Chat Noir -黒猫と私- Deux(2nd)
Cat
№46 黒猫とたい焼き
『黒猫とたい焼き』
単に仲直りのキッカケが欲しかっただけ。
もう喧嘩なんてやだよ。
P.344
こうして私はチヅルさんのケータイナンバーをGETだぜ(←古い??)
てか私は美女を狙う変態かっつうの。
ま、変態要素は概にしてあるけどね。
その日、私はCafé Margueriteから帰ると、大学に向かった。
午前中はサボっちゃったけど、午後からの授業なら間に合う。その後研究室で研究することもできる。
結局、研究畑なんだよね。
ゆっくり感傷に浸る余裕もない。
「えっと…次の講義なんだっけかな…」
手帳を開いてカリキュラムを確認していると
ひらり
手帳から‟婚姻届け”と“黒猫不在連絡ひょー”が一緒に落ちた。
「あ!しまった!」
婚姻届けを拾い、次に不在連絡ひょーを慌てて拾い上げようとすると、またも
ひらり
風がそのルーズリーフの切れ端をさらっていった。
「え!」
ちょっ、ちょっと待って!
私は風で流されていくルーズリーフを追いかけるように走り出した。
そのルーズリーフのさきっちょは、秋の太陽の光を受けた黄金色の銀杏の葉に混じってキラキラ……輝いている。
P.345
「待って!」
そのルーズリーフのさきっちょを一人で追いかけていると、
「朝都」
誰かに名前を呼ばれた。
走り抜ける私の視界の端に映ったのは
涼子で
涼子は“不在連絡ひょー”を追いかける私を不思議そうに眺めて目を丸めている。
涼子と言い合い……と言うより喧嘩したのは昨日の今頃で―――
あのときかから“もう”24時間、なのか“まだ”24時間なのか―――どっちか分からなかったけれど、
でも確実に時間は経っていて、足を、時間を立ち止めたらお互いキマヅイだろうに―――
でも……今は立ち止まってる場合じゃない。
「涼子!ちょうど良かった!!
一緒に来て!」
私は涼子の手を掴むと、彼女と走り出した。
P.346
何が何だか分からない様子の涼子に
「黒猫からもらった不在連絡ひょーがね!風で飛ばされてるの!」
と説明をすると
「それは大変!取り戻さなきゃ!」と涼子も走りながら頷いてくれた。
二人してそのルーズリーフの先を追いかける。
途中、仕事中の溝口さんともすれ違った。
「朝都さんに、涼子さん!どうしたんですか!追いかけっこ!」
「これが追いかけっこに見えます!?私こー見えてもかなり真剣なんですよ」
私が目を吊り上げて怒鳴ると、
「朝都の大事なものなんです!」
と、涼子が説明を加えてくれた。
「何か分かりませんけど、“あれ”を追いかければいいんですね」
と何故か溝口さんも参戦。
「待って~!」
傍から見たらかなり滑稽なその姿―――
だって
よく考えたら紙切れ一枚だよ?
