Chat Noir -黒猫と私- Deux(2nd)
Cat №39 黒猫VSチェシャ猫
『黒猫VSチェシャ猫』
新旧対決??何なのこの状況。
逃げ出したい。
P.235
ピーポーピーポ~
遠くで救急車のサイレンが鳴っている。
結局…
大学が休みだと言うのに、『I'll be bacK』だわ。
つまりは
黒猫のおかげで落下は免れ、私も黒猫も階段でちょっと膝小僧や手の甲を擦りむいただけなのに、
その場にいたペルシャ砂糖さんとチェシャ猫さんが血相を変えて救急車を呼んだ。
その救急車に乗って運ばれてきた場所が私の大学病院だった。
んで、成り行きでその場にいたトラネコりょーたくんとカリンちゃんも心配だったのかあとから追いかけてきて
今は狭い診療室にずらりと勢ぞろい。
ペットショップか、と言うぐらい猫たち(その他も)がぎっちり。
「真田さん、大丈夫ですか?」
チェシャ猫さんが私の手を取るより早く
「朝都……」
倭人が何か言いかけるより早く
「アサちゃん!!無事で良かったね~!!」
私にむぎゅっと抱き付いてきたのはトラネコりょーたくん。
……
す、素早い。
「おい!(怒)朝都に触るな」
黒猫は額に血管を浮かべてトラネコくんの首ねっこを掴むと、べりっと私から引きはがすとトラネコくんは大人しくなった。
ホント、猫……。
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「こないだも会ったよね、君は確か“アサちゃん”の…」
チェシャ猫さんがトラネコりょーたくんを興味深そうにまじまじ見つめて
「フレンドだ!」
びしっ!トラネコりょーたくんはチェシャ猫さんを指さし。
だからその言い方やめてよ。
そんなやり取りをしている間
「良かった……
朝都が無事で―――」
ふわり
前置きもなく黒猫に抱きしめられ、
おひさまと柔軟剤の香りに包まれる。
懐かしい―――……香り。
心地いい。私の大好きな
香り―――
チェシャ猫さんがその様子を見てちょっとだけ目を細める。
でもその様子もあまり目に入らないぐらい
ドキリ
私の心臓が大きく波打った。
新しい恋をはじめるって誓ったばかりなのに……早くもその誓いが破られそうなぐらい―――
ドキドキした。
心が熱くなった。
痛いほど―――苦しくなった。
色んな感情がないまぜになって私の胃の辺りに不快な何かが渦巻く。
キリキリ……胃が――――…ううん
―――胸が痛む。
けれど黒猫の―――懐かしくも心地良い香りに包まれ、思わず黒猫をぎゅっと…ぎこちなく抱きしめ返すと
黒猫の背中は僅かに震えていた。
私の指先も震えていた。
それははたから見たら分からないぐらい小さく。
でも―――
「怖かった。
朝都が落ちるかと思ったらたまらなく―――」
誰にも聞こえないちっさな声で黒猫は囁いてきて、その声も僅かに
震えていた。
黒猫――――
「助けてくれてありがとうね」
今回ばかりは素直になって黒猫に縋りつくと、その背後で
悲しそうな寂しそうな複雑な表情を浮かべたカリンちゃんとチェシャ猫さんが居て、
私は、はっとなった。
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慌てて黒猫を押しのけると、拒絶されたと思ったのか…(その通りなんだけど)今度は黒猫が悲しそうに眉を寄せる。
ごめんね、黒猫―――
ごめんね
やっぱり私、あんたんとこ
戻れない。
それから数分してミケネコお父様がペルシャ砂糖さんを迎えに来た。
「びっくりしたよ!病院に運ばれたって言ったから。おなかの赤ちゃんに何かあったのかと思った」
ミケネコお父様にかくかくしかじか私と黒猫から説明すると、またもミケネコお父様はびっくり。大きな目を丸めた。
「朝都ちゃん大丈夫だった!?」
と、今度もまたミケネコお父様は人目も憚らず私をぎゅっ。
今度はチェシャ猫さんの方も特にリアクションがなかった。
いい加減ネコたちの悪意のない抱擁に慣れたってとこか。
「だから無事だっつってんだろ。俺が守ったんだからな。
離れろ、変態くそ親父!」
『守った』―――と言う言葉にまたもドキリと胸が鳴る。
守られた。
元飼い猫に――――
べりっ
またも黒猫は私からミケネコお父様を引きはがし…今度は私の方も逃れるのに必死。
いくら潔白だと言えどペルシャ砂糖さんの居る前でさすがにマズい。
さっきあんな騒動があったんだし。
でもペルシャ砂糖さんは全く気にしてないようで「朝都さんが無事で良かった」とこちらもにっこり。
騒がしくも賑やかな猫団体は、その後ミケネコお父様がペルシャ砂糖さんを連れ帰り、
残りのメンバーで何故か今は
ファミレスに居る状況。
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何故かって??
