのだが紅……この食べ物は何だ??日本の郷土料理か??」
オータムナルさまは、まるで奇異なものを見るような目つきで“おにぎり”をあちこちの角度から眺め、頭に『?』マークを浮かべて顎に手をやっている。
「これは…‟おにぎり”です。一応…」
「何と。これがトオルの言っていた‟おにぎり”なるものか…。しかしトオルが以前作ったものと随分形が違うような…」
………
俺、泣キタイ。
「い、いらないんならいいです!!」
俺は“おにぎり”と言う名のごはんの塊が乗った皿を取り上げ、オータムナルさまは不服そうに眉間に皺を寄せる。
「誰が要らないと言った。私は食べるぞ。たとえサッカーボールのような“おにぎり”でも」
サッカーボール!?ま、まぁ見えなくもないが……
俺の作ったおにぎりは三角ではなく丸い形をしていて、ボール状になっている。しかもよれよれの海苔はあちこちつぎはぎのように巻かれていて……
再び、俺、泣キタイ↓↓
好きな人の前ではかっこよくありたいし、優しくなりたい。けれど実際には全然うまくいかない。
がくりと気落ちしていると
「紅、こちらへ参れ」
ギシッ
革張りの回転椅子を軋ませ、オータムナルさまが手招き。
言われるまま大人しく彼の元へ向かうと、
ぐいっ!
前置きもなくオータムナルさまは俺の腕を引き、俺を彼の膝の上に座らせる。
まるでボストンバッグを扱うような気軽さで俺を膝に乗せると
「紅、お前が作ってくれたおにぎり、お前が私に食べさせてくれないか?」
え、ぇえ!!?
P.224
この“お膝抱っこ”もかなり恥ずかしいが…それ以上に
そ、それって『はいあーん』ってヤツじゃ!!
英語で言うとスペルは『Open wide』!??
ステイシーにやってもらったのは覚えてるけど、あとにも先にも彼女ただ一人しかその経験がない俺。
カカカ!
頬が熱を持ったように熱い。こんなことで!?って思うかもしれないけれど、俺にとっては大きなことで。
あれこれ考えていると
「早くせぬか」
と、オータムナルさまがせっつく。
「あ、はい!!ただいま!!」
慌てておにぎりを手に取り、少しだけ指でおにぎりをちぎり、その欠片を彼の口に運んでいく。
オータムナルさまはその形の良いきれいな口を僅かに開け、まるで母親の餌を待つひな鳥のようなそのお姿に―――ちょっと可愛いじゃないか…なんて思ってると
パクリ
俺の指ごと口に含むオータムナルさま。
え!?
慌てて手をひっこめようとしたが、それより早くオータムナルさまは口から指を離してくれて助かった。
オータムナルさまは口に入れたおにぎりの欠片を上品な仕草でゆっくり咀嚼し、ごくりと飲み込んだ。
「ふむ。お前の作るおにぎりは誠に美味だな」
「そ、それは良かったですぅ。見た目はあれですけど」
苦笑いしか返せない。
意味もなくへらへら笑っていると、オータムナルさまがそっと俺の手を取り、その指の先や間にくっついた米粒をペロリ。
へ!?
またも俺の心臓がドキリと鳴り、
「お…オータムナルさま……」
離して欲しいと言う意思表示の為に彼に呼びかけると
「何だ?」
と彼の舌先が俺の指の間をいやらしくつついてきて、これだけなのに何故だか俺の中心が熱を持ったように熱くなる。
けれど
「おやめください」とは言えない俺―――
俺はぎゅっと目を閉じた。
知らなかった―――
俺の性感帯って指にもあったんだな―――
P.225
オータムナルさまは一通り舐めて俺の指をきれいにしてくれると
俺の頬をゆっくりと撫で、反対の手は俺の太ももにあてがう。
その大きな手のひらが太ももを優しい手つきで撫でさすり、やがてその手はだんだんと上に上っていき、俺の中心をそっと包んだ。
ビクッ!