必死になって紙切れを追いかける私たち―――
でも
涼子の言った通り
あれは私にとってただの紙切れなんかじゃなく
とても大切なものだから―――
P.347
「もうちょっと………」
手を伸ばしたら届きそうな位置だったんだ。
指の先が紙の端を捉えてかすめたときだった。
ひらり
風の悪戯ってこうゆうことを言うのね―――
それは私の指をかすめることなく、空高く舞い上がって銀杏の枝の端に引っかかった。
かなり大きな樹だ。到底背伸びをして届く範囲じゃない。
見上げると、大空にまるで腕を広げるているような太い幹と枝と―――その枝に付けた黄金色の葉が広がっていて、“不在連絡ひょー”はその枝の一つに引っかかってる状態。
うっそ………
「どぅしよ」
「あの高さは無理だよ」
「………無理ですね」
私たち三人は顔を見合わせて困惑。
「溝口さん、取ってきてください。かっこよく木を登って」
私が太い木の幹を指さすと、
「無理言わないでくださいよ~(泣)俺、木登りなんてしたことないです。それに高所恐怖症なんで」
と溝口さんはあたふた。
これに答えたのは
「「使えね~!」」
私と涼子。
二人の声が重なって私たちは思わず顔を見合わせた。
結局
「はぁ……」
大きな大きなため息を吐いて諦めることにした私。
三人で樹の上を眺めても、これ以上に風が吹いて取れることもなさそうだし、そもそも奥深くまで引っかかってちょっとやそっとでは取れ無さそう。
何となく三人…顔を見合わせ、
そして三人同時に顔を逸らした。
そうだった……
私たち喧嘩中だったんだ。
「じゃ、じゃぁ俺まだ仕事残ってるんで」
最初に溝口さんが切り出した。
「わ、私も……次の講義遅れちゃう」
次に涼子。
「私も――――……次の講義……」
三人別々に別れようとしたそのとき―――
いつの間に研究棟の裏手に来ていたのか、その場所にひっそりと隠れ家的なカフェテリアがあり、
『“たい焼き”はじめました』の“のぼり”を見つけた。
私は別々の道に別れ行く二人を振り返り
「ねぇ
たい焼き好き?」
と声を掛けていた。
P.348
二人はちょっとの間顔を見合わせていたものの、
すぐに
「「好き」」
と反応して私の元に駆けよってきた。
三人バラバラの道を行こうとしていたけれど、結局向かうところは一緒になった。
―――仲直りの口実が欲しかっただけなのだ。
三人とも。
それが何であろうと正直良かった。焼きいもでもみたらし団子でも、おはぎでも。
第一、大学のカフェテリアが出すたい焼きなんてたかが知れてる。
けれど
半分に切り分けたたい焼きを一口口に頬張ると
「「おいし~!!」」
私と涼子の声がまたも重なった。(ちなみにたい焼きは涼子と半分こ)
「あ、ほんとだ。うまい」
と溝口さんももぐもぐ。
何だかふつーに和んでるけど…………
私はただ和みたかったわけじゃなく
二人と仲直り
したいんだけど。
だけどどう切り出していいのか分からない。
半分に切ったたい焼きのしっぽの部分をじっと眺めていると
「朝都………ごめ……」
涼子が言い出したと同時だった。
「その節はすみませんでした!!」
バッ!!
突如溝口さんが立ち上がったかと思いきや、地面に手をついて土下座。
ぇえ!!?
P.349
突然土下座をしだした溝口さんに私の方が慌てた。
いくら裏手に位置しているからって学生が居ないわけでもなく、利用している客が好奇の目を私たちに向けてくる。
イケメンを土下座させる女子大生って言う図に、周りはひそひそ。
こ、これじゃ私が悪者じゃん!
「ちょっ!溝口さんっ!!やめてください」
慌てて彼を起こし、
それでも彼は
「すみませんでした」
と真摯な目で私に訴えかけてくる。
“何が―――?”と問うほど私はバカでもないし、意地悪でもない。
「とにかく分かりましたから」
―――――
――
「二人が私のことを想ってくれて考えてくれたことだって、冷静になって考えて
分かった。けどやっぱり
人の気持ちを利用するのは良くないことだよ」
「「はい」」
二人は揃って首をうなだれた。
いけない、いけない。お説教したいわけじゃないわ。
「でも
嬉しかった―――私のことそこまで考えてくれて」
私がたい焼きの欠片を口に入れてぎこちなく笑うと、涼子も同じような笑みを返してくれた。
「朝都
ごめんね」
「もういいよ。
私もいつまでも黒猫のこと引きずっててぐちぐちいじいじしてたから―――」
涼子にとって、それはないと思うけど不快にさせてた部分もあるかも。
「朝都さん、すみませんでした」
「もういいですよ。怒ってないですから」
「朝都。ハグしたいわ。ずっとしたいと思ってたの」