それはね…
数十分前。
「黒猫、ちょっと…」
まだ病院に居た私は診療室の外に黒猫を呼び出し、さっきペルシャ砂糖さんから預かった手紙を見せた。
手紙を読んだ黒猫はもちろんぎょっと目を開いて―――
「あいつ…性懲りもなく浮気とか」と、目を吊り上げて怒り出したけど、「違うの!」またも私はかくかくしかじか説明をして
説明を聞いても
「はぁ!?あいつが朝都と!!?マジありえねぇ!」と握った拳を震わせ、今度は怒りMAX。
「だから違うの!」
それを説明するために近くのファミレスに呼んだわけだけど、何故だかチェシャ猫さんとトラネコりょーたくん、カリンちゃんもくっついてきて…
まぁ二人きりじゃなければそれでいいんだけど
でもこのメンバー微妙過ぎる。
と言うわけで、私は何度目かになる説明を繰り返し、一同を見渡した。
「そういうわけだから、ペルシャ砂糖さんのことちゃんと見てあげててね」
としっかりお願い。
「お父様にはさすがに言えないでしょう?」
「んなこと言ったって、あいつが撒いた種だろ?あいつに回収させればいいじゃん」
と倭人は乗り気じゃない様子。
でもペルシャ砂糖さんのことは心配なのか
「ちゃんと送り迎えはする。不審人物がいないかチェックする」
と言ってくれてほっとした。
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ちなみに席順といたしましては~
カリンちゃん、黒猫、トラネコくんと言う順でヤングチーム
に、向かい合うようにしてチェシャ猫さんと私、と言うアダルトチームの並びでございます。
黒猫は私の隣に座りたそうにしていたけれど、さすがにそれはキマヅイのかそうしてこなかった。
カリンちゃんも居る手前、その行動がちょっとありがたかったり。
でも…
う゛
思いっきり真ん前。
キマヅくてしょうがない私はさっきから視線があちこちに泳ぐ。
そんな中
「ちょっと失礼」
チェシャ猫さんは私から手紙を取り、手紙を鼻につけてくんくん。
いつもならチェシャ猫さんの行動に一々(心の中で)ツッコミを入れていたけれど、今程このわけわかん行動がありがたく思う。
「オレンジの香りがしますね」
と私に見せてきた。
あなたは迷(名)探偵チェシャ猫ですか。とは当然ツッこめず……
「…そうなんです…」
私が答えると
「“そうなんですぅ”じゃねぇだろ。
朝都、この人誰」
私の向かい側に座った黒猫は不機嫌オーラだだ漏れで、チェシャ猫さんを睨んでいる。
さっきは私が落ちる、と言うアクシデントがあったしバタバタしてたから気にする余裕なんてなかったんだろうな。
今になってようやく聞いてきた。
「アサちゃんを狙う殺し屋だよ、倭人。どっかの国のCIAだ」
とトラネコくんは倭人にぼそぼそ。
「アホ、CIAはアメリカだろ」
倭人は明らかに不機嫌を滲ませた表情で腕を組み、そんな不機嫌倭人にツッコまれてトラネコりょーたくんは肩をすくめた。
だからCIAじゃないって。ましてや殺し屋なんてチェシャ猫さんに失礼よ。←誰もチェシャ猫さんのこととは言っていない。朝都が一番失礼。
「んで?ホントのところはどうなの?」
またもぼそぼそトラネコくんに聞いていて
「さぁ。アサちゃんのフレンド?」
だからフレンド言うな!
大体私たち、『まだ』清い仲よ!
