過去と秘密
オータムナルさまと俺を乗せたリムジンが、宮殿に着いたのはそれから30分ほど経ったときだった。
その間、俺たちは特に言葉も交わすことなく、ただ互いにキスを仕掛けたり、受け止めたり
会話が無くとも唇で伝わってくる全ての感情を必死に読みながら
その長い長い口づけを味わっていた。
――――
オータムナルさまはリムジンを降りると俺の腕を引っ張り、まっすぐに自室へと向かわれた。
「OK?(よいか)
Bring no one close to this room until tomorrow morning.Even Mary.(明日の朝まで誰もこの部屋に近づけるな。マリアであってもだ)」
衛兵たちに託をして、オータムナルさまは両開きの扉をゆっくりと閉めた。
ぎぃぃ
年代を思わせる古い木の軋みを背中で聞いて、俺はぎゅっと両腕を抱きしめた。
これから―――……
オータムナルさまに抱かれるのかと思うと、嬉しいのが半分と、やっぱり少し怖い部分があって、高揚した気持ちを抑えるのに必死だった。
抱きしめた両手の先を見ると、僅かに震えている。
今までは―――勢いとか流れがあったけど、こう改めて向き合うと、やっぱりちょっと緊張……じゃなくてかなり緊張してる、俺―――
女性とするのとはわけが違うし……
未知の世界に足を踏み入れようとしているようで、俺の背中は緊張で強張った。
いや……
―――未知でもないか―――……
俺は男の体を知っている―――
P.500
「紅―――」
後ろから両肩をそっと抱かれて、びくり…みっともないほど肩が震えた。
「……震えてるではないか……私が―――怖いか?」
低く、くすぐるような声音で聞かれて俺は慌てて首を横に振った。
緊張のあまり声なんて、出なかった。
「お前は男と――――……まぁ、聞くのが愚問だな」
オータムナルさまが俺の背後から腕を回し、俺のワイシャツのボタンを器用に外し出した。
オータムナルさまの体温を背中いっぱいに感じる。
オータムナルさまの芳しい香りが俺を包み込んでくれる。
彼の紅茶色の骨ばった手が俺の白いワイシャツに溶け込んでまるでミルクティーのような色合いに、きれいだとさえ思った。
大丈夫、何も怖くない―――
「優しくする。だから安心おし」
ボタンが全部外され、するり……ワイシャツが俺の肩を滑る。
震える肩がむき出しになって、オータムナルさまは俺の肩にそっと口づけ。
びくり
肩が一層大きく震えた。
「紅―――きれいだ。
お前の初めてを、お前の全てを私におくれ」
ち が う
違 う ん だ !
はじめて俺は震える声を振り絞って
「ち……違うんです……お、俺……
その……」
俺の言葉でオータムナルさまが、ふっと俺の肩先から顔を上げた気配がした。
「どうした……?私と睦み合うことが嫌になったか……?」
「そ、そんなことありません。
俺が言いたいのは………俺、
はじめてじゃありません。
ましてやきれいなんかなじゃない。俺は
汚れている」
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俺はまともにオータムナルさまと向き合うことができなかった。
――――彼の反応を考えると、今さらながら真実を話すのに躊躇する。
けれど―――
俺は決めた。
オータムナルさまはどんな俺でも受け入れてくれるって信じてるから。
シャツの袖を自ら取り外すと、俺はオータムナルさまに向き合った。
オータムナルさまは美しい顏を少しだけ歪めて俺を見据えている。
「オータムナルさま…俺は――――」
嫌われるかもしれない。
こんな汚れた俺、抱く気にもなれないかもしれない。
けれど―――今さら嘘や隠し事はしたくないんだ。
俺は七年前のある冬の極秘任務のことを話し聞かせた。
P.502
―――――……
―――