涼子が大きな潤んだ目を向けてきて、私は苦笑い。
私は―――無言で涼子を抱きしめた。
私だってずっとこうしたいって思ってたよ。
「朝都さ~~ん!!」
どさくさに紛れて溝口さんもぎゅっと抱き付いてくる。
二人に抱き付かれて、私は窒息死寸前。
でもこれって
仲直り
できたんだよね。
P.350
「でも樗木が本気になったのは本当のことです。
あいつ……朝都さんにマジ惚れみたいでした」
と溝口さんはたい焼きの破片を口に入れてそれをコーヒーで流し入れている。
最初はおいしいと思ったたい焼きもあんこの甘さがいつまでも口の中に残っていて、私も同じようにコーヒーを一飲み。
それはチヅルさんのカフェで飲んだコーヒーよりも味もコクも薄くて、とても一緒の飲み物に思えなかったけれどくくりは“コーヒー”だ。
薄くても不味くても、仲直りの後のコーヒーはチヅルさんのカフェで飲んだコーヒーと同じ味。
「だから私たちも焦ったわけ」
「なるほどねー……だから“ちょっと待った方がいいんじゃない”って??」
涼子からの“待った”は正直意外な感じがしたけれど、そうなら頷ける。
「朝都の気持ちが―――本当はまだ黒猫くんにあるんだって思ったら
Goサイン出せないよ」
涼子の言う通りだ。
気持ちに蓋をして、強引にぎゅうぎゅうしまい込んで、新しい人を見ようとしていた私。
今なら思う。
そうしてたらきっと後悔―――してるって―――
「そうならなくて良かった」
私は胸元……心臓のある辺りをそっと撫でた。
この気持ちは―――この焦がされるような熱い気持ちも痛みを伴うこのドキドキも―――黒猫にだけ。
黒猫にだけ、届けたい。
黒猫が届けてくれたみたいに―――
P.351
私は言っていいものかどうか悩んだけれど、涼子にはピアスの件で相談もしちゃったし(そもそも口止めされてないし)、
その結果報告と言うことでかくかくしかじかチェシャ猫さんとチヅルさんの関係、チヅルさんと話した内容を二人に話し聞かせた。
「へぇ樗木にそんな過去が……だから誰とも付き合わなかったんだ……」
溝口さんは顎に手を当てしみじみ。
一方の涼子は長い睫を伏せてちょっと翳りのある表情を浮かべていた。
「悲しいわね」
二人はそれぞれ意見して、でもそろってカフェテリアの床に視線を落とす。
その視線の先はきれいに磨きこまれた薄茶のテラコッタのタイルがはめ込まれていた。
私もそのタイルに視線を落とし、そのタイルを一匹の小さな虫がせっせと横切って行った。
その反対側からも同じような虫がいったりきたり所在なく、くるくる回っている。
その何だか分からないけれど小さな黒い虫は、相方を見つけたのか、その歩みを早め
やがて二匹は寄り添うように供に歩き出し、テラコッタのタイルの隙間に潜って行った。
「やっぱりさ―――………
あの二人……あのままじゃ可哀想だよ」
そう言い出したのは、言うまでもなく私。
三人の中で誰よりもチェシャ猫さんの傍に居た私。
分かってるつもり―――なんて大仰なこと言わない。
私はチェシャ猫さんの本心なんてホントのところ、分からない。
チヅルさんが好き―――なんてただの思い込みかもしれない。
昔はチヅルさんのことが好きでも今は私のことを見てくれているかもしれない―――
けれど
確かけめなきゃいけない。
P.352
「確かめるってどうやって…?それに確かめてどうするつもり」
涼子が言い出し
「わかんない」
私は正直なことを打ち明けた。
どうするつもりなのか、なんてすぐに浮かんでこない。
けれど、このまま二人が離ればなれなんて悲し過ぎる。
これは私の完全なるエゴって言うものかもしれないけれど―――溝口さんと涼子をくっつけたように簡単にはいかないかもしれないけれど
でも
せめてチェシャ猫さんの本心だけは彼の口から聞きたいんだ。
出会いは「嘘」でも―――ううん、だからこそ本当のことが知りたい。
――――
――
だけどそれから丸二日間が過ぎても一向にいいアイデアが浮かばない私。
私は“黒猫不在連絡ひょー”が飛ばされた樹を地面から眺めていた。
幸いなことに黒猫不在連絡ひょーは風に飛ばされることなく、その枝に引っかかっていて
「まだある……。ほっ」
私は小さくため息。
どうにかして取り戻したいものの、それを取り戻せない私。
当たり前だけど背伸びしたっていくらジャンプしたからって届く範囲じゃないし、かと言って脚立を持ってきても……やっぱり届かない範囲だし……
それでも諦めきれない私はこうやってその場所を眺めることしかできない。
そして三日目。
P.353
「ない!」
嘘!!でしょぉ!!
