-GOLD- 二人のArthur物語
予感
“戦え
闘え
闘いぬけ
前進あるのみ
貫け、意思を
貫け
ひたすらに”
ザワザワ…
開け放たれた図書館の窓から秋の風が吹き込み、陽に焼けて色褪せたカーテンを揺らした。
夏の熱気と湿気を帯びた青い風ではなく、それはひやりと冷たく、長い冬の訪れを早く早くとせかしているように思えた。
窓の木枠の外を見ると、大きな銀杏(イチョウ)の木が風でゆらゆらと揺れている。
黄金色の葉が揺らめいて、図書館の床に影を落とす。
「何かが起こりそうな予感」
俺はそっと胸の辺りを押さえて、空を見上げた。
P.1
「先輩、好きです」
大学の構内にある図書館の隅、俺の目の前には顔を真っ赤にさせた見知らぬ女の子。
今月に入って、告白されたのは(男女合わせて)6件目。
「えっと……誰?」
「一年の文芸学部の…」
と、言われても俺わかんないし。
大体話したこともない俺のどこが気に入ったの?
顔?それともクォーターって言う血筋?
好きって何?恋って何―――?
俺が苦手な恋愛小説ではどうしようもなく胸がしめつけられて、ドキドキしたり、苦しくなったり。
相手のことを知りたくて、目が自然とその子を追ったり。
だったら、俺はその気持ちをまだ経験したことがない。
だから俺の顔が好きだと言って来る人たちの気持ちが―――まったくもって理解できないし。
「ゴメンナサイ」
今月6件目の告白に、たったの6文字で返事をかえす俺。
機械的に返した言葉には何の感情も浮かばない。
3秒後にはその子の顔すら忘れてる。
俺ってサイテー?
P.2
恋愛小説は嫌いじゃないけど、好きでもない。どっちかって言うと苦手の部類に入るけど。
ただ、恋すると言う気持ちがどんなものか知りたくて読んだりする。
だけど俺にはまだ理解ができない。
俺は読んでいた本を閉じた。
だめだ。
恋愛小説って気分じゃない。
“今からおよそ1500年前のブリテン島。
イングランド王は側近である公爵の妻を横恋慕してしまう。
魔法使いマーリンの力を借りて、公爵夫人を自分のものにするが、そのときに生まれた子がのちのアーサー王である。
しかし生まれた赤子を魔法使いマーリンはどこかへ隠してしまい、やがて王は子をそれ以降子を成すことなく、亡くなった。
王には後継者がいなかったため、国では内紛がおき、
その折に剣が刺さっている不思議な石が現れる。
その石には「この石から剣を抜いた者は全イングランドの王である」
と書かれており、イングランドじゅうの王や領主や騎士たちが剣を抜こうとするが、誰にも抜くことができなかった。
しかし偶然その石の前を通りかかったアーサーはあっさりとその剣を抜き去り、
魔法使いマーリンはアーサーは実は王の後継者であることを告げる。
こうして、アーサーは即位したが、即位に反対する王や諸侯との内戦が始まった。
アーサーは内外の戦乱を数多く勝ち抜き、特にブリテン島にとって脅威であったアングロ・サクソン人を壊滅的にうち破ってからは、平和な一時代を……”
「ねね♪見てみて~アーサー様来てるわよ♪」
「わ!ホント!!はぁ~いつ見てもお美しい。今日はいいことあるかも♪」
「構内のアイドルだもんね~熱心に本を読むお姿も素敵。何を読んでるのかな」
「詩集とか?あの物憂げな表情とか?素敵ーー!!」
…………
―――そこまで読み終わって、俺は『アーサー王伝説』の本を閉じた。
外野が煩い。
集中できないし。
P.3
場所変えよ。
俺の通う大学で、俺のゆっくりと落ち着ける場所なんてどこにもない。
唯一の趣味である読書ぐらいどこでしたっていいじゃん。放っておいてよ。
し・か・も
「俺を“アーサー”と呼ぶなよ!!」
一人になったところで気が抜けたのか、俺は思わず怒鳴り声を上げていた。
木崎 Arthur 実(キザキ アーサー ミノル)
それが俺の本名だ。
俺のじいちゃんがイングランドと日本人のハーフで、その孫である俺はクォーター。
じいちゃんのそのまたお父さんの生まれ故郷、イングランドの田舎町はそれはそれは美しい場所だとか。
行ったことないけど。まったく知らない土地の、俺とは全く無縁の人種「ゲルマン人」の血を遠く離れた日本で伝えていくというのはどんな気持ちなんだろう。
じいちゃんのミドルネームもアーサー。そのまんま受け継いだわけだけど、背も高くて見た目男らしいじいちゃんにはぴったりだよ?
