Autumnal

大天使ガブリエルの涙


 

 

確かめるしかない。

 

 

俺は起き上がり、三日ぶりに部屋を出た。

 

 

三日ぶりだと言うのに、まぁたったの三日間しか経ってないからそう代わり映えなんてなく、部屋の外は白くてきれいな廊下が広がっている。

 

 

その廊下を歩いて秋矢さんのお部屋に向かう。

 

 

秋矢さんが部屋に居たら何て言い訳しよう。

 

 

そもそも、こんな状態で、のこのこ部屋になんて行ったら、変な勘違いをされそうだ。

 

 

どうにか秋矢さんが不在で部屋をこそっと確認できないものか―――

 

 

色々考えていたけれど、秋矢さんは不在で部屋には―――

 

 

 

 

 

鍵が掛かっていた。

 

 

 

 

 

 

ガチャガチャ

 

 

ドアノブを回しても、当然ながら扉が開くことはない。

 

 

あれ??こないだは鍵が掛かってなかったのに…

 

 

そう簡単にはいかない―――かぁ。

 

 

ため息を吐いてその場を離れようとしたところで、

 

 

「コウさん――――?ここで何をなさっておいでですの?ここは秋矢様のお部屋でございますよ」

 

 

今日は赤い着物をお召になった沙夜さんが現れて、俺はびくっ!!

 

 

だって足音しなかったんだもん。

 

 

草履だからだろうけど……

 

 

「いや…!ちょっと!!秋矢さんに用事が…」

 

 

沙夜さんはそれに何も答えずにじっと俺を直視してくると、音もなく近寄ってきた。

 

 

そのまますぐ傍まで近づいてくると、じっと俺の目を見上げる沙夜さん。

 

 

 

 

 

 

 

何――――……

 

 

 

 

 

 

 

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その縮まった距離に、ごくり、と喉を鳴らして息を飲んだ。

 

 

沙夜さんは間近で見ると、それはそれは大変な美少女であられて―――

 

 

こんな風に見つめられるとドキドキ……あれ??

 

 

ドキドキしない!!

 

 

何で!!?

 

 

「あの……沙夜さん…?」俺が問いかけると、沙夜さんはだしぬけににっこり微笑んだ。

 

 

「コウさん、お元気そうでなによりですわ。三日間もお部屋に籠りきりで皆心配しておりましたのよ?」

 

 

「す、すみません……その節はご迷惑を……い、色々ありまして」

 

 

しどろもどろに答えると、沙夜さんはそっと俺の耳元で

 

 

「色々って、例の毒の後遺症ですの?」

 

 

と、そっと聞いてきた。

 

 

「い、いえ!!それは違います。俺のメンタル面の問題で……」

 

 

ごにょごにょ答えると

 

 

「何かお悩み事でも?」と沙夜さんが首を傾げる。

 

 

「いえ……大した悩みじゃないんですよ」

 

 

まさか二人の男から言い寄られて困り切っていますぅ、とは

 

 

言えない。

 

 

けれど沙夜さんはどこまでも親切で

 

 

「よろしかったら精神科医をご紹介いたしますわよ。日本大使館に駐在されている日本人医師ですの」

 

 

と、真剣に言ってくれた。

 

 

「いえ!それは結構です!」

 

 

慌てて手を振って気づいた。沙夜さんの紅い着物の下でちらりと見える白の長襦袢が―――

 

 

「そうでしたか。ご必要になりましたらいつでもお申し付けくださいまし」

 

 

沙夜さんは朗らかに言って立ち去ろうとしていたが―――その手を俺は掴んでいた。

 

 

 

 

「待ってください、

 

 

 

沙夜さん―――」

 

 

 

 

 

突然手を掴まれてびっくりしたのか沙夜さんは少しだけ困惑したように眉を寄せ顎を引く。

 

 

「こないだの小包届けてくれたの沙夜さんですよね……」

 

 

「小包……ああ」

 

 

沙夜さんは合点がいったように小さく頷き

 

 

「実は―――おかしなものが入ってまして」

 

 

「おかしなもの……とは?」

 

 

沙夜さんが首をかしげる。

 

 

「人形――――なんです……」

 

 

「まぁ……お人形……??何故コウさん宛てにフランス人形なんて―――」

 

 

言った言葉を俺は聞き逃さなかった。

 

 

 

 

 

「俺

 

 

 

 

フランス人形だとは一言も言ってませんけど?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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沙夜さんが目を開く。

 

 

赤い唇がほんのわずか開いたが、だが結局そこから何かを語ることはなかった。

 

 

「今、気づきました。おかしいな……って。箱の内部は汚れていたのに包装紙はきれいだった。

 

