Autumnal

Zero point


 

 

 

 

 

 

――――原点

 

 

 

 

 

そこは全てが始まった場所なんかじゃなかった。

 

 

 

 

 

 

 

全てが終わった世界

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あるのは

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

砂の海だけ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そうそこは

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Zero point

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

P.393


 

 

ヴァレリーさんとアランさんが帰ったあとも俺たちは何となく広間に集まったまま、

 

 

特に何かを喋る、と言う風ではなく互いを探り合うような視線を交差させ口を噤んでいた。

 

 

嫌な空気だ。

 

 

そのまま昼食となったが、誰もスプーンやフォークに手をつけようとはしなかった。

 

 

オータムナルさまはかろうじてロシアンティーを召し上がっておられたが、マリアさまはスプーンでスープを掬っては皿に流し落とす、と言う動作を繰り返していたし、

 

 

沙夜さんは俯きながらずっと口元を押さえている。さっきの写真がよほど衝撃的だったと見える。

 

 

秋矢さんは一口も食事に口を付けてないのに、全ての食事を下げさせ

 

 

「Water please(水を)」と頼んでいた。

 

 

「酒が飲みたい…」

 

 

真昼間から言う台詞ではないが、そんな気分だった。

 

 

「同感ですね。まったく……厄介なことになった」

 

 

秋矢さんはうつろな目で俺を見てきて、額に手をやった。

 

 

「お兄様のピアスを………亡くなった方が持っていたなんて……何かの間違いですわ」

 

 

マリアさまが顔を上げた。

 

 

「同感ですわ」と今度は沙夜さんが頷く。

 

 

俺だって何かの間違いであってほしい、と願っている。

 

 

オータムナルさまは眉間に皺を寄せ紅茶に口をつけていたが、そっと俺が手を伸ばし、彼の手に自分の手を重ねると

 

 

少しだけ柔らかい笑みを浮かべてくれた。

 

 

オータムナルさま……

 

 

 

俺は信じてる。

 

 

 

 

 

 

 

オータムナルさまは人を殺せるような人なんかじゃない。

 

 

 

 

 

 

 

 

P.394


 

 

 

―――――けれど

 

 

それをどうやって証明すればいいのかなぁ。

 

 

ヴァレリーさん…一旦は大人しく帰って行ったけど、次に何かオータムナルさまの不利になるような証拠が見つかれば、今度こそ食らいついてくるだろう。

 

 

早くしなければ。

 

 

早く真犯人を見つけなければ、“ヤツ”―――真犯人の思う壺になる。

 

 

唇を噛んで部屋の中を行ったり来たり、熊のようにウロウロしていると

 

 

コンコン……

 

 

遠慮がちに部屋をノックする音が聞こえてきて、扉を開けると

 

 

「コウ…?今宜しくて?」

 

 

マリアさまだった。

 

 

「あ、どうぞどーぞ」俺は快く彼女を迎え入れたが…

 

 

「さっきの写真を思い出すと。怖くなって眠れなくて…コウ……一緒に居てくれない?」

 

 

まぁそれはそうだよな。妊婦さんのマリアさまお一人だったら、不安で流産されかねない。

 

 

…………

 

 

ってか一緒に!?

 

 

「あ、あのぅマリアさま……それはもちろんあなたをお守りしたいのはやまやまなんですが

 

 

あの…若い男女が一晩一緒ってのは…」

 

 

マリアさまはきっと俺をぬいぐるみか何かと勘違いされているに違いない。

 

 

俺がもごもごと言うとマリアさまは目をきょとん。その反応にム。

 

 

 

 

「あの……ですね!俺だって男なんですよ!!」

 

 

 

 

みっともなく声がひっくり返った。

 

 

マリアさまは大きな目をぱちぱち。

 

 

やがて

 

 

「ふふふ!」と口元を押さえ、笑いだした。

 

 

 

 

どーせ俺は“男”とカウントされてませんよ!!