俺の肩が震え、オータムナルさまを見下ろすと
「あれだけなのにこんな風になって―――可愛いな、お前は」
オータムナルさまは色っぽく笑って、俺の中心を僅かにもみしだく。
確かに…あれだけのことなのに硬くしている自分が恥ずかしくて、赤くなった顔を見られないように慌てて体を離そうとすると
グラッ
俺の体は傾き、オータムナルさまの膝から滑り落ちそうになった。
「ぅわ!」
「Look out.(危ない)」
ぐい
またもオータムナルさまの力強い腕で引っ張られ、俺は咄嗟に彼の首にしがみついた。
オータムナルさまは俺の背に手を回し俺をきゅっと抱きしめると
「私がふざけ過ぎた。すまぬ」
と、そっと耳元で囁く。さっきの滑り落ちそうになった衝撃で俺のものは少ししぼみつつあったのに、その甘い低温が耳朶を優しくくすぐりまたも硬くなる。
俺、どうしっちゃったんだよ。
「オータムナルさま……も…離して……」
彼の胸に手を置き、体を離そうとするも
「すまぬと言ったじゃないか。第一お前が悪いんだぞ?」
「俺が…?」
「ああ、あんな風に可愛い反応されるとつい苛めたくなるじゃないか」
可愛い……
苛め……
って、やっぱこの人どSだ。
P.226
オータムナルさまは俺をしばらく離してくれなさそうなご様子。
きゅっと俺を抱きしめて離さない。俺も―――諦めて、彼に体を預け
僅かに顔を上げると壁に掛かった『最後の晩餐』が目に入った。
「何故―――こちらを?」
気になったことを聞いてみると
「ああ、あのユダの顔を見ていた」
裏切り者の―――……
「あの顔、今の私にそっくりじゃないか?」
温度のない淡々とした声音で聞かれて、俺は絵画とオータムナルさまを交互に見やった。
「少しも似ていらっしゃらないと思いますが―――?どうしてそんな風にお思いに?」
「何故だか重ねてしまうんだよ。
お前が―――カイルとの橋渡しをしてくれようとしていたのに、私はその手を跳ね除けた。
私がお前の提案を受け入れていれば、或は国外追放などせずもっと軽い罰にすれば―――
そうしていれば、カイルは自殺など愚かなことを考えなかった筈。
私は罪深い人間だ。
神は決してお許しにならないだろう」
オータムナルさま……
P.227
誰よりもお優しくて、誰よりも気高い
ステイシーがそうだったように、
オータムナルさまもまた―――
俺が好きになったのは―――そんな人たちだ。
「オータムナルさまは、罪深くなどありません。
あなたは自分の行いを振り返って反省できるお方だ―――
人の痛みを知り、その痛みに向かい合おうとしている。
そんなお方を何故、罪深き者だと言えましょう」
そっとオータムナルさまの頬に手を伸ばすと、いつもより少しだけ…そこは体温が低かった。
「紅――――
お前は私を赦してくれる、と言うのか」
「赦すも何も、あなたの罪は一体何なんですか?
俺には―――分かりません」
そう
赦されない人間はオータムナルさまじゃない。
罪の十字架を背負い、これからその報いを受けるのは
彼以外の誰か
P.228<→次へ>
冬の夜
キミへの気持ちを窓に託しました
たった一言が言えない私は臆病者ですか?
でも今はこれが精一杯
雪に想いを
『次はお天気コーナーです。今日から明日にかけて低気圧が日本の南を発達しながら東北東に進み、明日には日本の東に進む見込みです。
関東甲信地方では今夜から雨が次第に雪に変わり、あす午前中にかけて山沿いを中心に、平野部でも積雪となる所がある見込みです。雪による交通障害、架線や電線、樹木等への着雪、路面の凍結に注意してください』
今朝のワイドショーのお天気キャスターの言葉を思い出したのは、勤めている会社の定時を迎え業務を終えたときだった。
「えー!やだっ!雪降ってるじゃん」と誰からともなく声が挙がり
「ホントだー、私傘持ってきてない」
「どうりで冷えると思った」
と同僚たちが次々と口にする。
またも誰かが「せっかく彼氏に買って貰ったバッグが濡れちゃう」と言い出し、それでもちっとも困った様子ではなく、どこか誇らし気だ。
そしてその周りの女子たちが盛んに羨ましがる。
「いいなー、でもあたし今度のクリスマスにダイヤの指輪ねだっちゃうんだー」と一人の女の子。