 

明らかに誰かが包みなおした痕がありました」

 

 

「それがわたくしだと―――おっしゃりたいのですか?」

 

 

沙夜さんは俺の質問に動じることなく目だけを上げて聞いてきた。

 

 

「箱の中身を知っているのは開けた人間しか知らない筈。もしくは贈り主か―――」

 

 

俺が畳みかけると

 

 

沙夜さんは先ほどと同じ距離まで顔を近づけてきて

 

 

 

 

 

 

 

 

「思ったより

 

 

 

 

厄介な男」

 

 

 

 

 

 

 

 

楽しそうに低くそう囁いた。

 

 

 

 

 

 

 

沙夜――――さん……?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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「なーんてね。いつかのお返しですわ。

 

 

コウさんわたくしを厄介な女と申しましたでしょう?」

 

 

クスクス

 

 

沙夜さんは喉の奥で、まるで小鳥のように笑った。

 

 

言葉は棘だらけなのに話し方は無邪気で感情が全く読めない。その複雑な表情に今度は俺が引き腰。

 

 

あれは―――幽霊騒ぎのときに沙夜さんにツッコまれた言葉に対して言った言葉で―――

 

 

聞かれてたとは……

 

 

キマヅイ思いで頭の後ろをぽりぽり掻いていると

 

 

「あの箱は手違いで開けてしまったのですわ。そのことは謝ります。

 

 

けれど開けたのはわたくしではなくマリア様。間違えて開けてしまったことをどうすればいいのか悩んでおいででしたので、わたくしが包装紙を巻きました。

 

 

ご本人にご確認なさってください」

 

 

あっさりきっぱりと言われ、沙夜さんはしたり顔で「もうよろしくて?」と言い、引き止める口実も思い浮かばず、俺は彼女が立ち去るのを呆然と見送るしかなかった。

 

 

沙夜さんが嘘をついている―――とはこの場になっても思えなくて

 

 

俺はすぐにマリアさまに確認を取った。

 

 

「ほんっとぉにごめんなさい!!わたくしのお部屋に届いていたのでてっきりわたくし宛てかと。

 

 

その後、沙夜姫にお願いして包装してもらったの」

 

 

マリアさまはこっちが恐縮してしまうぐらい深々と謝ってきて

 

 

それ以上は何も言えない。

 

 

でも沙夜さんの言うことは本当のことだったんだ―――

 

 

「あの……マリアさま……箱の中身をご覧になられました――――……?」

 

 

恐る恐る聞くと、マリアさまはぞっとしたように可愛いお顔を青くさせて俺の腕に縋ってきた。

 

 

「ええ………箱は血だらけだし、変な人形が入っていて………

 

 

あまりにも不気味だったから沙夜姫と内緒にしましょう、ってことにしたの」

 

 

言いかけた言葉を俺は遮った。

 

 

「そのまま、誰にも言わないでください」

 

 

「ええ。でも、どうして?」

 

 

「ちょっと……色々ワケありで……」

 

 

「何か複雑な理由がありそうね。良くってよ。わたくしとコウ、それから沙夜姫の三人の秘密と言うことで」

 

 

マリアさまは開けてしまった罪悪感からか、それとも何か違う……この状況を楽しむかのように小指を差し出してきた。さっきまで顔色を悪くして俺に縋ってきたって言うのに。

 

 

どうやら指きりをしたいらしい。

 

 

 

P.348


 

 

指きりげんまんをして、俺は自分が箱を開けたときのことを思い出していた。

 

 

「あの…マリアさま。箱の中に人形と一緒に蝶が紛れ込んでいませんでしたか?」

 

 

「蝶?いいえ、気づかなかったですわ。人形を見て思わず取り落としてしまったけれど人形以外何も出てこなくてよ?」

 

 

「そうですか、ありがとうございます」

 

 

それだけ言って俺はマリアさまとも別れた。

 

 

マリアさまは秘密を守ってくれるだろう。

 

 

俺は―――彼女が悪戯にあの人形のことを喋って歩き回る、と言うことをしないであろう確信はあった。

 

 

マリアさまを信じてる―――と言うのが正しいかな。

 

 

でも―――謎は残ったままだ。

 

 

 

 

 

 

あの蝶は―――、一体どこで紛れ込んだのだろう……

 

 

 

 

 

ぼんやりと歩いていると―――蝶のことを考えていたからか、

 

 

国王さまのお部屋までたどり着いてしまった。国王さまがいらっしゃるお部屋はオータムナルさまのお部屋と違って警備がさらに厳重だ。

 

 