………清い仲とか……
ぅわぁ、今それを(心の中で)言っちゃう自分…
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とにかく、私はこのメンバーを前に頭の中ぐちゃぐちゃ。
考えてることもぐっちゃぐちゃ。
だって元カレの黒猫と今彼(候補)のチェシャ猫さんとの対面なんだよ?
しかもライバルだった子……カリンちゃんも居るし!
黒猫とチェシャ猫さんの間には目に見えない火花が散ってる…ように見えるのは一方的に倭人の方だけでチェシャ猫さんはさすがに大人だけあって落ち着き払っている。
今日は頼みの綱の涼子もいないし、どうすれば~~~!!
一人あたふたしていると、
チェシャ猫さんが手紙をかざして
「この人はきっと君のお父さんを好きなんだと思うよ」
と、余裕の態度で黒猫の前に差し出す。
黒猫はそれを乱暴にひったくり
「俺の親父の恋愛事情なんてどうでもいいっつの。
この手紙の主よりもあんたの方がうさんくせぇし」
と敵視を向けてチェシャ猫さんを睨む。
「く…倭人……この人は溝口さんのお友達で、研究室に薬届けてくれる人なの」
慌てて説明をすると
「大方間違ってませんがね」
とチェシャ猫さんは苦笑い。
「薬屋の営業が何で日曜日に駅で朝都に声掛けるんだよ」
と黒猫も負けじとチェシャ猫さんを睨み、チェシャ猫さんはにこやかに笑いながら
「さっきまでデートしてたからだよ」
と、さらり。
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「「デ……!」」
デートとな!!
ガタガタっ!
黒猫と何故かトラネコくん二人が椅子をがたつかせて立ち上がった。
かくいう私も立ち上がりそうになったけれど、だめよ、朝都。
子供じゃあるまいし……
と言うか席を立ったらきっと逃げ出しちゃいそう!!←私が一番子供??
対するチェシャ猫さんは二対一だと言うのに余裕の笑みを浮かべ、なっがい足をゆっくり組むと肘をテーブルに乗せてズイと二人に迫った。
「大人の男と女が用もないのに休日を一緒に過ごすと?
そこに何かの感情が無かったら会ったりしないよ。
君たちみたいにただ仲良く遊んでいる歳でもないんでね」
ぅわぁ……
もう逃げる気も失せたよ↓↓
チェシャ猫さんのわけわからないペース…はじまっちゃった。
私は顔も上げられず額に手を置きながら視線だけがやたらに泳ぐ。
その向かい側でカリンちゃんが俯いていて、でもこっちは僅かに頬を赤らめて……大人な(?)会話に恥ずかしそうにしている。
バンっ!
突如ものすごい音がして顔を上げると、黒猫がテーブルに手をついて歯を剥き出しそうな勢いでチェシャ猫さんを睨んでいて
「朝都は俺の彼女だ。
あんた大人なくせに何堂々と言っちゃってるんだよ」
と一言怒鳴った。
黒猫――――……私をまだ―――“彼女”だって言ってくれるんだね…
しんみり…
してる場合じゃない。
「彼女?それは初耳だね。真田さんは付き合ってる人はいないって言ってたよ。
ねぇ」
話題を振られて、
ぎゃーー!!お願いだからこっちにフらないで!と私だけが真っ青。
「マジかよ、朝都」
黒猫も勢い込んできて
「や、倭人ちゃん、落ち着いて…」
とカリンちゃんが必死に黒猫をなだめる。
ぅわぁん、テキーラ一気飲みしたいよ~~!(朝都心の叫び)
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「お、お手洗い……」
いたたまれなくなって私は立ちあがり、その様子に全員一斉に振り向く。
ぅわぁ、注目しないでください~~↓↓(泣)
もはやまともな考えすら浮かばず
「…い、行ってきます」
私は消え入りそうな声で何とか答えると
バッグをひっつかみそそくさとその場を立ち去った。
――――
――
に……逃げてきちゃった。
私…何やってるのよ。
男女共用の一個だけあるトイレの中、私は
洗面台に手をついて
落ち着いて、落ち着くのよ朝都。
と、一人心の中で繰り返す。
新旧対決。
落ち着けるかーーー!!
こんなときは涼子センセよ!!