任務はカナダのとある寒い土地で、地元のシンジケートたちの内偵だった。
目的は奴らによる武器と阿片の売買の証拠を掴むこと。
奴らが売った武器とヤクが本国(この場合アメリカ)に不法に流れている、と言う情報を極秘に得たのだ。
裏で莫大な金が動いている、という事実も発覚した。
カナダの組織は一体その金を何に使うのか、我々の組織内ではあらゆる可能性が危惧されていた。
カナダとの戦争になるやもしれない不安だ。
その危険な任務に若かった俺は、愛国心(この場合アメリカ)故、志願したのだ。
俺と数人の諜報員が潜入捜査のため、偽のIDと武器商人と言う偽りの身分を手に入れ、シンジケートに潜入した。
二か月程潜入したが依然として証拠が湧かない。それどころか奴らに目立った動きはない。
粘り強く三か月待ってみると、ようやく動きがあった。組織内の幹部たちが揃って、バークレイホテルに出向くと言う情報を掴んだのだ。
当然俺たちも動いたわけだが、その情報は
―――ガセだった。
仲間だった諜報員が、金に目がくらんで俺たちの情報を売ったんだ。
そこで俺は仲間と共に捕まった。
だが、奴らも馬鹿じゃない。俺たちの身分や目的を割らせるためすぐに殺しはせず、拷問に掛けたのだ。
だが俺は厳しい拷問に屈することはなかった。
そう訓練されていたのだ。
諦めたシンジケートのボスは、次は俺を凌辱することに目的を置いた。
元々男色家と言う変態男だったのだ。そいつの目に留まった俺は辱められ、さらには背中を切りつけられると言う拷問を受けたのだ。
―――――……
「そこで、お前は……」
オータムナルさまの切れ長の瞳が一層険しくなって俺の向こう側に居る“何か”を見据えた。
P.503
「申し訳ございません!」
俺は床に座り込み、首を垂れ両手を床に着いた。
「俺は!俺は……あなた様が望むきれいな体なんかじゃない。こんな穢れた俺を抱く気にもなれないかもしれませんが」
震える声で床に手をついていると、オータムナルさまの革靴の先が俺の視界に入ってきた。
何もかも包み込む、あの高くてスラリとした影も。
だけど顔を上げることができなかった。
オータムナルさまがその場でしゃがみ込む気配があった。そっと俺の両肩に手を置く。
「顏をあげよ。紅」
低い声は怒気を孕んでいた。
「………あの……俺……」
おずおずと顔を上げると、オータムナルさまは眉間に深く皺を刻み酷く悲しそうに眉を寄せていた。
「お前を辱めた男を――――できればこの手で斬首刑にしたかったが、
その男はもうおらぬのだろうな?」
こくん
俺は小さく頷いた。
「助けてくれたのは―――
ステイシー・ホール……
いいえ
本当の名を――――」
P.504
「ステイシー・W・ホール・カーティア
彼女は貴方さまの
実の姉上さまで
いらっしゃいます」
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ソフィアさん……あなたは……本物の占い師だった――――
『あなたには妹君の他にお姉様とお兄様が一人ずつ居る』
と―――
彼女は宣言した。
その事実は俺と沙夜さん......SY以外知り得ることがなかったのだ。
オータムナルさまが目を開いた。
「それは…………」
たっぷりと間を置いて、オータムナルさまはまばたきを一つすると
「誠か?」
俺に聞いてきた。
「――――はい」
もう真実を隠す必要がない。俺はオータムナルさまの傷つくお姿を見たくなかった。
けれど、このことを一生知らずに生を終えられるのは、もっともっと残酷な気がした。
―――――
―――
俺たちは天蓋付のベッドでカーテンを引き、その中でまるで蜜事を話すように身を寄せ合った。
「彼女の母親の姓がワトソン。
サマンサは彼女が幼いときに亡くなった年の近い妹の名前です。
