魔のスクエア
カイルさまが亡くなった―――と言う報せを受けてから三日が過ぎた。
宮殿内はカイルさまの噂話でもちきりだった。
自殺と言うのは嘘で、誰かに殺された―――とか、英国のスパイが彼を殺した―――とか、カイルさまの死の報せは実は捏造されたもので、本人は国外逃亡した…とか。
色々だ。
本当に色々…
「よくもまぁ飽きずにそんな想像ができるもんだ。みんな小説家になった方がいいんじゃない?」
俺は廊下のカウチに腰掛けて呆れたように吐息をつき、行き交うお手伝いの人たちを眺めていると
「同感ですね。特に最後のは酷い」
とすぐ隣に…こちらも少し疲れた表情を浮かべた秋矢さんが無遠慮に座ってきた。
「ミスター来栖、ここで何を?まさか人間watching??」
「まぁ、そんなところです…オータムナルさまはカイルさまの件でお忙しそうだし、マリアさまと沙夜さんはそれぞれのお部屋に籠っていらっしゃるし。
相手してくれる人が居ないんですよ。
暇…」
膝の上で頬杖をつき思わずため息をつくと
「なら私がお話のお相手をいたしましょう」
と秋矢さんがさらり。
い……いやいやいや!!
「遠慮しますぅ」
俺は顔に浮かべた苦笑いで慌てて手を振ったが
「カイルさまの死は本当ですよ。私はこの目で遺体を見てきた」
秋矢さんの言葉に、さっきまでの拒否感が消えうせた。
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「カイルさま……本当に自殺だったのですか?」
俺が目を上げて聞くと秋矢さんは軽く肩をすくめた。
「さぁ、そこのところは私にも分かりかねます。ただ―――……解剖の結果、使われた毒物が判明しました。
トリカブトの毒です」
え――――……
「トリカブトって青酸カリに次いで猛毒じゃないですか…」
「ええ、ですからカイル様はそれほど苦しまずに亡くなられたかと」
「トリカブトの毒なんてそんなに簡単に手に入るものなんですか?」
俺が聞くと秋矢さんは向かい側にある大きな窓を目配せ。その窓からはきれいな群青色の海が広がっていた。
オータムナルさまの瞳の色と同じ―――深い深い―――…青
「あの海の反対側……つまりは宮殿の裏側は小さな山があるんですよ。それを超えると砂漠になる。
あなたはご存じないと思いますが」
秋矢さんの問いかけに俺は肯定の意味でこくこく頷いた。
「その山に生息していますが、街に行けば恐らく闇マーケットで出回っているものだと、私は考えています」
「…じゃぁ…誰でも簡単に毒を入手できるんですね」
「そうですね。私も皇子もマリア様も沙夜姫様も
――――あなたでも。
例外はなくこの国の誰もが容疑者です」
指さされて俺は目を開いた。
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「そ、そんな!!俺っ!!そんな山の存在なんて知らないし、ましてやカイルさまを殺す動機がないじゃないですか!!」
慌てて早口で言うと
「ははは」と秋矢さんは明るく笑う。
「可能性の話ですよ。あなたは面白いほど動揺して、私の予想通りの反応をしてくれる」
ま、また冗談??
忘れてた…この人こーゆう人だった…
何で俺、いっときでも真面目にこの人と向かい合っちゃったんだろう。
今さらになってちょっと後悔。
「私はあなたにそんな度胸がないと思ってますから安心してください」
度胸がない??殺人犯の濡れ衣着せられるよりはマシだけど、何かバカにされてる気が。
ちょっとムっとなって秋矢さんを睨むと、秋矢さんは笑顔のまま軽く肩をすくめる。
「それにしても…どーして俺にそんなこと教えてくれるんですか。
またよからぬこと企んでるんですか?情報の代わりに体を寄越せ、とか」
言った後になって後悔した。
「なるほど、その手がありましたね。どうでしょう、もっと詳しいことをお知りになりたかったら私の部屋に来ますか?」
俺……墓穴↓↓
「い、行くわけないでしょ!!」
俺は思わず自分の体を庇うようにぎゅっと体を抱きしめると、秋矢さんはまたも明るい声で笑った。
そして俺の顎に手を掛けると
「そんなに私のことが嫌いですか?」
と突然聞いてきた。
「嫌いじゃないですけど、苦手です」
この際だからはっきり言わせてもらう。
「先輩だからっていい気になるなよ!」
ビシっ!指をさして俺は精一杯の威嚇…をしたつもりだったケド
「いい気…もっとましな威嚇はなかったのですか?くくっ」
秋矢さんはまたも笑いをこらえるかのように腹を押さえてクスクス笑っている。
くっそーーー!!