ケータイを取り出し涼子に電話をしたけれど、涼子は電話にでんわ。
ぅわぁ、つまらなさすぎるダジャレ言っちゃう自分イタイって!!
どうするのよ!
またもこの問題にかえってきて、とりあえず落ち着くためにタバコをふかせてみる。
洋式のトイレの蓋を下ろしてタバコをふかせていると、目の前に『火気厳禁』の赤い文字が……
もう、なんてついてないのー。
一人、ガクリとなっていると
ドンドン!
扉を叩く音が聞こえてきて、私はビクっ
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ドンドンっ!
またも扉を叩かれて、
次で待ってる人がよっぽど切羽詰まってるのだろうか、あまりここでも長居できないと気づいて私は慌ててタバコの火を消すと手だけを洗って洗面所を出た。
「すみませ……」
………ん
最後の言葉を飲み込んだのは
そこに立っていたのが
不機嫌そうに腕を組んで壁に背をもたれかけている
黒猫だったから。
ぅわぁ。
「すみません……」
またも謝って回れ右をして思わずトイレの中に入ろうとしたけれど、その手を黒猫が阻んだ。
「具合でも悪いの?腹の調子でも…」
低く聞かれて、私は頭を横に振った。
おなかは大丈夫だけど心と頭の調子がちょっーーーとばかり…
なんて言えず
「ちょっと来て」
と腕を掴まれる。
へ!!?
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黒猫は私の手を引いたままどんどん前に進んで行って
「ちょっと…どこへ行くの?」
と問いかけに何も答えてくれなかった。
こんなこと―――……前にもあった。そう、あれは―――
黒猫とお付き合いしたてのとき……浩一と涼子と三人で歩いてたら黒猫に偶然出くわして、
そのときもこんな風に不機嫌に私の手を引いてたっけ。
黒猫は私が座っていたテーブル席まで移動すると
「ちょっと朝都借りてくね」
と誰に言うわけでもなく一同を見渡し、誰の返事も聞かず
またどんどん歩き出していく。ちょっとの間みんな言葉も出せずに唖然としてたんだろうな。
みんな時間を止まらせてその場で固まっている。
「真田さん!」
と、やがて時間の魔法が解けたようにチェシャ猫さんだけが慌てて席を立ったようだけど
「行ってらっしゃ~い♪♪」とにこやかに手を振るトラネコくんに引き止められるチェシャ猫さん。
結局私はチェシャ猫さんから引きはがされ、何故か元飼い猫に引きずられる。
ちょ…ちょっと~~~!!!
何なのこの展開はっ!!
P.245<→次へ>
冬の夜
キミへの気持ちを窓に託しました
たった一言が言えない私は臆病者ですか?
でも今はこれが精一杯
雪に想いを
『次はお天気コーナーです。今日から明日にかけて低気圧が日本の南を発達しながら東北東に進み、明日には日本の東に進む見込みです。
関東甲信地方では今夜から雨が次第に雪に変わり、あす午前中にかけて山沿いを中心に、平野部でも積雪となる所がある見込みです。雪による交通障害、架線や電線、樹木等への着雪、路面の凍結に注意してください』
今朝のワイドショーのお天気キャスターの言葉を思い出したのは、勤めている会社の定時を迎え業務を終えたときだった。
「えー!やだっ!雪降ってるじゃん」と誰からともなく声が挙がり
「ホントだー、私傘持ってきてない」
「どうりで冷えると思った」
と同僚たちが次々と口にする。
またも誰かが「せっかく彼氏に買って貰ったバッグが濡れちゃう」と言い出し、それでもちっとも困った様子ではなく、どこか誇らし気だ。
そしてその周りの女子たちが盛んに羨ましがる。
「いいなー、でもあたし今度のクリスマスにダイヤの指輪ねだっちゃうんだー」と一人の女の子。
「いいなー!」黄色い声に、私は苦笑いを浮かべるしかない。ここでの男の年収と、女の品格は反比例する。いかにいい服を着るか、いかにいいバッグを持つか、いかにいい男を彼氏にするか、年中こんな会話でうんざりする。
かと言って輪に加わらないわけにはいかない。仕事とプライベートの内容こそ比例するのだ。