 

 

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「そんなことはなくてよ。あなただってちゃぁんと男性だってこと、わたくしは存じておりますわ?」

 

 

「だったら……」

 

 

「でも」

 

 

マリアさまは俺の問いかけを強い口調で遮った。

 

 

俺のベッドに腰掛け俺が見たこともない妖艶な微笑を浮かべてマリアさまは口を開く。

 

 

 

 

 

 

「だってあなたは――――

 

 

お兄様のことを愛していらっしゃるんだもの。

 

 

 

Berry strong.(とても強くね)

 

 

 

 

 

お兄様を困らせるようなこと、頭の良いあなたなら絶対にしない筈ですわ」

 

 

 

 

マリアさま――――

 

 

 

「ですからわたくしと一緒に居て?」

 

 

何でそーなる……↓↓

 

 

「マリアさま」

 

 

俺はマリアさまの元に屈みこみ、膝まづいた。

 

 

マリアさまが俺を見下ろす形になって、俺は不思議そうに首を傾けているマリアさまを真剣に見つめた。

 

 

今も、マリアさまのお腹の中で呼吸してるであろう赤んぼうのことを考えながら―――

 

 

マリアさまご自身のことを考えながら―――

 

 

 

 

 

「赤ちゃんのことは―――――内密にしましょう。

 

 

 

 

誰にも―――」

 

 

 

 

 

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「どうして?」

 

 

マリアさまがまたもきょとんとした顏で俺を見下ろしてくる。

 

 

当然の質問だよな。

 

 

オータムナルさまは狙われている。

 

 

感謝祭の夜俺が襲われたことも、蛇のレイラの襲撃のことも、

 

 

全部―――その敵意は彼に向けられていた。

 

 

 

さらにソフィアさんが亡くなって、その容疑者に彼の名前があがっている今となると

 

 

マリアさまも安全とはいいがたい。

 

 

「航空券を用意します。米国に立ってください。俺の知りあいが幾人かいます。

 

 

彼らに話をつけておきますので、俺がいい、と言うまで帰ってこないでください」

 

 

「何故、そんなことを……?

 

 

だってこの間、あなたはお兄様に話すときついてきてくれるって……」

 

 

マリアさまは顏を歪めて俺に何か抗議したげだ。

 

 

言い返されるより早く俺が彼女の次の言葉を遮った。

 

 

 

 

 

 

「状況が変わったんです。どうか受け入れてください。

 

 

俺は二人も守れない」

 

 

 

 

 

 

 

「守る……?あなたが?何から………?それに二人って……?」

 

 

マリアさまが当惑したように苦笑いをして俺を見下ろしてくる。

 

 

俺は彼女の手をぎゅっと握った。

 

 

「皇室を狙っている何者かがいるのは確かです。オータムナルさま、さらにはあなたのお命まで。

 

 

 

 

 

この国の平和を望むのであれば、貴女には無事でいてもらわなければ困る。

 

 

 

 

 

 

あなたは次期、女王―――国母になられるお方ですから―――」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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「わたくしが……国母……女王…?」

 

 

マリアさまは目をぱちぱち。

 

 

やがて小さく声を挙げて笑いだした。

 

 

「何を仰るのやら。次期国王はお兄様ですわ。だって普通に考えてそうでしょう?」

 

 

マリアさまは――――何もご存じないのだ。

 

 

オータムナルさまが御子を授かれない体だと言うことを、そして彼は王位を退こうとしていることも。

 

 

無理もない。

 

 

けれど

 

 

彼女がこの国の未来を担っている―――と言う事実はまだ俺しか知らない。

 

 

ぎゅっと息を呑んでいると

 

 

マリアさまは小さくため息。

 

 

「何か事情があるようですわね。皇女のわたくしにも話せないことなの?」

 

 

彼女の質問にどう答えていいのかしばらく悩んだが、俺は小さく頷くことにした。

 

 

マリアさまはその大きな双眼で俺をじっと見つめてきて、けれどそれ以上何かを言うことはなかった。

 

 

「わけがありそうですわね。

 

 