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結局、秋矢さんが何の目的で俺にカイルさまのあれこれを話してくれたのか分からなかった…
そのうちに秋矢さんも国王さま付きのお手伝いさんに呼ばれて行っちゃったし。
俺はまた一人。
また人間watchingでもしてようかな~とか思ったけど、半日もやってればいい加減飽きる。
仕方なしに俺は庭に出て一人で散策。
またマリアさまが掘ったと言う落とし穴にはまらないように今度は用心深く。
まるで地雷を踏まないように歩く傭兵のように注意深く、その恰好はさぞ無様だっただろう。
マリアさま―――
俺が落とし穴に落ちて以来、まともに会話していない。
カイルさまの思わぬ訃報が届いてそれどころじゃないってこともあるが。
根は優しいお人だと思う。
この国に来て最初に打ち解けてくれたのもマリアさまだった。
落とし穴だって、若干やることが子供っぽいが可愛い悪戯の範囲だ。俺だって施設に居るとき友人と結託して何個も落とし穴を掘った。
マリアさまは―――あの方は従兄妹に当たるカイルさまの死を悼んでおいでだろう。
カイルさまが国外追放になる前は、仲良さそうだったしな…
そう考えながらお庭を散策していると、マリアさまに似合いそうなデイジーの花を見つけた。
きれいに手入れされている花壇で、デイジーの他にも名も知らない花々が咲き誇っている。
俺はデイジーの花の茎を一つ折るとそれを手にいそいそとマリアさまのお部屋に向かった。
こんな…庭に咲いてたちっちゃいデイジーにマリアさまがお気に召すかどうか不安だったが…
「マリアさま、いらっしゃいますか?」
コンコン…部屋をノックしても返事がない。
「マリアさま?」
もう一度呼びかけたが、やはり返事はないしその扉が開くことはなかった。
仕方なしに俺は近くにいたお手伝いさんを引き止め紙とペンを借りると
‟I'm sorry.I'll chack in on you later.(すみません、また来ます)”
とだけ書いて、紙を折りたたむとデイジーの茎に縛りつけ、マリアさまのお部屋の前にそっと置いて、その場を後にした。
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マリアさまの部屋を離れた後に気づいた。
しまった。名前書くの忘れた……
といっても今から戻るのはなー…結局俺は諦めて自室に帰った。
その後、数時間―――俺は部屋に籠ってインターネットを開いたり文庫本を読んだり…あまり有意義とは言い難い時間を何とかやり過ごし、夕食前になると
コンコン…
誰かが俺の部屋をノックした。夕食を呼びに来たお手伝いさんの一人かと思ったら
「コウ?いらっしゃる……?」
何と!!マリアさまのお声が聞こえて、俺は慌てて扉を開けた。
「マリアさま!」
マリアさまはおずおずと扉の隙間から顔を出し
「……コウ?今ちょっとよろしい?」と聞かれて、俺は慌てて彼女を自室へ招いた。
「き、汚い部屋ですが!」
慌てて開いていた文庫本を閉じ、少し乱れていたベッドのシーツを直す。
「気にしないで。あなたのお部屋はきれいよ?」
慌てる俺の背後でマリアさまがクスクス小鳥のように笑う。
その声を聞いて―――少しだけ安心した。お元気そうで良かった―――
「コウがこれを届けてくれたのでしょう?」
マリアさまが両手を指し出し、その上にちょこんと乗っていたのはデイジーの花。
「え?ええ……でもよく俺だと分かりましたね…」
「だってスペルが間違っているんだもの。I'll check in on you later.のcheckのeがaになっていてよ?これじゃチャックだわ。
こんな間違いをするのは英語が不慣れなコウしかいないと思って」
「あ、あはは~…」
俺は苦笑いしかできない。
やっちまったよ↓↓ああ、恥ずかしい!!