見るからにいかついカーティア人に、通っただけなのにギロリと睨まれてしまって俺は慌てて脚を早めた。

 

 

足早にその場を通り過ぎようとしたけれど―――

 

 

気になってお部屋を見ると、閉じられたお部屋の扉には、まばゆいばかりのゴールドで羽を広げた蝶の細工が施されていて…

 

 

蝶の囚われた部屋―――か……

 

 

ぽつり、そう思った。

 

 

 

或は

 

 

 

 

 

 

蝶が王さまを捉えて離そうとしないのか―――

 

 

 

 

 

 

 

ぞくり

 

 

何だか分からないけれど、急に背中に寒気を感じて俺は頭を振った。

 

 

これ以上は―――踏み込んではいけない。

 

 

本能の部分でそう囁いている。

 

 

 

 

そう

 

 

 

これ以上は踏み込んだら

 

 

 

 

 

触れてはならない禁域に足を踏み入れることになる――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

P.349


 

 

まるで逃げるように走っていると、いつの間にか俺はオータムナルさまのお部屋の前まで来ていた。

 

 

この前の衛兵二人が相変わらずのいかつい顔つきで銃を構えながら突っ立っていて、

 

 

でも固い守りとは反対にその中から明るいオータムナルさまの笑い声が聞こえてきて―――

 

 

何だかほっとできた。

 

 

王さまの部屋から逃げてきて、その皇子であられるオータムナルさまの声を聞いて安心できて―――

 

 

声………だけじゃ足らないよ……

 

 

勝手に落ち込んで、勝手に引き籠ってたのは俺なのに―――三日間会えなかったことに

 

 

計り知れない寂しさを抱えていた。

 

 

そのことに気づいた。

 

 

「オータムナルさまにお会いしたいのですが……」

 

 

おずおずと言うと衛兵は構えていた銃をゆっくりと降ろし、両開きの扉を開いて中に促してくれた。

 

 

「HAHAHAHA!」と明るい声がやや大きく聞こえてきて

 

 

「皇子。ミスター来栖がお見えです」

 

 

「紅が?」

 

 

その声にオータムナルさまが奥の部屋から顔を出した。

 

 

相変わらず見上げると首が痛くなりそうな上背の肩に、小さな女の子を乗せている。肩車だ。オータムナルさまがおっきい分その子がすごく小さく見えた。

 

 

五歳ぐらいだろうか―――

 

 

金髪の髪に褐色の肌。可愛らしい子だった。

 

 

ってか!!

 

 

「お、オータムナルさまの……のののののの!!!!!」

 

 

失礼とは思ったが震える指で思わずその子を指さして見上げると

 

 

「案ずるな。私の子ではない。

 

 

侍女の子だ」

 

 

オータムナルさまがにっこり微笑んでくれて、

 

 

ほっと胸を撫で下ろした。

 

 

撫で下ろしてもまだドキドキの余韻が残っているのか心臓が煩い。

 

 

変なの―――

 

 

さっき沙夜さんを見ても何とも思わなかったのに……

 

 

俺のドキドキセンサー壊れた??

 

 

とか一瞬思ったけど……でも―――

 

 

壊れてなんかないんだ。

 

 

やっぱり

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

好きな人とそうじゃない人は

 

 

 

 

 

 

 

違うんだな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

P.350


 

 

オータムナルさまはしばらくの間、そのお手伝いさんの子と遊んでいらっしゃった。

 

 

俺はそれを眺めたり、「お前も一緒にどうだ?」とキラキラの笑顔を俺に向けてきて、ボール遊びに誘ってくれたり……

 

 

お付きの女のお手伝いさんが居るものの、オータムナルさまはその子供にべったりで

 

 

本当に本当に楽しそうだった。

 

 

始めて見る……子供のように無邪気で、まるでどっちが子供か分からないほど楽しそうな彼の姿を見て―――

 

 

ささくれだっていた俺の心がすぅっと凪いでいく。

 

 

やがてボール遊びにも飽きたのか、今はオータムナルさまを馬に見立てて「お馬さんごっこ」をしている女の子に

 

 

「Natasha!」

 

 

とお付きのお手伝いさんが彼女の名前を呼び

 

 

「申し訳ございません!こら、こちらは皇子様であらせられるお方なのですよ。

 

 

無礼にも程がございます」

 

 

と慌ててナターシャと呼ばれた女の子をオータムナルさまの背から引きはがした。

 

 

オータムナルさまはちょっと残念そうに起き上がり

 

 

「良いのだ。私が好きでやっている」

 

 

と、ちょっと寂しそうに瞳を揺らしていた。

 

 