恐らく君蝶さまとの出会いの後、国王さまはワトソン婦人と出会われたのでしょう」
すぐ隣に腰掛けたオータムナルさまの、膝の上に置かれた拳が僅かに震えていた。
俺はそっとその拳に手を置くと、彼は同じだけ優しく俺の手を握り返してきた。
「そこで生まれたのが、サマンサ……いや、ステイシー……私の姉だと言うことか」
「ええ、そうです……
ステイシーの母親は間違いなく地学博士でした。この豊富な土地などの環境に興味を持ち
研究に来ていたのです。そこでお父上である国王様に見初められた」
「だが、何故父上は妃に迎え入れなかったのだ。その存在すら私は知らなかった」
「国王さまはワトソン博士と確かに関係はあったものの、その心の中にはずっと君蝶さんが居たようです。
やがてステイシーを身ごもった博士は、そのことを告げずにこの国を出ました」
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「何故―――……」
オータムナルさまが悲しそうに目を伏せた。
「父上が認知しないと、でも思ったのであろうか……」
俺は頭をゆるりと横に振った。
「いいえ、生まれてくる赤ん坊の為―――
サマンサ博士はいずれ君蝶さんの御子が現れることを予想していた。そのときの政権争いに巻き込ませたくない、と。
母親ってすごいですよね……」
俺は肩の力を抜いてちょっと笑ってみせる余裕が出来た。
「マリアさまもそうですけど、子供を持つと―――自分はどうなってもいい、ただ子供のために―――どんなことでもできるんですから……」
「………そうだな。あのマリアが母親になろうとは」
オータムナルさまもちょっと笑う。
「マリアに似て気が強くなるだろうか」
「さぁ」俺は「ふふっ」と笑って肩をすくめて見せた。
「話は戻りますが、その後サマンサ博士は母国のイギリスで母娘二人でひっそりと過ごしました。その数年後には新しい父親もできて、その父親との間にサマンサが生まれましたが、その子は幼くして流行り病で亡くなりました。
そして―――二十年が経ち、アメリカに渡ったステイシーは警察、海軍と言う経歴を経て、CIAの諜報員になった」
「お前は人材派遣会社と言ったが、なるほどな」
オータムナルさまがちょっと意地悪そうな顔で俺に笑いかけ
「……へへっ」
俺は苦笑いしか返せん。
「諜報員になって―――何年後かに俺たちは出会い、あのカナダ作戦の際に―――
恋人同士になった」
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―――『Open heartedly,Kou.
(心を開いて)』
ああ、開いたよ、ステイシー。
俺は今、全てを開け放ち、愛する人に向き合ってる。
「その後、何年かは諜報活動をしていたが、そのうちにカーティアにクーデターを仕掛ける人間がいるかもしれない、と言う情報を極秘に得た。
情報元は分からなかった。海外のPCをいくつも経由してステイシーのPCに情報が入ってきたんだ。
信用に値する情報かどうか確認している時間もなかった。
ステイシーにしてみたら実の弟……あなた様のお命が危ない、と知って居てもたってもいられなかったんだな。彼女はすぐにこの国に飛んだ。
それ以来―――……」
俺は言葉を呑み込み、口を噤んだ。
今度は俺の指先が震え、オータムナルさまは俺の手を優しく包み込んでくれた。
「………情報は正しかったわけだ。
でも一体誰が―――……」
「分からない……」
俺は首を横に振った。
「クーデターを起こす人物に、姉上は殺されたとしたのなら………
犯人は―――」
オータムナルさまは声を低めて、やがて黙り込んだ。
「オータムナルさまを狙った犯人も、カイルさま、ソフィアさん、ステイシーを殺したのも
―――この国の王位を狙う、あなたの兄上だと