P.1
「仁科《にしな》さんはいつも素敵な服着てますよね」ふいに一人から話題を振られた。
「えっ、そう?」私は曖昧に笑って言葉を濁した。今日の服装は白いタイトワンピ。腰回りに太いベルトが巻き付いていて、ちょっと豪華に見えるゴールドのバックルがワンポイント。
そして同じくゴールド系のスパンコールが襟元に入ったコートを腕にかけて帰りたいアピール。
シンプルな服装だったけど、流石は目が肥えている女子たち。すぐにそれが高価なものだと見破った。女のチェック程厳しいものはない。私がオシャレをするのは対、男ではなく、彼女たちの為。
「仁科さんてぇ、結婚しないんですかぁ」間延びした話し方が赦されるのはこの年代の特権だ。
「結婚ね……相手がいないから」私は適当にごまかして再び言葉を濁した。
こう言っておけば大抵の女は引き下がる。私が長い間、人付き合いをしてきて、これが最良の方法だと知ったのはつい最近のこと。
私がこの会社に勤めはじめて五年になる。この会社での女性正社員では長いほうだ。後から派遣された若い女の子たちから見れば私なんてお局のようだった。
「そう言えばぁ仁科さん、この前見ちゃったんですぅ」一人の女の子が思わせぶりに口元へ手をやった。
短く切った髪にはパーマがあててあり、傍から見ればマシュマロのように可愛らしい女の子だ。
だが、そんな可愛らしさに惑わされてはいけない。女はいつでも顔の下にしたたかな一面を隠しているのだから。
P.2
「何を?」私は平静を装って取り澄ました。
もしかして“アイツ”と居る所を見られた?と思ってドキリとしたが
「この前の金曜日、青山のイタリアンレストランで、経理の前田さんと一緒にいるところぉ」
ああ、そっちか。とちょっとほっと安堵する。
「ええー!!」周りから黄色い声が飛ぶ。私は思わず頭を押さえたくなった。
そう、確かに経理の前田に誘われて先週の金曜に青山まで行った。
でも食事をしただけで、別に艶かしい関係ではない。だが、ここで重要なのが、経理の前田という男、この会社ではなかなかのハンサムでしかも独身、きさくな性格をしているわりには頼れる上司でもあるのだ。そうゆう男を若い女性社員が放っておくわけがない。
「いいなー、ねえお二人って付き合ってるんですか?」
食事をするイコール男女の関係と、どうして若い子たちはそう短絡的なのだろう。私はこの場から逃げ出したくなった。だけど、この場から立ち去ると認めたことになってしまう。
「別に、ただお食事に誘われただけよ」
「うそー、絶対前田さん仁科さんのこと狙ってるわよぅ。だって、あたしたちがいくら誘っても全然だったのよー。それなのに前田さんは仁科さんのこと」
嫉妬心と羨望の眼差しで見られ、私は思わず後ずさり。
何とか前田との話を切り返し、従業員出入り口から女子の群れに混ざって出てきた所だった。
遠くで派手なエンジン音が聞こえてきて、この狭い路地裏へと近づいてきた。この聞き慣れたエンジン音。私は嫌な予感がして思わず一方通行の標識を見つめた。
「よーう、仁科」黒のポルシェの窓から腕を出し、銜えタバコをしながら九条《くじょう》が手を振っている。
「やっぱり」
私は、今度こそ頭痛をこらえるように頭をしっかりと押さえた。
P.3
「仁科、今終わりか?これから飯でも食わねー?」
この状況を知らずに能天気に笑ってるその整った横っ面に今すぐ張り手を食らわせたい。
「あ、あんたいつ東京に戻ってきたわけ?」私は女の子の群れから一人離れると、九条の車に近づいた。
「あー、悪い。三日ぐらい前かな?この前言ってた日本料理屋行こうぜ」
「あんたっていつも何で急なのよ」
私が声を潜めて九条を睨んでいるときだった。
「えー、仁科さんの彼氏さんですかぁ?かっこいい!」
女の子たちの視線が九条に移った。予想していなかった最悪の事態。
上半身しか見えなかったが、今日の九条は黒いジャケットの中に白いカットソーを着ていて、真冬だって言うのに襟ぐりに濃いサングラスをかけている。いつものように髪をラフにセットしてあって、左耳には輪っかのようなピアスが三つ光っていた。