いいわよ。行ってあげてさしあげてもよろしくてよ米国へ。

 

 

でも不安ですわ………わたくし、国外どころか宮殿の外もあまり出たことがないのに、見知らぬ土地で出産なんて―――」

 

 

無理もない。何もかもはじめての経験に、遠く離れた異国の土地へ行けと言われているのだ。

 

 

俺は彼女の手を力強く握って同じだけ力強く頷いた。

 

 

「なるべく早く貴女をこちらにお呼びするつもりではいます。

 

 

それまでに

 

 

 

 

 

片付けなければならない問題がある」

 

 

 

真剣に言うとマリアさまはまたも小さくため息を吐き

 

 

「コウ……あなたが何を抱えているのかわたくしには分かりかねますが―――

 

 

でも……わたくし……あなたと……沙夜姫だけは何故か信用できますわ」

 

 

「沙夜さんはあなたのお姉さまみたいなものですしね」

 

 

俺が小さく笑うと、マリアさまも安心したように頬を緩めた。

 

 

 

 

「ええ。あなたは

 

 

わたくしのガーディアンエンジェルですわ。

 

 

 

 

わたくしを救ってくれる―――」

 

 

 

 

 

 

マリアさま―――

 

 

 

俺があなたの言う通り、ガーディアンエンジェルなら

 

命に掛けてもあなたをお守りいたします。

 

 

 

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まだ一緒にいたいと駄々をこねるマリアさまを、結局沙夜さんに預けて―――

 

 

俺はオータムナルさまの寝室を訪れたが、彼の姿はなかった。

 

 

「どこにいらっしゃるのだろう」

 

 

 

 

 

―――この中に裏切り者が居る―――

 

 

 

 

 

「…………」

 

 

あの言葉を思い出して、俺は執務室に向かった。

 

 

思った通り―――彼は執務机の椅子に腰かけ、最後の晩餐を眺めていらっしゃった。

 

 

昼に見たまんまのワイシャツにネクタイ。そしてスーツパンツ姿。

 

 

長い脚を組んでその手には……

 

 

ダガー??

 

 

オータムナルさまはダガーの柄を握り片方の指先をその鈍く光る切っ先に当てている。

 

 

「オータムナルさま!!何をなさっておいでです!

 

 

おやめください!」

 

 

俺は慌てて彼からダガーを取り上げると、オータムナルさまは目をぱちぱち。

 

 

「紅……血相を変えてどうした、と言うのだ…」

 

 

「だって、だって!これ短剣ですよ」

 

 

俺が目を吊り上げて怒鳴ると、オータムナルさまはさらに目を開いて

 

 

「案ずるな。これはレプリカだ」

 

 

へ??

 

 

「レプリカ……?」

 

 

「ああ、王宮にあるすべてのダガーは全部レプリカだ。

 

 

ペーパーナイフぐらいはできても、殺傷能力はない」

 

 

そっか……

 

 

ほっ

 

 

 

 

ん………?待てよ……

 

 

殺傷能力は――――ない…?

 

 

安心したところで俺の中に一つの考えが浮かんだ。

 

 

 

「王宮の人はこれを……と言うかソフィアさんが刺されたダガーも、最初からレプリカだってみんな知っていることなんですか?」

 

 

俺が聞くと

 

 

「まぁ知らない人間はいないと思うが」とオータムナルさまは怪訝そうに眉を寄せて肩をすくめた。

 

 

 

 

 

 

「だからだ―――」

 

 

 

 

 

 

 

俺はオータムナルさまと向き合おうと、彼に向かって真剣なまなざしを向けた。

 

 

「だから……とは?」オータムナルさまが益々不思議そうに眉根を寄せ、顎を引く。

 

 

 

 

 

 

 

「このダガーで人は殺せない。そのことを知っていたから犯人は首の骨を先に折ったんだ。

 

 

それだけじゃオータムナルさまに疑いの目が向けられないから、

 

 

だからわざとダガーを刺した」

 

 

 

俺の推理に

 

 

オータムナルさまは目を開いた。

 