私は意味もなく樹の回りをうろうろ。だけどいくら行ったりきたりしたっていくらその場所を眺めたって、どの角度から見上げたって
その場所にメモは無かった―――
「嘘!嘘だと言ってよ!!」
私は頭を抱えて思わずその場に屈んだ。
どっかに落ちてないかな。
風で飛ばされて落ちてたり―――しないかな。
淡い希望を抱いて、私は必死に地面に視線を落とした。
どれぐらいそうやって地面を俳諧(?)してただろう。
「――――……あの…」
遠慮がちに声を掛けられ、その声のする方に視線をやると見知った制服のズボンの裾とローファーが目に入った。
え―――………?
「黒猫!」
思わずそう叫んで顔を上げると
そこには全然知らない顔が―――
黒猫と同じ制服を、こちらは黒猫のように着崩さずきちんと着ていた男の子がびっくりしたように立っていた。
何だか冴えない感じの子だった。黒い短めの髪、頬にニキビの跡が散っている。
その首に立派な一眼レフのカメラがぶら下がっていて……
てか誰!!?
カメラ小僧??
それで美少女を盗み取り!?
いや、まて!!私は美少女じゃないから範囲外だ!大丈夫!!
と一人でツッコミを入れていると、
その彼はおずおずと
「さなだ あさとさんですか?」
と聞いてきた。
P.354
いかにも
私が真田 朝都です。
と言う意味で無言で頷くと
「ぼ、僕!財津くんのクラスメイトで山田って言います」
ヤマダくんはおずおずと言い出した。
「はぁ……ヤマダ…くん??」
黒猫のクラスメイトは何人か会ったことがあるけどこんな子いたっけ。暗い感じはしなかったけれどいかにも目立たなさそ~な子だ。(←失礼)
カメラ小僧だし。黒猫と話合うのかなぁ……
「あの……これ。財津くんが―――あなたにって」
ヤマダくんはおずおずと握った手を差し出してきて、私はそれを受け取った。
ヤマダくんが握っていたもの―――それは
「黒猫不在連絡ひょー!
嘘っ!!取ってくれたの?」
思わず勢い込むと
「ぼ、ぼくじゃありません!取ったのは財津くんで、ぼ、ぼくはお使いと言うか……手渡すだけで……」
ヤマダくんは口の中でもごもごと呟いた。
「黒……
倭人が――――……」
P.355
「僕……本当は財津くんに口止めされてたんです。
『俺が取ったって言うなよ?』って」
「何それ……脅し?あの子……何やってんのよ」
嬉しさよりも呆れの方が先に来た。
「ち、違っっ!!僕脅されたわけでも何でもないです!!
か、彼とは―――と、友達なんで…」
ヤマダくんは恥ずかしそうにはにかみ、頭の後ろに手をやった。
うーん……何だかとってもいい子な気がするわ。カメラ小僧ヤマダくん。
「でも………ここに引っかかってるってどうして黒……じゃなくて倭人は分かったの?」
「それは………」
カメラ小僧ヤマダくんは口ごもった。他にも色々理由を口止めされているようね。
でも
経過がどうであれ―――戻ってきて良かった……
私はぎゅっとその黒猫不在連絡ひょーを胸に抱いた。
ううん
やっぱり経過も大事で―――
これを取ってくれたのが―――黒猫だった………と言うことが
やっぱり
嬉しいよ。
そう思って居ると、
パシャリ
シャッターを切る音が目の前で聞こえて、私はびっくり。思わず目を丸めると
「す、すみません!!あまりにきれいだったんでつい…!」
き、きれい……とな!!
P.356
どうしよう!!
カメラ小僧に写真撮られちゃったよ!