俺は考えています」
P.508
オータムナルさまの手の震えが一層強まった。
「何と言うこと………
兄上は、実の妹君を手に掛けた―――と言うことなのか」
空いた片方の手で額を押さえると、首を垂れた。
「………オータムナルさま……」
「……何と言うこと…」
オータムナルさまは俺の手を握ったまま、額に手を置きもう一度呟いた。
「―――何と…」
三度目の呟きのとき、俺はそっとオータムナルさまの頬に手を伸ばした。そのまま包み込むように頬を撫でると、オータムナルさまがゆっくりと顔を上げた。
そのサファイヤブルーの瞳にうっすら涙が浮かんでいた。
はじめて見た―――
オータムナルさまの涙……
なんて美しい―――
まるで、寒い夜が明けて明るい朝に浮かんだ朝露を思わせる涙だった。
「記憶の中のサマンサ博士………いや、ステイシー……いや、姉上は聡明で大層美しい女だった。
だが一緒に過ごしたのはほんの一瞬だけだ。
目は、鼻は―――どんな形だったろう。髪は―――……」
無理もないことだ。オータムナルさまにとって彼女はただの地学博士だったのだ。
俺は彼の両頬を手で包み込むと、俺の方へと向かせた。
「オータムナルさま、俺を見て?」
オータムナルさまがまばたきをして、そのふしに一粒の涙が零れ落ちた。
「俺の眼の中に映っているお姿こそ―――
あなたの姉上さま、そのものです」
オータムナルさまが目を開いた。
「お前の……目の中に映っているのは……私だ―――」
「ええ」
俺はオータムナルさまの目尻から流れる涙を指の腹でそっと拭い、そして彼の豊かなプラチナブロンドの髪に手を差し入れた。
「この瞳も、この髪も―――ステイシーそのものだ。
望めば、あなたはいつでも彼女に会える。
そして俺も―――」
P.509
冬の夜
キミへの気持ちを窓に託しました
たった一言が言えない私は臆病者ですか?
でも今はこれが精一杯
雪に想いを
『次はお天気コーナーです。今日から明日にかけて低気圧が日本の南を発達しながら東北東に進み、明日には日本の東に進む見込みです。
関東甲信地方では今夜から雨が次第に雪に変わり、あす午前中にかけて山沿いを中心に、平野部でも積雪となる所がある見込みです。雪による交通障害、架線や電線、樹木等への着雪、路面の凍結に注意してください』
今朝のワイドショーのお天気キャスターの言葉を思い出したのは、勤めている会社の定時を迎え業務を終えたときだった。
「えー!やだっ!雪降ってるじゃん」と誰からともなく声が挙がり
「ホントだー、私傘持ってきてない」
「どうりで冷えると思った」
と同僚たちが次々と口にする。
またも誰かが「せっかく彼氏に買って貰ったバッグが濡れちゃう」と言い出し、それでもちっとも困った様子ではなく、どこか誇らし気だ。
そしてその周りの女子たちが盛んに羨ましがる。
「いいなー、でもあたし今度のクリスマスにダイヤの指輪ねだっちゃうんだー」と一人の女の子。
「いいなー!」黄色い声に、私は苦笑いを浮かべるしかない。ここでの男の年収と、女の品格は反比例する。いかにいい服を着るか、いかにいいバッグを持つか、いかにいい男を彼氏にするか、年中こんな会話でうんざりする。
かと言って輪に加わらないわけにはいかない。仕事とプライベートの内容こそ比例するのだ。
P.1
「仁科《にしな》さんはいつも素敵な服着てますよね」ふいに一人から話題を振られた。
「えっ、そう?」私は曖昧に笑って言葉を濁した。今日の服装は白いタイトワンピ。腰回りに太いベルトが巻き付いていて、ちょっと豪華に見えるゴールドのバックルがワンポイント。
そして同じくゴールド系のスパンコールが襟元に入ったコートを腕にかけて帰りたいアピール。
シンプルな服装だったけど、流石は目が肥えている女子たち。すぐにそれが高価なものだと見破った。女のチェック程厳しいものはない。私がオシャレをするのは対、男ではなく、彼女たちの為。