「いいなー!」黄色い声に、私は苦笑いを浮かべるしかない。ここでの男の年収と、女の品格は反比例する。いかにいい服を着るか、いかにいいバッグを持つか、いかにいい男を彼氏にするか、年中こんな会話でうんざりする。
かと言って輪に加わらないわけにはいかない。仕事とプライベートの内容こそ比例するのだ。
P.1
「仁科《にしな》さんはいつも素敵な服着てますよね」ふいに一人から話題を振られた。
「えっ、そう?」私は曖昧に笑って言葉を濁した。今日の服装は白いタイトワンピ。腰回りに太いベルトが巻き付いていて、ちょっと豪華に見えるゴールドのバックルがワンポイント。
そして同じくゴールド系のスパンコールが襟元に入ったコートを腕にかけて帰りたいアピール。
シンプルな服装だったけど、流石は目が肥えている女子たち。すぐにそれが高価なものだと見破った。女のチェック程厳しいものはない。私がオシャレをするのは対、男ではなく、彼女たちの為。
「仁科さんてぇ、結婚しないんですかぁ」間延びした話し方が赦されるのはこの年代の特権だ。
「結婚ね……相手がいないから」私は適当にごまかして再び言葉を濁した。
こう言っておけば大抵の女は引き下がる。私が長い間、人付き合いをしてきて、これが最良の方法だと知ったのはつい最近のこと。
私がこの会社に勤めはじめて五年になる。この会社での女性正社員では長いほうだ。後から派遣された若い女の子たちから見れば私なんてお局のようだった。
「そう言えばぁ仁科さん、この前見ちゃったんですぅ」一人の女の子が思わせぶりに口元へ手をやった。
短く切った髪にはパーマがあててあり、傍から見ればマシュマロのように可愛らしい女の子だ。
だが、そんな可愛らしさに惑わされてはいけない。女はいつでも顔の下にしたたかな一面を隠しているのだから。
P.2
「何を?」私は平静を装って取り澄ました。
もしかして“アイツ”と居る所を見られた?と思ってドキリとしたが
「この前の金曜日、青山のイタリアンレストランで、経理の前田さんと一緒にいるところぉ」
ああ、そっちか。とちょっとほっと安堵する。
「ええー!!」周りから黄色い声が飛ぶ。私は思わず頭を押さえたくなった。
そう、確かに経理の前田に誘われて先週の金曜に青山まで行った。
でも食事をしただけで、別に艶かしい関係ではない。だが、ここで重要なのが、経理の前田という男、この会社ではなかなかのハンサムでしかも独身、きさくな性格をしているわりには頼れる上司でもあるのだ。そうゆう男を若い女性社員が放っておくわけがない。
「いいなー、ねえお二人って付き合ってるんですか?」
食事をするイコール男女の関係と、どうして若い子たちはそう短絡的なのだろう。私はこの場から逃げ出したくなった。だけど、この場から立ち去ると認めたことになってしまう。
「別に、ただお食事に誘われただけよ」
「うそー、絶対前田さん仁科さんのこと狙ってるわよぅ。だって、あたしたちがいくら誘っても全然だったのよー。それなのに前田さんは仁科さんのこと」
嫉妬心と羨望の眼差しで見られ、私は思わず後ずさり。
何とか前田との話を切り返し、従業員出入り口から女子の群れに混ざって出てきた所だった。
遠くで派手なエンジン音が聞こえてきて、この狭い路地裏へと近づいてきた。この聞き慣れたエンジン音。私は嫌な予感がして思わず一方通行の標識を見つめた。
「よーう、仁科」黒のポルシェの窓から腕を出し、銜えタバコをしながら九条《くじょう》が手を振っている。
「やっぱり」
私は、今度こそ頭痛をこらえるように頭をしっかりと押さえた。
P.3
「仁科、今終わりか?これから飯でも食わねー?」
この状況を知らずに能天気に笑ってるその整った横っ面に今すぐ張り手を食らわせたい。
「あ、あんたいつ東京に戻ってきたわけ?」私は女の子の群れから一人離れると、九条の車に近づいた。
「あー、悪い。三日ぐらい前かな?この前言ってた日本料理屋行こうぜ」
「あんたっていつも何で急なのよ」
私が声を潜めて九条を睨んでいるときだった。
「えー、仁科さんの彼氏さんですかぁ?かっこいい!」
女の子たちの視線が九条に移った。予想していなかった最悪の事態。