それから小一時間ほど遊んで、使用人親子が中庭でお花を摘んでいる姿を遠目で眺めていたオータムナルさまが

 

 

「まことに……子供とは何と愛くるしい生き物なのだ。

 

 

一日中見ていても飽きないな」

 

 

と、微笑ましいものを眺める視線を柔らかくその親子に向け、微笑んだ。

 

 

意外――――オータムナルさまは、子供好きだったんだな。

 

 

「お……オータムナルさまだって……望めばいくらでもお子さんを作れそうなのに…」

 

 

思ってもないことが口を出て、自分自身が嫌になる。

 

 

俺を見てほしい―――と願ったら

 

 

 

 

 

 

オータムナルさまの願いは叶わなくなるんだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

P.351


 

 

けれどオータムナルさまは特に気を悪くしたようでもなく、うっすらとほほ笑んで俺の手をそっと取ると

 

 

「少し……歩こうか」

 

 

と言い、歩き出した。

 

 

俺は手を繋がれたまま―――ゆっくりと彼の後に続いた。

 

 

久しぶりに―――手を繋いだ。

 

 

繋いだ指先から俺の鼓動が聞こえやしないか、俺は緊張しっぱなし。

 

 

庭に植えられた色とりどりの花々がふんわりと風で揺れる。

 

 

ゆらゆらとその風に乗ってオータムナルさまの芳しい香りが漂ってきた。

 

 

鼻孔に記憶を焼き付けるように、それをいっぱいに吸い込む。

 

 

オータムナルさまの黄金色の髪がキラキラと太陽の光を反射させ、風になびいた。

 

 

その後ろ姿を眩しい思いで眺めていると

 

 

すぐ後ろを歩く俺の手を―――オータムナルさまが強めに引いた。僅かに振り返り

 

 

 

 

「紅、私はお前と並んで歩きたいのだ」

 

 

 

 

サファイヤブルーの瞳をゆらゆら……まるでいつかの噴水の水面のように揺らして、少しだけ悲しそうな顔を俺に向けてきた。

 

 

「……はい」

 

 

俺は求められた通り歩き出す。

 

 

 

P.352


 

 

オータムナルさまの横に並ぶと彼は満足そうに微笑み、俺の手をさらにしっかりと握った。

 

 

俺とオータムナルさまの歩く速さが一緒になって、俺たちはゆっくりゆっくりと庭の小路を歩いた。

 

 

小路を歩いているとき、俺たちは無言だった。

 

 

妙な沈黙が息苦しい。とは少しも思わなかった。

 

 

むしろ何も喋らないでも彼のぬくもりを手でいっぱいに感じる、そのことだけで幸せを感じていられた。

 

 

小さなことかもしれないけれど、俺にとっては大きな前進で―――

 

 

そんな幸せを噛み締めていると

 

 

 

 

 

 

「紅」

 

 

 

 

 

オータムナルさまに名前を呼ばれた。

 

 

ゆっくりと顔を上げると、その美しい顔にうっすら微笑を浮かべたオータムナルさまのお顔。

 

 

だけど何でかな……笑ってるのに、心が泣いているような―――そんな気がした。

 

 

気づいたらいつの間にか、俺が以前に落ちた噴水の前に居た。空を仰ぐとカトリック教の四大天使

 

 

ミカエル、ラファエル、ガブリエル、ウリエルの像がそれぞれ大きな羽を広げて、日光を僅かに遮っていた。

 

 

その影の下、オータムナルさまの表情が少しだけ暗くなる。

 

 

 

 

 

「このままではいずれ私が王位に就くことになる」

 

 

 

 

 

 

俺は目をまばたいた。

 

 

「ええ……知っていますけど……何故、突然そんな話を俺なんかに?」

 

 

 

 

 

 

 

「私は――――王位継承権をマリアに譲ることを考えている」

 

 

 

 

 

 

え――――……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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「な、何故ですか……」

 

 

突然の発言に訳が分からず、握った手の力が緩んでいくのが分かった。

 

 

それをしっかりと、離すまいとして力強く握ってくるオータムナルさま。

 

 

オータムナルさまは―――彼と同じような……美しい顔を持つガブリエルの像の元、俺を真摯なまなざしで見下ろしていた。

 

 

ここから見ると、まるでオータムナルさまに羽が生えているような―――

 

 

そんな錯覚に囚われる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「私には―――子が出来ぬからだ。

 

 

 

後継者を残すことができない」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ポチャン……

 

 

とても静かな空間にどこかで水が跳ねる音が聞こえて、水滴が噴水の水面に落ちた音だと―――理解するのに時間がかかった。

 

 

さらに見上げると、オータムナルさまの背後でガブリエルの白い目の淵に水滴がたまっていた。

 