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俺はマリアさまをカウチに座らせると、彼女に水を一杯差し出した。
「ありがとう。ねぇコウ……わたくしのこと怒ってないの…?」
とグラスを受け取りながらマリアさまが唐突に聞いてきて、俺は頭に「?」マークを浮かべた。
怒る??何を?
「お兄様から聞いたわ。コウはわたくしが落とし穴を作ったことに気づいても、叱らないでやってくれって、庇ってくれたと」
そう言われてやっと気づいた。
「ああ!いえ!!そんな!!怒るも何も!俺の不注意で」
俺は慌てて手をふりふり。
でもマリアさまはしゅんと項垂れたまま。
「あの…オータムナルさまからお叱りを受けたのですか?」
「お兄様はいつも怒ってばかりだもの、今さら気にしないわ。でも……」
マリアさまは益々俯かれて、手の中でデイジーの花をくるくる。
「でも?」
俺が先を促すと
「トオルにも叱られたの。わたくし、トオルに怒られたのも、あんなに冷たい目で見られたのもはじめてで…」
え!秋矢さんも!!
「てか大の大人が二人も(可愛い)女の子をよってたかって苛めるなよ!」
ふー!!俺は鼻息も荒く今すぐ秋矢さんに抗議しに行く勢いだったが、マリアさまがそれを止めた。
「いいの!コウが……」
言いかけてマリアさまは口を噤んだ。
「俺が?」
またも先を促すと
「コウは怒ってない?」
マリアさまはくりくり大きなおめめを上げて俺を見つめてきた。
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その、何かをねだるようなうるうるおめめに一発knockoutと言いたいところだが、何故だか冷静にマリアさまを見れた。
マリアさまは―――許しを請いにここに来たわけじゃない。
ただ―――俺が怒ってるかどうか、知りたかっただけなのだ。
「怒ってませんよ?」
俺はマリアさまの隣に腰掛け、やんわりと微笑みかけると、マリアさまはほっと胸を撫で下ろした。
「コウは優しいのね。
わたくし―――コウにヒドイことしたっていうのに」
マリアさまがまたも見上げてきて俺は首を横に振った。
「お兄様はいつも怒ってばかり、お父様もお兄様ばかり可愛がって…わたくしなんていらないんだと思ってた。
でもトオルが居たから…トオルはわたくしの心の支えだったのに―――
そのトオルも、お兄様もあなたに夢中で、何だか悔しかったの。
本当にごめんなさい」
マリアさまは両手でグラスを包み、深く項垂れた。
マリアさまは―――
きっと愛情に飢えておいでなのだ。
誰からも愛されない―――と勘違いして……でもオータムナルさまも秋矢さんも、沙夜さんもマリアさまのことを大切に思っているに違いない。
俺も―――
マリアさまのこと、男女のそれとは違うけれど
「俺はあなたのことが大好きですよ?」
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「ありがとう、わたくしもあなたのことが大好きよ?コウ―――……」
マリアさまは海のような色の瞳に熱をたぎらせて瞳をゆらゆら揺らしながら俺を見上げてきたが、それは恋愛感情とかそういった類のものではないことがすぐに分かった。
だってマリアさまは秋矢さんのこと―――
いくら鈍感な俺だってさすがに気づくよ。
マリアさまは秋矢さんが好きなんだ。
「コウ、昨夜英国領事館に泥棒が入ったというのはご存じ?」
唐突に聞かれて俺は首を傾げた。
「泥棒??物騒ですね」
思えば、随分間抜けな受け答えだったと思う。
「その泥棒、何も盗まなかったようよ?カイルお兄様のご遺体の傍で見つかったらしいけれど」
マリアさまが何故そんなことを知っていたのかちょっと疑問だったが、秋矢さんにでも聞いたんだろう。
何せ秒速で噂が回る宮殿だからな。
「あなたがカイルお兄様のこと気に掛けていらっしゃったから教えてさしあげたの。
カイルお兄様も―――残念なこと……コウにあんなことしなければ死なずにすんだのに…」
ああ、それで……
てか、やっぱりマリアさま、カイルさまのことでお心を痛めておいでのようだ。