「仁科さんてぇ、結婚しないんですかぁ」間延びした話し方が赦されるのはこの年代の特権だ。
「結婚ね……相手がいないから」私は適当にごまかして再び言葉を濁した。
こう言っておけば大抵の女は引き下がる。私が長い間、人付き合いをしてきて、これが最良の方法だと知ったのはつい最近のこと。
私がこの会社に勤めはじめて五年になる。この会社での女性正社員では長いほうだ。後から派遣された若い女の子たちから見れば私なんてお局のようだった。
「そう言えばぁ仁科さん、この前見ちゃったんですぅ」一人の女の子が思わせぶりに口元へ手をやった。
短く切った髪にはパーマがあててあり、傍から見ればマシュマロのように可愛らしい女の子だ。
だが、そんな可愛らしさに惑わされてはいけない。女はいつでも顔の下にしたたかな一面を隠しているのだから。
P.2
「何を?」私は平静を装って取り澄ました。
もしかして“アイツ”と居る所を見られた?と思ってドキリとしたが
「この前の金曜日、青山のイタリアンレストランで、経理の前田さんと一緒にいるところぉ」
ああ、そっちか。とちょっとほっと安堵する。
「ええー!!」周りから黄色い声が飛ぶ。私は思わず頭を押さえたくなった。
そう、確かに経理の前田に誘われて先週の金曜に青山まで行った。
でも食事をしただけで、別に艶かしい関係ではない。だが、ここで重要なのが、経理の前田という男、この会社ではなかなかのハンサムでしかも独身、きさくな性格をしているわりには頼れる上司でもあるのだ。そうゆう男を若い女性社員が放っておくわけがない。
「いいなー、ねえお二人って付き合ってるんですか?」
食事をするイコール男女の関係と、どうして若い子たちはそう短絡的なのだろう。私はこの場から逃げ出したくなった。だけど、この場から立ち去ると認めたことになってしまう。
「別に、ただお食事に誘われただけよ」
「うそー、絶対前田さん仁科さんのこと狙ってるわよぅ。だって、あたしたちがいくら誘っても全然だったのよー。それなのに前田さんは仁科さんのこと」
嫉妬心と羨望の眼差しで見られ、私は思わず後ずさり。
何とか前田との話を切り返し、従業員出入り口から女子の群れに混ざって出てきた所だった。
遠くで派手なエンジン音が聞こえてきて、この狭い路地裏へと近づいてきた。この聞き慣れたエンジン音。私は嫌な予感がして思わず一方通行の標識を見つめた。
「よーう、仁科」黒のポルシェの窓から腕を出し、銜えタバコをしながら九条《くじょう》が手を振っている。
「やっぱり」
私は、今度こそ頭痛をこらえるように頭をしっかりと押さえた。
P.3
「仁科、今終わりか?これから飯でも食わねー?」
この状況を知らずに能天気に笑ってるその整った横っ面に今すぐ張り手を食らわせたい。
「あ、あんたいつ東京に戻ってきたわけ?」私は女の子の群れから一人離れると、九条の車に近づいた。
「あー、悪い。三日ぐらい前かな?この前言ってた日本料理屋行こうぜ」
「あんたっていつも何で急なのよ」
私が声を潜めて九条を睨んでいるときだった。
「えー、仁科さんの彼氏さんですかぁ?かっこいい!」
女の子たちの視線が九条に移った。予想していなかった最悪の事態。
上半身しか見えなかったが、今日の九条は黒いジャケットの中に白いカットソーを着ていて、真冬だって言うのに襟ぐりに濃いサングラスをかけている。いつものように髪をラフにセットしてあって、左耳には輪っかのようなピアスが三つ光っていた。
そう
どこからどーみてもこいつは
ホスト。
P.4
「仁科、今終わりか?これから飯でも食わねー?」
この状況を知らずに能天気に笑ってるその整った横っ面に今すぐ張り手を食らわせたい。