そう
どこからどーみてもこいつは
ホスト。
P.4
「仁科、今終わりか?これから飯でも食わねー?」
この状況を知らずに能天気に笑ってるその整った横っ面に今すぐ張り手を食らわせたい。
「あ、あんたいつ東京に戻ってきたわけ?」私は女の子の群れから一人離れると、九条の車に近づいた。
「あー、悪い。三日ぐらい前かな?この前言ってた日本料理屋行こうぜ」
「あんたっていつも何で急なのよ」
私が声を潜めて九条を睨んでいるときだった。
「えー、仁科さんの彼氏さんですかぁ?かっこいい!」
女の子たちの視線が九条に移った。予想していなかった最悪の事態。
上半身しか見えなかったが、今日の九条は黒いジャケットの中に白いカットソーを着ていて、真冬だって言うのに襟ぐりに濃いサングラスをかけている。いつものように髪をラフにセットしてあって、左耳には輪っかのようなピアスが三つ光っていた。
そう
どこからどーみてもこいつは
ホスト。
P.4
でも勘違いしてもらっては困る。私はこいつの客じゃない。東京を離れていたのも、大方客の一人と遠征旅行でもしていたのだろう。
「違っ!こいつとは単なる腐れ縁。彼氏とかじゃないから」
と慌てて否定するも秒の単位で噂が回るこの会社で明日の朝には『仁科さんて、ホストに貢いでるらしいよ』とあちこちで言われるに違いない。
くらり、と眩暈が起きた。
腐れ縁、と言うのは間違いない。中学からの同級生だから。
「じゃあ、本命は前田さんですかぁ?」女の子達が興味津々で目を輝かせている。
「前田??ひどいなー、仁科ぁ。俺たち何度もセック……もがっ」
最後の方が言葉にならなかったのは私の手が九条の口を塞いだから。
ふざけんな!何言い出すんだこいつぁ!!
空気読めっつうの!
と言うことを目で訴えると、流石に冗談が過ぎたと思ったのか九条は苦笑い。
「で?行くの?行かないの?」せっかちに聞かれて
「わかったわよ!行くわよ」半ば怒鳴るように九条を睨みつけると、私はそそくさと助手席に回った。
「それじゃ、私はこれで。お先に」女の子たちにはなるべく平静を装って、にこやかに手を振る。
ため息をついて車の助手席を開けると、運転席から九条が笑顔で手を差し伸べてきた。
「ただいま、仁科」
昔とちっとも変わらない笑顔。眉が下がり、目を細める、優しい笑顔。そして時々その低い声で呼ばれる、自分の名前。何だかくすぐったいが、この笑顔を向けられたら、たとえ九条の勝手に振り回されても、赦せてしまう。
「……おかえりなさい」私は俯くと、小さく返事を返した。
P.5
前述した通り私と九条とは中学からの付き合いだ。かれこれ十年以上の付き合いになる。十年、と言う歳月は長く感じられるけれど、その間に音信不通になったり、そしてどこからか連絡先を入手して電話を寄越して来たり、をだらだらと繰り返している。
でも、私たちははっきりと『付き合って』はいない。もちろん九条のブラックジョークの『体の関係』もない。
あるのは中学生から変わらないノリと
私が九条のこと「好き」
と言うことだけ。歳を重ねて、九条がホストになって……あ、今はホストじゃなくホスト店を経営してるオーナー様でもあったかしら。とにかく環境は変わったものの、不変的な何かは確実に存在している。
パワーウィンドウの外をちらほらと雪が降っていた。
「北海道行ってきたんだ~土産に蟹買ってきてやったぞ」と九条は運転しながらどこか楽しそう。
「北海道……ここより雪が多そうね」ぼんやりと呟きながら、九条に気づかれない程度にこっそりと、外気との差で曇った窓ガラスに、人差し指で
『好き』
と書く。
私の書いた文字は私の体で隠れて九条からは見えない。
「蟹すきしようぜ~、お前んちで」
「何であんたを一々上げないといけない?」
言い合いをしながら、やがて私のマンションに着く頃にはみぞれになった大粒の白いものが私の『好き』をかき消す。
「だってお前んち床暖あるじゃん?」
「そんな理由かよ」
中学生から変わってないこの関係とノリ。
今はまだ―――
この関係でいいや。
~FIN~
P.6