でも、背もまぁまぁの童顔にこのハチミツ色の髪と大きめな目と雪みたいな白い肌の俺に
アーサーなんて完全な名前負けだ。
アーサー王って凄く強いイメージあるじゃない??
まぁ髪と肌の特徴は北欧ゲルマン人の特徴だから、まるで俺だけ突然先祖返りしたように受け継いだ劣性の中の劣性遺伝にじいちゃんはすごく喜んでたみたい。
だからこの名前。
だけどそのせいで俺は幼い頃から、何故か魔法使い…じゃなくて変質者に誘拐されるし、
痴漢、強姦未遂ってのもあったな…
街を歩くと、何を勘違ってるのか、外人さんから道を聞かれても英語話せないから答えられないし。
つまり全然強くないわけで、どっちかって言うとヘタレ。
あぁ
俺、もっと強くて男らしくなりたいのに。何でだよ…
と、生まれて二十年間悩み続けてきた俺。大学二回生になっても、その悩みは変わってない。
「木崎くん!」
キャンパス内に植わっている銀杏並木の細道を歩きながら、ふいに背後から名前を呼ばれて、
振り返ると、見知らぬ男が一人立っていた。
P.4
誰??
名前も学年も知らないヤツだった。なんか暗そうだし…
って人のこと言える身分じゃないけど。
「あの、僕!木崎くんに一目ぼれしたんだ!!」
………
別に驚くことじゃない。今月に入って男から告白を受ける数、3人…いや、4人だ。女の子も合わせると今月7件目。
新記録??
なんて思ってる場合じゃない。
「俺、悪いけどソッチの趣味ないから。じゃね」
早々に逃げ出したい俺はお決まりの文句でそっけなくあしらってそいつに背を向ける。
「待って!待ってくれ!!せめて話しだけでも!!」
ガッ
男は乱暴に俺の肩を掴み、振り向かせる。
な…何…
びっくりして目をまばたいていると、男が
「真剣に好きなんだ!」と今度は俺の手を握ってきた。
ぞわわ
俺の首の後ろに鳥肌が立ち、俺はそいつの手を乱暴に振り払おうとした。
こいつも魔法使いマーリンの手下かよ…
「離せっ!!」
俺が手を振り上げてもそいつは離れてくれない。男は鼻息も荒く俺に迫ってくる。
「木崎くん」
ぅっわー。こいつヤバい!!マジで勘弁!
そのときだった。
ガサッ
黄金色をした葉がひらりと一枚、俺の目の前を舞い、
俺のすぐ後ろで威圧的な影が迫り、俺の身長を覆った。
ヒュッ
まるで空気をも裂くような、風を切る音が聞こえたかと思うと
トン
俺のすぐ目の横を筒のような何かが素通りしていった。
P.5
あまりの速さでその筒が剣道で使う“竹刀”だと気付くのに、数秒掛かった。
へ……?
驚いて目をまばたくと、俺の手を掴んでいた男はさっきまで興奮して赤くしていた顔から一転、顔を真っ青にさせて後ずさった。
俺のすぐ背後に迫った影は上背があって重圧的で、殺気というんだろうか…
ぴりぴりと秋の空気を震わせていた。
「その手を離せ。嫌がってんじゃねぇか。
そのみっともねぇ面を、さらにみっともなくされたくなかったら
とっとと失せな」
竹刀の側面でペチペチとその男の頬を叩きながら、低くてよく透る声がすぐ背後で聞こえてきた。
大声を出しているわけでもないのに、その声は耳に心地良く響く。
俺の手を掴んでいた男は慌てて俺から手を離し、顔を青ざめさせて
「あ、アーサー……」
と、一言呟いた。
ブチン
―――俺の中で、何かがキレた。
「その名前で呼ぶんじゃねぇよ」
俺は男のさっきまで言い寄られていた男の胸ぐらを掴み、木の幹にぶつけた。
「…は、はい?」
男が違った意味で顔を青くさせながら俺を凝視する。
「その名で俺を呼ぶんじゃねぇっつってんだよ!」
もう一度怒鳴ると、男は顔を青ざめさせたまま横にずれ、
「…は、はい…」と弱々しく答えると、サーっと逃げていった。
P.6
一体…何だったんだよ。
みっともなく男が逃げ去る様子を見送り、慌てて振り返ると、
視界の端に黒いものが映った。
それが袴の裾であると気付いたのは、またも数秒後。
黒い袴の裾を翻し、濃紺の上衣の袂がふわりと風で揺れる。
風に乗って香ってきたのは、清々しい汗の匂い。
短めの黒い髪は無造作に乱れていて、こめかみから一筋の汗が流れ落ちている。
その汗が落ちてゆく夕陽に反射してきらりと光った。
深い紺色の上衣を纏った背中は広くてがっしりとしていた。
上衣から覗いた腕は太い血管が浮き上がった、きれいな筋肉の腕がすんなりと伸びている。
―――誰……
「…ちょ、ちょっと…」
慌てて彼の姿を追いかけると、男は俺の言葉なんて耳に入ってないのか少しも振り向くことなく、大またに前を歩く。
くっそ。コンパスの違いか?