カイルさまのことを語るとき、悲しそうな表情になる。
けれどわざとその悲しさを吹き飛ばすように彼女は明るく言う。
「凄腕の賊だって噂よ。ガードマンが何人も負傷したんですって。
でも死者は出ていないそうよ」
マリアさまは得意げに喋ってくれる。
きっとマリアさまも俺と同様、暇をもて余していたのだろう。
「その賊は捕まったのですか?」
俺が質問すると、マリアさまは小鳥のように可愛らしく吐息をはいて
「それがまだみたいよ……?怖いわ、そんな物騒な人間がこの国に居ると思うと」
「お気を確かに。宮殿内は安全です。衛兵たちも居ますし秋矢さんだって」
マリアさまをそう宥めて―――俺は心の中で小さく吐息。
賊――――かぁ………
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マリアさまはそのあとしきりに話題を振ってきて、俺もそれにやや大仰だと思われる態度で返すと一通り喋って満足したのか、彼女は満足そうに部屋に帰っていかれた。
残された俺は―――
“ぐぅ”
腹の虫が鳴っておなかを押さえる。
「腹減った……」
色々緊張が抜けたんだろうな。マリアさまとも仲直り(?)したし、あとはオータムナルさまときちんとお話できたら…
そんな想いを抱きつつも、俺の腹は正直で夕食にはちょっと早いが食べ物を探して広間へ向かった。
僅かに開いた両開きの扉から、沙夜さんの声が漏れ聞こえてきた。
「………お聞きになりまして?英国領事館に泥棒が入ったこと。
つい先日もコウさんが幽霊を見たとおっしゃったし……怖いですわ」
沙夜さん―――……?誰かと喋ってるのかな。
盗み聞きするつもりはなかったけれど、でもどうにも沙夜さんの押し殺した囁き声が気になる―――って言う……俺は変態か↓↓
「沙夜さ……」
俺が扉を開けようと手に掛けると、内部の様子が少しだけ見えた。
そこに居たのは
「大丈夫ですよ、沙夜姫。幽霊話はミスター来栖の作り話…と言うかおおかた寝ぼけて夢でも見たのでしょう」
秋矢さん―――――……?
「盗賊の方はただいま英国とカーティアと協力して警察組織が捜索しています。
小さい国だ。逃げ場はありませんよ。すぐに掴ります。ですのでご安心を」
秋矢さんは怖がる沙夜さんを宥めるように肩に手を置き―――そっと…彼女の体を抱きしめた。
え――――!?
「秋矢様……」
沙夜さんの声がどこか色っぽく熱を帯びている。
「二人きりのときはトオルと」
秋矢さんが低く笑い、沙夜さんの唇にそっと人差し指を立てる。
「トオルさん……」
やがて二人の顔と顔が近づいて―――
P.221<→次へ>
冬の夜
キミへの気持ちを窓に託しました
たった一言が言えない私は臆病者ですか?
でも今はこれが精一杯
雪に想いを
『次はお天気コーナーです。今日から明日にかけて低気圧が日本の南を発達しながら東北東に進み、明日には日本の東に進む見込みです。
関東甲信地方では今夜から雨が次第に雪に変わり、あす午前中にかけて山沿いを中心に、平野部でも積雪となる所がある見込みです。雪による交通障害、架線や電線、樹木等への着雪、路面の凍結に注意してください』
今朝のワイドショーのお天気キャスターの言葉を思い出したのは、勤めている会社の定時を迎え業務を終えたときだった。
「えー!やだっ!雪降ってるじゃん」と誰からともなく声が挙がり
「ホントだー、私傘持ってきてない」
「どうりで冷えると思った」
と同僚たちが次々と口にする。
またも誰かが「せっかく彼氏に買って貰ったバッグが濡れちゃう」と言い出し、それでもちっとも困った様子ではなく、どこか誇らし気だ。
そしてその周りの女子たちが盛んに羨ましがる。
「いいなー、でもあたし今度のクリスマスにダイヤの指輪ねだっちゃうんだー」と一人の女の子。
「いいなー!」黄色い声に、私は苦笑いを浮かべるしかない。ここでの男の年収と、女の品格は反比例する。いかにいい服を着るか、いかにいいバッグを持つか、いかにいい男を彼氏にするか、年中こんな会話でうんざりする。
かと言って輪に加わらないわけにはいかない。仕事とプライベートの内容こそ比例するのだ。
P.1