そ、その写真をどーするつもり!!
その前に!
「―――人には撮影された写真を勝手に公表されたりしないよう主張できる権利があってね
それが「プライバシー権」であり、人格権に則した権利よ。そんな人格権的利益が法的に保護されることについては、判例上も古くから認められているものであって―――」
つらつら説明をすると
「あ、はい……」とカメラ小僧ヤマダくんは目を点。
「すみません。つい………でもきれいに映ってます―――
財津くんのお土産にしようか…と」
黒猫への……
え゛!!貢物!!?
謎だよカメラ小僧ヤマダくん!
私が目を丸めていると、ヤマダくんは言い辛そうに口を開いた。
「あ、あの!
ホントは財津くんに口止めされてたんですけど…」
ヤマダくんは言いかけて口を噤んだ。
「何を―――……」
私が問いかけると、ヤマダくんは悩んだように視線を泳がせた。
「ねぇ何を!」
それでも食いさがる私にとうとう根負けしたのか、それとも最初から全部打ち明けるつもりだったのかもしれない。カメラ小僧ヤマダくんは口を開いた。
「待ってるんです。
あなたが乗ってくるだろう電車を―――」
P.357
私が―――乗ってくるであろう電車を―――……?
「あの…説明したら長くなっちゃうんですけど、いいですか?」
カメラ小僧ヤマダくんは前おいて、身振り手振りで説明をしだした。
私は頷く意味でカメラ小僧ヤマダくんの言葉を待っていた。
カメラ小僧ヤマダくんの話によると、彼はどうやら“テツ”(鉄道ヲタク)なようで……なるほど首からぶら下げたカメラは美少女を追いかけるためじゃなく、鉄道を追いかけていたわけだ。
カメラ小僧ヤマダくんは好みの鉄道が倭人の最寄り駅を通過する情報をどこかで仕入れた。
夢中になって撮っているとき、同じ制服を着た倭人に声を掛けられた―――ようだ。
カメラ小僧ヤマダくんに掛けられた記念すべき第一声は
『何してんの?』
だった。ぶっきらぼうな上好奇心旺盛な黒猫らしい。
ふふっ
ちょっとその場面が想像できて面白かったり。
一方黒猫の方は、勉強の日もそうじゃない日も――――来る日も来る日も私が何事もなかったかのように電車に乗って現れるんじゃないか、と淡い期待を抱いてけなげに待っていた。
忠犬……じゃなくて忠猫だな。
可愛すぎるよ…黒猫。
要約するとそれまで面識のなかった二人は目的は違えど、駅を通して仲良くなった―――と言う話。
黒猫は――――ずっと私の帰りを待っててくれている。
ずっとずっと―――
P.358
もう少し
あと少し―――
私はいつかすべてに決着を付けてあんたの元に戻りたい。
勝手な飼い主を許してね。
――――
――
「色々迷惑かけてごめんね。キューピッドみたいな役やらせて」
私はお礼の意味でこないだ食べたたい焼きをヤマダくんに御馳走することに。
「いえ!そんなっ僕大したことしてません。財津くんとの約束も破っちゃったし」
とヤマダくんは恐縮してたけれど
「いいから、食べて?あ、それとも甘いもの嫌いだった??」
押し付けても逆に迷惑かも、と思い始めたとき
「たい焼き、大好きです。財津くんと電車を待ってるとき一度一緒に食べました」
黒猫も??
なるほど、猫なだけある。鯛が好きなんて。
「……あの…いただきます……」
カメラ小僧ヤマダくんはおずおずとそのたい焼きに手を伸ばしてくれた。
カフェテリアではなく、今度は研究棟の裏手に位置している誰にも知られないようなひっそりとした場所にあるベンチに座って。
「おいしい……」
カメラ小僧ヤマダくんは頬を綻ばせた。
うーん…こうやって見ると、なかなか可愛い子じゃない。
「僕……、一度真田さんの写真見せてもらったんです。財津くんから。
財津くんが『可愛いだろ』ってすっごぃ自慢してきたんで―――
実際に会うの楽しみにしてたんです」
倭人が―――
私のこと自慢に??