歩くの早いんだよ。
まっすぐに伸ばされた背中は姿勢が良く、外を向いたつま先には迷いがない。
ただまっすぐ―――目的地に着くまで銀杏の木が連なる黄金の路を行く。
その、歩を止められることはないのだろうか。
俺が止めることができないんだろうか。
P.7
きびきびと姿勢良く、そして無心にどこかへ向かう男に、俺は何となくついていく。
男は力強く歩いているが、その右足を時折不自然に引きずっている。
何となく足元を見やると、黒い裾から覗いた足首に白い包帯が巻かれていた。
―――怪我……?
男は銀杏並木の小路を行き、それが途切れるとやがて灰色の小さな建物がぽっかりと浮かびあがった。
男は手馴れた手付きでその入り口を開けると、扉を開けたまま靴だけを脱ぎ、中に入っていった。
ふわりと木の…すのこだろうか、香りが漂ってきた。
どこか懐かしい―――優しい香り。
ど、どうしよう……
何となく興味があってついてきちゃったけど。
ってか助けてくれたお礼もまだちゃんとしてないし。
「…あの!」
と声を掛けると、道着姿の男は俺に気付いていないのか、
竹刀を両の手で握ると、板張りの床にしゃがんだ。
ピンと伸ばされた背筋。
真剣な顔でまっすぐに前を見据え、まっすぐに竹刀を構え、
とてもきれいな動作で一礼した。
男らしい横顔と、さっきの言動からは想像も着かないような
上品で凛とした佇まい。
ひらり
俺の目の前を黄金色をした葉が舞い落ちる。
その葉が一瞬だけ動きを止め、
ざわざわ
銀杏の太い木の幹が揺れ、葉が音を鳴らす。
空気が変わった。
それは何かが起こる予感を
現していた。
P.8<→次へ>
冬の夜
キミへの気持ちを窓に託しました
たった一言が言えない私は臆病者ですか?
でも今はこれが精一杯
雪に想いを
『次はお天気コーナーです。今日から明日にかけて低気圧が日本の南を発達しながら東北東に進み、明日には日本の東に進む見込みです。
関東甲信地方では今夜から雨が次第に雪に変わり、あす午前中にかけて山沿いを中心に、平野部でも積雪となる所がある見込みです。雪による交通障害、架線や電線、樹木等への着雪、路面の凍結に注意してください』
今朝のワイドショーのお天気キャスターの言葉を思い出したのは、勤めている会社の定時を迎え業務を終えたときだった。
「えー!やだっ!雪降ってるじゃん」と誰からともなく声が挙がり
「ホントだー、私傘持ってきてない」
「どうりで冷えると思った」
と同僚たちが次々と口にする。
またも誰かが「せっかく彼氏に買って貰ったバッグが濡れちゃう」と言い出し、それでもちっとも困った様子ではなく、どこか誇らし気だ。
そしてその周りの女子たちが盛んに羨ましがる。
「いいなー、でもあたし今度のクリスマスにダイヤの指輪ねだっちゃうんだー」と一人の女の子。
「いいなー!」黄色い声に、私は苦笑いを浮かべるしかない。ここでの男の年収と、女の品格は反比例する。いかにいい服を着るか、いかにいいバッグを持つか、いかにいい男を彼氏にするか、年中こんな会話でうんざりする。
かと言って輪に加わらないわけにはいかない。仕事とプライベートの内容こそ比例するのだ。
P.1
「仁科《にしな》さんはいつも素敵な服着てますよね」ふいに一人から話題を振られた。
「えっ、そう?」私は曖昧に笑って言葉を濁した。今日の服装は白いタイトワンピ。腰回りに太いベルトが巻き付いていて、ちょっと豪華に見えるゴールドのバックルがワンポイント。
そして同じくゴールド系のスパンコールが襟元に入ったコートを腕にかけて帰りたいアピール。
シンプルな服装だったけど、流石は目が肥えている女子たち。すぐにそれが高価なものだと見破った。女のチェック程厳しいものはない。私がオシャレをするのは対、男ではなく、彼女たちの為。