「仁科《にしな》さんはいつも素敵な服着てますよね」ふいに一人から話題を振られた。
「えっ、そう?」私は曖昧に笑って言葉を濁した。今日の服装は白いタイトワンピ。腰回りに太いベルトが巻き付いていて、ちょっと豪華に見えるゴールドのバックルがワンポイント。
そして同じくゴールド系のスパンコールが襟元に入ったコートを腕にかけて帰りたいアピール。
シンプルな服装だったけど、流石は目が肥えている女子たち。すぐにそれが高価なものだと見破った。女のチェック程厳しいものはない。私がオシャレをするのは対、男ではなく、彼女たちの為。
「仁科さんてぇ、結婚しないんですかぁ」間延びした話し方が赦されるのはこの年代の特権だ。
「結婚ね……相手がいないから」私は適当にごまかして再び言葉を濁した。
こう言っておけば大抵の女は引き下がる。私が長い間、人付き合いをしてきて、これが最良の方法だと知ったのはつい最近のこと。
私がこの会社に勤めはじめて五年になる。この会社での女性正社員では長いほうだ。後から派遣された若い女の子たちから見れば私なんてお局のようだった。
「そう言えばぁ仁科さん、この前見ちゃったんですぅ」一人の女の子が思わせぶりに口元へ手をやった。
短く切った髪にはパーマがあててあり、傍から見ればマシュマロのように可愛らしい女の子だ。
だが、そんな可愛らしさに惑わされてはいけない。女はいつでも顔の下にしたたかな一面を隠しているのだから。
P.2
「何を?」私は平静を装って取り澄ました。
もしかして“アイツ”と居る所を見られた?と思ってドキリとしたが
「この前の金曜日、青山のイタリアンレストランで、経理の前田さんと一緒にいるところぉ」
ああ、そっちか。とちょっとほっと安堵する。
「ええー!!」周りから黄色い声が飛ぶ。私は思わず頭を押さえたくなった。
そう、確かに経理の前田に誘われて先週の金曜に青山まで行った。
でも食事をしただけで、別に艶かしい関係ではない。だが、ここで重要なのが、経理の前田という男、この会社ではなかなかのハンサムでしかも独身、きさくな性格をしているわりには頼れる上司でもあるのだ。そうゆう男を若い女性社員が放っておくわけがない。
「いいなー、ねえお二人って付き合ってるんですか?」
食事をするイコール男女の関係と、どうして若い子たちはそう短絡的なのだろう。私はこの場から逃げ出したくなった。だけど、この場から立ち去ると認めたことになってしまう。
「別に、ただお食事に誘われただけよ」
「うそー、絶対前田さん仁科さんのこと狙ってるわよぅ。だって、あたしたちがいくら誘っても全然だったのよー。それなのに前田さんは仁科さんのこと」
嫉妬心と羨望の眼差しで見られ、私は思わず後ずさり。
何とか前田との話を切り返し、従業員出入り口から女子の群れに混ざって出てきた所だった。
遠くで派手なエンジン音が聞こえてきて、この狭い路地裏へと近づいてきた。この聞き慣れたエンジン音。私は嫌な予感がして思わず一方通行の標識を見つめた。
「よーう、仁科」黒のポルシェの窓から腕を出し、銜えタバコをしながら九条《くじょう》が手を振っている。
「やっぱり」
私は、今度こそ頭痛をこらえるように頭をしっかりと押さえた。
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「仁科、今終わりか?これから飯でも食わねー?」
この状況を知らずに能天気に笑ってるその整った横っ面に今すぐ張り手を食らわせたい。
「あ、あんたいつ東京に戻ってきたわけ?」私は女の子の群れから一人離れると、九条の車に近づいた。
「あー、悪い。三日ぐらい前かな?この前言ってた日本料理屋行こうぜ」
「あんたっていつも何で急なのよ」
私が声を潜めて九条を睨んでいるときだった。
「えー、仁科さんの彼氏さんですかぁ?かっこいい!」
女の子たちの視線が九条に移った。予想していなかった最悪の事態。
上半身しか見えなかったが、今日の九条は黒いジャケットの中に白いカットソーを着ていて、真冬だって言うのに襟ぐりに濃いサングラスをかけている。いつものように髪をラフにセットしてあって、左耳には輪っかのようなピアスが三つ光っていた。
そう