ぅわ!!顔から火が出そうなぐらい恥ずかしい!!
でも同じだけ嬉しいよ。
P.359
「ほ……」
カメラ小僧ヤマダくんはぎゅっとたい焼きを握って、にゅ゛とあんこがかじった端から飛び出る。
「ほ?」
「本人はもっと……!き、きれいでっ!!僕びっくりしちゃいました!!」
カメラ小僧ヤマダくんはこっちがびっくりするぐらい声を裏返して真っ赤になって俯く。
「ぐっ!」
私は『きれい』と言われたことに、カメラ小僧ヤマダくんの反応に、思わずたい焼きを喉に詰まらせそうになった。
「な…なぁに言っちゃってんの~」
思わずバシバシ、カメラ小僧マダくんの背を叩くと、
今度はカメラ小僧ヤマダくんの方が詰まった。
「いえ!本当におきれいです!!ぼ、僕!てっきり財津くんは倉木さんと付き合ってるものだと思ってましたけど……こんな美人な彼女がいるなら…」
「倉木?」
「あ……倉木 果凛さんです…同じクラスの―――」
カリンちゃん――――……
そうだった……
私が戻ろうとしても、もし……もしもだよ?二人が付き合っていたら―――今度こそもう取り戻せないよ。
カリンちゃんをまた……ううん、今度は浮上できない奥底まで傷つけることになる。
「………大丈夫です。倉木さんとは付き合ってないみたいですから」
私の考えを読んでか、先回りしてカメラ小僧ヤマダくんが言ってくれた。
「う、うん……」
「最初付き合ってないって知ったとき、ちょっとびっくりしました。僕……あんなに可愛い人が近くにいたらそれこそこ、恋に………
でもこんなに美人さんが恋人だし――――羨ましいな」
ははっ
とカメラ小僧ヤマダくんは照れ隠しに笑った。
ははぁ。
ヤマダくんはカリンちゃんにラブだな。
くっつけてあげたいけど、トラネコりょーたくんもカリンちゃんのこと好きだしな。
P.360
冬の夜
キミへの気持ちを窓に託しました
たった一言が言えない私は臆病者ですか?
でも今はこれが精一杯
雪に想いを
『次はお天気コーナーです。今日から明日にかけて低気圧が日本の南を発達しながら東北東に進み、明日には日本の東に進む見込みです。
関東甲信地方では今夜から雨が次第に雪に変わり、あす午前中にかけて山沿いを中心に、平野部でも積雪となる所がある見込みです。雪による交通障害、架線や電線、樹木等への着雪、路面の凍結に注意してください』
今朝のワイドショーのお天気キャスターの言葉を思い出したのは、勤めている会社の定時を迎え業務を終えたときだった。
「えー!やだっ!雪降ってるじゃん」と誰からともなく声が挙がり
「ホントだー、私傘持ってきてない」
「どうりで冷えると思った」
と同僚たちが次々と口にする。
またも誰かが「せっかく彼氏に買って貰ったバッグが濡れちゃう」と言い出し、それでもちっとも困った様子ではなく、どこか誇らし気だ。
そしてその周りの女子たちが盛んに羨ましがる。
「いいなー、でもあたし今度のクリスマスにダイヤの指輪ねだっちゃうんだー」と一人の女の子。
「いいなー!」黄色い声に、私は苦笑いを浮かべるしかない。ここでの男の年収と、女の品格は反比例する。いかにいい服を着るか、いかにいいバッグを持つか、いかにいい男を彼氏にするか、年中こんな会話でうんざりする。
かと言って輪に加わらないわけにはいかない。仕事とプライベートの内容こそ比例するのだ。
P.1
「仁科《にしな》さんはいつも素敵な服着てますよね」ふいに一人から話題を振られた。
「えっ、そう?」私は曖昧に笑って言葉を濁した。今日の服装は白いタイトワンピ。腰回りに太いベルトが巻き付いていて、ちょっと豪華に見えるゴールドのバックルがワンポイント。
そして同じくゴールド系のスパンコールが襟元に入ったコートを腕にかけて帰りたいアピール。
シンプルな服装だったけど、流石は目が肥えている女子たち。すぐにそれが高価なものだと見破った。女のチェック程厳しいものはない。私がオシャレをするのは対、男ではなく、彼女たちの為。