「あ、あんたいつ東京に戻ってきたわけ?」私は女の子の群れから一人離れると、九条の車に近づいた。
「あー、悪い。三日ぐらい前かな?この前言ってた日本料理屋行こうぜ」
「あんたっていつも何で急なのよ」
私が声を潜めて九条を睨んでいるときだった。
「えー、仁科さんの彼氏さんですかぁ?かっこいい!」
女の子たちの視線が九条に移った。予想していなかった最悪の事態。
上半身しか見えなかったが、今日の九条は黒いジャケットの中に白いカットソーを着ていて、真冬だって言うのに襟ぐりに濃いサングラスをかけている。いつものように髪をラフにセットしてあって、左耳には輪っかのようなピアスが三つ光っていた。
そう
どこからどーみてもこいつは
ホスト。
P.4
でも勘違いしてもらっては困る。私はこいつの客じゃない。東京を離れていたのも、大方客の一人と遠征旅行でもしていたのだろう。
「違っ!こいつとは単なる腐れ縁。彼氏とかじゃないから」
と慌てて否定するも秒の単位で噂が回るこの会社で明日の朝には『仁科さんて、ホストに貢いでるらしいよ』とあちこちで言われるに違いない。
くらり、と眩暈が起きた。
腐れ縁、と言うのは間違いない。中学からの同級生だから。
「じゃあ、本命は前田さんですかぁ?」女の子達が興味津々で目を輝かせている。
「前田??ひどいなー、仁科ぁ。俺たち何度もセック……もがっ」
最後の方が言葉にならなかったのは私の手が九条の口を塞いだから。
ふざけんな!何言い出すんだこいつぁ!!
空気読めっつうの!
と言うことを目で訴えると、流石に冗談が過ぎたと思ったのか九条は苦笑い。
「で?行くの?行かないの?」せっかちに聞かれて
「わかったわよ!行くわよ」半ば怒鳴るように九条を睨みつけると、私はそそくさと助手席に回った。
「それじゃ、私はこれで。お先に」女の子たちにはなるべく平静を装って、にこやかに手を振る。
ため息をついて車の助手席を開けると、運転席から九条が笑顔で手を差し伸べてきた。
「ただいま、仁科」
昔とちっとも変わらない笑顔。眉が下がり、目を細める、優しい笑顔。そして時々その低い声で呼ばれる、自分の名前。何だかくすぐったいが、この笑顔を向けられたら、たとえ九条の勝手に振り回されても、赦せてしまう。
「……おかえりなさい」私は俯くと、小さく返事を返した。
P.5
前述した通り私と九条とは中学からの付き合いだ。かれこれ十年以上の付き合いになる。十年、と言う歳月は長く感じられるけれど、その間に音信不通になったり、そしてどこからか連絡先を入手して電話を寄越して来たり、をだらだらと繰り返している。
でも、私たちははっきりと『付き合って』はいない。もちろん九条のブラックジョークの『体の関係』もない。
あるのは中学生から変わらないノリと
私が九条のこと「好き」
と言うことだけ。歳を重ねて、九条がホストになって……あ、今はホストじゃなくホスト店を経営してるオーナー様でもあったかしら。とにかく環境は変わったものの、不変的な何かは確実に存在している。
パワーウィンドウの外をちらほらと雪が降っていた。
「北海道行ってきたんだ~土産に蟹買ってきてやったぞ」と九条は運転しながらどこか楽しそう。
「北海道……ここより雪が多そうね」ぼんやりと呟きながら、九条に気づかれない程度にこっそりと、外気との差で曇った窓ガラスに、人差し指で
『好き』
と書く。
私の書いた文字は私の体で隠れて九条からは見えない。
「蟹すきしようぜ~、お前んちで」
「何であんたを一々上げないといけない?」
言い合いをしながら、やがて私のマンションに着く頃にはみぞれになった大粒の白いものが私の『好き』をかき消す。
「だってお前んち床暖あるじゃん?」
「そんな理由かよ」
中学生から変わってないこの関係とノリ。
今はまだ―――
この関係でいいや。
~FIN~
P.6