「仁科さんてぇ、結婚しないんですかぁ」間延びした話し方が赦されるのはこの年代の特権だ。
「結婚ね……相手がいないから」私は適当にごまかして再び言葉を濁した。
こう言っておけば大抵の女は引き下がる。私が長い間、人付き合いをしてきて、これが最良の方法だと知ったのはつい最近のこと。
私がこの会社に勤めはじめて五年になる。この会社での女性正社員では長いほうだ。後から派遣された若い女の子たちから見れば私なんてお局のようだった。
「そう言えばぁ仁科さん、この前見ちゃったんですぅ」一人の女の子が思わせぶりに口元へ手をやった。
短く切った髪にはパーマがあててあり、傍から見ればマシュマロのように可愛らしい女の子だ。
だが、そんな可愛らしさに惑わされてはいけない。女はいつでも顔の下にしたたかな一面を隠しているのだから。
P.2
「何を?」私は平静を装って取り澄ました。
もしかして“アイツ”と居る所を見られた?と思ってドキリとしたが
「この前の金曜日、青山のイタリアンレストランで、経理の前田さんと一緒にいるところぉ」
ああ、そっちか。とちょっとほっと安堵する。
「ええー!!」周りから黄色い声が飛ぶ。私は思わず頭を押さえたくなった。
そう、確かに経理の前田に誘われて先週の金曜に青山まで行った。
でも食事をしただけで、別に艶かしい関係ではない。だが、ここで重要なのが、経理の前田という男、この会社ではなかなかのハンサムでしかも独身、きさくな性格をしているわりには頼れる上司でもあるのだ。そうゆう男を若い女性社員が放っておくわけがない。
「いいなー、ねえお二人って付き合ってるんですか?」
食事をするイコール男女の関係と、どうして若い子たちはそう短絡的なのだろう。私はこの場から逃げ出したくなった。だけど、この場から立ち去ると認めたことになってしまう。
「別に、ただお食事に誘われただけよ」
「うそー、絶対前田さん仁科さんのこと狙ってるわよぅ。だって、あたしたちがいくら誘っても全然だったのよー。それなのに前田さんは仁科さんのこと」
嫉妬心と羨望の眼差しで見られ、私は思わず後ずさり。
何とか前田との話を切り返し、従業員出入り口から女子の群れに混ざって出てきた所だった。
遠くで派手なエンジン音が聞こえてきて、この狭い路地裏へと近づいてきた。この聞き慣れたエンジン音。私は嫌な予感がして思わず一方通行の標識を見つめた。
「よーう、仁科」黒のポルシェの窓から腕を出し、銜えタバコをしながら九条《くじょう》が手を振っている。
「やっぱり」
私は、今度こそ頭痛をこらえるように頭をしっかりと押さえた。
P.3
「仁科、今終わりか?これから飯でも食わねー?」
この状況を知らずに能天気に笑ってるその整った横っ面に今すぐ張り手を食らわせたい。
「あ、あんたいつ東京に戻ってきたわけ?」私は女の子の群れから一人離れると、九条の車に近づいた。
「あー、悪い。三日ぐらい前かな?この前言ってた日本料理屋行こうぜ」
「あんたっていつも何で急なのよ」
私が声を潜めて九条を睨んでいるときだった。
「えー、仁科さんの彼氏さんですかぁ?かっこいい!」
女の子たちの視線が九条に移った。予想していなかった最悪の事態。
上半身しか見えなかったが、今日の九条は黒いジャケットの中に白いカットソーを着ていて、真冬だって言うのに襟ぐりに濃いサングラスをかけている。いつものように髪をラフにセットしてあって、左耳には輪っかのようなピアスが三つ光っていた。
そう
どこからどーみてもこいつは
ホスト。
P.4
「仁科、今終わりか?これから飯でも食わねー?」
この状況を知らずに能天気に笑ってるその整った横っ面に今すぐ張り手を食らわせたい。
「あ、あんたいつ東京に戻ってきたわけ?」私は女の子の群れから一人離れると、九条の車に近づいた。