「仁科さんてぇ、結婚しないんですかぁ」間延びした話し方が赦されるのはこの年代の特権だ。
「結婚ね……相手がいないから」私は適当にごまかして再び言葉を濁した。
こう言っておけば大抵の女は引き下がる。私が長い間、人付き合いをしてきて、これが最良の方法だと知ったのはつい最近のこと。
私がこの会社に勤めはじめて五年になる。この会社での女性正社員では長いほうだ。後から派遣された若い女の子たちから見れば私なんてお局のようだった。
「そう言えばぁ仁科さん、この前見ちゃったんですぅ」一人の女の子が思わせぶりに口元へ手をやった。
短く切った髪にはパーマがあててあり、傍から見ればマシュマロのように可愛らしい女の子だ。
だが、そんな可愛らしさに惑わされてはいけない。女はいつでも顔の下にしたたかな一面を隠しているのだから。
P.2
「何を?」私は平静を装って取り澄ました。
もしかして“アイツ”と居る所を見られた?と思ってドキリとしたが
「この前の金曜日、青山のイタリアンレストランで、経理の前田さんと一緒にいるところぉ」
ああ、そっちか。とちょっとほっと安堵する。
「ええー!!」周りから黄色い声が飛ぶ。私は思わず頭を押さえたくなった。
そう、確かに経理の前田に誘われて先週の金曜に青山まで行った。
でも食事をしただけで、別に艶かしい関係ではない。だが、ここで重要なのが、経理の前田という男、この会社ではなかなかのハンサムでしかも独身、きさくな性格をしているわりには頼れる上司でもあるのだ。そうゆう男を若い女性社員が放っておくわけがない。
「いいなー、ねえお二人って付き合ってるんですか?」
食事をするイコール男女の関係と、どうして若い子たちはそう短絡的なのだろう。私はこの場から逃げ出したくなった。だけど、この場から立ち去ると認めたことになってしまう。
「別に、ただお食事に誘われただけよ」
「うそー、絶対前田さん仁科さんのこと狙ってるわよぅ。だって、あたしたちがいくら誘っても全然だったのよー。それなのに前田さんは仁科さんのこと」
嫉妬心と羨望の眼差しで見られ、私は思わず後ずさり。
何とか前田との話を切り返し、従業員出入り口から女子の群れに混ざって出てきた所だった。
遠くで派手なエンジン音が聞こえてきて、この狭い路地裏へと近づいてきた。この聞き慣れたエンジン音。私は嫌な予感がして思わず一方通行の標識を見つめた。
「よーう、仁科」黒のポルシェの窓から腕を出し、銜えタバコをしながら九条《くじょう》が手を振っている。
「やっぱり」
私は、今度こそ頭痛をこらえるように頭をしっかりと押さえた。
P.3
「仁科、今終わりか?これから飯でも食わねー?」
この状況を知らずに能天気に笑ってるその整った横っ面に今すぐ張り手を食らわせたい。
「あ、あんたいつ東京に戻ってきたわけ?」私は女の子の群れから一人離れると、九条の車に近づいた。
「あー、悪い。三日ぐらい前かな?この前言ってた日本料理屋行こうぜ」
「あんたっていつも何で急なのよ」
私が声を潜めて九条を睨んでいるときだった。
「えー、仁科さんの彼氏さんですかぁ?かっこいい!」
女の子たちの視線が九条に移った。予想していなかった最悪の事態。
上半身しか見えなかったが、今日の九条は黒いジャケットの中に白いカットソーを着ていて、真冬だって言うのに襟ぐりに濃いサングラスをかけている。いつものように髪をラフにセットしてあって、左耳には輪っかのようなピアスが三つ光っていた。
そう
どこからどーみてもこいつは
ホスト。
P.4
「仁科、今終わりか?これから飯でも食わねー?」
この状況を知らずに能天気に笑ってるその整った横っ面に今すぐ張り手を食らわせたい。
「あ、あんたいつ東京に戻ってきたわけ?」私は女の子の群れから一人離れると、九条の車に近づいた。