どこからどーみてもこいつは
ホスト。
P.4
「仁科、今終わりか?これから飯でも食わねー?」
この状況を知らずに能天気に笑ってるその整った横っ面に今すぐ張り手を食らわせたい。
「あ、あんたいつ東京に戻ってきたわけ?」私は女の子の群れから一人離れると、九条の車に近づいた。
「あー、悪い。三日ぐらい前かな?この前言ってた日本料理屋行こうぜ」
「あんたっていつも何で急なのよ」
私が声を潜めて九条を睨んでいるときだった。
「えー、仁科さんの彼氏さんですかぁ?かっこいい!」
女の子たちの視線が九条に移った。予想していなかった最悪の事態。
上半身しか見えなかったが、今日の九条は黒いジャケットの中に白いカットソーを着ていて、真冬だって言うのに襟ぐりに濃いサングラスをかけている。いつものように髪をラフにセットしてあって、左耳には輪っかのようなピアスが三つ光っていた。
そう
どこからどーみてもこいつは
ホスト。
P.4
でも勘違いしてもらっては困る。私はこいつの客じゃない。東京を離れていたのも、大方客の一人と遠征旅行でもしていたのだろう。
「違っ!こいつとは単なる腐れ縁。彼氏とかじゃないから」
と慌てて否定するも秒の単位で噂が回るこの会社で明日の朝には『仁科さんて、ホストに貢いでるらしいよ』とあちこちで言われるに違いない。
くらり、と眩暈が起きた。
腐れ縁、と言うのは間違いない。中学からの同級生だから。
「じゃあ、本命は前田さんですかぁ?」女の子達が興味津々で目を輝かせている。
「前田??ひどいなー、仁科ぁ。俺たち何度もセック……もがっ」
最後の方が言葉にならなかったのは私の手が九条の口を塞いだから。
ふざけんな!何言い出すんだこいつぁ!!
空気読めっつうの!
と言うことを目で訴えると、流石に冗談が過ぎたと思ったのか九条は苦笑い。
「で?行くの?行かないの?」せっかちに聞かれて
「わかったわよ!行くわよ」半ば怒鳴るように九条を睨みつけると、私はそそくさと助手席に回った。
「それじゃ、私はこれで。お先に」女の子たちにはなるべく平静を装って、にこやかに手を振る。
ため息をついて車の助手席を開けると、運転席から九条が笑顔で手を差し伸べてきた。
「ただいま、仁科」
昔とちっとも変わらない笑顔。眉が下がり、目を細める、優しい笑顔。そして時々その低い声で呼ばれる、自分の名前。何だかくすぐったいが、この笑顔を向けられたら、たとえ九条の勝手に振り回されても、赦せてしまう。
「……おかえりなさい」私は俯くと、小さく返事を返した。
P.5
前述した通り私と九条とは中学からの付き合いだ。かれこれ十年以上の付き合いになる。十年、と言う歳月は長く感じられるけれど、その間に音信不通になったり、そしてどこからか連絡先を入手して電話を寄越して来たり、をだらだらと繰り返している。
でも、私たちははっきりと『付き合って』はいない。もちろん九条のブラックジョークの『体の関係』もない。
あるのは中学生から変わらないノリと
私が九条のこと「好き」
と言うことだけ。歳を重ねて、九条がホストになって……あ、今はホストじゃなくホスト店を経営してるオーナー様でもあったかしら。とにかく環境は変わったものの、不変的な何かは確実に存在している。
パワーウィンドウの外をちらほらと雪が降っていた。
「北海道行ってきたんだ~土産に蟹買ってきてやったぞ」と九条は運転しながらどこか楽しそう。
「北海道……ここより雪が多そうね」ぼんやりと呟きながら、九条に気づかれない程度にこっそりと、外気との差で曇った窓ガラスに、人差し指で
『好き』
と書く。
私の書いた文字は私の体で隠れて九条からは見えない。
「蟹すきしようぜ~、お前んちで」
「何であんたを一々上げないといけない?」
言い合いをしながら、やがて私のマンションに着く頃にはみぞれになった大粒の白いものが私の『好き』をかき消す。
「だってお前んち床暖あるじゃん?」
「そんな理由かよ」
中学生から変わってないこの関係とノリ。
今はまだ―――
この関係でいいや。
~FIN~
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