 

 

 

 

 

 

P.399


 

 

「だとしたら宮殿の誰もが犯人になり得る」

 

 

「ええ……けれどソフィアさんは首の骨を折られている。彼女より背が高くて力のある―――

 

 

男……に限られるんじゃないでしょうか」

 

 

俺の推理にオータムナルさまは益々困惑したように額に手を当て、さらりと前髪を掻き揚げた。

 

 

彼の細い指の隙間を金糸のごとく鮮やかな髪が流れる。

 

 

「何故―――……そんなことを…

 

 

何故――――私が狙われなければならない……」

 

 

額を覆いオータムナルさまが小さく呟き、俺はそっと彼の手に自分の手を重ねた。

 

 

「オータムナルさま……今一度考えてみてください。きっと…きっと理由がある筈だ」

 

 

俺の問いかけにオータムナルさまはゆっくりと顔を上げた。

 

 

そのサファイヤブルーの瞳がゆらゆらと揺れて、薄い唇が言葉を紡ぎ出そうと動こうとしたときだった。

 

 

オータムナルさまは突如立ち上がった。

 

 

俺は―――自然に手をひっこめて、その行き場のない手をただだらりと下げた。

 

 

やっぱり……――――

 

 

やっぱり彼には届かないのだ。

 

 

 

 

 

俺の気持ちなんて―――

 

 

 

 

これっぽっちも。

 

 

 

こんなにも不安で溢れているのに――――

 

 

向けられたダガーの先は、ソフィアさんだった。けれど次に狙われるのがオータムナルさまじゃないと確証なんて一つも持てない。

 

 

そんなことを一人で考えて俯いていると、オータムナルさまの手がそっと俺の頬を包んだ。

 

 

 

 

 

「紅――――

 

 

 

私はお前に話していないことがまだ一つだけある。

 

 

私は心よりお前を信頼している。

 

 

そんなお前に全てを打ち明けたい。

 

 

 

だが

 

 

ここで今すぐお前に話したいのはやまやまだが―――

 

 

 

ここではどんな輩が聞き耳を立てているか分からない。

 

 

 

 

だから

 

 

 

 

 

 

 

二人で

 

 

 

 

 

 

宮殿を抜け出さないか」

 

 

 

 

 

 

 

え………?

 

 

 

俺が顔を上げると

 

 

 

―――たった一晩だけでもいい。私の全てをお前に打ち明ける時間をくれ。

 

 

 

オータムナルさまはそう続けた。

 

 

 

 

 

 

 

P.400


 

 

次の日―――

 

 

オータムナルさまは約束通り俺を誘ってくれた。

 

 

夜も更けて日付が変わろうとしていたところ、濃いグレーのトーブに身を包んだオータムナルさまがお忍びで俺の部屋を訪ねてきて、そのまま厩舎へと引っ張られると

 

 

一頭……ヤズィードの手綱を引き俺はヤズィードの上に乗せられ、さらに俺の背後にオータムナルさまが乗り

 

 

いつかの狩に行くスタイルで静かに宮殿を抜け出した。

 

 

行先は、森を抜けたところにある砂漠地帯だ。

 

 

夜の森は黒い絵の具を垂らしたような暗闇に包まれていて、夜闇で隠された黒い木々の葉がザワザワと不穏な音を立てている。

 

 

その木々の間から見える白い月灯りだけを頼りに、ヤズィードを操るオータムナルさま。

 

 

今日はお付きの人もいないから慎重になっているのかもしれない。

 

 

今日は昼間と違って夜だからか、それほどスピードも出さず馬はゆるゆると前に進む。

 

 

昼間に通った道で間違いないとは思うけれど、その道は“道”と呼ぶにはあまりにもお粗末な造りで、一歩先ですら暗闇が視界を邪魔している。

 

 

時折、何か分からないけれど鳥の大きな鳴き声を聞くたび俺の肩はびくっ。

 

 

「怖いか?」

 

 

オータムナルさまに聞かれて

 

 