「あー、悪い。三日ぐらい前かな?この前言ってた日本料理屋行こうぜ」
「あんたっていつも何で急なのよ」
私が声を潜めて九条を睨んでいるときだった。
「えー、仁科さんの彼氏さんですかぁ?かっこいい!」
女の子たちの視線が九条に移った。予想していなかった最悪の事態。
上半身しか見えなかったが、今日の九条は黒いジャケットの中に白いカットソーを着ていて、真冬だって言うのに襟ぐりに濃いサングラスをかけている。いつものように髪をラフにセットしてあって、左耳には輪っかのようなピアスが三つ光っていた。
そう
どこからどーみてもこいつは
ホスト。
P.4
でも勘違いしてもらっては困る。私はこいつの客じゃない。東京を離れていたのも、大方客の一人と遠征旅行でもしていたのだろう。
「違っ!こいつとは単なる腐れ縁。彼氏とかじゃないから」
と慌てて否定するも秒の単位で噂が回るこの会社で明日の朝には『仁科さんて、ホストに貢いでるらしいよ』とあちこちで言われるに違いない。
くらり、と眩暈が起きた。
腐れ縁、と言うのは間違いない。中学からの同級生だから。
「じゃあ、本命は前田さんですかぁ?」女の子達が興味津々で目を輝かせている。
「前田??ひどいなー、仁科ぁ。俺たち何度もセック……もがっ」
最後の方が言葉にならなかったのは私の手が九条の口を塞いだから。
ふざけんな!何言い出すんだこいつぁ!!
空気読めっつうの!
と言うことを目で訴えると、流石に冗談が過ぎたと思ったのか九条は苦笑い。
「で?行くの?行かないの?」せっかちに聞かれて
「わかったわよ!行くわよ」半ば怒鳴るように九条を睨みつけると、私はそそくさと助手席に回った。
「それじゃ、私はこれで。お先に」女の子たちにはなるべく平静を装って、にこやかに手を振る。
ため息をついて車の助手席を開けると、運転席から九条が笑顔で手を差し伸べてきた。
「ただいま、仁科」
昔とちっとも変わらない笑顔。眉が下がり、目を細める、優しい笑顔。そして時々その低い声で呼ばれる、自分の名前。何だかくすぐったいが、この笑顔を向けられたら、たとえ九条の勝手に振り回されても、赦せてしまう。
「……おかえりなさい」私は俯くと、小さく返事を返した。
P.5
前述した通り私と九条とは中学からの付き合いだ。かれこれ十年以上の付き合いになる。十年、と言う歳月は長く感じられるけれど、その間に音信不通になったり、そしてどこからか連絡先を入手して電話を寄越して来たり、をだらだらと繰り返している。
でも、私たちははっきりと『付き合って』はいない。もちろん九条のブラックジョークの『体の関係』もない。
あるのは中学生から変わらないノリと
私が九条のこと「好き」
と言うことだけ。歳を重ねて、九条がホストになって……あ、今はホストじゃなくホスト店を経営してるオーナー様でもあったかしら。とにかく環境は変わったものの、不変的な何かは確実に存在している。
パワーウィンドウの外をちらほらと雪が降っていた。
「北海道行ってきたんだ~土産に蟹買ってきてやったぞ」と九条は運転しながらどこか楽しそう。
「北海道……ここより雪が多そうね」ぼんやりと呟きながら、九条に気づかれない程度にこっそりと、外気との差で曇った窓ガラスに、人差し指で
『好き』
と書く。
私の書いた文字は私の体で隠れて九条からは見えない。
「蟹すきしようぜ~、お前んちで」
「何であんたを一々上げないといけない?」
言い合いをしながら、やがて私のマンションに着く頃にはみぞれになった大粒の白いものが私の『好き』をかき消す。
「だってお前んち床暖あるじゃん?」
「そんな理由かよ」
中学生から変わってないこの関係とノリ。
今はまだ―――
この関係でいいや。
~FIN~
P.6