 

まるでガブリエルが泣いているような―――

 

 

そんな風にさえ思えた。

 

 

ガブリエルは――――聖母マリアさまに受胎告知をする大事な大天使だ。

 

 

オータムナルさまは――――マリアさまに国母(こくも)になることを望んでいらっしゃる。

 

 

 

 

 

 

重大なことなのに、オータムナルさまはお茶を濁したり空咳でごまかしたりせず、はっきりと堂々と言い切った。

 

 

その清々しさに男らしさを感じるが……

 

 

「それは……その……お、男が好きだからですか??」

 

 

突然のことに俺はどんだけ間抜けだよ!!と言う質問を繰り出してしまって……

 

 

「No wey!(ち・が・う・!)」

 

 

「あいむそーりー」俺は片手を軽く挙げて降参ポーズ。

 

 

オータムナルさまは額に手を当て、深い深いため息。

 

 

「すみませ……」

 

 

「いや、いいのだ。突然言われて戸惑うのは分かる。

 

 

私に子ができぬのは、性癖の問題ではない。男だけしか愛せないと言うわけでもないからな」

 

 

た、確かに………

 

 

「……じゃぁ何で…」言いかけて、その言葉を飲み込んだ。

 

 

ゆっくりとオータムナルさまの顔を見上げると、彼は切なそうに眉を八の字にして俺をじっと見つめ下ろしていた。

 

 

 

 

 

「私は――――子が作れぬ体なのだ」

 

 

 

 

 

 

 

 

P.354


 

 

「今まで何度も治療に励んできたが、もう無理そうだ、と最近分かった……」

 

 

「治療―――……」

 

 

言葉にしてようやく思い出した。以前、オータムナルさまのお部屋にドクターが来ていたこと。

 

 

俺はどこかお悪いのか心配だったが秋矢さんは「どこも体は悪くない」と言っていた。

 

 

「あの……このことは他に誰か知ってるのですか?」

 

 

「このことを知っているのはお前とトオルだけだ」

 

 

秋矢さん…?やっぱり秋矢さんは事情を知ってたんだ―――

 

 

でもあのときはっきりと言わなかったのは、隠していたんじゃなくてオータムナルさまのプライバシーに関わる問題だったから―――言えなかったんだ。

 

 

「いずれ私はマリアの補佐的役割、宰相になるだろう。それでもお前は―――

 

 

私と一緒に居てくれるか」

 

 

握った手に僅かに力が籠った。

 

 

その指先はほんのわずか震えていて、俺をまっすぐに見下ろしてくる瞳もゆらゆらと揺れていた。

 

 

彼のさらに頭上を仰ぐと、大天使ガブリエルの白い目からは水滴が零れ落ち、やがてその白い頬をつー…と伝った。

 

 

 

 

 

 

 

ガブリエルさまが泣いている。

 

 

オータムナルさまが――――泣いている。

 

 

 

 

 

 

 

 

俺は

 

 

 

彼がどんな立場にあろうと、どんな人間であろうと彼に恋をし愛し抜いただろう。

 

 

俺は

 

 

 

彼のどんな悲しみからも守る――――そう誓った。

 

 

 

俺はぎゅっとオータムナルさまの背に手を回し力いっぱい抱きしめた。

 

 

「紅……」

 

 

「オータムナルさま……たとえあなたがどんなお体であろうと、俺の愛情は変わりません。

 

 

変わらずあなたを愛するでしょう。

 

 

だから……」

 

 

 

だから一人で悲しまないで――――

 

 

そんな想いを込め、抱きしめるとオータムナルさまも俺を抱きしめ返してくれた。

 

 

 

P.355


 

 

「紅――――お前に見せたい風景がある」

 

 

抱きしめられながら言われて、俺は彼の胸の中こくりと頷いた。

 

 

「私のとっておきの場所だ。

 

 

宮殿の裏の森を抜けると、そこは果てしない砂漠が広がっている。

 

 

夜になると砂は月の光を得て白く輝き、空はまるで瑠璃色のビロードの絨毯を敷き詰めたようでその上に宝石をちりばめたような星空が広がっている」

 

 

オータムナルさまの一言一言に大きく頷き、その光景を思い浮かべた。

 

 

絵画でしか見たことのないその壮大な光景を思い描き、その隣には大好きな人が居る。

 

 

言葉なんて要らない。

 

 

ただ手を繋いで温もりを、感動を、息遣いを―――共感できればそれでいい。

 

 

それだけで幸せだ。

 

 

 

 

 

 

――――他には何も要らない。

 

 

 

 

 

 

 

 

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