「………少し」素直に答えると、オータムナルさまは手綱を持ったまま俺の頭頂部にそっとキス。

 

 

 

 

 

 

「大丈夫だ。

 

 

 

私がついている。

 

 

 

 

いつもお前に守られている私だが――――ここでは私がお前を守る」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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オータムナルさまの心強いお言葉のおかげか、いつになく安心できた俺は彼に全てを委ねて

 

 

ただ……この暗闇が拓けるのを待った。

 

 

どれぐらい時間が経ったろう……

 

 

東西南北の感覚が全て失われて、進んでいるのかどうかさえも分からなくなってきたとき

 

 

突如目の前に眩い星空が現れた。

 

 

ザッ……

 

 

 

風が砂嵐を巻き起こし、白い砂が目の前をキラキラと舞う。

 

 

地平線が見える……それは空への境界線。絵に描いたような砂の広野にミッドナイトブルーのカーテンが掛かり、小さな星々がまるで宝石のように散らばっている。

 

 

その、夜のカーテンに浮かんだ月の光が、さらに夜空の地面を反射させていて、それはそれは幻想的な光景だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

――――砂漠だ。

 

 

 

 

 

 

 

それも

 

 

 

 

 

 

途方もなく広がる

 

 

 

 

 

 

 

砂の

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

海は地球で最初の生命体を創り出した場所―――

 

 

 

 

 

全ての事柄に原点があるのなら

 

 

 

そう、ここは――――

 

 

きっとカーティアを形作った

 

 

 

 

 

 

Zero pointに違いない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

P.402


 

 

「ここに連れ来たかったのだ、私は」

 

 

オータムナルさまがヤズィードから降り、俺の手を取り俺が馬から降りるのを手伝ってくれる。

 

 

さらに彼は白いフード付きのマントのようなものを取り出し、俺の肩に掛けてくれた。

 

 

「夜は冷える。風邪などひかぬように」

 

 

まるでお姫様的な扱いにちょっとくすぐったくもあったが、繋いだ手が暖かくて心地よくて

 

 

ずっと――――こうされたいと願っていた自分が居ることに気づいた。

 

 

手を繋ぐ。

 

 

共に歩く。

 

 

ただそれだけなのに―――時間が止まってしまえばいい、とさえ願う自分がいる一方で

 

 

それ以上のことを―――俺は彼としたいと願っている。

 

 

ヤズィードの手綱を森の出入り口の樹の一つにくくりつけ、俺はオータムナルさまと共に砂の海を、まるで泳ぐようにゆっくりと歩いた。

 

 

白いマントの裾が風ではためいて、俺は後方を少し振り返った。

 

 

森の出入り口からここまで二組の足跡が転々とついている。

 

 

まるで雪の上に付けられたような儚い足跡は、それでも消えることなくしっかりと寄り添って居た。

 

 

それが何だかとても――――嬉しかった。

 

 

「マリアやトオルはここが恐ろしい場所だと言うが、私はそうは思わない。

 

 

美しいだろう」

 

 

意見を求められ

 

 

「ええ。とても―――」

 

 

俺はゆっくりとオータムナルさまの方に顏を戻すと、彼に微笑み返した。

 

 

オータムナルさまは俺の手を握ったまま反対側の手で俺の頬を包み

 

 

 

 

 

 

「お前の………

 

 

 

月明かりに照らし出されたお前の笑顔も―――何と美しい……

 

 

 

 

慈愛に満ちていて幻想的で――――」

 

 

 

 

 

 

言葉を紡ぎながらオータムナルさまは愛おしそうに俺の頬をゆっくりと撫でる。

 

 

俺はされるがまま、彼の次の言葉を待った。

 

 

そうしないと……

 

 

自分から気持ちを打ち明けそうだったから。

 

 

 

好き

 

 

 

大好き

 

 

 

 

 

世界で一番

 

 

 

 

 

 

 

 

愛している

 

 

 

 

 

 

 

その言葉を口に出したら、きっとオータムナルさまは

 

 