上半身しか見えなかったが、今日の九条は黒いジャケットの中に白いカットソーを着ていて、真冬だって言うのに襟ぐりに濃いサングラスをかけている。いつものように髪をラフにセットしてあって、左耳には輪っかのようなピアスが三つ光っていた。
そう
どこからどーみてもこいつは
ホスト。
P.4
「仁科、今終わりか?これから飯でも食わねー?」
この状況を知らずに能天気に笑ってるその整った横っ面に今すぐ張り手を食らわせたい。
「あ、あんたいつ東京に戻ってきたわけ?」私は女の子の群れから一人離れると、九条の車に近づいた。
「あー、悪い。三日ぐらい前かな?この前言ってた日本料理屋行こうぜ」
「あんたっていつも何で急なのよ」
私が声を潜めて九条を睨んでいるときだった。
「えー、仁科さんの彼氏さんですかぁ?かっこいい!」
女の子たちの視線が九条に移った。予想していなかった最悪の事態。
上半身しか見えなかったが、今日の九条は黒いジャケットの中に白いカットソーを着ていて、真冬だって言うのに襟ぐりに濃いサングラスをかけている。いつものように髪をラフにセットしてあって、左耳には輪っかのようなピアスが三つ光っていた。
そう
どこからどーみてもこいつは
ホスト。
P.4
でも勘違いしてもらっては困る。私はこいつの客じゃない。東京を離れていたのも、大方客の一人と遠征旅行でもしていたのだろう。
「違っ!こいつとは単なる腐れ縁。彼氏とかじゃないから」
と慌てて否定するも秒の単位で噂が回るこの会社で明日の朝には『仁科さんて、ホストに貢いでるらしいよ』とあちこちで言われるに違いない。
くらり、と眩暈が起きた。
腐れ縁、と言うのは間違いない。中学からの同級生だから。
「じゃあ、本命は前田さんですかぁ?」女の子達が興味津々で目を輝かせている。
「前田??ひどいなー、仁科ぁ。俺たち何度もセック……もがっ」
最後の方が言葉にならなかったのは私の手が九条の口を塞いだから。
ふざけんな!何言い出すんだこいつぁ!!
空気読めっつうの!
と言うことを目で訴えると、流石に冗談が過ぎたと思ったのか九条は苦笑い。
「で?行くの?行かないの?」せっかちに聞かれて
「わかったわよ!行くわよ」半ば怒鳴るように九条を睨みつけると、私はそそくさと助手席に回った。
「それじゃ、私はこれで。お先に」女の子たちにはなるべく平静を装って、にこやかに手を振る。
ため息をついて車の助手席を開けると、運転席から九条が笑顔で手を差し伸べてきた。
「ただいま、仁科」
昔とちっとも変わらない笑顔。眉が下がり、目を細める、優しい笑顔。そして時々その低い声で呼ばれる、自分の名前。何だかくすぐったいが、この笑顔を向けられたら、たとえ九条の勝手に振り回されても、赦せてしまう。
「……おかえりなさい」私は俯くと、小さく返事を返した。
P.5
前述した通り私と九条とは中学からの付き合いだ。かれこれ十年以上の付き合いになる。十年、と言う歳月は長く感じられるけれど、その間に音信不通になったり、そしてどこからか連絡先を入手して電話を寄越して来たり、をだらだらと繰り返している。
でも、私たちははっきりと『付き合って』はいない。もちろん九条のブラックジョークの『体の関係』もない。
あるのは中学生から変わらないノリと
私が九条のこと「好き」
と言うことだけ。歳を重ねて、九条がホストになって……あ、今はホストじゃなくホスト店を経営してるオーナー様でもあったかしら。とにかく環境は変わったものの、不変的な何かは確実に存在している。
パワーウィンドウの外をちらほらと雪が降っていた。
「北海道行ってきたんだ~土産に蟹買ってきてやったぞ」と九条は運転しながらどこか楽しそう。
「北海道……ここより雪が多そうね」ぼんやりと呟きながら、九条に気づかれない程度にこっそりと、外気との差で曇った窓ガラスに、人差し指で
『好き』
と書く。
私の書いた文字は私の体で隠れて九条からは見えない。
「蟹すきしようぜ~、お前んちで」
「何であんたを一々上げないといけない?」
言い合いをしながら、やがて私のマンションに着く頃にはみぞれになった大粒の白いものが私の『好き』をかき消す。
「だってお前んち床暖あるじゃん?」
「そんな理由かよ」
中学生から変わってないこの関係とノリ。
今はまだ―――
この関係でいいや。
~FIN~
P.6