「あー、悪い。三日ぐらい前かな?この前言ってた日本料理屋行こうぜ」
「あんたっていつも何で急なのよ」
私が声を潜めて九条を睨んでいるときだった。
「えー、仁科さんの彼氏さんですかぁ?かっこいい!」
女の子たちの視線が九条に移った。予想していなかった最悪の事態。
上半身しか見えなかったが、今日の九条は黒いジャケットの中に白いカットソーを着ていて、真冬だって言うのに襟ぐりに濃いサングラスをかけている。いつものように髪をラフにセットしてあって、左耳には輪っかのようなピアスが三つ光っていた。
そう
どこからどーみてもこいつは
ホスト。
P.4
でも勘違いしてもらっては困る。私はこいつの客じゃない。東京を離れていたのも、大方客の一人と遠征旅行でもしていたのだろう。
「違っ!こいつとは単なる腐れ縁。彼氏とかじゃないから」
と慌てて否定するも秒の単位で噂が回るこの会社で明日の朝には『仁科さんて、ホストに貢いでるらしいよ』とあちこちで言われるに違いない。
くらり、と眩暈が起きた。
腐れ縁、と言うのは間違いない。中学からの同級生だから。
「じゃあ、本命は前田さんですかぁ?」女の子達が興味津々で目を輝かせている。
「前田??ひどいなー、仁科ぁ。俺たち何度もセック……もがっ」
最後の方が言葉にならなかったのは私の手が九条の口を塞いだから。
ふざけんな!何言い出すんだこいつぁ!!
空気読めっつうの!
と言うことを目で訴えると、流石に冗談が過ぎたと思ったのか九条は苦笑い。
「で?行くの?行かないの?」せっかちに聞かれて
「わかったわよ!行くわよ」半ば怒鳴るように九条を睨みつけると、私はそそくさと助手席に回った。
「それじゃ、私はこれで。お先に」女の子たちにはなるべく平静を装って、にこやかに手を振る。
ため息をついて車の助手席を開けると、運転席から九条が笑顔で手を差し伸べてきた。
「ただいま、仁科」
昔とちっとも変わらない笑顔。眉が下がり、目を細める、優しい笑顔。そして時々その低い声で呼ばれる、自分の名前。何だかくすぐったいが、この笑顔を向けられたら、たとえ九条の勝手に振り回されても、赦せてしまう。
「……おかえりなさい」私は俯くと、小さく返事を返した。
P.5
前述した通り私と九条とは中学からの付き合いだ。かれこれ十年以上の付き合いになる。十年、と言う歳月は長く感じられるけれど、その間に音信不通になったり、そしてどこからか連絡先を入手して電話を寄越して来たり、をだらだらと繰り返している。
でも、私たちははっきりと『付き合って』はいない。もちろん九条のブラックジョークの『体の関係』もない。
あるのは中学生から変わらないノリと
私が九条のこと「好き」
と言うことだけ。歳を重ねて、九条がホストになって……あ、今はホストじゃなくホスト店を経営してるオーナー様でもあったかしら。とにかく環境は変わったものの、不変的な何かは確実に存在している。
パワーウィンドウの外をちらほらと雪が降っていた。
「北海道行ってきたんだ~土産に蟹買ってきてやったぞ」と九条は運転しながらどこか楽しそう。
「北海道……ここより雪が多そうね」ぼんやりと呟きながら、九条に気づかれない程度にこっそりと、外気との差で曇った窓ガラスに、人差し指で
『好き』
と書く。
私の書いた文字は私の体で隠れて九条からは見えない。
「蟹すきしようぜ~、お前んちで」
「何であんたを一々上げないといけない?」
言い合いをしながら、やがて私のマンションに着く頃にはみぞれになった大粒の白いものが私の『好き』をかき消す。
「だってお前んち床暖あるじゃん?」
「そんな理由かよ」
中学生から変わってないこの関係とノリ。
今はまだ―――
この関係でいいや。
~FIN~
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