 

 

困るだろうから―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

P.403


 

 

夜の砂漠は、なるほど……ひんやりと冷える。

 

 

砂漠と言うと暑いイメージがあるが、開けた土地に流れ込んだ風が冷気を呼び俺の足元から冷たさをじわりじわりと伝えてくる。

 

 

本当に雪の上に居るようだ―――

 

 

オータムナルさまはその場で腰を降ろし、手を引かれて俺もそれに倣った。

 

 

彼のすぐ隣に腰掛ける。

 

 

砂の絨毯が尻の下で柔らかく俺の形に馴染み、まるでビーズクッションのように体が僅かに沈む。

 

 

「王の……私の父上の話だが…」

 

 

オータムナルさまは何の前触れもなく唐突に口を開いた。これが彼の“まだ俺の知らないこと”なのだろうか。

 

 

「ええ……」

 

 

「私の父上には私の母より先に、妃が居た―――いや……身分差で妃にも側室にもなれなかった憐れな女だが」

 

 

初耳……ってことはないな。沙夜さんと推理した通りだ。

 

 

「それって君蝶さんのことですか?」

 

 

おずおずと聞くと、オータムナルさまはゆっくりと俺に顏を向けてきた。

 

 

その顏は表情がなく、不機嫌とも上機嫌ともつかない顏だった。

 

 

「すみませ……無粋な真似を…」

 

 

慌てて謝ると

 

 

「いや。お前を君蝶と間違えたのは私の父上だ。お前が勘ぐるのも無理ない」

 

 

「申し訳……ございません」

 

 

もう一度謝ると

 

 

「謝らなくとも良い。いずれお前に話さなければならない話だったからな。

 

 

君蝶は――――日本の芸子だったそうだ」

 

 

 

 

 

やはり――――……そこまでは俺が推理した通りだ。

 

 

 

 

 

 

P.404


 

 

 

「真実は私も知らないが――――噂に寄るとその君蝶が産み落とした男御子が居るらしい。

 

 

そうなると―――私の兄上になる」

 

 

俺は大きく頷いた。

 

 

「それで…………ソフィアさんの占いのとき、あなたは頑なにその存在を認めなかったのですね」

 

 

俺の言葉にオータムナルさまはちょっと居心地悪そうに眉間に皺をやりこめかみを掻いた。

 

 

「大人げない、とは思ったよ。

 

 

理由もなくあんなに否定して――――」

 

 

「いえ!そんなことっ……」

 

 

俺は慌てた。責めているつもりなんてこれっぽっちもない。

 

 

誰にも知られたくない秘密の一つや二つぐらい、ある。

 

 

 

 

俺だって―――

 

 

 

 

「私を陥れようとしている人間が居るのなら、その産み落とした御子と言うことになろう」

 

 

「王位の座を狙ってのことですかね……分からないな…俺には―――

 

 

だって兄弟でしょ?」

 

 

俺がム゛ーと唸って腕を組むと

 

 

「兄弟と言っても互いに……と言うか私は顏も知らぬし、実際に存在するのかもわからぬ。

 

 

私は―――最初はお前がその兄上かと疑ったこともある」

 

 

オータムナルさまのお言葉に…

 

 

「はぁ!?」

 

 

相手が皇子であるっていのに無礼な反応をしてしまった。

 

 

「いえ、すみません!」慌てて手で口を覆うとオータムナルさまはくすっと小さく笑った。

 

 

「考えてみれば、お前が私の兄上なわけないな。

 

 

父上も割と背が高いが、お前はちっさいし」

 

 

む゛!

 

 

「ちっさいだけ余分ですぅ!」

 

 

頬を膨らませて抗議するも、オータムナルさまに頭を撫でられ簡単に宥められてしまう俺。

 

 

 

 

 

 

 

「お前は―――

 

 

それぐらいの背で良い。

 

 

 

その方が抱きやすいからな」

 

 

 

 

 

 

 

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抱っっ………!!

 

 

 

その言葉に

 

 

カァ!!

 

 

俺の頬が熱くなる。

 

 

「き、君蝶さんて……きっと凄く美人だったに違いないですね!

 

 

あ、あんな国王様がご執着なさるぐらいだからっ!」

 

 

俺は話題を変えるようわざと大きな声で笑った。

 

 

「美人かどうかは分からない。写真もないし何せ噂だからな。

 

 

だが父上が執着なさっているのは本当のことだ。二人に何があったのか、私には分からぬが」

 

 

オータムナルさまはちょっと考えるように砂の絨毯を見つめ下ろした。

 

 

「きれいなお名前ですよね……本名は何とおっしゃるのだろう」

 

 

「さぁな。それも分からぬ」

 

 

「でも蝶がつくお名前ですよね……きっと」

 

 

蝶子―――とか……?

 

 

言いかけて、ふっと思い出した。

 

 

ソフィアさんが送ってきた人形―――あのフランス人形から蝶が飛び立ったのを……

 

 

あの蝶はまっすぐに秋矢さんのところへ向かった。

 

 

蝶は―――国王さまの部屋の扉の刻印にもなっている。

 

 

あれ………?

 

 

何だろう…

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

一瞬……頭の回線が全部繋がった気が………

 

 

 

 

 

 

 

 

P.406


 

 

 

 

「オータムナルさま……」

 

 

俺が立ちあがろうとしたとき、

 

 

ビュウっ

 

 

風が一層強く吹き、俺はその風に押されるようによろけた。

 

 

細かい砂の粒子が目や口に入って痛い。

 

 

目を開けられず一歩後退すると、何かに足を取られた。

 

 

足が砂の絨毯に沈む。

 

 

「ぅわっ!」

 

 

俺はみっともなく後ろに転んで―――

 

 

「紅!」

 

 

 

オータムナルさまが助け起こしてくれる。

 

 

「いてて。えへへ……みっともなー…」

 

 

彼の手を取って起き上がろうとした瞬間だった。

 

 

何かが足に絡んで、俺は起き上がることができなかった。

 

 

その場所を見て

 

 

俺は息を呑んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

俺の脚首を、まるで“離すまい”と掴んでいたのは

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

白骨化した

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

P.407


 

 

 

 

声にならない悲鳴を挙げて、俺は尻餅をついた。

 

 

オータムナルさまもその様子に気づき

 

 

「何と!」と目を開いた。

 

 

悲鳴を挙げたのは―――

 

 

 

白骨化したその手が怖かったからじゃない。

 

 

その左手薬指にはまっていたのが

 

 

 

―――見覚えのある指輪だったから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

シルバー製のリングはすっかり錆びていて色こそ違ったが、そのデザインはちゃんと記憶に残っている。

 

 

俺はそのリングを、震える手で白骨化した指から外し裏を確認すると

 

 

一文字、イニシャルが彫ってあった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

だと言ってよ――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

P.408


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ステイシー

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

P.409


 

 

オータムナルさまは持っていたスマホですぐに通報した。

 

 

ほどなくして、馬を飛ばし秋矢さんをはじめとする幾人かの捜索隊が到着して、その数分後にはヘリが上空を騒がせた。

 

 

ステイシー……嘘だろ!

 

 

ステイシー!」

 

 

俺は彼らが到着するまでひたすらに砂の海をかき分けていた。

 

 

「紅!やめなさい!!現場を荒らすな」

 

 

オータムナルさまの声も聞こえず、

 

 

爪に砂が入って痛かったが、そんなこと気にもせず一心不乱に。

 

 

「ステイシー!」

 

 

そう叫び続ける俺の両肩を力強く抱いて

 

 

「紅!」

 

 

オータムナルさまが俺の名前を必死で呼んでいる。

 

 

その呼びかけすら俺の耳には届かず

 

 

「ステイシー!」

 

 

俺は夢中で砂を掘った。

 

 

砂を掘り起こすと、徐々に露わになる全体像。それは変わり果てた

 

 

白骨遺体だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ステイシー……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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